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せいじゃものがたり  作者: 瀬山みのり
第1章:導き
22/103

導き(22)

「なんだ、それは……」

「いい伝えでは世界最強の一角になりうるとか」

 レナはさらに身を乗り出し、耳打ちするような小声で続けた。


「世界最強……」

 思わずその言葉を復唱した。

 とはいっても、別に『世界最強』という言葉に心を躍らせたわけではない。

 くわえて『一角』というぼんやりとした表現が、「よくわからないけど、きっとそう」という子供じみた雰囲気を醸し出していて、『世界最強』と合わせて苦笑を誘うものになっている。

 そもそもレナの言っていることが俄かには信じ難い。

 だが、レナ自身はこれが盗まれる理由になると確信しているように見える。

 その真剣な様子が、かえって状況を不可解にしていた。

 俺はその違和感を言葉にしてみた。


「その能力というか性能が盗まれる理由になりうると?」

「……可能性だけで言えばそうです」


 レナの声には僅かな躊躇いが混じっている。


「可能性……」

 俺は言葉を反芻するように繰り返した。

 それはあるのだろうか。

 その杖を手に入れれば世界最強になれる――そんな話を真に受けて盗みに入る?

 少しでも冷静に考える知性があれば、そんな話は絵空事だと切り捨てるはずだ。

 仮に知性が足りずにそれを信じ込んだ者がいたとして、その夢想を追い続けて城に侵入した?

 ……

 不意に、己のラナーン城侵入との類似性が頭を掠め、同族嫌悪めいた感覚に襲われる。

 だが、すぐさま首を振って、その考えを振り払う。

 俺の場合は『ラナーン城に誰も侵入できない』という事実を確かめるためだ。世界最強などという絵空事とは全く次元が違う。

 そう、まったく、似ても似つかない話だ。

 頭を激しく振って、その余計な連想を振り払った。


「アルスさん?」

 突然の激しい仕草に、レナが身を引くように距離を取る。

 その表情には明らかな困惑の色が浮かんでいた。

 まあ、考えようによっては、俺の行動は女との距離が近すぎたのを適切に戻すためのものだった、という解釈もできなくはない。

 そんな後付けの自己弁護に、己の思考の支離滅裂さを感じながらも。


「ああ、いや、なんでもない。本当にそんな可能性があるのかと考えてしまっただけだ」

 慌てた言い訳が口をついて出る。


「それがないとまでは言い切れないんですよ」

 イアノの言葉が、俺の取り繕いを遮った。


「ほう……それはなぜ?」

 俺は興味をそそられ、イアノの方へ体を向ける。

 イアノは何かを警戒するように視線を泳がせ、周囲を確認してから声を落として話し始めた。

 いや、だから、なぜこれほど周囲を警戒する?

 この部屋の壁に耳でもあるというのか?


「過去、国難はその杖で救われてきたからです」

「……そうだったか?」


 俺は顎に手を当て、視線を横にずらした。

 読んだ歴史書を思い返してみるが、それらしい記述があった記憶がない。

 まあ、一言一句覚えているわけではないので、絶対になかったとまでは言い切れないが。


「歴史書には『王家の杖のおかげで』とは書いていないですから、知らなかったのは仕方ありません」

 イアノは詰るつもりも試すつもりもなかったようで、俺の記憶の欠落を咎めはしなかった。


「……なるほど、たしかに杖のありがたみを記載する必要はないな」

 俺は納得して頷く。

 王家の偉大さを記述する歴史書に、わざわざ「これは王が偉大ではなく、杖が偉大なのです」などと書くはずがない。

 先にレナやイアノが言った通り、血統によってのみ正統性は維持される。それは偉業を成し遂げた血統を重要視、ことによっては神聖視することで成り立っているのだろう。

 王家編纂の歴史書にその正統性を揺るがすような記述を載せる理由などない。

 だが、そうだとすると――。

 俺の中で新たな疑問が形を成した。


「なぜ、イアノは知っているんだ?」

 思考の行き着いた先を、そのまま声に出す。

 歴史書に載っていないのなら、なぜイアノがそれを知っているのか。


「この事実は王家と王家の教育係は知っていますから」

 今度はレナが補足した。

 今この場において、王家はレナを指すのだから、王家の教育係が指すのが誰かは明白だ。

 俺は目を瞬かせ、イアノの姿を改めて見つめ直した。


「つまり、イアノは侍女のように見えるが、教育係なのか」

「教育係兼侍女ですよ。正確には教育係統括兼侍女ですが」


 イアノの言葉に抑揚はなかったが、その表情は少し誇らしげだった。


「……」

 俺は黙り込んだ。

 今まで見えていなかったイアノの立場が、急速に輪郭を帯びていく。

 たしかにどれだけイアノが多才であろうとも、すべての分野の教育を一人で担うことなど不可能だ。

 極めて繊細な部分を除いては、それぞれの分野に教育担当がいて、イアノはそれを統括している――。

 そして、その統括という役割を円滑に果たすために、侍女という立場が選ばれたのだろう。

 常に側近くにいられる立場。それでいて、必要以上に目立たない立場。

 まして、レナは第一位王位継承権保有者。実質は次期女王だ。その教育に最も影響力を持つ存在となれば、王城内の並の役職など、イアノの前では色を失うに違いない。

 だが……。


「見た目は若そうに見えるんだけどな」

 そういう役割は早くてもレナの母親ぐらいの年齢、場合によってはもっと高齢の人物が担当しそうな印象がある。

 だが、イアノはどう見てもそんな年齢には見えない。


「若いですよ?」

 イアノの口元も目元も柔らかな笑みの形を描いている。だが、その瞳の奥からは冷たい光が覗いているように見える。

 表層の柔和さと、その下に潜む冷徹さとの不一致に、俺は背筋に寒気を感じた。

 本心から笑っているわけではないことは明らかだ。


「アルスさん、それは禁句です」

 レナが慌てて割って入る。その声には取り返しのつかないことを聞いてしまったような焦りが滲んでいた。


「レナ様、何か言いましたか?」

 イアノは、にこやかな表情を保ちながらも、声の調子に微妙な冷気が混じっていた。


「その……アルスさんはここでのルールを知らないので……」

 レナは視線を泳がせ、言葉を濁しながら必死に状況の収拾を図ろうとしている。


「イアノに関するルールがあるのか」

「ありませんよ?」


 俺の素朴な疑問に、イアノの笑顔が更に深まった。

 それに比例するように、部屋の空気が凍りついていく。

 春とおぼしき季節なのに、まるで真冬の寒気が一気に流れ込んでくるような錯覚すら覚えた。


「いや、悪い意味じゃない、レナより三歳ぐらい年上かと思ったぐらいで……」

 額から冷や汗が滲むのを感じながら、俺は必死に言い訳を重ねる。


「……ふぅ……まぁいいでしょう」

 イアノは深く息を吐き、その表情からわずかに刃が引っ込んでいくのが見えた。

 どうやら、そのぐらいの年齢差と見られる分には許容範囲らしい。

 とはいえ、さすがにレナより若く見えると言おうものなら――考えただけでも背筋が凍る。そんな命知らずな真似はできない。

 俺は表向きは安堵の表情を浮かべながら、心の中でこの城での新たな"タブー"を刻み込むように意識した。イアノの年齢に触れることは、文字通り命を削る行為なのだと。


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