導き(25)
「ちなみに出奔の理由は何かあるのか?」
俺の問いかけに、レナの表情が一瞬で曇った。
「それが何も……突然いなくなってしまって……」
レナの声が震え、肩まで小刻みに揺れている。いなくなった時の記憶が、今も生々しく残っているのかもしれない。
そのことに同情を覚えながらも、事実を確認する必要があり、俺はさらに踏み込んだ。
「出奔したのはいつ頃?」
「十年前です」
質問を投げかけた瞬間、イアノが即答した。
「十年前!?」
予想をはるかに超える答えに、思わず声が跳ね上がる。
慌てて首を竦めたものの、この部屋には俺たち三名しかいないのだから、大声を出す必要はなかったか。
だが、俺の驚きも当然というものだ。せいぜい二、三年前の出来事だと思っていたのだから。
その程度の期間なら、生活苦から腹いせの犯行という展開もありえた。出奔した手前、素直に戻れず、『王家の杖』を盗むという――。
しかし、十年という歳月は、その推理を根底から覆す。
生きているなら、既に何らかの生活基盤を築いているはず。そんな状態でわざわざ危険を冒して城に侵入するだろうか。
仮に十年経って困窮したとしても、素性を明かせば解決する問題だ。
わざわざ盗みを働くような真似は、解決手段としては筋が通らない。
その代わり、十年という期間は別の事実を説明する。
王位継承権がレナに移った理由――。第一王女の帰還を諦めたということだろう。
「とりあえず、居場所はつかめていないんだな?」
「「はい」」
二人の返事は同じでも、その調子は対照的だった。
レナの声には深い寂しさが滲み、イアノの声は事務的な冷たさを帯びている。
「ならいったん置いておこう」
俺の中で様々な思考が交錯する中、この件の棚上げを決めた。
最初は最有力容疑者として浮上したフィアラだが、なぜ今になって動くのか、その必然性が見出せない。
その上、居場所すら分からないとなれば、少なくとも現時点では追及のしようがない。
「いったんじゃなく、ずっと置いておいてください」
レナの声が強く響く。その口調には、決して揺るがない意志が込められていた。
「お、おう……」
その感情の重みに、思わず後ずさる。
レナの中で、姉への疑いは完全な禁忌なのだろう。
可能性として完全には否定できないにせよ、生死すら定かでない人物を追究しても、『王家の杖』の発見には何の意味もない。
俺はフィアラの名を容疑者リストから静かに消した。
「フィアラ……様を除外するなら、やはり国家が候補になりますね」
イアノが、申し訳程度に「様」をつけながら、話題を国家へと向けた。
なぜフィアラの話になっていたのかと思い返し、それが自分の軽率な発言から始まったことに気づく。
俺は少々気まずくなって頭を掻いた。
「とはいえ、すべての国家が同じぐらい疑わしいわけでもないだろう?」
この方向での捜査を具体化するため、俺は絞り込みを提案する。
何国あるのかも把握できていないのに、全ての国を疑っていては際限がない。
まあ、時間稼ぎという意味では、広く疑うのも悪くないのだが――。
レナの様子を見ていると、あまり見通しが立たない状況が続けば、彼女が独断で動き出す可能性も否定できない。
そして、その場合は俺も巻き込まれる可能性が高い。
そういう事態にならないためにも、ある程度の見込みが立ち、彼女たちが希望を見出せる程度の絞り込みが必要だろう。
「そうですね……」
イアノは視線を宙に漂わせ、情勢を整理するように間を置く。
「昨今の情勢を考えると、きな臭い動きをしているのはカルン帝国ですね」
「カルン帝国……」
その国名にも思い当たる節はなく、俺は困惑しながらも素直に尋ねることにした。
「どんな国なんだ?」
レナとイアノの表情が一変する。
二人の目に浮かんだ驚きと呆れの色に、俺は思わず体を縮めた。
「「……」」
沈黙が二人の間に流れる。その視線には「そんな常識も知らないのか」という非難めいたものが感じられた。
とはいえ、俺にだって言い分はある。
この四七〇〇年の時代に生きている者にとっては当然の常識かもしれないが、俺から見ればはるか三千年前の古代国家の話だ。
そんな国の記録など、残っていたとしても覚えているはずがない。
だが、そんな事情を説明できるはずもなく、俺はただ居心地の悪い沈黙に耐えながら、彼女たちの答えを待つしかなかった。
イアノの深い嘆息が部屋に響く。その声には、常識外れな相手に説明しなければならない疲れが滲んでいた。
「まぁ、いいでしょう。カルン帝国はランドール王国とは直接隣接していないですが、隣のアスラルト国を挟んでその隣なので、無関係でもありません」
イアノの説明を聞きながら、俺は頭の中で地図を描いていく。
ランドール王国の隣にアスラルト国があり、その向こうにカルン帝国か。
「ほう……アスラルト国を挟撃する関係とか?」
隣国との関係は往々にして対立的になりやすい。だとすれば、共通の敵を持つ国同士は自然と手を結ぶ――そんな推測を俺は口にした。
しかし、イアノは即座に首を振る。
「いえ、カルン帝国は軍事国家で隣国と頻繁に武力衝突を起こしています。ランドール王国は現在、直接カルン帝国の軍事的圧力を受けていませんが、仮にアスラルト国が降れば、次に圧力を受けることになるでしょう」
その説明に、俺は眉をひそめた。
普通の国家間の勢力図とは明らかに異なる状況が浮かび上がる。
「そのカルン帝国とアスラルト国というのはどっちが強いんだ?」
ある程度イアノの説明で予想はついていたが、念のため確認した。
「……言うまでもなくカルン帝国です」
イアノの表情には、また例の「そんなことも」という色が浮かんでいた。
なんというか、この視線を向けられるのが癖になりそうな、そんな嫌な予感がする。
俺は喉の奥で小さく咳払いをして、自分としては当然の疑問を口にした。
「なぜカルン帝国の方が強いんだ?」
イアノの唇が一瞬引き締まり、その声には明らかな苛立ちが滲んでいた。
「ほんとに常識がありませんね……カルン帝国は領土が広く豊かで人員も多いです」
俺の無知を痛烈に批判するようなイアノの言い分に、少し反発を覚える。
だが、時代を超えてきた者という立場を明かすわけにもいかず、その反発を飲み込むしかない。
俺は一度深く息を吐き、質問の角度を変えてみた。
「それは兵員の質はそれほどでもないということか?」
イアノは、首を横に振りながら答えた。
「それはわかりません。どの国も兵員の合格基準を明らかにしているわけではないですから」
その答えは確かに質問に対する正確な返答ではある。
だが、俺が本当に知りたいのは、もっと根本的なことだった。
「……別の聞き方をしよう。もしカルン帝国が『王家の杖』を手に入れたら、どの程度有利になる?」
俺は一瞬考え込んだ後、より実践的な質問を投げかけた。
「それは……世界最強がそのままの意味なら、戦闘において兵員の損耗を避けることができるので……」
イアノは言葉を選びながら、慎重に答えを紡ぎ出す。
だが、それは可能性の一部でしかない。
俺は、より広い視野からの戦略を示唆した。
「それはそうだが、こういうことはできないか?『戦闘自体は世界最強に行わせることで、ろくな訓練を受けていない兵も占領地に回す』」
兵員というのは維持するのにとてつもないコストがかかる。
他国を制圧するためにといって自国民全員を兵員にすることなどできない。より正確には、食の維持が可能な体制でないと、翌年には飢餓に襲われ、国家自体が維持できなくなる。
いくらツチノコが生産しやすいと言っても、育てる人間がいなければ収穫しようがない。
そして他国を制圧するための兵員は、相応の訓練を続けていなければならない。そうでなければ攻め込んでも負けてしまうからだ。
ところが、ここで世界最強兵がいたらどうか?
最低限の訓練は必要にしても、練度を上げ維持し続けた兵員を確保する理由は薄れる。
少数で他国の兵員を制圧し、巡回・警戒については多少練度の低い兵員で行えば、効率的な占領が可能となる。
もちろん、この考え方にも穴はある。
『世界最強』一人では複数の戦場には対応できないし、当人の体力や疲労もあるだろう。当然負傷する可能性もある。
さらに練度が低い兵員では反乱が起きた時に問題があるとか、占領地での予期せぬ事態への対応力が問題だとか、可能性だけならいくつかあげられる。
だが、「失敗する可能性が少しでもあるから行動しない」なら、そもそも軍事行動なんて起こすわけもない。失敗する可能性を過小評価、またはそもそも度外視するからこそ戦争というのは起きるのだ。
だから、この場、『王家の杖』を使った世界最強の存在を求める可能性はあるか、という議論において、上記の穴はとりあえず無視しておいてよいだろう。
「!それはできると思います」
イアノの声が通常より大きく響き、その表情には驚きの色が浮かんでいた。




