導き(24)
レナは黙って聞き入っていたが、説明が終わると口元に手を当てて俯いた。その表情からは、これまでになく真剣な思考の色が浮かんでいる。
「なるほど……」
かすかに漏れた呟きが耳に届く。
彼女なりに俺の言葉の意味を咀嚼しているようだった。
俺は一度椅子に深く腰掛けなおし、次の言葉を慎重に選んだ。
「杖を盗むことで得られる利益が高い者を挙げて、そこから絞り込んでいくのがいいだろうという提案だ」
レナの表情が僅かに曇る。
何か引っかかるものでも見つけたのだろうか。
「でも、最大の利益を得る人だけが行動するとは限らないのではないでしょうか?」
レナの疑問はたしかに的を射ている。
最大の利益を得られる者というのは動機という点では十分疑わしいが、だからといって必ず実行に移すとは限らないからだ。
俺は一度視線を天井に向け、どう説明すれば理解してもらえるか考える。
「それはそうだ。でも、冒険者ならまだしも、一介の農民が世界最強になっても、農地を荒らす害獣を倒すか、耕せる農地が広がるかぐらいで、とても動機があるとは思えないだろう?」
結局のところ、今はこうして動機から絞っていくしか方法がない。
レナは強く否定するだろうが、城内の誰かという可能性すら排除はできない。
ただし、もしそれが事実なら、とうに解決していてもおかしくはないのだが。
「……それはそうですが……」
レナの声には、まだ若干の迷いが混じっている。
俺は最後の一押しとして付け加えた。
「これはまだなにも情報がない状況での行動指針でしかない。行動している間に、他の確度の高い情報が出てきたら、その時に方針を変更すればいい」
この方針で王家の杖を探し出せるかどうか、その確度は極めて高いとまでは言い難い。
だが、他にいい案があるわけでもない以上、当面はこの方針でいくしかないだろう。
「そうですね」
レナに代わり、イアノが同意の言葉を発した。
どうやらイアノは護衛騎士をつけてでも城外に出ようとするレナを説得する材料がなかっただけで、必ずしも探索に前向きだったわけではないらしい。
たしかにイアノの立場で考えれば、王女は王城内にいてもらうことが最重要だろう。
……いや、でもそれにしては「もっと『観察』が必要」と言った時のイアノは、どこか楽しげな様子を見せていたような。
ひょっとして単なる気の迷いか、その場の勢いだったのか。
そこはかとなく不安が膨らむ。
いや、仮にも王女の教育係統括だ。そんな享楽的な態度で重要な決定を下すはずがない。
……たぶん。
「イ~ア~ノ~」
レナの声には、計画を潰された子供のような恨めしさが滲んでいる。
一方イアノは、その様子を見て思わず頬が緩むのを隠しきれないようだ。
まるで妹の駄々っ子ぶりを見守る姉のような表情。
「なんというか、二人は姉妹みたいだな」
その光景を見ていて、自然とそんな言葉が口をついて出た。
思えば、この二人の関係は意外だ。
教育係統括と王女という主従関係でありながら、どこか打ち解けた雰囲気がある。むしろ年の近い姉妹同士のような距離感だ。
まあ、姉妹だって必ずしも仲が良いとは限らないが、今の様子は間違いなく信頼関係に裏打ちされた親密さを感じさせる。
「そんな恐れ多いです」
俺の言葉に、イアノが慌てて背筋を伸ばした。その仕草は、つい素が出ていたことに気づいたかのようだ。
その恐縮するイアノに対して、レナがさらりとした口調で言い放つ。
「私にはお姉様は別にいますので」
その返答は何かが違う。
俺は思わず眉をひそめた。
イアノだって別に自分がレナの、というより王女の姉代わりを気取っているわけではないはずだ。
だが、「あなたなんか姉とは思わない」とも受け取れる発言は、余りにも突き放した響きを持っている。
少し心配になってイアノの方に視線を向けたが、イアノの表情は既に従者としての穏やかな面持ちに戻っているだけだった。
まあ確かに、俺が気安い印象を受けただけなのかもしれない。王女と教育係統括兼従者という関係性において、これが当たり前の距離感なのだろう。
こういった微妙な立場の機微など、庶民の俺には測りかねる世界なのだ。
そう自分を納得させかけた時、俺の中で何かが引っかかった。
今のレナの発言には、もっと重要な――いや、決定的な意味が隠されているのではないか。
俺の心の中で全ての点が繋がる。
「姉……そうか、姉がいるのか」
「それがどうしたんですか?」
レナの表情に警戒の色が浮かぶ。
何か嫌な予感でもしたのだろうか。
俺は直接的な言及を避けながらも、意図が伝わるように言葉を選んだ。
「一番の容疑者じゃないかと」
その瞬間、確信めいたものが胸の内で深まっていく。これこそが探していた答えだ。
「容疑者? まさか『王家の杖』を盗んだ容疑者ってことですか?」
レナの声が僅かに震える。
「他に容疑者はないが……」
信じられないという表情のレナに、俺は静かに頷きながら答えた。
「ありえません!」
レナは俺の言葉に驚愕し、声を荒げて断言した。
だが、レナがどれほど強く否定しようと、この上なく疑わしいことには違いない。
レナの姉――つまり第一王女でありながら、第二王女のレナが王位継承権第一位ということは、そこに何かがある。姉が鬱屈した感情を抱いていたとしても、なんらおかしくはない。
「だいたい何を考えているのかわかるので先に言いますが、そういうことはないです」
俺の未だ口にしていない推理を見透かしたかのように、イアノはきっぱりと否定した。
イアノの想像する俺の疑問はおそらく正解だという気がするが、ここは明確に確認しておかなければならない。
俺は姿勢を正し、イアノの瞳をまっすぐ見つめた。
「そういうこととは?」
「レナ様が王位継承権第一位だから、第一王女の姉が妬んでるとか考えているのでしょう?」
その言葉は、俺の胸の内を完璧に言い当てていた。
「……妬んでいる、までは考えていなかったが」
思考を完全に読まれた癪さに、つい言い訳じみた言葉が零れる。
だが、そんな取り繕いを遮るように、イアノは重要な事実を告げた。
「似たようなことは考えていたということでしょう。言っておきますが、第一王女が出奔しなければレナ様が第一位になることはなかったのです」
俺は新たな情報に目を見開いた。
「出奔……?」
予想外の言葉に、俺は目を見開く。
その単語が聞き間違えでないかを確かめるように、無意識のうちに声に出していた。
「ということは城にいないということか?」
「そうです。今頃どこをほっつき歩いているのやら」
イアノの言葉には、教育係としては似つかわしくないほどの軽蔑が滲んでいた。
その態度の異常さに、俺は思わず息を呑む。
王族に仕える者として、あまりにも苛烈な物言いだ。
この反応の裏には何かありそうだ。俺は慎重に言葉を選びながら、核心に迫る。
「その言い方だと生きてはいるということか?」
たとえば出奔というのは建前かもしれない。
権力闘争の一環として、何らかの形で処刑し、公には出奔という扱いにすることだってありうる。
まあ、そんな国家の闇を聞かされても困るのだが。
「さあ? 死んだという連絡は受けていないので、生きていそうですが」
俺の問いに対し、イアノの返答は処刑の話こそないものの辛辣さが滲んでいた。
あれだろうか。第一王女派と第二王女派があって、第二王女派の彼女としては第一王女を疎ましく思っているとか?
それとも、もっと個人的な――。
「と・に・か・く!フィアラお姉様は絶対に違います!」
これまで大人しく聞いていたレナが、突如として感情的な声を上げた。
その迫力に、思わず俺は身を縮めた。
誰に確認するのが適切なのか。
イアノに聞くのは微妙かもしれないが、他に評価を聞ける相手もいない。
「その……レナとフィアラ――」
一瞬言葉を区切り、より公式な呼び方に修正する。
「第一王女って仲が良かったの?」
「ほどほどじゃないですかね」
「仲良しでした!」
同時に返ってきた答えは、まるで正反対だった。
イアノの冷めた物言いと、レナの情熱的な主張。その温度差に戸惑いを覚える。
この極端な反応の差、どちらを信じるべきか。
第二王女付きのイアノの立場を考えると、フィアラとの間に何かあったとしても不思議ではない。
そう考えると、イアノの評価には個人的な感情が混じっている可能性が高い。
一方、レナの熱心な様子からは疑いようのない姉妹愛が伝わってくる。
だが、その強い思い入れこそが、かえって客観的な判断を曇らせている可能性もある。




