導き(33)
俺は沈黙を避けるように、彼女に用件を聞くことにした。
そう、突然彼女が現れたのが『転移』によるものであるのなら、彼女は何か用事があったからこそ『転移』してきたのだ。
いつの間にか喉の奥がカラカラに乾いていた。
そのことに少し驚きを感じながら、俺は口を開いた。
「ここには何の用で?」
その瞬間、予想もしなかった反応が返ってきた。
「少し黙って!」
予想外の剣幕に、頭の中が真っ白になる。彼女の声には、明らかな怒りが滲んでいた。
なぜそこまで激昂するのか、さっぱり理解できない。舌が上顎に張り付いたかのように、言葉が出てこない。
彼女の表情を窺えば、そこには深い苛立ちの色が浮かんでいた。さっきまでの冷ややかな態度が嘘のように、感情が露わになっていた。
にらみ合うような沈黙が続いたが、やがて彼女の表情から怒りの色が薄れていった。
深いため息とともに、彼女が口を開く。
「……ふう、いいわ。まずは情報を整理しましょう」
「なんだ、いきなり」
急激な態度の変化に戸惑いを覚え、思わず眉をひそめる。
彼女の真意を探ろうと、その表情を注視する。
だが、そんな意識も彼女の次の言葉によって吹き飛ばされてしまう。
「あなたは元の時間から飛ばされてここにきた、それはわかってる?」
その言葉を耳にした瞬間、心臓が大きく跳ね上がる。
自分でさえ完全には理解できていなかった――いや、受け入れきれなかった現実を、彼女が知っているという事実が、全身を震わせた。
「!知っているのか⁉ 戻る方法はあるのか⁉」
声が裏返った。そして、必要以上に大きな声を出してしまったことに、自分でも驚いた。
彼女の言葉は、俺の置かれている状況の核心を突いていた。そしてここから抜け出す、ここという言い方は不適切か、元の時間に戻る可能性が一気に現実味を帯びたのだ。
冷静でいられるはずもなかった。
握る拳が震え、その中でわずかながら汗が滲む。
彼女の答えを待つ間、時間が異常なほどゆっくりと流れているように感じた。
「落ち着きなさい。まず、事態はかなりオオゴトになっていて、あなたを元の時間軸に戻せば『はい、解決』とはならないのよ」
自分の姿勢が前のめりになっているのに気づき、ゆっくりと深い息を吸う。彼女の言葉の意味を咀嚼しようと努める。
単純に元の時間に戻れば解決するわけではない……それはつまり、もっと複雑な問題が絡んでいるということだ。
だが、その問題がどうあれ、今の自分の状況を変えられる可能性があるということでもある。
「そうなのか……でも、戻す手段はあるということだな?」
自分の声に混じる僅かな震えに、抑えきれない期待が滲んでいるのが分かった。
「あるわ」
シュミルの明確な返事に、心に希望の灯が点ると同時に体の力が抜けるのを感じた。
「そうか……」
安堵のため息とともに、小さく呟いた。
「具体的にはどうすればいい?」
「言ったでしょう、かなりオオゴトになっているって。何かをすればそれで解決と単純にはいかないの」
シュミルは眉間に皺を寄せ、少し苛立ったような声を返した。
状況は俺が想像できないほど複雑なようだった。
だが、考えてみれば当然かもしれない。自分の身に起きているのは、三千年も前に遡るという常識では測り知れない現象なのだから。
「……つまり待てということか?」
理解しようとしながらも、声に落胆が滲み出るのを止められない。
「現時点ではそうなるわ。私が今言えるのは『戻る道はあるから希望を捨てるな』ということよ」
深い息を吐き出す。
単純な解決法ではないことは残念だ。どこかに行けば元の時間に戻れる――そんな簡単な話ではないらしい。
とはいえ、これまでは自分が導いた結論に対し、半信半疑であったのは間違いない。
それが確定した事実であると同時に、解決する可能性を提示されたのだ。
希望を捨てるわけがなかった。
だが、待つと一言で言っても考えられる待ち方は多様だ。
「待つというのはここでじっと待つということか?」
さすがに逆立ちして待てとは言わないと思うが、この部屋から出ることはまかりならぬ、という可能性は考えられなくもない。
たとえばシュミルはこの部屋にしか現れることができないなら、そういう制約があってもおかしくはない。その場合、俺はなんとしてもこの軟禁部屋に軟禁されることを維持しなければならないのだが。
だが、シュミルの返答は予想を大きく外れ、さらなる混乱を招くものだった。
「とりあえず当面は好きに行動していいわ。オオゴトになっているのは今のあなたに直接は関係のないことだから」
「……」
視線が宙を彷徨う中、俺は彼女の言葉を反芻する。
直接関係ないがオオゴトで、戻して解決するわけではないが直接関係ない?
何を言っているのかまるで理解できない。矛盾というより、情報の欠落。
意味を掴もうとするほど、言葉の断片が頭の中でバラバラに踊る。
だが、「あなたには関係のないこと」と言い切る彼女の様子からすると、これ以上の説明は期待できそうにない。
俺は自分に直接関わることだけを確認することにした。
「『王家の杖』探しはしてもいいということか?」
「当面好きに行動していい」と言った以上ないとは思うが、「好きに行動していい」のが、この部屋の中限定という可能性がないかは知っておきたい。
もちろん好き好んで『王家の杖』探しに出たいわけではない。
だが、レナがその方針であることは間違いなく、彼女がその気になれば俺の意向など無視して探索に行かせることも可能だ。
自分ではどうにもならない事態で違反を犯すことだけは避けたかった。
シュミルは俺の顔をしばらく見つめ、瞬きを二、三度繰り返した後。
「それは私の知っていることではないわ」
突き放すような口調で答えた。
もったいぶった物言いだが、意味するところは明確だ。この部屋から出て探索することと、元の時間に戻れることは無関係――そう受け取っていいだろう。
「とりあえず今出せる情報はここまで。また必要があればくるわ」
明らかに退散することを意図した言葉に、俺は慌てて引き留めようとした。
彼女から聞くべきことはまだ山ほどあるまだ聞きたいことがある。
「まっ……」
だが、その一音を発するのが精一杯だった。
喉から次の言葉が出る前に、シュミルの姿は消えていた。まるでそれまでの存在が幻影であったかのように。
たしかに『ここにいた』という物的証拠は何一つない。幻影どころか幻覚だったと言われても否定できないほどに。
(いや、それ以前に)
『転移』というものを一度も見たことがないにも関わらず、一番最初に『転移』という可能性が浮かんだ。
いや、可能性なんて生易しいものではない。あれは確信だった。
(とはいえ、それを考えても今は答えが出ないか)
その謎は次の機会に持ち越すとして、今確実なのは『元の時間軸に戻ることができる』と明言された事実だ。
もちろん、その言葉が真実である保証はない。
だが、こちらから何も情報を与えていないのに、今の状況を明確に言い当てた以上、間違いなくこの現象の関係者だ。
ようやく最初の手がかりを掴んだ。これは確かな一歩だった。




