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せいじゃものがたり  作者: 瀬山みのり
幕間:シュミル1
57/103

幕間:シュミル1(11)

 しばらく歩くと、昨日見た景色と同じように、遠くに村が見えてきます。ただ今度は、家の輪郭まではっきりと見分けられるようになっていました。

 私は一度足を止め、まっすぐに前を見つめたまま、村の様子に見入りました。

 石と土でできた質素な家々が不揃いに並び、その背後には黒みがかった土の区画が続いています。まるで緑の皮を剥いだような、異様な光景でした。

 地面に向かって腰を屈める者たちが点々と散らばっています。

 彼らは深く腰を折り、両手を這わせるように土に触れています。その姿は遠目には虫のようにさえ見えました。


「フィルダさん、あれは何をしているのでしょうか?」

 フィルダさんは足を止め、体の向きを私の方へゆっくりと変えました。


「今は春だし、ツチノコを植えているんだろうね」

「ハル? ツチノコ?」


 私は首を右に傾げ、黒い土の広がりから視線を離せないまま問い返しました。

 言葉の意味が全く掴めません。


「ああ、そうか」

 フィルダさんは右手の差し指を顎に当て、目線を斜め上の空へと向けます。

 風に揺られる前髪の下で、眉間に小さな皺が寄り、考えを整理しているようでした。


「天界だと季節自体がないから春と言っても伝わらないか」

「季節、ですか?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げました。

 フィルダさんは一度深く息を吸い、言葉を選びながら説明を始めます。


「地上では一年三百六十日の間に、温かさや自然の様子が少しずつ変化していくんだ。天界のような気温の時期を『春』と呼んでいて、この時期には地上で新しい命が芽吹くんだ。その後、日差しが強くなって暑い『夏』になり、次第に涼しくなって実りの『秋』がやってくる。さらに寒くなった『冬』を経て、また『春』に戻っていく。この四つの異なる時期をそれぞれ『季節』と呼ぶんだよ」

「同じ場所なのに、暑くなったり寒くなったりするということですか?」

 一日の昼と夜のように陽が出ている間と落ちている間ならわかりますが、一年の間でどうしてそんな変化があるのか理由がわかりません。


「なんで変わるんですか?」

 フィルダさんは顎に当てていた右手を下ろし、軽く左右に振りました。


「細かいことをいえば地軸の傾きなんだけど、いったんそれはおいておこう」

 その仕草から私はややこしい話であることを察しました。


「あとはツチノコだけど・・・・・・」

 フィルダさんは両手を目の前に出し、こぶし大の丸い形を作るように指を曲げて見せます。

「そう、ここ数日食事で出していた、こういう感じの芋……食べ物のこと」

 その仕草に、私の記憶が鮮やかに蘇ってきました。

 黄色みを帯びた、温かくて甘い温かい食べ物があったことを思い出します。


「あれがツチノコというものなんですか?」

「そう」

 フィルダさんは顎を小さく下げて頷き、目元に柔らかな笑みを浮かべました。


「まあ、天界にはない産物だし、そもそも天界では土のついた食べ物なんて食べないから、シュミルが知らないのも無理はないか」

「え? ツチノコって土がついていたんですか!?」


 私の声は思わず裏返り、顔の筋肉が凍りついたように強張りました。

 言われてみれば、フィルダさんが水場で黒ずんだ土にまみれた何かを洗っているのを見ました。

 私はあれを食べ物だと思っていなかったので気にもとめなかったのですが、あれがツチノコだったということでしょうか。

 そして今、その名前の意味に思い至り、全身に悪寒が走ります。「土の子」―土がついているのは当然の話だったのです。


「採るときはね」

 フィルダさんは私を落ち着かせるように穏やかな声で説明を続けました。

「その後洗っているから食べる時は土はないよ」

「うう、不潔です」

 私は両手で頬を覆いました。

 指の間から漏れる吐息が震えています。

 天界の食べ物は風に揺れる常花や、枝に実る果実―どれも土に触れることなく空で育つものです。土が付着した食べ物を口にしないなんて常識です。それなのに、土に埋まっていたものを食べるなんて。

 胸が少し悪くなり、喉の奥がむかつくような感覚に、覆っていた手を下ろし、右手を口元に押し当てました。


「そう言う気持ちは分かるけど、皮も剥いているからさ」

 フィルダさんは左手で首筋を軽く掻きながら、困ったように口角を持ち上げました。

「それに甘かったでしょ?」

「それは・・・・・・」

 口元から手を離し、右手の差し指を唇に当てながら、目線を斜め下に落としました。

 つい先ほどまでの嫌悪感と、舌の上に残る温かな甘さの記憶の間で、心が揺れます。胸の中で二つの感情が混ざり合い、どちらも打ち消すことができません。

「ほくほくして甘かったですけど・・・・・・」

 認めたくない気持ちと、否定できない美味しさの狭間で、声が細くなっていき、最後は息の音だけになってしまいました。


「そう、甘味もあって、栄養も豊富、人族が安定して生活するための礎だね」

「そういえば、人族という単語は以前も聞きました」

 ツチノコの話題から逃れるように、私は声音を明るく保ちました。意識的に空の方へ目を向け、深い呼吸で喉の奥の不快感を押し込みます。

 嫌なことは考えないに限ります。


「ああ、そうだね。これから行くのは人族の村だよ」

 フィルダさんは穏やかな表情で答えます。


「神族と人族は違っていて、フィルダさんの神魔族は神族に近い、でしたよね?」

「そうだね」

 フィルダさんは柔らかく頷き、目元に小さな笑みを浮かべました。


「そのように違う人族の村に行くことに意味はあるのでしょうか?」

 私は差し指を唇から離し、両手を前で組みながら尋ねました。

 ここまで歩いてきて往生際が悪いと自分でも思いますが、できるだけ抵抗したい気持ちを言葉の端々に滲ませて。


「うーん、ないとは言い切れないかな」

 フィルダさんは顎に手を当て、目線を空の方へ向けながら答えます。

 その曖昧な返答に、私は思わず眉をひそめました。

「弱いですね」

 言葉が自然と冷たく尖り、声に皮肉が混じります。


「それはそうだけど」

 私が村に行かない理由を色々探していることに気づいたのでしょう。フィルダさんの声には、優しさの中に僅かな諦めが混ざっていました。

 フィルダさんは体の向きを変え、私と正対しました。


「僕や護仕たちと一緒にいても記憶は戻ってこなかったでしょ? なにか別のことを考えないと」

 その真剣な眼差しに、かえって居心地の悪さを覚えます。

 そこまで深刻に考えてくれなくてもいいのに。

 私は唇を噛んで内心の舌打ちを抑え、視線を足元に落としました。つま先を内側に向けて地面を小さく削るように動かしながら、心の中では不満が泡のように湧き上がっていきます。

 それを悟られないように深いため息を飲み込みました。


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