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せいじゃものがたり  作者: 瀬山みのり
第1章:導き
28/103

導き(28)

 ~レナside~


 私室で窓から差し込む夕日の柔らかな光に包まれながら、イアノと今日の成果を振り返りました。


「勉強になりましたね」

 私は少し考え込むように目を伏せ、言葉を選ぶように間を置いてから、ゆっくりと答えました。両手を膝の上で重ね、姿勢を正しながら。

 自分の声が、いつもより少し落ち着いて聞こえるように感じます。

 今日の経験が、私に何かを教えてくれたような気がしていました。


「そうですね……当初は『直感』目当て、もしうまくいけば『転移』も、だったのですが、それ抜きでも手放すのは惜しくなりますね」

 イアノは窓辺に立ったまま、夕陽に照らされた庭園を見つめながら言葉を紡ぎます。その横顔には、珍しく柔らかな表情が浮かんでいるように見えました。

 彼女は元々才女として知られ、若くして姉様の侍女兼教育係に抜擢されたほどです。それどころか、陛下の腹心にさえなれるほどの才覚の持ち主だと誰もが認めているのです。その彼女がここまで評価するとは——。

 私は思わず身を乗り出し、椅子の端に腰かけるような姿勢になりました。胸の高鳴りを感じながら、声に期待を滲ませて尋ねます。


「イアノから見てもそうなのですか?」

 私の教育係であるイアノがどうアルスさんを評価しているのか、その率直な意見を知りたくなったのです。

 イアノは窓辺から少し身を翻すと、伏し目がちになりました。

 その表情には深い憂慮とも、あるいは何かを見通すような思索の色とも取れる陰影が浮かんでいます。

 夕陽に照らされた横顔が、その表情をより印象的に際立たせていました。


「考察・推察能力自体は私と同じかいくらか上程度でしょうけど、不慣れな環境であるにも関わらず利く機転には勝てる気がしませんね」

 イアノの言葉に私は静かに頷き、心の中でアルスさんの姿を思い浮かべました。

 確かに彼は世情そのものには疎いように見えます。知っていて当然のようなことをまるで知りません。

 けれど、どうするべきかを考える段になると、突如として多くの選択肢が現れるかのように、鋭い洞察力を見せるのです。

 それもまた不思議な能力なように思えるのでした。

 そして興味深いのは、イアノもまた同様に感じているという点です。彼女の言葉の端々から、単なる評価以上の、何か特別な注目を向けているような印象を受けました。

 私は椅子の背もたれから少し身を離し、イアノの方へと体を向けながら、さらに質問を続けました。


「イアノがそう目を掛ける人物ははじめて?」

 その問いかけには、軽い試すような響きを持たせました。

 彼女が誰かをこれほど認めることは、稀有なことなのではないかと、私は直感的に感じていたからです。

 自分でも気づかないうちに、その答えを予測するように、イアノの表情の些細な変化を読み取ろうとしている自分に気づきました。

 イアノは窓辺から数歩離れ、私の方へと向き直りましたが、すぐには答えません。

 その表情には、珍しく迷いの色が浮かんでいます。

 それはひょっとすると、アルスさんを評価して私を評価していないと受け取られはしないかという、配慮からの躊躇だったのかもしれません。

 しかし、その迷いも束の間のことでした。イアノの瞳に、何かを決意したような強い光が宿ります。

 彼女は背筋を伸ばし、まるで重要な進言をするときのような真剣な面持ちで答えました。


「そうですね……陛下の信任が得られるなら腹心になってもらうのがいいかもしれません」

 イアノの言葉に、私は息を呑みました。

 アルスさんを側近に推すというのは、単なる評価を超えた提案です。大袈裟にいえば王国の未来を賭けたような、そんな重みを持つ言葉でした。

 ですが、同時に、私は現実的な問題に思いを巡らせました。


「その場合、お父様の信任を得るというのが最大の難関になりそうですね」

 私の言葉に、イアノは小さく、しかし確かな動きで頷きました。

 その仕草は私たちの考えが一致していることを雄弁に物語っていました。


「そうですね」

 私は椅子の背もたれに深く身を沈め、天井に視線を向けながら考え込みます。

 お父様は決して頑迷というわけではありません。ただ、どちらかといえば旧来の方法を好む傾向があるように思います。新参者を信用するというのは——特に側近としては——やはり相当なハードルになるはずです。

 今回の件は私が部下として指名したので強く反対はされませんでしたが、もしお父様の配下として推挙していたら……。

 その仮定の状況を想像し、私は思わず眉をひそめました。受け入れてくれたかどうか、いえ、ほぼ無理でしょう。

 深いため息が、自然と私の唇からこぼれました。部屋の静けさの中、その音が妙に響くように感じられます。


「しばらくは私の元でしっかり働いてもらいましょう」

 私が決意を固めるように言うと、イアノも私の決意を感じ取ったようでした。


「そうですね……やるべきことはたくさんありますし」

 イアノの声にいつもの実務的な調子が戻っているのを感じ、私は内心で同意しました。

 気がつけば、彼女の手元にはいつの間にか書類が置かれていました。

 きっと彼女なりにやるべきことを進めるつもりなのでしょう。

 そんな私の推測とは裏腹に、淡々とした口調で、まるで日常的な報告をするかのように、彼女は告げたのです。


「なお、明日のレナ様の課題はこのようになっています」

 イアノが差し出した書類を受け取った瞬間、私は思わず顔をしかめてしまいました。

 イアノの先ほどの発言は、彼女自身のやるべきことを言っていると思い込んでいました。

 しかし、私のことを指していたという事実に今頃気づき、胸の内で小さなため息が漏れそうになるのを抑えます。

 一つ一つの課題を目で追うごとに、まるで肩に重りが一枚ずつ乗せられていくような感覚を覚えます。文字の羅列が、次第に重圧となって私を押しつぶそうとしているかのようです。


(うっ……これは……)

 言葉が喉まで出かかりましたが、咄嗟に飲み込みました。唇を軽く噛みしめる私の仕草に、イアノは気づいていないようでした。

 突然課題を言い渡されるのも困りますが、このように事前に一覧を見せられると気が詰まってしまいます。それぞれの課題の重要性は理解しているものの、その量の多さに圧倒されそうになります。

 さっきまで感じていた高揚感が、まるで潮が引くように失われていきます。

 アルスさんからよく学んだという充実感とは全く異なる種類の疲れが、静かに全身を包み込んでいきました。

 私は課題から目を背けるように窓の外に視線を送りながら、私は内心で呟きました。

(才覚が過ぎるのも良し悪しですね)

 イアノの能力の高さを改めて実感すると同時に、その才覚ゆえの厳しさも感じざるを得ません。

 イアノの効率的な仕事ぶりは、確かに素晴らしいものです。けれど、それは時として私にとって重荷になることもあるのです。

 机の上に置かれた課題表が、夕暮れの中でいっそう重たく感じられました。


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