導き(23)
「ええと、何の話だったか……」
その冷気の残る雰囲気から逃れるように、慌てて話題を探る。
「そう、『王家の杖』の性能の話だ。つまりその性能が故に盗まれた可能性はあると考えられるんだな?」
「どちらかといえば消去法です。杖狙いで盗むとしたら、それが理由としか考えられないという」
まるで数秒前の出来事など無かったかのように、イアノの表情から先ほどの鋭さが消え、代わりに冷静な分析の色が浮かんでいた。
この豹変ぶりこそが、最も恐ろしいのかもしれない。
「……」
イアノの存在の恐ろしさはとりあえず心の隅に押しやり、俺は視線を落として思考を整理した。
たしかに金銭的価値・美術的価値はなく、王家のシンボルというわけでもない。歴史的価値はいくらか認められる程度で、性能だけが突出して価値があるのなら、それを狙う以外の理由は考えにくい。
ただなあ……その性能が眉唾物すぎてどうにも受け入れがたい。
これが、よく切れるナイフとか、金属の鎧を抵抗もなく一刀両断する剣とか、そういう類の性能ならわかる。国宝にするとは思えないが、それはおいておこう。要は性能がわかりやすければということだ。
そこまで分かりやすくなくても、嵐を起こすとか、地震を起こすとかなら、本気かとは思うものの、そういうものがあってもいいとまだ受け入れられる。
だが、『世界最強の一角』は、子供の「俺、障壁はったー」レベルの幼稚さを感じる。そもそも世界最強ってなんだ? 腕相撲か? 近距離戦闘か? 遠距離戦闘か? それとも『絶界』のような耐久力か? 指標がありすぎて、胡散臭さがぬぐえない。
が、この場はいったん、それはおいておこう。
それより現実的な疑問がある。
「その性能は誰が知っているんだ?」
「ですから、王家と王家の教育係……」
レナは言葉を選ぶように間を置きながら答えた。
俺は、その説明を遮るように手を振る。
「いや、建国から今に至るまでで、だ」
「……それは……」
レナは言葉に詰まり、視線を落とした。その表情からは、この質問の意味する重みを理解し始めた様子が窺える。
「仮に、歴代の王家と王家の教育係しか知らなかったとしても、王家の教育係をその都度処刑してきたわけではないだろう?」
その可能性が絶対にないという確信があったからこそ、俺はあえてこの挑発的な質問を投げかけた。
「そんな酷いことするわけありません!」
レナは身を乗り出すように強く否定した。その目は驚きと共に、わずかな怒りの色すら帯びている。
まあ、この言葉を肯定したら、目の前のイアノの命を奪うと言っているようなものだ。その反応は当然だろう。
だが、俺はイアノの表情が微妙に変化するのを見逃さなかった。
どうやら、彼女は俺の本当の狙いが理解できたようだ。
「つまり、歴代の教育係の係累や、王家を継がなかった血族が怪しいと?」
イアノは顎に手を当てながら俯く。俺が遠回しに示唆した可能性を、ためらいなく言葉にした。
「性能狙いということは性能を知っていることに他ならない。それなら性能を知っている人間が怪しいだろうというだけだ」
俺は言葉を選びながら、一呼吸置いて続けた。
「イアノの家系がこれまでずっと王家の教育係だったというなら別だが」
「……そうではありません……」
イアノの表情が曇る。その様子には何か言いづらそうな雰囲気が漂っていた。
それは政治面から言えば健全な仕組みだ。
もし一家全体が王家と密接に関わっているなら、長年を通じてその一家が王家に近しい権力を持ち、特別な優遇を受けることになる。それは権力の偏りを生む。
だが、今回の『王家の杖』の紛失――というか盗難に限って言えば、話は別だ。
秘密を知る者の数が増えれば増えるほど、どこでどう情報が漏れていてもおかしくない。
その可能性は避けられない現実として存在している。
「が、それを今ここで考えても仕方ない」
「え? ここまで犯人を考えてきてそんなことを言うんですか?」
俺の突然の方向転換に、レナの声が強ばる。
まあ光明が少し見えたかと思ったところで盛大に梯子を外したようなものだ。その反応は至極当然だろう。
「絞りきれないならそのアプローチはいったん置いておくしかない。それに、俺が今言った程度のことは考えていて、その上でどう調べたらいいかわからなかったんじゃないのか?」
その真相は明らかだ。
「性能が理由で盗まれる可能性がある」と言ったのはレナであり、同じ結論にイアノも至っていたはずだ。
それでいながら「探す手がかりがない」と言ったのは、このアプローチでは誰もが容疑者になり得るからに他ならない。
過去の教育係が漏らしたとして―― 盗難に関わったのは、その教育係から直接聞いた者か。
はたまたそこから流れた噂話を聞いた者か。
そのまた先で聞いた者か。
それを考え始めれば、世界中の誰もが疑わしい影を帯びてくる。
「……それは……そうです」
レナとイアノは顔を見合わせ、一瞬の沈黙の後、小さく頷いた。
その表情には、自分たちも気づいていた事実を改めて突きつけられた戸惑いが浮かんでいた。
「だから考え方を変える」
「考え方を変える?」
レナは興味深そうに顔を向けてくる。その瞳には新たな可能性への期待が宿っていた。
「『王家の杖』を盗むともっとも利益が得られるのは誰が考えられるか?」
俺は視点を変えた犯人探しの糸口を示した。
「世界最強なら誰でも同じように利益がありそうですが……」
俺は首を横に振り、レナの考えを否定する。
「実はそうでもない」
「そうでもない?」
レナの表情が困惑に染まる。
その反応は当然かもしれない。誰もが欲しがるはずの力に、差があるというのだから。
俺は具体例を挙げて説明することにした。漠然とした推測ではなく、現実的な状況を示す必要があるからだ。
「たとえば、冒険者が盗んだとする。その冒険者は世界最強になることで得られるものは、冒険の成功による利益と名声だろう」
「なるほど……『その程度しかない』ですね」
イアノの言葉に、俺は少し安堵する。少なくとも一人は理解してくれたようだ。
「どういうことですか?」
一方のレナは、まだ混乱している様子だった。
俺は考えを整理し、より分かりやすく説明を試みる。
「世界最強になった冒険者はたしかに冒険の成功率もあがり報酬も得られる。でも、その報酬の出所は依頼者の財布の中身でしかない。つまり依頼者より財が増えることはない」
レナは言葉自体は理解できているようだが、その意味する重要性が掴めていないらしく、首を傾げた。
「でも、色々な方から依頼を受ければいいのでは?」
王女であるレナの疑問の根底は、極めて単純だ。
つまるところ、働くことができるなら、働き続ければ無限に得られるのではないか――という足し算的な発想。
おそらく彼女にとって、金銭という概念自体が異なるのだろう。
だが、現実は残念ながら引き算だ。
「そうやって報酬を積み重ねていくことはできる。でも、どこまでいっても依頼者頼みでしかない」
「それは何がよくないのでしょうか?」
レナの瞳には純粋な疑問が浮かんでいる。得られる報酬は常に誰かの資産である限り、その資産には限界があるという現実が、彼女の理解の外にあるようだ。
王女である彼女にとって、資産など湧いてくるものという感覚なのも無理はない。国家の金庫がどう機能しているのかさえ、実感として理解していないのかもしれない。
ただ、ここで王女の根底にある価値観を正す必要はない。それは今の議論の本質ではない。
俺は深く息を吐き、視点を変えて説明を試みる。
「その冒険者にとってよいか悪いかではなく、世界の様々な人と見比べた時に些末なメリットでしかない、という話だ」
「うーん?」
レナの眉間にしわが寄る。説明を聞くほどに、かえって混乱が深まっているように見える。
これは別の角度からの説明が必要だろう。もっと彼女の立場に近い例えを用いて――。
「さっき『国難はその杖で救われてきた』とイアノは言った。つまり、国難を排し、国体を維持することがその杖でできるということだ」
「ひょっとして……」
レナの眉が驚きと共に跳ね上がり、そして瞬きを忘れたように見つめてくる。
俺の説明の意図が、ようやく彼女の中で形を成し始めたようだ。
視線は真っ直ぐにこちらに向けられ、続きの言葉を待っている。
「もし国が崩壊するのをその杖で防げるとしたら、それで救われる人は冒険者が救った人とは比べ物にならないだろう?」
「つまり国家が盗んだということでしょうか?」
レナは息を飲んだようだった。その瞬間、彼女の表情が硬直し、瞳が揺らいだように見えた。
「いや、そこまで短絡的に言うつもりはない。」
予想以上に強い動揺を見せる彼女に、俺は思わず苦笑を漏らす。
だが、この話題の重大さを考えれば、より慎重な説明が必要だろう。
「だが、国家の危急存亡の命運が変わるなら、それは侵略する側にしても防衛する側にしても利益が大きいだろう」
何十万、下手すれば何百万という人間の運命が変わるのだ
侵略してそれだけの人間から税を徴収するのも、領土と国民を奪われずに済むのも、一介の冒険者が得られる利益など比べものにならない。
とはいえ、俺自身はまだ世界最強という話そのものに疑念を感じているのだが。
自嘲めいた苦笑が自然と浮かぶ。




