表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
せいじゃものがたり  作者: 瀬山みのり
第1章:導き
27/103

導き(27)

 そこで突如として閃くものがあった。

 俺は勢いよく上体を起こし、手のひらを机に置きながら問いかけた。


「! そうだ、たとえばさっき、アスラルト国に嫁いだ王女という話があったよな?まさかいきなり嫁ぐことが決定したということはないだろう。その事前の話し合いのようなものはどう行っていたんだ?」

 俺の言葉に、イアノの表情が少し変わる。

 ただ、それは意図が理解できないという表情だったが。


「? 当然、親善大使が何度も行き来したと思いますよ?」

 イアノの返答に俺は期待を一瞬で打ち砕かれた。

 頭の中でその非効率さを現実とした場合の影響を考察しようとするが、あまりにも影響範囲が広すぎて思考が追いつかない。

 情報伝達の遅延、意思決定の遅さ、それに伴う社会体制の違い――

 わずかな言葉を紡ぐことができたのは、数拍置いてからだった。


「……正気か」

「正気も何も当然のことだと思いますが」


 イアノの声には困惑の色が滲んでいる。

 そんなイアノとは対照的に俺は頭がクラクラしていた。

 もし立ってこの話を聞いていたら、よろけていただろう。幸い座っていたおかげで体裁は保てたが、内面は激しく揺れていた。

 深く息を吐き、額に手を当てる。心をいったん落ち着かせ、なんとか次の言葉を絞り出した。


「それなら、その最初、一番最初にその案を相手国に持ち込むためにはどうする?」

「他国に入る際に衛士に取次を依頼するのです」


 イアノの声には、まるで子供に常識を教えるような調子が混じっている。

 その態度に微かな苛立ちを覚えたが、俺はそれを押し殺して聞き入ることにした。


「その返事が返ってくるまでは?」

 気づけば、自分の声が掠れていた。

 先ほど取り戻したはずの冷静さが、また少しずつ崩れていくのを感じる。


「その場で待つか、いったん帰るかでしょうね」

 イアノは相変わらず平坦な口調で返した。

 その言葉に驚きを通り越して、呆れが入り混じった感情が胸を占めた。

 思わず、負の意味を込めた感嘆の声が漏れる。


「うへえ……」

 それでも何とか気持ちを抑え、俺は新たな仮定を投げかけた。


「なら、もし衛士が取り次いだように見せて握りつぶしていたら?」

「それは発覚すればその衛士は処刑でしょうね」


 イアノは肩を軽く上げて見せたが、その仕草の軽やかさと言葉の重みのあまりの乖離に、俺は戸惑いを覚えた。

 処刑という言葉があまりに軽々しく発せられることに、胸の奥で違和感が渦を巻く。

 これはイアノが王城関係者だからなのか。それともこの時代ではこれが当たり前で、俺の感覚の方が異物なのか。

 しかし、今はそれを追究している場合ではない。俺が本当に知りたいのは別のことだ。


「いや、そっちの話はどうでもいい。返答をいつまで待つのかという話だ」

 イアノは視線を泳がせ、言葉を選ぶように間を置いた。その間、俺は息を殺して待った。


「相手の国の規模にもよるのでその時々で変わるでしょうけど、たとえばカルン帝国ぐらいの広さなら十日前後待つでしょうか」

 その言葉に、俺は耳を疑った。十日前後? たった一つの返事を得るために、そんな途方もない時間を費やすというのか。

 俺の中で時間の感覚が大きく揺らぎ、頭の中で思考が渦巻く。

 この時間感覚の違いは、単に自分の常識との乖離なのか、それともカルン帝国が想像以上に広大なのか。


「……たとえば、だ。その手紙を『賢者』が『飛翔』で運べば、その期間は短縮されないか?」

 俺は僅かな希望に賭けるように言葉を紡いだ。

 しかし、イアノの返答はその希望を打ち砕くものだった。


「それはされるでしょうが、そもそも国境に『賢者』を配置しませんよ」

 イアノの即座の返答に、レナが小さく頷いているのが目に入る。

 その様子を見て、俺は内心で苦笑した。

 たしかにくるかどうかもわからない、どこにくるかもわからない他国の使者のために、『賢者』を配置するのは無駄が多い。

 自分がいた時代でもそんなことはしていなかった。

 だが、だからこそ、諜報と外交は重要視されていたのだが――。

 その思いが胸の奥で渦巻いた。

 とはいえ、しょせんは過去のことだ。自分の時代は過去から進歩したということで、進歩前の過去をあげつらっても仕方がない。

 だが、そう考えると新たな、というか元の問題に直面する。

 他国の情報を手に入れる手段が、いみじくもイアノの言う通り、交易商人か冒険者か吟遊詩人に限られてしまうのだ。

 俺はしばらく黙り込んだ。

 自分のいた時代だったらこうするだろうというイメージが先に立ちすぎて、これまでの質問が彼女たちの思考を逆に狭めている可能性があるかもしれない。

 俺はより直接的な問いかけをしてみることにした。


「他国の軍事的な動きを知りたい。その場合、どういう手段がある?」

 だが、俺の思惑とは裏腹に、イアノは目を伏せて考え込んだ後も、答えは変わらなかった。


「そうですね……やはり交易商人でしょうか」

 その理由が知りたくて、俺はさらに掘り下げようとした。


「なぜ?」

 イアノは腰を落ち着け直し、丁寧に説明を始めた。


「他国の動向を知ろうとすると、ある程度長期的な滞在が必要でしょう。冒険者は基本的には依頼を求めて渡り歩くので、留まることがなく不向きです。それに対して商人は、取引先との関係を築くために街に留まりますし、物資の調達状況を見れば軍の動きも推測できます」

「なるほど」


 頭の中でイアノの言い分を整理し、確かに一理あるという結論を出した。

 情報収集自体を依頼するという方法もあるだろうが、傍から見れば依頼を受けずに酒も飲まずに酒場に入りびたり続ける冒険者は却って不審に思われるだろう。

 その点、商人なら物資の値段や在庫の変動を気にかけるのは当然の行動だ。


「吟遊詩人は移動は自由ですが、題材に新鮮味がなくなれば生活に困ります。次の題材を仕入れて、その題材が喝采を浴びそうな国に行くでしょうから、いつその情報が持ち込まれるかわかりません」

 イアノの説明を聞いて、俺は腕を組んで考え込んだ。

 たしかに吟遊詩人の特性上、彼らからの情報は不定期で予測不可能なものになりそうだ。


「これまた消去法で、特定の区間を行き来する交易商人が、仕入れである程度の間留まるので適切ということか」

 思考を整理しながら、俺は言葉にした。


「そういうことになります」

 イアノの表情が僅かに和らぐのが見えた。おそらく俺がようやく理解できたと思ったのだろう。

 その認識は正しい。正しいのだが、この理解が俺にもたらしたのは絶望に近い失望感だった。

 理屈は分かる。だが、これで本当にやっていけるのか? この方法で得られる情報の質と量で、国家の重要な決定を下せるのか? そんな疑問が頭の中を駆け巡る。

 しかし、現時点でそれしか手段がないのなら、そうするしかない。

 そう自分に言い聞かせ、俺は深く息を吐いた。

 顔を上げると、レナとイアノの目が何かを期待するように輝いているのが目に入った。

 俺は思わず少しばかり体を引いた。


「アルスさんの国ではそういうのがあったんですか?」

 レナの声には純粋な興味が滲んでいて、俺は思わず微笑んでしまう。

 もっとも、「俺の国」という表現は聞きようによっては誤解を産みそうではある。王女であるレナの言う「私の国」と、庶民である俺の言う「俺の国」では意味合いがまったく異なるからだ。

 とはいえ、それをわざわざ指摘する必要もないだろう。


「ああ、あったよ」

 俺の返答に、レナの瞳がさらに輝きを増した。


「参考までに聞かせてもらってもいいですか?」

 俺は一瞬躊躇した。

 自分のいた時間軸の情報を漏らせば大問題になるはずだ。だが、ここは過去。それも一年や二年ではない、三千年も隔てた過去である。

 今この場で話したところで、未来が変わるとは考えにくい。

 そう結論付けると、俺は心を落ち着かせるように深く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。


「そうだな……大きくわけると二系統、まずは外交部門。友好国に派遣して、国家間の意思疎通を図る一方、その国の内情や異変などの情報を入手して、信用できる情報として選別して本国に連絡する」

 イアノの眉が寄せられ、首を僅かに傾げる様子が目に入る。何か引っかかる部分があるようだ。


「使者ではダメなのですか?」

 俺は首を小さく左右に振った。


「使者でもいいが、使者は送った時しか情報が得られない。やはり常時いる方が得られる情報は多いし、正確になりやすい」

「なるほど」


 イアノの表情が和らぐのを見て、俺は内心で安堵の息をついた。

 少なくとも、言っていることは理解できているようだ。

 もし彼女が理解に苦しむような表情を見せていたら、これ以上の説明は難しかっただろう。

 しかし同時に、この国の情報収集システムの未熟さを改めて実感する。

 情報を得ようと思う契機が運任せ外部任せでは、肝心な時に適切な判断を下しようがない。

 とはいえ、この国しか知らないイアノやレナにとっては、これが当たり前なのかもしれない。

 ひょっとすると、他国が独立する時も、気づいた時には既に独立していた、といった具合だったのではないか。

 その光景を想像して、俺は思わず苦笑を漏らしそうになる。

 だが、そんな考えを今の彼女たちに伝えても仕方がないことだ。

 俺は気を取り直して、次の話題に移ることにする。


「二つ目は草の根だな。こっちは表向きは対象の国に移民ないし亡命という形で入り込んで、その国の内情を探る」

 話しながら、レナの眉が寄り、困惑の色が浮かぶのが見えた。


「外交部門との違いがよくわかりません」

 俺は一瞬言葉を選び、できるだけ分かりやすい説明を心がけた。


「外交部門はあくまでこっちの国の代表だから、相手国もそれなりに扱ってくれる一方、出す情報も統制されていたりする。草の根はその点、その国の国民として振る舞うから表に出てこない内情は細かくわかる」

 レナの目が大きく見開かれ、その声には期待が滲んでいた。


「それだけ聞くと草の根がよさそうですね」

 その純粋な期待に水を差すのは忍びなかったが、現実を伝える必要がある。

 俺は声のトーンを落として、慎重に続けた。


「理想としてはそうだが、国民として遇しているのに敵と通じてると知ったら処刑一直線だからな。それだけ危険はあるし、慎重さも必要。連絡も頻繁にはとれないから自主的にある程度判断もできないと困る。優秀な人間を自国から出す形になるし、事前に相応の準備が必要なんだよ」

 説明を続けながら、二人の様子を窺う。レナの表情からは期待が薄れ、代わりに思案の色が浮かんでいる。一方のイアノは、腕を組んで深く考え込んでいるように見えた。

 俺はさらに詳しく補足を加えた。


「それに、全部草の根でも困るんだ。国としての意思疎通の際に窓口が一本化されていないと、お互い困ることになる。『今回の大使は〇〇』『今回の大使は××』とかしていたら、相手も誰に話をすればよいのか判断がつかなくなる」

 レナの表情が徐々に曇っていく。

 他国の制度とのギャップを痛感しているのだろうか。


「それでは今からというのは無理ですね」

 その声には、わずかな諦めが滲んでいた。

 今のレナを見ていると慰めたい気持ちが募る。だが、それは却って逆効果かもしれない。

 俺は現実的な見解を、できるだけ希望の余地を残すように言葉を選んで述べた。


「計画するのはいいけど、今すぐに役に立つものではないな。何年何十年とかけてじっくりやるような計画だ」

 イアノが小さく頷くのが見えた。ようやく前提の合意ができたようだ。


「それがないか、と聞いたのですね」

「そういうこと」


 俺が顎を引いて答えると、レナの瞳に再び光が戻ってきた。

 長期的な展望に希望を見出したのかもしれない。


「勉強になります」

「あ、あぁ……」


 複雑な感情が胸の内で渦巻いて、俺は思わず言葉を濁した。

 なにしろ俺の知識は、この時間より未来のもので、その上自分の発案でもなんでもない。

 それをありがたがられるのは照れよりも面映ゆさの方が先に立つ。

かといって「大したことない」と否定するのも違和感があり、その面映ゆさに耐えるしかない。それが一層この居心地の悪さを膨らませる。

 俺はその感覚を振り払うように、前向きな提案へと話を向けた。


「まず、交易商人経由でいいので、各国、とくにカルン帝国とアスラルト国の情報を集めよう」

 言葉が終わりかけたその瞬間、レナの声が部屋に響いた。


「それで怪しい国に潜入して取り返すということですね⁉」

 レナの瞳が輝きを増し、興奮した様子で身を乗り出してくる。思わず息を呑む。

 その表情と仕草から、彼女の目的が完全に外出に向いていることが見て取れた。

 レナの熱意に圧倒されながら、俺は困惑を隠せない。

 本来の目的は護衛が必要な状況を作らせないことなのに。

 言葉に詰まり、どう応じるべきか迷った末、絞り出せたのは短い返事だけだった。


「まぁ、な……」

 曖昧な返事しか出せない自分に、内心でため息が漏れたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ