導き(2)
「レナ様、入室をよろしいでしょうか?」
扉の向こうから、控えめながらも張りのある声が響いた。
「どうぞ」
レナと呼ばれた少女が手元の書類から顔を上げ、応答した。
アルスが取調べを受けている一室を内包するランドール城、その中に明らかに身分の高い者用と思われる区画があった。
そのうちの一室に侍女らしき女性が優美な仕草で一礼して足を踏み入れる。
彼女の柔らかな曲線を描くオレンジ色の髪が会釈とともに優雅に揺れた。
レナの後ろに控えていた女性が一歩前に出て、丁寧に会釈した。彼女の柔らかな曲線を描くオレンジ色の髪が、その動きに合わせて優雅に揺れる。レナより一頭分ほど背が高く、黒い瞳には知性の輝きが宿っている。20歳前後にも見える若々しさがありながら、それ以上の年齢を思わせる落ち着きが感じられる。
「なにかありましたか、イアノ?」
部屋の主にして、イアノが仕える王女レナは穏やかな口調で尋ねた。
その容姿は艶やかな黒く長い髪、その上半分が両側面から巧みに編み込まれ後頭部で結ばれ、彼女の気品の高さを際立たせていた。また、あどけなさの残る顔の中にあって、瞳は深淵のように深く、すべての視線を引き込むかのような黒であった。
公的行事の最中ではないため、華美に着飾ってはいない。しかし、身にまとう衣装は上質な生地で仕立てられ、その優雅さは一目瞭然だった。
「不審な人物が城内に侵入し、宝物庫にあったはずの『王家の杖』が見当たらなくなったそうです」
イアノは淡々とした口調で、今、城内で起こっている騒動を簡潔に伝えた。その表情には僅かな緊張の色が浮かんでいた。
~レナside~
「そのようなことが!」
イアノの報告に私は思いがけず大きな声をあげてしまいました。
私が驚くのも無理はありません。
この国、ランドール王国にとって『王家の杖』は単なる財宝ではなく、国家の命運を左右する切り札に等しいものだからです。
紛失したからといって即座に国が滅ぶようなものではありませんが、その性能は不利な戦況を一変させるほどの影響力を持つものだからです。
「現在、ディアス様が不審な人物を厳しく問いただしていますが、有用な情報は得られていないようです」
私が動揺することはイアノの想定内であったのでしょう。
彼女は間を置いた後、現状の進展を説明してくれましたが、その中で気がかりな点がありました。
それは近衛中隊長のディアスが取り調べているという事実です。彼は忠義に厚く責任感も強いですが、一方で思ったことを遠慮なく口にしてしまうことが多いように思います。
私は過去に何度か諫められる彼の姿を思い起こしました。
「なぜディアスが取り調べを?」
不審者を発見したのが城内警備の近衛隊であることは想像に難くありません。ですが、近衛隊の役割はあくまで拘束までで、尋問ともなれば本来、別の者が行うことのはずです。
私は小首を傾げました。
「城内を巡回している最中に騒ぎを聞きつけ、そのまま取り調べに入ったようです」
「あぁ……そういう……」
私は目線を落とし、深いため息をつきました。
不審者がどう侵入したかはわかりませんが、容易く宝物庫まで侵入されたことに対して、ディアスなりに自責の念を抱いたことは推察できます。
それもただ侵入を許したのではなく『王家の杖』まで奪われたとあっては、他者に委ねることはできなかったのかもしれません。
その心情はわからなくもないのですが……。
ふとイアノの方に目を向けると何か言い淀むような表情をしていることに気づきました。
「ほかになにか?」
私は、イアノに発言を促しました。
「その不審な人物を見つけた衛士が『突然現れた』と言っているのが気になります」
「突然現れた?」
「はい」
私は口元に手を当て思索に耽りました。
衛士の発言をそのまま鵜呑みにするわけにはいきません。
見落としていたことを隠ぺいするための虚偽ということもありえますし、あるいは振り向いた瞬間に不審者がいた場合でも、衛士の感覚では突然出現したように感じたのかもしれません。
ただ、その程度のことだと考えられるのであれば、イアノは私に『気になる』と報告しないでしょう。
「それはもしかして『転移』の可能性がある、ということ?」
私はイアノの懸念を察し、言葉にしました。
『転移』。それは希少な能力の一つで、知っている任意の場所に移動することができると言われているものです。
近距離戦闘職種なら回避に使用したり、高火力職種であれば敵の背後に回り込んで戦況を大きく変えたりと、どの国も渇望してやまない能力です。
ただ、そんな能力の持ち主がそうそういるはずもなく、過去実在はしたとされるものの、限りなくおとぎ話に近いとされているものです。
「話だけ信じるなら可能性はあるかと」
イアノは慎重に言葉を選びながら答えました。その表情からは、彼女自身もこの可能性を完全には否定できないでいることが窺えました。
たしかにどのように盗まれたか分からない『王家の杖』と、突然現れたという不審者を『転移』という能力は結びつけることができます。
『転移』の持ち主であれば、『王家の杖』を返してもらった上で雇い入れることを考えてもいいのかもしれません。
……本当に『転移』が使えるのであれば。
期待したい気持ちはもちろんありますが、すぐにその期待を打ち砕く現実に思い至りました。
「……でも、もし『転移』があるなら取り調べを受けてないわね」
私はイアノの目を見つめながら答えました。
イアノに私の反証を打ち消す何かを提示してほしい気持ちが半分、同意を求める気持ちが半分といったところでしょうか。
「たしかに。それはそうですね」
イアノはあっさり同意しました。
彼女としても『転移』の可能性をそれほど高く見積もってはいなかったのでしょう。
「私たちは宝物庫に行って状況を確認しましょう」
ディアスが取り調べしている以上、全体を統括する者が不在の可能性があると考えた私は、決意をこめて立ち上がりました。
誰かが取りまとめていればよいですが、誰もしていなければ指示だけはしないといけません。
「承知しました」
イアノが深々と礼をしました。
その様子をみて、これはイアノによる教育の一環であることに思い至りました。
きっと『転移』の話も興味本位に話を膨らませるようであれば、後々厳しく諫められたに違いありません。
『王家の杖』紛失という一大事さえ、私を導く機会として捉えるとは油断も隙もありません。




