導き(31)
~レナside~
イアノに目配せをしてから返事をし、イアノを伴って謁見の間に入りました。イアノが後ろに控えていると思うと心強いです。
「陛下、レナ、参上しました」
私の声は、広大な謁見の間に吸い込まれていくようでした。一瞬の沈黙の後、陛下の声が響きました。
「よろしい。近くに寄りなさい」
陛下の声をきっかけに私は玉座の前に進んで、恭しく頭を垂れました。
その声からはいつもの声と比べると何か切迫したものを感じます。
「お言葉に従います」
陛下のやや緊張を帯びた眼差しを感じながら、私は丁寧に尋ねます。
「至急の要件と伺いました」
公的に呼び出して聞かせなければならないという用件だということです。
緊迫した雰囲気に息苦しさすら感じます。
そしてその雰囲気の中、陛下は眉間にしわを寄せ、重々しい口調で告げます。
「そうだ。カルン帝国がアスラルト国に宣戦布告したという情報が入った」
その言葉に私の心臓が一度大きく締め付けられましたが、表情には出さないよう努めました。
偶然ではありますが、事前にアルスさんとの話の中で、戦争の可能性は示唆されており、それを聞いていたおかげである程度の心の準備ができていたのだと思います。
私は一瞬目を閉じ、心を落ち着かせてから、慎重に言葉を選び、確認しました。
「すでに戦闘は始まっているということでしょうか?」
陛下は深いため息をつき、疲れた表情で答えました。
「そういう情報があがっている」
アルスさんの想像では、どちらかが『王家の杖』を使用している可能性があるということでした。
こうしている間にも『王家の杖』が利用……いいえ、悪用されているのかもしれません。
ですが、陛下からその事実を聞いても、私には疑問がありました。記憶を辿りながら、陛下に尋ねました。
「ですが、カルン帝国にはアスラルト国から王妹のミディア様が嫁いでいたのでは?」
陛下は少し表情を曇らせました。
「そうだが、それについては情報がない」
その答えに、私は眉をひそめました。
ミディア様。直接お会いしたことはありませんが、カルン帝国に輿入れして御子も生まれていたと聞きます。これらの出来事は、両国の絆を深めるはずだと考えていました。
そのように国の頂点に立つ者同士で血縁関係があるのに、なぜ攻め込んだのか。理由がわかりません。
しかし、宣戦布告が既に行われた今、なぜこのような状況になったのか、それを問う時期はすでに過ぎてしまっているのでしょう。
宣戦布告をするということは、すでに国家の方針として決定した事項なのですから。
そして、その布告を受けたアスラルト国もまた、何事もなかったとすることはできないでしょう。
したがって、今考えるべきことは、この二国のことではなく……。
「陛下」
私は慎重に言葉を選びながら話し始めます。
「この事態が我が国にもたらす影響について、お考えをお聞かせいただけますでしょうか」
百年ほど前に我が国の王女がアスラルト国に嫁いでいることを思えば、彼の国の危難を無視してよいものでしょうか。
また、カルン帝国の軍事行動を見る限り、我が国にも危難が及ばないと楽観的に考えることはできません。
しかし、国防の要となりうる『王家の杖』が今ないことは陛下もご存知です。
陛下は背もたれに身を預けるように身体を動かすと、深く息を吐きました。
「ひとまずは事態の推移を注視するしかないと考えている。アスラルト国から応援要請は入っていないからな」
陛下の言葉に、私は複雑な思いを抱きました。
確かに、ランドール王国の国是は魔族から人間を守ることです。人間同士の争いには介入しないというのが伝統的な立場です。
また、我が国とアスラルト国との国境となっている翠玉の帯、これを越えての軍事支援も容易ではありません。
ですから、少なくともアスラルト国から直接応援の依頼がこないうちは、積極的な干渉を避けたいとお考えなのでしょう。
陛下がそのように考えられることは理解できます。
しかし、今回の事態はそう単純ではありません。
カルン帝国がアスラルト国を征服した後、そのまま我が国に攻め込まないとは限りません。
翠玉の帯は確かに天然の防壁ですが、それは物理的な障壁というより、開拓や軍事行動に多大な人的資源を必要とするため、その投入を躊躇わせる抑止力として機能しているにすぎません。
カルン帝国がアスラルト国の領土と人々を完全に支配下に置き、翠玉の帯への軍事行動に踏み切ってきた時、抵抗しようにも、この防衛線が失われてしまえば、アスラルト国を併合してさらに強大化したカルン帝国に抗える見込みはないでしょう。
積極的な干渉そのものはしないまでも、万一に備えて、いつ応援要請がきても対応できるように、ある程度の準備は必要なのではないでしょうか。
いえ、そもそも『王家の杖』さえあれば……。
私の中で思考が堂々巡りになりました。
「危険なことは考えないようにな」
その声音には、警告と懸念が混ざっていました。黙り込んだ私の様子から何を考えているのか察したのでしょうか。
私は動揺を悟られないよう何とか平静を装いながら、声を絞り出しました。
「……承知しました。他にないようでしたら、退出させていただきます」
私が立ち上がると同時に、陛下の最後の言葉が、重みを持って響きました。
「うむ。状況は刻一刻と変化する。いつでも連絡がとれるようにしておきなさい」
その指示に、私は背筋を伸ばして応えました。
「承知しました」
私は複雑な思いを胸に、イアノを伴って謁見の間を辞去しました。
しばらくは『王家の杖』探索の話も保留となるでしょう。
廊下に出ると、私はイアノと顔を見合わせたのでした。




