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策動(3)

「『細胞蘇生』という単語を聞いたことがある?」

「……いや、初耳だ」

 俺はここまでに聞かされた情報の密度と、その突飛さを受け入れきれず、戸惑いながら短く答えるしかなかった。

 その言葉が、何を意味するのか──まだ分からない。

 ただひとつ確かなのは、ここで語られている現実は、俺が知っていたものとはまったく異なるということだ。


「神族や上級魔族というのはそもそも肉体を傷つけたり滅したりするだけでは死なないのよ、人族と違って」

「肉体を……滅ぼしても死なない?」

 かろうじて喉の奥で整えた声は、掠れていた。

 そんなことがあり得るのか?

 そもそも滅ぼすという言葉と矛盾しているのではないか?

 俺の常識を根本から覆すその言葉に、思わず眉をひそめる。


 ユーカルは少し困ったように眉根を寄せた。

「……感覚的というか、性質的なものだから……表現が難しいわね」

 指先を髪に差し入れ、前髪を耳の後ろにかき上げた。

「近そうな表現だと……現世に『顕現している』ということよ。肉体は現世に干渉するための道具、という考え方が一番近いかしらね」

 俺は黙ったまま、その言葉を飲み込んだ。

 理解できなかったわけじゃない。むしろ、その説明はあまりにも分かりやすく、理屈としてすんなり頭に入ってきた。

 だが──それが事実として受け入れられるかどうかは、別の話だった。


「だから、肉体を切り刻もうが焼こうが死なないの。それどころか、壊れた肉体は作り直せる。それが『細胞蘇生』よ」

「……」

 そんな存在が現実にいるなんて、冗談のようにしか聞こえない。

 だが、ユーカルの真剣な表情が、それを否定する隙を与えない。

「脅しのようになったけど、そういう相手に『契約法』も含めて肉体を傷つける方法で挑んでも意味がないわ」

 その言葉は、まるで風に溶けるように、廃墟の静寂へと消えていった。

 冷や汗が背筋を伝う。


「それなら『契約法』を使えることに意味はないんじゃ?」

 かすれ気味の声で、ようやく問いを投げかける。

 ユーカルは、その問いに対してふっと微笑んだ。

「別にアルスに上級魔族と戦えとは言わないわ。それは神族の役目よ」

 彼女は肩を竦め、さらに言葉を重ねる。

「ただ、周囲の下級なり魔物なりの掃除をしてもらえると神族としては助かるのよ」

「つまり……露払いをしろと」

 呟くように言いながら、その意味を自分の中でゆっくりと咀嚼していく。

 理屈は、通っている。納得できる説明だった。

 ただし──あくまで『一応』だ。

 これまで聞かされてきた話はどれも初めて知るものばかりで、どこまでが真実で、どこからが虚偽なのか区別がつかない。


 ユーカルが俺の顔を覗き込むように見つめ、それから口角をわずかに上げる。

「不満があるなら上級魔族と戦ってもいいわよ」

 その声からは言葉と相まって挑戦的な印象を受けた。

「──もちろん、倒す手段を持たないアルスじゃ、一方的に嬲られるだけだけどね」

 その言い方に、わざとらしさも遠慮もなかった。皮肉すら超えて、もはやこれは挑発そのものだ。

 言葉だけでなく、声の調子や表情まで、明確にこちらを試している。


 とはいえ、ここで「出来らあっ!」と勇ましく返せるほど、俺は無謀ではない。

「まさか。役割を確認しただけだ」

 肩をすくめながら、両手を軽く上げた。

 そんなとんでも存在と真正面から戦うなんてまっぴらごめんだ。

 それをユーカルが受け持ってくれるというなら、喜んで、とまでは言わないが、露払いは引き受けよう。

 いや、ほんとは関わり合いにさえなりたくないのだが、おそらくそれをユーカルは認めまい。

 それを認めたら『契約法』をわざわざ教えたのが無駄になるからだ。

 それに──何より厄介なのは、彼女には『転移』があるということだ。

 俺がどれだけ拒絶しようが、彼女は俺を戦場に連れていくことができる。現に、今こうしてこの廃墟にいるのも、強制的に連れてこられた形に近い。

 であれば──最初から露払いの役を引き受けていた方が、何の準備もないまま巻き込まれて危険な目に遭うより、まだリスクは少ない。

 結局、選択肢なんてあってないようなものだ。


「これで納得できた?」

 ユーカルは小首を傾げ、俺の表情を観察するように尋ねた。

 こういう時だけ俺の意思を確認するのは卑怯だろう。

「……一応は」

 俺は視線を逸らしながら、曖昧に返事をした。

 その言い方に、明らかに納得していないことが滲んでしまったのだろう。

 ユーカルはさらに首を傾け、わずかに目を細めた。

「一応? まだ何か疑問が?」

「……俺だけでは、焼け石に水ではないかと」

 気づけば、口から本音がこぼれていた。

 たとえ『契約法』が強力な手段だとしても、それだけで全てをどうにかできるとは思えない。

 敵の規模も数も分からない以上、もっと組織だった対応が必要だ。

 敵を集める役、防御を担う役、支援を行う役──一人で順に倒していくやり方では、いずれ手が回らなくなるのは明白だ。


「『契約法』としてはアルスだけだけど、他の手も打つわ」

「他の手? 俺につきっきりのように思うが」

 ユーカルの自信満々な答えに、どうにも信じがたい気持ちが残る。

 少なくともこの数日、ユーカルは俺につきっきりで行動している。

 もちろん、夜中に別の活動をしている可能性もある。

 だが、魔族というとんでもない存在に対抗するための準備が、片手間でどうにかなるとは到底思えなかった。

「あなたも知っているシュミルやそれ以外にも仲間はいるわ。心配無用よ」

「そうか」

 俺は短く返しながら、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 ユーカルの言葉を完全に信じ切ったわけではない。だが、対魔族の対策が自分だけではないと示されたことに、心のどこかで安堵していた。

 特攻する役目ではない。最前線で無謀な賭けをさせられるのではなく、きちんと配慮された配置。

 それだけでも──救いだと思えた。


(しかし、上級魔族か……)

 俺は静かに息を吐き、心の中で考えを巡らせた。

 もしユーカルの言う通りなら、ランドール王国の成り立ちにも合点がいく。

 人族では到底太刀打ちできない脅威の前に、神の血を引く初代王に庇護を求めて、次々と各地の人々が臣従していった。

 歴史書に書かれていたその流れも、ただの神話や伝説ではなく、必要に迫られての選択だったのだと考えれば納得がいく。

 だが、この時、俺は見落としていたのだ

 『上級魔族』にとって人間が道具、玩具扱いであるというなら。

 ──その上級魔族に対抗しうる『神族』にとって人間がどういう存在かということを。


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