導き(43)
~アルスside~
「え? ここは?」
目の前の景色があまりに変わりすぎていて、俺は言葉を失った。
間違いなく、ほんの数秒前、自分は屋内、城内の部屋にいたのだ。
そこは紛れもなく人の生活感のある場所だった。
だが、今、俺の目に映るのは、瓦礫の山、倒壊した建物の残骸、そして至る所に広がる不吉な赤黒い染み。
人の生活感など微塵もなく、その光景は、まるで生命の否定という観念がそのまま具現化したようだった。
「カルン帝国、といったかしらね」
だが、そんな俺の困惑など素知らぬ顔で、ユーカルは、まるで楽しい遠足にでも来たかのような軽い口調で答えた。
ランドール王国にいた俺が、なぜカルン帝国に?
驚きのあまり、しばらく言葉が出なかったが、ようやく聞くべきことを二つに絞った。
正直なところ、ここがカルン帝国であるかどうかの真偽はどうでもよい。
どうして自分がここにいるのかと、自分の命さえ否定しそうなこの惨状はどういうことなのかということだ。
「なぜこんなところに? というか、これはいったい?」
「『転移』で連れてきたのよ」
そんな俺の疑問に対し、ユーカルは当たり前のことを言うかのように答えた。
「『転移』?これが『転移』か」
任意の場所に移動できる能力とは聞いていた。
そして、それをシュミルやユーカル、そしてムラサキも使っているのを見た。だから、そういうものだという理解はあった。いや、あったはずだった。
だが、実際に体験してみると、それは考えていたものとは別物だった。
いや、別物というのはおかしいか。
まったく同じもので、想像もできるはずなのに、その想像していた結果を頭が受け取るのを拒否しているような、そんな感覚。
そんな俺の様子にユーカルは少し面白そうな表情を浮かべた。
「『転移』ぐらいで驚いてるの? 初心で可愛いわね」
「う……」
初心とか言われると無知を指摘されたようで恥ずかしいが、俺が驚くのも無理はない。
なにしろ自分ではできない『転移』をはじめて体験したのだ。
いや、体感というのが正しいのかわからない。
何の肉体的影響もなく、一瞬で自分の身体がある場所が突然変わる。経験はしたが、『体感』したという言葉は合っていないのかもしれない。
「もう一つ言うと、カルン帝国というものは崩壊したようよ」
ユーカルはついでと言わんばかりに、さらに衝撃的な事実を告げた。
「はァ?」
耳を疑う俺の声が、驚きのあまり裏返った。
つい数日前、レナから聞いたばかりのカルン帝国の侵攻。それが今、こんな形で崩壊している?
いや、それ以前に、カルン帝国が攻めたと聞いたのに、攻めた側が滅んでいるなんて、そんなことあるのか?
「魔物にやられたようね」
ユーカルの言葉に、俺はさらに混乱した。
たしかに国家間の戦争において、攻めるにしても守るにしても焦土作戦は最終手段に近い。
だが、そんな焦土作戦であってもここまで無造作かつ凄惨な状況にすることはまずないだろう。
だから国家や領土支配といった思想のない魔物がこれらを行ったというのは一定の説得力はある。
あるのだが……。
「魔物? いや、魔物はいるだろうけど、国自体があっさり崩壊するなんて」
どうにも納得できない。
そもそもそこらにいる魔物にあっさりやられてしまうなら、国家なんて存在しえない。
ある程度長い期間定住できる環境があることが国家成立の最低限の条件だからだ。
「それなりに数がいたようね。人族なら対処しきれないのもおかしなことではないわ」
(人族……?)
その言葉遣いに、一瞬違和感を覚えた。
人間とか人とかは当たり前の言い回しだが、人族という言い方は括り方が第三者的な……。
とはいえ、今重要なのはそこではないし、魔物の数がどのぐらいだったかでもない。
「それで、崩壊したという国で何をしろと?」
気になるのはそこだった。
「いったでしょ、実戦よ、実戦。これだけ壊れてれば、さらに壊れても誤差でしょ」
ユーカルは、まるで楽しみにしていたかのような表情で答えた。
なんてことを言い出すんだ。
その言葉に背筋が凍る思いがした。
「実戦って、まさか国を崩壊させた魔物と戦えってことか?」
それはあまりに無謀な計画だ。
ユーカルは俺の不安など気にも留めず、指示を出し始めた。
「結果としてそうなるかもしれないけど、まずは練習からね。はい、右手を前に突き出す」
戸惑いを感じつつも、言われた通りに右手を前に突き出した。
言いたいことはあるが、どの道、『転移』で連れてこられた俺に帰る方法はない。
帰る手段はユーカルの手に握られており、彼女に言われた通りにしなければ、俺はここで野垂れ死ぬか魔物の餌になるかだろう。
「こ、こうか?」
「それで、さっきの言葉を詠唱する」
ユーカルに急かされ、俺はユーカルから聞いた言葉を思い出そうとした。
「さっきの……えーと……火界の神ラルト、ギアルの盟約により……」
躊躇いがちに口を開いたものの、続きを思い出せず、途中で言葉に詰まってしまった。
「……続きはなんだっけ?」
さすがに一回しか聞いていない言葉を一言一句完全に思い出すことは俺にはできない。
ユーカルはため息をつき、呆れと諦め混じりの表情を俺に向ける。
「まったく……」
彼女は眉をひそめながら、今度は俺に聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「『火界の神ラルト、ギアルの盟約により、契約者アルスの名において力を行使せよ。出でよ、深紅の奔流』よ」
文句があるなら紙にでも書いてくれればいいのに。
俺は内心毒づいた。
一目見ただけでも、たった一度聞くよりはずっとましだからだ。
とはいえ、今はそんな不満を口にする場面ではない。
目を閉じ深呼吸して、頭の中でユーカルの言葉を反芻し、それを言葉にした。
「『火界の神ラルト、ギアルの盟約により、契約者アルスの名において力を行使せよ。出でよ、深紅の奔流』」
最後の一語が唇から零れ落ちた瞬間、世界が一変した。
突如として目の前に巨大な炎の壁が現れる。灼熱の波が顔を打ち、その猛々しい轟音が耳を震わせる。
俺は思わず顔を背け、少し後ずさりした。
静寂が戻ってきた後、俺が前方を見ると、焼け焦げた建物の残骸が黒々と佇んでいた。その黒色が着色ではないと主張するかのように煙が立ち昇り、焦げた匂いが鼻をつく。
その光景に息を呑んだ。
「はぁ?」
自分の声が間抜けに響くのを感じながら、目の前の光景と自分の右手を交互に見つめた。
右手には何の変化もない。ただの素手だ。それなのに、こんな凄まじい力を生み出したのか?
ふとユーカルへ目を向ければ、彼女満足げな表情で俺を見ている。
「最初にしては上出来ね」
混乱と驚きで頭がくらくらする中、何とか言葉を絞り出した。
「なんだ、これ?」
俺の疑問に対し、ユーカルは少し得意げに説明を始めた。
「総称だと『契約法』と呼ばれるものね」
「『契約法』? 聞いたこともない」
法とつくものは一般的に『賢者法』『司祭法』『操元法』とあるが、そのどれでもない。
「そうでしょうね……人族にとっては失われたものの一つでしょう」
ユーカルの言葉に、俺は急に希望が湧いてきた。もしかして、これが自分の力になるのか?
「これは誰でも使えるのか?」
もしそうなら天地がひっくり返るほどの大変化だ
ユーカルは小さく首を振った。
「残念ながらそういうものではないわ。これは名に紐づいた契約によるもの、あなたがたまたまアルスという名をもつから使えたにすぎないわ」
ユーカルの説明が雑すぎて理解できず、俺は半ば冗談めかして確認する。
「アルスに改名したら使えると?」
「そんなわけないわ」
ユーカルはあまりに滑稽だと思ったのか吹き出した。
まぁ俺自身もそんなわけないよなと思っていたから、肯定されなくてちょっとほっとした。
とはいえ、ユーカルの説明から考えれば、こういうおかしなことが成り立つように考えてもおかしくはない。
だから雑だと思ったのだ。




