4.聖女の顔
見上げるほどの大きな観音開きの扉を、護衛騎士が独特のリズムを付けてノックする。ギィ、と軋んだ音を立て、聖女宮の扉が開いていくのを、ファウリはドキドキとしながら見上げていた。
決して自分の意志では開けることのできない扉と思っていたそれは、呆気ないほど簡単に、騎士とファウリを通してくれる。
ファウリにとって、聖女宮の外は、【人間でいることは許されない場所】だった。
聖女は、只人であってはならない。現世に降りた女神の使いでなくてはならない。
そう、幼い頃より叩き込まれてきた場所だ。
聖女宮を出てすぐは粛々とした振る舞いで歩いていたファウリだが、すぐに何かを振り切るように小さく首を振ったり頷いたりして、やがてニコニコと楽しそうに歩き出した。
一歩、聖女宮から出てしまえば、ファウリを聖女だと気づく者はいない。
聖女宮を出るときは、ファウリはいつも聖衣を纏うことが義務付けられていた。
目元を隠すように被らされたヴェールの奥のファウリの髪と瞳が平凡な茶色であることも、知っているのは神殿の上層部と、聖女宮に務める僅かな使用人、護衛の騎士だけだ。
いつもはファウリが聖女宮から出ると、大勢の聖騎士と神官が後に続き、道行く人がサァっと左右に分かれ、恭しく頭を垂れるのだが、今日は皆慌ただしく動き回ったまま。
時々ちらりと此方を見る者はいるものの、新しい修道女を騎士が案内をしているのだろうとでも思っているのだろう。
それが何だか面白くて、ファウリは口もとを抑え、くふくふと笑いながら、弾むように騎士の隣を歩いた。
「楽しいですか?」
笑いを含んだような騎士の声に、ファウリは少し驚いたように目を丸くし、すぐに元気よく、はいっと頷いた。
「皆様が、私に気づかないので、楽しいです。普段の神殿の様子も見れて、楽しいです。それに、騎士様も今日は堅苦しくない感じなので、嬉しいです。嫌われているのでは、と思っていましたので」
聖女宮の騎士を務める普段の彼は、もっと険しい顔をしていて、会話をしたことさえなかった。だが、今日の彼はいつもキリリと結ばれていた口元を、柔らかく綻ばせ、穏やかな目で見下ろしている。
「まさか。聖……ファウリ様は聖女様でいらっしゃいましたから、職務上お声を掛けることは許されておりませんでした。真面目な顔をしていたつもりなのですが、私の顔はどうにも厳めしいらしく。不愛想で怖かったのではありませんか?」
「いいえ。怖いと思ったことはありませんでした。だから、不満とかではないのです。ただ、今普通にお話して頂けるのが嬉しいのです。それと、私はもう聖女ではありません。ですから敬称も不要です」
にこにこと楽しそうに笑い、はきはきと答えるファウリに、騎士は内心、驚いていた。
彼の知る聖女は、聖女宮で過ごすときでさえ、常に女神像によく似た静かな微笑を浮かべ、神々しささえ感じるような、抑揚のない落ち着いた話し方をしていた。
貴族の令嬢の持つ上品さとも違う、見た目こそは平凡だが、人間ではない、決して触れることの許されない、もっと高位の存在なのだと、感じさせるような少女だった。
が、今ここにいるファウリは、どこにでもいる、普通の少女だ。人懐っこい笑みを浮かべ、弾むように話す姿は、寧ろ年齢よりも幼さを感じさせる。
恐らくこれが、本来の彼女だったのだろう。
平民の少女が、聖女として貴族よりも尊ばれる地位を得るのだ。
『特別な存在』であることを印象付けなければ、あっという間に高貴な方の餌食となるのは目に見えている。
故に、神殿は彼女を守る為、神殿の奥深くに隠匿し、聖女に相応しい振る舞いを彼女に徹底させたのだろう。神殿に仕える者にさえも、そう思わせるほどに。
その目論見は、成功したと言えるだろう。
少なくとも、表向きは、高位貴族でさえも聖女に対して不敬を行うものはいない。
だが、普通に考えれば、元は普通の平民の娘なのだ。神に等しいお方だからと、常に距離を置き傅いてきたが、親元から離され、たった一人離宮に隔離されて生きるのは、寂しいことだったに違いない。
聖女の任を解かれたと聞いた時は、お労しいと胸を痛めたが、この生き生きとした様子を見ると、彼女にとっては好ましい状況なのだろう。
残り僅かな時間だが、彼女を聖女としてではなく、普通の女の子として扱おう。
少しでも、気楽に、楽しんで貰えるように。騎士はそっと心に誓った。
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次は、お昼くらい。もう一本いけるかな? 頑張ります!