導き(26)
俺は別の可能性を提示する。
「反対に、アスラルト国も防衛目的で『王家の杖』がほしいと考えてもおかしくはない」
「それはそうですが、アスラルト国と我が国は過去のいきさつはあれ、現在の関係は友好的です。百年ほど前にはアスラルト国の王に我が国の王女が嫁いでいますし」
レナは言葉を選ぶように間を置きながら答えた。その表情からは何か複雑なものが感じられた。
二千年基準で考えると百年前というのはごく最近のことだが、人間であるレナにとっては祖母か曾祖母の世代の話だ。血は繋がっているとはいえ、もはやほとんど他人同然だろう。
「まぁ、他国の国宝を盗んだことを知られれば国家間の問題になるリスクはある。だが、仮にアスラルト国がカルン帝国から攻められたとして、ランドール王国は『王家の杖』をもって王家の人間をアスラルト国に派遣するか?」
「……それは……」
レナは眉間にしわを寄せ、視線を落とした。
王家とその教育係しか性能を知らない以上、『王家の杖』を使わせるなら王家の人間を出すしかない。
そして、国王とその後継者たるレナはどう考えても出さないだろう。
その上で、誰を出せるのか。いや、出すという決断をできるのか。
「アスラルト国側がそのように考えて、ランドール王国に頼らずに自国でどうにかしたいと考えることは筋が通っている」
俺の言葉に、レナは数秒間沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「そう……ですね……」
その声は普段より小さく、力なく響いた。
フィアラの話題の時とは違い、レナは強く否定はしなかった。
「それ以外の国はどうだ?」
俺の問いかけに、イアノが答える。
彼女の表情には、情報の乏しさに対する歯痒さが浮かんでいるように見えた。
「それ以外となると情報が少ないですね……」
「ランドール王国と距離が離れているということか?」
「ええ」
イアノは簡潔に答えた。
「そうか……」
俺は言葉少なく呟いた。
絶対に無関係とまでは言えないが、いったんそれ以外の国について今は容疑保留としておいてよいか。
もちろん完全に無視はしない。
「国家以外はどうだろう?世界最強となると利益が得られそうな者は?」
イアノは一瞬黙り、視線を泳がせてから続けた。
「冒険者を除くと……思いつきませんね。騒乱を起こそうと考える貴族や秘密結社がないとまでは言えませんが……」
イアノの言葉を聞きながら、俺は頭の中で様々な可能性を検討した。
貴族がどれだけいるかは分からないが相手の野心など知りようもない。また、仮に野心があったとしても実行していなければ、俺たちとは無関係だ。
まして秘密結社など、存在しているかどうか早々分かるまい。表に出て活動しているなら、それはただの非公認ギルドだ。
そうなると問題は情報の精度だ。俺は顎に手を当て、目を細めながら考えを整理した。
情報がなければ判断のしようがない。イアノはどうやってそういった社会の動きを把握しているのだろう。
「そういった社会情勢の情報はどうやって収集している?」
「出入りの交易商人からですね」
イアノは即座に答えた。
「交易商人? 一つの手段としてそれはあるだろうが……他にはないか?」
驚きと共に疑問を投げかけると、イアノの表情が曇るように見えた。
「他ですか? たとえば?」
イアノの反問に、俺は一瞬言葉に詰まった。
言葉としていえば外交使節や諜報員なのだが、それをそのまま言って伝わるか不安がある。
なにしろそれがあるなら、教育係のイアノが真っ先に出してもおかしくないからだ。
俺は椅子の背もたれに体を預けながら、できるだけ無難な言い方を探った。
「そうだな……たとえば近衛兵の何名かを他国に派遣するとか」
俺は自分なりに噛み砕いて説明を試みた。
「それは宣戦布告と受け取られかねませんよ」
イアノの声には、予想以上の鋭さが込められていた。その目には「そんなことも分からないのか」という色が浮かんでいるように見えた。
噛み砕いた結果、余計な問題点が露呈したか。
額に薄っすらと冷や汗を感じながら、俺は慌てて言い直す。
「ああ、いや、別に近衛兵でなくていい。要は他国に常駐して情報を収集するような役割だ」
俺は慌てて言葉を繋ぎ直した。
「そんな役割の人はいませんよ。だいたい他国に常駐するといっても、その間の衣食住をどう確保するのですか?」
イアノは、俺の説明を聞いても首を横に振った。
彼女の眉は深く寄せられ、まるで得体の知れないものを見るかのような表情を浮かべていた。
「ああ……」
俺は天を仰いだ。
三千年という年月でもほぼ大差ないように思っていたが、どうやら社会制度というか、交流というか暗躍面においては予想以上の隔たりがあるようだ。
俺のいた時代では当たり前の諜報活動という概念自体が、この時代にはないのかもしれない。
視線を戻すと、イアノとレナは首を傾げ、困惑したように互いの顔を見合わせている。彼女たちにとって、俺の質問がいかに非現実的で奇異なものに聞こえたか、想像に難くない。
軽く咳払いをしながら、俺は話題の転換を図ることにした。
「たとえば貴族が他国に入ろうとすればどういう方法がある?」
イアノの視線が宙を泳ぐ。
「方法と言われると色々ありますが、親善大使のような役割であれば道中の整備は相手国家の役割ですよね?」
それはそれで正しいのだろうが、俺が聞きたいのはそれではない。
この時代では他国への移動がそれほど制限的なのだろうか。俺は内心で歯がゆさを覚えた。
「それ以外は?」
イアノは眉間にしわを寄せ、目を細める。何か思い出そうとしているような仕草だ。
「それ以外……他国の貴族に叙任される、でしょうか」
その言葉には明らかな戸惑いが滲んでいた。
俺は思わず椅子から身を乗り出して声を上げてしまう。
「大袈裟すぎる! 旅行とかないのか?」
「旅行……ですか?」
レナとイアノは顔を見合わせ、まるで初めて聞く言葉を耳にしたかのように首を傾げている。
え? どういうこと? 旅行という概念がない?
俺は背筋が凍るような衝撃を覚えた。この時代と自分の時代との隔たりが、また一つ明らかになる。
「そもそも他国の王族・貴族が自国に無断で入るなら宣戦布告を受けたのと同義です。仮にそれを知って見逃していたら、反逆罪が適用されますよ」
イアノの声には妥協を許さない厳しさが滲んでいた。
「ええー……」
俺は額に手を当て、声を漏らした。今の説明があまりにも衝撃的で、思考が追いつかない。
国家間の往来がこれほどまでに制限され、厳しく管理されているとは。自由な移動や文化交流の概念すら存在しないのか。
そんな国家が成立しうるのだろうか。
そこでふと、この国の歴史が頭をよぎった。
この国は元々全世界を統一した国だった。
椅子に深く腰掛け直しながら、俺は思考を整理する。
それを踏まえると、この国の人々の発想として「国内」だけで、「国外」というものがないのではないか。
確かに目の前で国外の存在は認めているのに、国外という発想がないというのも矛盾を感じる。だが、おそらく国家の資源というか、全世界というものに関して、極めて強固な「自分のもの」という認識があるのではないだろうか。
「つまり、他国との往来は商人ぐらいしかしない、と?」
自分の声に、何か希望を見出そうとする焦りが混じっているのを感じる。
混乱した思考を整理しようとしながら、イアノの返答を待った。
「あとは冒険者と吟遊詩人ぐらいですね」
「……」
イアノの何気ない付け加えに、俺は言葉を失った。
つまりこの時代、少なくともこの国家が囲い込んでいる範囲というのは極めて厳密で、土地に縛られている。他国へ自由に往来するなんてありえないのか。
国家による諜報が機能しようがなく、その役割を完全に民間に委ねている。いや、委ねているというよりも、そうするぐらいしか手がないということか。




