導き(14)
~レナside~
私の私室で、私はイアノとアルスさんの今後について話し合うことにしました。
イアノの表情には、わずかな憂いの色が差していました。
「近衛隊入隊は難しいようですね」
イアノが呟くように切り出しました。彼女の表情には、わずかな失望の色が浮かんでいるように見えました。
その失望はアルスさんに対する失望ではなく、ディアスの頑なさに対するものでした。
試験に合格したらという話であったことから、少なくとも出た結果については素直に認めるものだと思っていたのですが、あの様子ではそれはないように思います。
「そうですね...入隊を許可されたとしても、辞退した方が賢明かもしれません」
心中複雑な思いが去来する中、私は溜息まじりに答えました。
イアノも同意するように小さく頷きます。
仮にディアスが私の今の予想と違い、結果を受け入れたのだとして。
ディアスの悪感情だけならまだしも、正当な理由があるとはいえ五名の面子をつぶした状況を考えれば、彼らがアルスさんに好意的な感情を抱くはずがありません。
いえ、五名の面子がつぶれたのは彼らの問題であって、本音を言えば受け入れてほしいところですが。
そのように私が思考を巡らせていたところで、イアノの鋭い視線が私に注がれていることに気づきました。
なんとなくイアノが叱言を言う予感がして、私は身構えました。
「ところで……レナ様はずいぶんタイミングよく現れましたね」
イアノが不敵な笑みを浮かべたのを見て、私は反射的に視線を逸らしてしまいました。
「う……っ」
言葉に詰まる私。心臓が早鐘を打ち、背筋を一筋冷たいものが走りました。
おそらく今の私の心境も、イアノはお見通しでしょう。
幼い頃から付き添ってくれたイアノはとても有用かつ先回りしてくれる反面、隠しごとが通用しないのです。
「ひょっとして観戦しておられましたか?」
イアノの口元に、かすかな笑みが浮かびます。
この笑顔にだまされてはいけません。
イアノはどんな時も笑顔を絶やさず……は言いすぎですね、笑顔か無表情かですが、それは怒っていないということではないのですから。
「そ、それは……」
私は彼女の目を見て、どの程度の怒りかを探りつつ、言い訳を考えていました。
けれど、頭の中で必死に適切な言葉を探しますが、なかなか見つかりません。
たしかに、あの時、やることが別にありましたが、それはとりあえずおいておいたのです。
事実はそうなのですが、それを素直に認めてしまってよいものでしょうか。
「別に咎めるつもりはありませんよ。ただ、お仕事の進みは気になりますけど」
イアノの声には、軽い叱責の色が混じっています。
イアノ相手に「咎めるつもりはない」という言葉をそのまま真に受けてはいけません。
イアノにそう言われ、私は慌てて弁明しました。
「あ、あとできっちりします!」
イアノの機嫌は損ねてはいけない。それがこの王城での不文の掟です。
イアノの重圧を感じながら、私は必死に態度を取り繕いました。
「はい、よろしくお願いします。それで、見ていてどう思いましたか?」
イアノの表情が真剣味を帯びました。
それは「見ていた」ことを前提として、私の見解を聞きたいということなのでしょう。
つまり、さっき「観戦していたか」を何か理由をつけて否定していたら、私はきっと色々と罠を仕掛けられて、見ていたことを露呈させられていたに違いありません。
あぶないところでした。
「……よくわからない、というのが正直なところです……結果はわかりますが、なぜその結果になるのかがわからない、みたいな」
頭の中でアルスさんの戦いの様子を浮かべながら、私は感想の言葉を選びました。
今思い出しても、その不可思議な動きに驚きがあります、というか、理解が及びません。
攻撃を避け続ける。言うのは簡単です。
ですが、一対一の戦闘ですらそれは容易ではありません。多対一ならなおさらです。
それをアルスさんはやってのけたのです。
「同感です。少なくとも今まで見たことがない戦い方ですね」
イアノの同意に、自分の見間違いではないことに安堵し、私は小さく何度も頷きました。
一回や二回の回避なら偶然と片づけることもできます。
でも、それが一時間となると、自分がなにか幻を見ていたのではないか、そんな可能性さえ頭をよぎっていたのです。
「近衛隊の訓練なども見たことはありますが、あのように回避し続けるというのは見たことがありません」
私は少し興奮気味に言いました。
そもそも騎士達は受け止め耐えることがほとんどです。
幼い頃から見てきた騎士たちの姿を思い起こしましたが、アルスさんのように回避するというのは一人も見たことがありません。
だからこそ、アルスさんの動きは衝撃的でした。
「思うに勘が鋭いのではないかと思うのです」
イアノなりにアルスさんの動きの根拠を述べました。
いえ、『勘が鋭い』が根拠として適切かというと、やや疑問はあるのですが。
でも、仮にアルスさんの勘が鋭い、そういう事実があると受け入れても、それだけで納得できるわけではありません。
「勘ですか? 勘がいいだけであそこまで迷いなく動けますか?」
イアノの見解を否定できる材料はないのですが、私はあえて否定的に疑問を投げかけました。
イアノを怒らせるとマズイみたいな勘はわかりますが、それは経験則的なものです。
アルスさんの能力は、それとは別物のように思えます。それは特異と言ってもいいものです。
「それはわかりません。もしかしたら後ろに目があるのかもしれません」
イアノは小さく首を振り、突然気味の悪いことを言い出しました。
私はその言葉を聞いて、その突拍子のなさに驚きのあまり目を丸くした後、その姿を具体的に想像して悪寒が走り、身震いをしました。
それは魔物と言ってもいいものです。
「急に不気味な話をするのはやめてください」
私は半分冗談、半分本気でイアノに抗議しました。
おそらく彼女なりに冗談を交えたのでしょう。
具体的に想像したことで笑えませんでしたが、これはイアノジョークとしておきましょう。
「なにか、今とても不当な評価をされませんでしたか?」
私の心の声が漏れたわけでもないでしょうに、イアノは目を細めて私を見据えました。
私は小さく喉を鳴らし、慌てて否定しました。
「いえ、不当な評価なんてしていませんよ」
評価したのはあくまでイアノの冗談であって、イアノ自身を評価はしていません。
しかもその評価は不当ではないのですから、何も虚偽を述べたわけではありません。
そもそもイアノは勘が鋭すぎます。
その勘が鋭いイアノが、アルスさんは勘が鋭いというのなら、やはりアルスさんの勘は鋭いのでしょうか。
自分で考えていて何かこんがらがってきました。
「そうですか……いずれにしても彼が興味深い人物であるのは間違いありません」
イアノが私の追及をあきらめ、アルスさんの話題に戻りました。
たしかに彼女の言う通り、アルスさんは興味深いです。
彼女はさらに続けました。
「まだ能力の全貌は掴めていませんが、今の段階ではただ放逐するのは惜しいと言えます」
つまるところ、イアノの言いたいことはこういうことです。
「珍しい物はとっておこう、というわけですね」
物のように扱われたアルスさんは心中穏やかではないかもしれませんが、物でも人物でもこの場ではたいして違いはありません。
「少なくとも現時点ではそうです」
処分を決めるのはアルスさんの能力、目的、それらがわかってからでも遅くはないということでしょう。
私はイアノの言葉に深く同意しました。
ただ、そうするにしても、当面の処遇が必要で、それが必要だからこそちょうどいい役職を考えていたのに、その計画がほぼ潰れたのです。
とはいえ、当初は監視という目的でしたが、観察を目的とするなら、近衛小隊長は不適切でしょう。
結果的にはよかったと考えることもできるかもしれません。