導き(30)
そこでイアノの表情が和らいだのを見て、俺は緊張が少し解け、本来考えるべきことに思考が戻ってくる。
だいぶ話が横道に逸れたが、この部屋で集まる情報は変化がなくなってきているのは事実だ。
そろそろ情報収集自体を目的として城から出ないと進展はないだろう。
俺は真剣な表情で咳払いをし、次の行動について提案する。
「あー、こほん、そろそろ城の外に情報を集めにいかないといけないと思う」
言葉を発した瞬間、レナの反応が目に飛び込んでくる。瞳を輝かせという言葉がこれ以上ないほど当てはまる。
「待ってました」
レナの声に滲む興奮と、その控えめな拍手に、俺は念を押すのを忘れなかった。
「一応先に言っておくけど、出るのは俺だけだからな」
俺の言葉を聞いた瞬間、レナの表情が、まるで氷が張るように凍りついた。輝いていた瞳から光が消え、代わりに強い意志の色が浮かび上がる。
「断固反対します」
「なんでだよ」
レナの即座の反論に、俺は思わず素っ気ない口調で問い返してしまう。
その瞬間、答えが返ってくる。
「ここぞとばかりに脱走してもうここに戻らない気だからです」
「……」
レナの言葉に、俺は言葉を失う。
否定したい気持ちもいくらかはあるが、完全に否定することはできない。
俺の沈黙が罪状認否のように響いたのか、レナの表情がさらに引き締まり、決意に満ちた表情で宣言する。
「私とイアノも連れていくなら許可します」
「遊びでいくわけじゃない」
その宣言に思わず眉をひそめ、声のトーンを落とし、たしなめるように言った。
「もちろん遊びじゃありませんよ」
レナは背筋を伸ばし、ふんすと鼻息を荒くする。
当人は遊びのつもりはないのだろう。それが余計たちが悪い。なにしろ相手は王女なのだから、その気になられたら止めようがない。
片やイアノに視線を送ると、微笑ましい笑顔を浮かべている。
いや、主人が暴走しそうなんだから止めような。
それともあれは俺の困惑を楽しんでいるだけか?
「あのですね……」
椅子の背もたれに力を入れ、姿勢を正しながら、できるだけ真剣な表情で説得を試みる。
「敵対疑惑がある国に行くわけですよ。そこに王女殿下が行ったら、捕虜にされてもおかしくない。わかってますか?」
危険性を言葉にし、声でも危機感を煽るようにしたが、レナの自信に満ちた表情は微動だにしない。
「当然変装はしますよ」
レナの即座の返答に、俺は問題意識の隔たりを痛感し、首を垂れた。
というか、変装すればどうにかなると思っている時点で、なにかが色々間違っている。
その認識の甘さが、逆に恐ろしい。
半ば懇願するような調子で、俺は再び説得しようとする 。
俺の声に疲れが混じっているのは気のせいではないだろう。
「変装するとかしないとかの問題じゃなくてですね……」
その言葉が終わる前に、レナが唇の端を上げ、意地悪そうな笑みを浮かべる。まるで勝利を確信したかのような表情だ。
「では百歩譲って行かないとしましょう。その時はアルスさんも道連れです」
「なぜそうなる……」
その提案の理不尽さに抵抗したい気持ちはあるのだが、王族の押しの強さに諦めの感情が胸の奥でうねるように広がっていく。
そんな俺の葛藤など眼中にないだろうが、ここでイアノが率直な疑問を投げかけてくる。
「そもそも情報収集にアルスさんが向かう必要はないのでは?」
その言葉に俺は一筋の光明を見出し、思わず身を乗り出して掘り下げた質問をする。
「俺が行かないとして、誰か他のアテがあるのか?」
城内外の人材を知っているわけではない。むしろ、適任がいるなら任せるのはやぶさかではない。その方が話は早い。
なにより、レナが情報収集するのでなければ、任務自体はそれほど難易度が高いわけではない。レナがいると情報収集と護衛の組み合わせという高難易度の任務になるので、到底賛成できないだけである。
彼女以外であれば、旅人や商人のふりをして相手国に入ってちょっと聞いてくるだけでよい。その単純さが、かえって任務の成功率を高めるはずだ。
ただ、誰でもいいというわけでもない。
矜持が強くて、または、自尊心が高くて、自国をけなされたりすることに耐えられないようなのだと正体が発覚してしまう。かといって、言われたことしかできないようだと危険に突撃して帰ってこれない。
「「……」」
レナとイアノは互いの目を見つめ合い、無言の意思疎通を交わしているかのようだ。
しばらくの間、二人とも思案に耽る様子を見せた後、まるで練習したかのように同時に首を振る。
(ここに我が意を得たり。)
その仕草に、俺は内心で勝利を確信する。少し背筋を伸ばし、得意げな口調で言葉を投げかけた。
「ご納得いただけましたか?」
「言ってることはわかりましたが、却下します」
レナはやりこめられて悔しいという表情はしていなかった。その代わりといってはなんだが、取り合わないという意思が滲みでていた。
その予想外の返答に、俺の安堵は砕け散ってしまう。
「本気か?」
俺は呆れと困惑が入り交じった声で問い返した。
進展しなくて困るのはレナ自身だろうに、なぜこんなに頑ななのか。
その理由が掴めず、俺は深いため息をついた。
どうしたものかと思索に耽っていると、突如として扉がノックされる音が響く。
「はい」
「レナ様はご在室ですか?」
レナの落ち着いた声が、部屋に響く。その声色は、先ほどまでとは打って変わっている。
「何事でしょうか?」
レナの声には、いつもの威厳が滲んでいる。
先ほどまでの気安さが嘘のような猫かぶりぶりに、俺は内心で舌を巻いた。
「陛下が至急参上するようにおっしゃっています」
ほら、やっぱり居場所は知れ渡っていたじゃないか。
扉の向こうからの返事に、俺は思わず皮肉な念が浮かぶ。自分の先ほどの主張が正しかったことへの満足感よりも、この状況への諦めの方が強い。
「わかりました。イアノ、随行お願いします。アルスさんはここで待機をお願いします」
俺はレナが指示を出す声音に、わずかな緊張が混じっているのを感じていた。
至急の呼び出しとあっては、何か重大事が起きたのだろう。レナも同じことを考えているに違いない。
「承知いたしました」
「かしこまりました」
俺とイアノは、それぞれの立場に相応しい言葉で応えた。
さすがに兵士の聞こえる場所で、先ほどまでの気安い言葉の応酬をするわけにはいかない。
レナとイアノが部屋を出ていき、扉が閉まる音と共に、軟禁部屋に静寂が広がる。
結局のところ今後の活動の方向性について何も決まらず、俺はこれからどうするべきかあてもなく考えるのだった。




