32,リッツの境遇
――これは、夢だろうか。
どこからが夢?
どこからが現実?
夢にしては、やけに鮮明だ。
立ち枯れた、瘴気で黒く染まった森は一変、鮮やかな緑の葉を揺らす草木と、風に揺れる花、囀る小鳥の声、沸きだした美しい水を湛えた泉から、岩棚を伝い、澄んだ水がさらさらと流れる美しい森が広がっている。
泉の畔には、木で出来た小さな小屋がたっていた。
あれが、魔女の家だろうか。
案内をしてくれた魔物は、小屋の傍に佇んで、じっとこちらを見つめている。
ひょっとして、あの魔物が聖獣?
ファウリはあたりを見渡しながら、小屋の方へと近づいた。
セージにミント、ローズマリーにタイム。
小屋を囲むように、色々な種類のハーブが群生して、爽やかな香りがする。
魔物はファウリが近づくと、嫌がるようにウゥ、と唸って距離を取った。
そっと小屋の扉を押してみた。
ギィ、と音を立て、小屋の扉が開く。
「わ……」
小屋の中は、作り付けの作業台と棚、天井から張られた紐に幾つもブーケのように薬草がぶら下がっている。
箱のようなものは、恐らくベッドだろう。
枯れた草がいっぱいに詰まっていた。
テーブルや椅子も置かれていたが、壊れて足が折れ、床に転がっている。
石で囲われた所には、沢山の灰が積もり、上から大きな鍋が吊り下げられている。
「素敵……」
ファウリの憧れていた、森の木こり小屋のイメージそのままだった。
「魔女様は、もうここにはお住まいではないのでしょうか」
ファウリは振り返ると、扉の向こうで中をじっと見ていた魔物に問いかけた。
魔物はグァゥ、と小さく唸る。
「私、ここに住んでも?」
もう一度問うと、魔物はまた、ガゥゥ、と唸り、その場に寝そべった。
「ふふっ。それじゃあ、何からやろうかな……。ベッドの草を入れ替えて……」
ファウリは早速作業に取り掛かった。
ボロボロになった草をベッドから運び出し、外に出て雑草をナイフで切ってベッドの中に詰め込んでいく。思った以上に重労働だ。休み休み、作業をする。
夢中になっていたら、小屋から少し離れて寝そべっていた魔物がムクリと起き上がり、ガゥ、と吠えた。行くぞと言ったようだった。
「え? どこに行くんですか?」
ファウリが作業の手を止めて魔物の方へ近づくと、魔物はまたファウリを案内するように歩き出し、少し進むと振り返る。
ファウリは魔物に案内されるまま、後に続いた。
シャボン玉のような膜を超え、立ち枯れた黒い森を抜け、見慣れた村近くの森に出る。
村まで送ってくれたらしい。
「あの小屋には住んじゃ駄目、って事でしょうか……」
魔物に問いかけると、魔物はガゥ、と威嚇をするように吠えて、森の中に消えていった。
***
「はぁっ!? お前馬鹿じゃないの?! 何考えてるの!? 死にたいの!?」
「だって案内してくれたんです! 襲われてもいません死んでません!」
「だってじゃねんだよ、襲われて死んだやつも襲われるって思って襲われてるんじゃねーわ、死にたくて死んでんじゃねんだよ! 森行くなつってんだろ!?」
「私は野暮らしがしたくてリコの村に来たんです、絶対野暮らしするんです!」
「何でリコでやるんだよ!? 王都の傍なら比較的安全だつったろ! この辺は危険だつってんだよ聞けよ人の話を!」
「聞いてるけど従うなんて言ってません、私はリコの村が良いんです!」
「冗談じゃねぇ、言うこと聞けないなら明日にでも村から出ていけこののほほん娘!」
「まだ出ていきませんっ! お婆さんはずっと居て良いって言ってくれましたっ!」
「あーもー喧しいねあんたたちゃ! 食事中だよ静かにおし!」
リッツの祖母に怒鳴られ、ファウリもリッツも口を噤む。
村に戻ったファウリは、リッツの祖母に今日あったことを話そうとリッツの家を訪ねた。
丁度リッツも街から戻ったところだからと、夕飯に誘って貰ったのだが、うっかりリッツの前で森に行ったこと、魔物にあったことを話してしまった。
結果またしても怒鳴り合いに発展。
リッツの祖母に怒られて、しゅんっと小さくなるファウリに、リッツの祖母は諭すように、静かに話して聞かせる。
「ファウリ。リッツはあんたを心配してるんだ。リッツが十歳になるころさ。母親が病気になってね。息子――リッツの父親はねぇ、その薬草を採る為に森に入ったのさ。皆が止めるのも聞かずにね。そのまま戻ってこなかった。村の男たちが総出でね、リッツの父親を捜しに向かって、そのほとんどが魔物に襲われて命を落としたんだよ。あたしもリッツも随分と村の連中に責められたもんさ。お前の息子が森に入ったせいだ、うちの亭主を返してくれってね。母親もその後病気で亡くなった」
リッツの祖母の話に、ファウリは言葉を失った。
リッツは不機嫌そうにそっぽを向いてスープをスプーンでかき回している。
「――ごめんなさい」
「……親父の事は関係ない。でも、森は本当に危ないんだ」
「リッツ。お前がこの子を心配する気持ちは分かる。けどね、お前とこの子は他人なんだよ。この子のすることにお前が口を挟むんじゃない」
祖母に咎められ、リッツは口を尖らせた。
何か言いたげに口を開いたが、言葉を飲み込み、ぎゅっと口を閉じる。
「ファウリ。リッツはあんたを止めたんだ。それでも行きたきゃ勝手におし。あんたが森に行くのはあんたの自由さ。誰にも止める権利なんざ、ありゃしない。その代わり、あんたが森で魔物に襲われても、誰も助けに来ちゃくれないよ。危険を承知で踏み込むんだ。自業自得ってもんさ」
厳しい言葉だが、当然だ。これはファウリが自分の我儘を通しているだけなのだから。
ファウリは真剣な表情でリッツの祖母の目を真っすぐに見つめて、しっかりと頷いた。
「はい」
「リッツ、お前もだよ。この子が戻って来なくても、迎えに行くのは許さないからね」
「だけどばあちゃん!」
「分かったね?」
「……分かった」
「さぁ、お説教はおしまいだ。それで? ファウリ。詳しく聞かせておくれ」
ぱっと声色を変え、明るく楽しそうに訪ねてくるリッツの祖母に、ファウリはふわりと頬を緩ませて、今日あったことを話して聞かせた。
ご閲覧・ブクマ・いいね、評価、有難うございます!
今日は夜にもう一本、投稿する予定です。