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策動(2)

「素朴な疑問だが、ユーカルも神の血を引く者ということでいいのか?」

 俺は『契約法』の話題から少し離れ、ふと思いついた疑問を口にした。

 ユーカルはすぐには答えなかった。わずかに視線を外し、肩を小さく上げる。廃墟の一角、崩れかけた壁の縁に視線を滑らせながら、考え込むような沈黙を挟む。

「……まあ、そうね」

 少しして戻ってきた言葉は、曖昧に肯定するものだった。目を逸らしたままのその返答に、俺は小さな違和感を覚えた。

 はい、いいえで明快に答えられそうなものだが、なぜ即答しなかったのだろうか。

 だが、それ追求したところで意味はないと、俺は別の質問へと切り替えた。


「ユーカルも『契約法』を使えるのか?」

「使えないものは教えられないわよ」

 彼女は今度は躊躇なく、呆れたような口調で返した。

「それもそうか」

 確かに彼女の言う通りだと納得した。『契約法』のように、使うために特殊な条件が揃わなければ発動すらしないような力を、経験もなしに他人へ教えられるはずがない。

 とはいえ、その返答にいったんは納得しながらも、先ほどの疑問がまた頭をもたげてきた。


「なぜ、俺にこれを教えるんだ?」

 声を出した瞬間、自分でも少しばかり声が硬いと感じた。質問というより、探るような語調になっていた。

 使いどころに困る力とはいえ、間違いなく選択肢は増えた。自分が使える理由もわかった。教えられたことは感謝すべきことなのだろう。

 しかし、同時に胸の奥で警戒心が蠢く。

 そもそも、ユーカルが俺にこれを教えることで、彼女自身にどんな得があるのかが見えてこない。

 家族、親類、あるいは長年の友人であれば、無償の善意という線もあり得る。

 だが、ユーカルとはそういう間柄ではない。

 彼女とは、シュミルに紹介されて知り合っただけで、俺が頼んだわけでもないのに、ユーカル自身の判断で教えに来た。

 それも、わざわざこの廃墟で訓練を重ねるほどに。

 この状況で「ただ善意で」と納得するには無理がある。


 再び風が吹き、廃墟の隙間から細い砂埃が舞い上がる。その中で、俺はユーカルの反応を注視していた。

 先の考えではないが──。

 ひょっとすると、俺に『契約法』を授けたこと自体が、見えない落とし穴なのではないか。

 何かの拍子にこの力を暴発させ、周囲に被害を出させるよう仕組まれていたとしても、まったくの荒唐無稽とは言いきれない。

 俺の質問に、ユーカルは珍しく表情を崩した。わずかに目を見開き、薄い唇がぽかんと開く。


「え? 自分で力を振るえる方がうれしくない?」

 彼女の表情は作り物ではなく、心の底からの驚きに見えた。

 彼女にとって、力を持つことは当たり前なんだろう。望んで得たというよりも、最初からあって当然のもの。疑問すら抱かないような。

「いや、まあ……そうなんだけどさ」

 返答に困りながらも、俺はどうにか言葉を返した。

 ユーカルの反応があまりにも無邪気で、思わずこちらの警戒心も一瞬だけ緩みそうになった。


「ユーカルにとってどういうメリットがあるか、だな」

 ユーカルは、俺の意図を感じ取ったのか、ふっと口元を緩めた。

 だがその微笑には、どこか余裕と遊び心がにじんでいる。からかうような、あるいは何かを含んでいるような。

「ただで教わるのは性に合わないということ? 私に何か恩返しがしたいということかしら?」

「そういうことじゃない」

 俺は首を振りながら、両手を軽く持ち上げた。


「ただで教わるのは別にいい。ただ飯ほど美味いものはないしな。でも、ユーカルの動機を知りたい」

 こういう状況では、どうしても罠があるのではと疑ってしまう。

 何しろ、ユーカルの素性について、俺はシュミルに紹介された以上の情報をまったく持っていない。

 そして、よくよく考えれば、そのシュミル自身の素性さえ、俺はろくに知らないのだ。

 なんとなく流れで信用してしまっているような状況になっているが、実質何も知らないに等しい。

 客観的に見れば、共通の話題があってなんとなく話が合う、その程度の関係性である。いや、話が合っているのかもかなり疑わしいが。


 いずれにしても全面的に信用するには、材料が足りない。

 彼女がこうして丁寧に教えてくれているその行動の裏に、何らかの意図──もしくは罠が潜んでいる可能性を、考えずにはいられなかった。

 もっとも、仮にそれが罠だったとしても、堂々と「これは罠よ」なんて言うわけがないのだが。


「なるほど……まぁいいわ」

 ユーカルは俺の視線を受け止め、穏やかに口を開いた。

「単純にいえばあなたが強くなることは私にメリットがあるからね」

「具体的には?」

 ユーカルは深く息を吸い込んだ。その動作には、これから話す内容が軽い話ではないことを予感させるものだった。


「そもそもなぜ魔物や魔族がこうも溢れかえるのか、理由を考えたことはある?」

 突然の大きなテーマの問いに、俺は思わず返事に詰まった。

「……こんなに溢れる理由と言われると……わからないな。自然発生的にいるものだと思っていたけど」

 正直なところ、それについて深く考えたことは一度もなかった。

 ただ、目の前に現れる魔物や魔族を「そういう存在」として受け入れていた。


「自然発生ぐらいなら、人族の手にも負えるでしょうけど」

 ユーカルは俺を見下ろす位置で足を止め、肩を軽く竦めた。その動作はどこか冷ややかで、含みのある余裕が感じられる。

「こうまで溢れるのは、意図的というか……別の要因があるわね」

「……別の要因?」

「そう。おそらく、魔界の門が開いているわね」

 ユーカルは地平を睥睨するように視線を投げかけた。


「……魔界?」

 はじめて聞く単語に息を呑んだ。

「何だそれは?」

「魔族そして魔物の本拠地、神族の敵が住む世界ね」

 カルン帝国の跡地から想像することができるのは、凄惨な暴力と破壊が渦巻く世界だった。


「魔界というか魔族にとって、はっきりいえば人族なんてどうでもいいのよ。彼らは人族を敵とさえみていない」

「敵ではない?」

 敵ではないのなら、それはつまり、戦う必要もないということだ。そう思いかけた──その時。

 ユーカルは目を細め、口の端をわずかに吊り上げた。笑っていたが、その笑みに温かさはなかった。氷のように冷たく、ひび割れそうなほど薄い。


「道具、玩具、そういった認識でしょうね。人族だって蟻を『闘争する対象』としてはみなさないでしょ? ただ踏みつぶすだけ。彼らにとって、人族はそれと同じ存在なの」

「……」

 その例えに、喉の奥が固まった。

 ランドール王国の歴史書には、初代王が魔族を倒したという記述があった。

 俺が元いた時間でも、魔族は魔物を統括する存在として語られていた。だが、まさかこれほどに圧倒的で、なおかつ冷酷な存在だとは思わなかった。

 人族は、ただ見下される側に過ぎない。

 そう理解した瞬間、背筋にひやりとしたものが走った。


「神族としても、下級の魔族や魔物なら薙ぎ払えばいい。でも──上級相手だと、そうもいかない」

「……そうもいかない?」

意味を掴めず、反射的に聞き返した。

「防御が堅いということか?」

 ユーカルは首を横に振った。

「それもあるけど、そもそも焼くとかに意味がないのよ」

「意味がない?」

 俺は首を傾げた。

 焼けば焼けるはずだ。生き物なら、燃やせば灰になるのが道理ではないか。


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