導き(4)
~アルスside~
ひたすら怒鳴られ続けたのがどのぐらい続いただろうか。二時間か、はたまた四時間か、時間の感覚が麻痺しそうな中、突如として状況に変化が訪れた。
こちらからは見えないが、扉の外で何かが起こったようだ。おそらくは操元法の『静寂』、音を遮断する術を行使したのだと推測する。その結果、部屋内は一瞬にして静寂に包まれた。耳鳴りがするほどの静けさに、俺は少し戸惑いを覚えた。
しばらくすると、取調べ室の扉がゆっくりと開かれ、俺に罵声を浴びせていた男が再び姿を現した。どういうわけかその表情には、明らかな不満と緊張が混ざっている。不満はわからないでもないが、緊張については思い当たる節がない。
男は無言で俺の手を掴むと、後ろ手に回し、縄できつく縛りあげた。かなり痛い。
「どうぞお入りください」
男の言葉をきっかけに一人の少女が部屋に入ってきた。年齢は俺より下なのはほぼ確実だが、その顔のあどけなさと体系からすると、大人びた十二歳と言われても信じてしまいそうだ。
そして、その洗練された立ち振る舞いと衣服はあきらかにと上流階級のものであることと推察できた。彼女が王族か高位の貴族であることはほぼ間違いなかった。
少女は凛とした様子で俺と向き合い、対面に腰を下ろした。その仕草には、年齢以上の威厳が感じられる。
どういう流れかはわからないが、どうやら彼女が俺と話をすることになったようだ。
「はじめまして。私はレナと言います。名前を教えてもらえますか?」
少女の声は、予想外に柔らかく、丁寧だった。これまでの粗暴な扱いとの落差に、俺は一瞬戸惑いを覚えた。しかし、この状況での礼儀正しさに、僅かな希望も感じる。
「丁寧な挨拶ありがとうございます。お…私はアルスという者です」
警戒心を解くわけにはいかないが、少しだけ心を開いてもいいかもしれない。
「アルスさんですね。あなたはここにどういういきさつで来られたのですか?」
レナの視線は真摯で、本当に知りたがっているように見える。しかし、この質問にどう答えるべきか、俺は逡巡した。
当然といえば当然の質問だが、そのいきさつが一番答えにくい。
なにしろ俺自身が状況を把握できていないのだ。
たとえば、俺があの黒い彫像にぶつかった際に、打ちどころが悪く、朦朧とした意識で宝物庫とやらまで歩き、そこで今の意識を取り戻したのが今の状況だと仮定しよう。そんな荒唐無稽なことがあるかと思うが、それはおいておこう。
その場合、ここはラナーン城であり、俺はそのラナーン城への侵入者だ。もっとも、止められるようなことは何一つとしてなかったから、侵入という言葉は不適切だと思うが、それは俺の主張であって、ラナーン城の所有者からすれば招かざる者であることは間違いない。
この仮説に沿って『どういういきさつで』に対する答えは「長期間の結界技術に興味がありました」となる。しかし、それを聞いた側はどう思うか?ほぼ確実に、技術を盗みにきたと考えるだろう。
その技術が秘中の秘ならば、『王家の杖』の紛失に俺が関わっていなくても、処刑は免れまい。
そこまで考えて、『王家の杖』の紛失と、俺のラナーン城への侵入成功はなんらかの関係があるような気がしてくる。
その『王家の杖』が結界の元となっていて、それがなくなったことで侵入ができるようになった?
俺が『王家の杖』紛失に関わっているわけではないが、まったくの無関係というわけでもないということになる。
「……」
沈黙が続く中、俺は頭の中で様々な可能性を巡らせていた。真実を話すべきか、それとも状況に合わせた説明をすべきか。レナの表情には焦りはなく、じっと俺の答えを待っているように見える。
「言えないようなことでしょうか?」
レナの声には、わずかな懸念が混ざっていた。
「言っても信じられないようなことなので、どうしたものかと悩んだのです」
俺の言葉に、レナの目が少し大きくなった。興味を引いたようだ。
「信じるか信じないかは聞いてみないとわかりません」
レナの返答は、予想以上に開けっ広げだった。さっきまで俺に当たり散らしていた男と比べると、明らかに聞く耳を持っているように感じる。
その態度に、俺は少し安堵感を覚えた。全てを話すわけにはいかないが、ある程度の事実を伝えることはできそうだ。
「……それはごもっとも。自分でいうのも奇妙な話ですが…」
俺は慎重に言葉を選びながら、城に侵入したこと『以外』のいきさつを説明する。『侵入した』ことを言うと痛い腹を探られるからな。
具体的には自分の家にある日黒い彫像が出現し、何かと思って触れてみたところ、次に気づいたらここにいた、というものである。
そんな俺の話をレナは真剣な表情で聞いていた。
「奇妙な話ですね」
話を聞き終えたレナは、驚きと興味が混ざった声を出した。その表情からは、俺の話を完全に信じているわけではないが、全く否定もしていないことが窺える。
「レナ様!こんな作り話…」
突如、男が割って入ってきた。その声には明らかな苛立ちが含まれている。彼の目は俺を疑惑の眼差しで見つめていた。
作り話であることは否定しないが、本質的なところ、すなわち、今の俺に関わる部分については事実である。ここがどこかもわからない状況で、ラナーン城への侵入も含めた事実を話すことは難しい。
もっとも今話した部分だけで、俺を解放しろというのもだいぶ無理がある話ではあるが。
「ディアス、私が言ったことを忘れましたか?」
レナは静かに、しかし、微かながら苛立ちを帯びた口調で男に言葉を投げかけた。
彼女もこの男に対して思うところがあるのだろうか。
というか、今知ったが、どうやらこの男はディアスという名前のようだ。
「失礼しました」
ディアスは即座に謝罪した。その様子を見て、俺はレナの立場の高さを改めて実感した。彼女は間違いなく相当高位の貴族か、王女かだろう。この容姿でさすがに既婚ということはないと思うので王妃や王太子妃は除外したが、でも若くても婚約者ぐらいはいてもおかしくはなく、そういった類の身分もありえるかもしれない。
しかし、そんな身分の高い人物が直接取調べをするのだろうか?単なる雑談として考えれば説明がつくかもしれないが、状況は複雑だ。
それでも、レナの態度に公平さを感じ、俺は少し希望を抱いた。
「アルスさんの話が本当かウソかを判断する情報を私たちは持ち合わせていません。ですが、かなり突拍子もない話なのでいきなり信じるのも難しいです」
レナは固くなった雰囲気を崩すように小さく咳払いし、彼女なりの見解を述べた。
「そうでしょうね」
こればかりは俺も同意せざるを得なかった。
自分でも状況が把握できないのだから、それを他人が理解できることはまずないだろう。理解できるとすれば、この状況を作り出した本人だけだろう。
「また、聞いているかもしれませんが、今起きている騒動を少しでも知っているアルスさんをすぐに解放することもできません」
レナの声には、わずかな申し訳なさが混じっていた。
「情報が漏れては困るということですね」
「そうです」
俺は状況を理解したように応じた。レナの目に、少し安堵の色が浮かんだように見えた。
『王家の杖』なんて名称だから重要なものだろう。それがないと国家の正当性が揺らぐモノとかあるだろうしな。
「申し訳ありませんが、しばらくは軟禁させてください」
レナの声には、苦慮の決断であることがにじみ出ていた。
「まぁそうなりますよね。食事は出ますか?」
俺はできるだけ平静を装って尋ねた。この状況下で最低限の生活の保証を確認することは重要だ。
「それはもちろん」
レナの即答に、俺は安堵の胸を撫でおろした。
貴族の食べる食事が提供されるなんて期待はないが、囚人ではなく一般の民に与えられるような食事をレナという高位の人物が保障してくれるのであれば、当面生存に問題はないだろう。
その代わりに暴行とかされるなら別だが、さすがにこの会話の流れでそれはないだろう。
「それと時間を持て余すと思うので本の差し入れていただけないでしょうか」
俺はさらに一歩踏み込んで要求してみることにした。レナの反応を見守りながら、慎重に言葉を選んだ。
「本……ですか?どんなものでしょうか?」
「地図や地理がわかるものがいいですね」
俺はできるだけ自然な口調で答えた。今の状況を把握するのにはそれが最善だろう。
「それは機密に近いのでお見せすることはできません」
レナの表情には、少し残念そうな色が浮かんでいた。しかし、その目には警戒心も垣間見えた。
だとすると、あとそれに近い状況がわかりそうなものといえば……。俺は素早く頭を巡らせ、別の選択肢を考えた。
「……では、歴史書。この国の歴史書ならいかがでしょうか?」
俺の新たな提案に、レナの表情が和らいだ。
「わかりました。後ほど届けさせましょう」
「ありがとうございます」
話は終わったらしく、レナは優雅に立ち上がった。その仕草には、生まれながらの気品が感じられる。
「ディアス、アルスさんの縄をほどいてあげてください」
「……承知しました」
レナの言葉に不承不承さを隠さず、ディアスが俺を縛り上げていた縄を解く。
「あとで部屋に案内させますので、しばらくここでお待ちください」
「ありがとうございます」
レナはディアスを伴って取調室を退室していく。
最後にディアスがこっちを睨んでいたように思う。ほんと、なんなんだ。
そうして取調室で一人になったところで、俺はようやく落ち着いて思索に耽る。
直近でいえば思ったより悪くない結果になったと言える。
悪い処遇としては処刑・監禁・強制労働などが考えられたが、それらのいずれでもなく軟禁で、かつ食事つき。自由に行動こそできないが、下手な無罪放免よりよほどいい。かなりの厚遇と言える。
それよりも『地図や地理』に関する本が機密に近いということがかなり驚きだった。
たしかに地図や地理が分かれば、攻めるにしても守るにしても有利である。ただ、機密にすることで有利であるということは、地図自体が希少でないとならない。普及していれば城の中で機密にする意味がないからだ。
だが、少なくとも自分の知る限り、地図というのは普及して久しく、機密扱いする国は聞いたことがない。
(それとも城内の地図と勘違いされたか?)
たしかに不審人物に城内の地図を渡すのは論外だろう。それなら理解できる。
(当面は歴史書読みだな)
ここはラナーン城なのか。そうでなければ、いったいどこなのか。地図がなければそこから推察していくしかない。
今は情報がなさすぎる。