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せいじゃものがたり  作者: 瀬山みのり
幕間:シュミル1
62/103

幕間:シュミル1(16)

「まず『誓約』について。『誓約』というのは、神族間で取り決めた内容を以後違えないと宣言することを言うんだ」

 フィルダさんが説明を始めると、先ほどまでの恥じらいが消え、凛とした表情に変わっていきます。

 その変化も魅力的で……いえ、今は話に集中しておきましょう。

 私は意識して姿勢を正し、両手を膝の上できちんと組みました。


「それを宣言するとどうなるんですか?」

「その取り決めを守る義務が双方に発生し、その取り決めを破ると、破った内容に応じて罰が下る」

 フィルダさんは一言一言を慎重に選びながら説明してくれました。

 その中に気になる単語がありました。


「罰というのは?」

 息を呑み込みながら、両手を膝の上で強く握りしめながら、次の言葉を待ちました。


「あまり破った話は聞かないのでなんとも言えないけど、身体の一部が長い期間使えなくなったりするようだね。ひょっとしたらその中には記憶喪失になる、なんてものもあるかもしれない」

 その言葉が耳に落ちた瞬間、手足の先が冷たくなっていくのを感じました。無意識のうちに両手が肩を強く掴み、爪が薄手の服地を通して肌に食い込むのを感じます。

 私はフィルダさんの説明と自分の今の状況と重ね合わせていました。

 もしそうだとしたら、私は何か重要な約束を破ってしまったということでしょうか?

 その想像に胸の奥がチクリと痛みました。


「つまりフィルダさんは私の記憶喪失がそうだというんですか?」

 疑問として口にした言葉はわずかにですが震えていました。

 フィルダさんは素早く首を横に振り、慌てたように両手を左右に振りました。


「そんなことは言ってないよ。あくまで『誓約』を破った際の罰に記憶喪失があるかもというだけで、それがシュミルに関係あるとは思ってない」

 その言葉を聞いた途端、緊張で強張っていた肩から力が抜けていき、深い息が自然と漏れました。

 でも、心の片隅では小さな不安が残り続け、それは胸の奥で微かに脈打っているのを感じました。


「自分でいうのも変ですが、根拠はなんでしょう?」

 不安を完全に払拭しようと、まっすぐにフィルダさんを見つめて尋ねました。

「根拠と言われると、以前のシュミルを知ってるわけではないから根拠はないけど、なんとなく?」

 小さく肩をすくめ、申し訳なさそうに首を傾げると、そこに微笑むのが見えました。

「なんとも薄弱ですね」

 思わず皮肉めいた笑みがこぼれ、少し意地の悪い口調で返しました。

 自分でも辛辣だと思いますが、不安にさせられたのですから、このぐらいの意地悪は許されるはずです。先ほどの不安は決して小さくなかったのですから。

 でも、仕返しはそれでおしまい。

 フィルダさんの言葉には根拠こそないものの、その真摯な態度と確信に満ちた否定が、私の心の中の重たい影を確かに消し去ってくれたのですから。


「そう言われると返す言葉もないけど……」

 フィルダさんの声が少し沈み、両手を膝について体を少し浮かせかけました。

「この話はここで打ち切っていいかい?」

 その動きに胸が締め付けられるような感覚を覚え、私は自分の失言を悔やみました。

 せっかくのフィルダさんとの大切な時間を、つまらない意地悪で台無しにするわけにはいきません。


「あー、ダメ、ダメです。今いいところです」

 私は慌てて両手を前で振り、体を前に乗り出します。

 フィルダさんは立ち上がる動作を止め、眉の端を少し下げ、呆れたような溜め息をつきました。

「ぜんぜんそんなこと思ってないでしょ」

 その視線に私は内心焦りながらも、話を続けるための糸口を探ります。

「そんなことないですよー。でも、そんな重い罰を受ける可能性があるのに、どうして『誓約』なんてするんですか?」

 興味があるのは本当です。ただ、声音に少し飾りを付けて、フィルダさんの気を引こうとします。


 フィルダさんは一瞬目を伏せ、言葉を整理するように小さく息を吐きました。

「『誓約』する内容次第なので一概には言えないけど、相手に義務を課せることができることが自分の利益になるからだろうね、情緒がないことをいうと」

「それだけのことを相手に期待していると」

 私の言葉に、フィルダさんは別の側面も説明してくれます。

 その真剣な眼差しと引き締まった口調に、先ほどまでの照れくささは影を潜めていました。

 少し残念な気もしますが、話が続いているのでひとまずよしとしましょう。


「反対に『自分はこれだけの義務を負うので信用してほしい』という使い方もある」

「誠意を見せるんですね」

 私は軽く頷きながら、その言葉の意味を噛みしめます。

 口先だけでないとわかれば、相手も信じてもいいかという気になるかもしれません。

 言葉だけの約束より、実際に自分にも制約がかかる形で誠意を示すことで、相手の信頼を得やすくなる。それは確かに理にかなっています。

「そうだね」

 フィルダさんの短い返事に、私はさらなる疑問を投げかけました。


「それは一方的に宣言するだけでいいんですか?」

 フィルダさんは首を横に振り、手のひらを上に向けて軽く持ち上げました。

「まさか。相手の宣言の内容を受け入れて、その内容に見合った対価として自分はこれだけのことをする、というのを双方宣言しないと『誓約』にはならないよ」

「それなら」

 私は目線を僅かに落とし、できるだけ何気ない調子を装って続けました。

「いきなり見も知らぬ誰かと『誓約』してたなんてことはないんですね」

「普通はない。ただし、記憶喪失は除く」

 その言葉は的確に私の立場を突いていましたが、今はそんなことを気にしている場合ではありません。

『誓約』の話をここまで聞いたのは、この時のためです。


 心臓が高鳴るのを感じながら、落ち着いた表情を保とうと、ゆっくりと瞬きをしました。

「それで? 番の『誓約』というのは?」

 意図的に無邪気さを装った声で尋ねると、案の定、フィルダさんの表情が微かに揺らぎました。

 フィルダさんの青い瞳が一瞬泳ぎ、口元が微かに引き攣りました。

「わかっていて聞いてるね?」

 その声に混ざった諦めと呆れが、さらに私の心をくすぐりました。

「いいえ、私は記憶がないので?」

 首を横に振りながら、純真無垢な笑みを顔に貼り付けて 答えます。

 いえ、純真ですよ。フィルダさんの困った顔を見たいという百パーセント純真な想いです。

 記憶喪失という事実を、こんな形で都合よく使うのは少し後ろめたい気もします。

 でも、フィルダさんと交わすこの駆け引きのような会話 が、私には楽しくて仕方ありません。

 以前の私がこんな性格だったのかどうかは分かりません。

 けれど今の私は、フィルダさんの表情の機微を探りながら会話を重ねていく時間が、何よりも愉しいのです。


「都合よく記憶なくなりすぎだよ」

 フィルダさんはそう言って目を細め、肩を揺らして大きくため息をつきました。

「それで? それで? 番の『誓約』は?」

 私は椅子から身を乗り出し、テーブルに両手をつきました。

「ああ、もう、わかったよ。番の『誓約』っていうのは、その、アレだ、男性と女性が互いを生涯寄り添う相手として……その……」

 フィルダさんの声が次第に小さくなり、言葉が途切れがちになっていきます。

 さっきまで凜々しく説明していた姿が、まるで幼い子供のようにもじもじと言葉を探す様子に、私の中の何かが熱く疼きました。

 この困った表情を引き出せるのは、今の私だけなのかもしれない。

 そんな思いさえあります。


「その、なんですか?」

 私は頬に手を当て、意図的に上目遣いでフィルダさんを見上げます。

 唇の端が押さえきれない笑みでほころびそうになるのを、歯の内側を軽く噛んで必死に抑えました。

「……誓いあうことであって……」

 言葉の最後が消えるように小さくなり、フィルダさんは完全に横を向いてしまいました。

「あって? なんですか?」

 フィルダさんにそんな仕草をされたら、悪戯心が止まるわけがありません。

 椅子から立ち上がり、フィルダさんの向いた方向へ身を乗り出し、意地悪く続きを促しました。

「ああ、もう、絶対分かってるよね?」

「ええっ、そんな説明じゃ分かりませんよ?」

 私は声を裏返らせ、大げさに驚いてみせます。


「もう一度最初から通しでお願いします」

 テーブルを半周して、フィルダさんの前まで回り込み、両手を合わせました。

 真面目な顔を作ろうとしましたが、込み上げてくる笑みを抑えきれません。

「こーらっ」

 さすがにフィルダさんも私が揶揄っていることに気づいたらしく、その指が私の頬をつまみました。

「むぐ」

 予想外の反撃に、思わず声が漏れます。

 でも、悪戯な私の口を開けさせないそのつねり方も、からかいの仕返しの延長線上。少し痛くて、少し温かくて、少しくすぐったい、そんなお仕置きでした。

 私の胸の奥で小さな幸福感が、温かな泡のように膨らんでいくのでした。

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