31,瘴気の森
夜になっても、ファウリの頭からは、魔女の家のことが離れなかった。
魔女の居た森は、既に瘴気にのまれ、とても危険だという。
なんの力も持たないファウリが行っていい場所ではなかった。
リッツのいう通り、あっという間に魔物に襲われ食われてしまうだろう。
それに、老婆の話では、魔女の家には辿り着けなくなったという。
慣れ親しんで良く通っていた者でさえ辿り着けないのだ。
ファウリが行ったところで、辿り着けるとは思えなかった。
それに、正直魔物は怖い。
いくらファウリが呑気でも、そのくらいの危機感はある。
だけど。
行ってみたい。
行くのは危険。
迷惑が掛かる。
それでも、見てみたい。
ぐだぐだと悩みながら、その日は中々寝付けなかった。
***
翌朝も、早めに目が覚めて、作った籠を手に森へ向かう。
小さな果実を採ったり、生活に必要になりそうなものを探して回る。
頭の中には、ずっと魔女の家のことがこびり付いていた。
魔女の家は、どっちにあったのだろう。
子供が遊びに行くくらいだ。それほど遠くはないのだろう。
ファウリが歩き回っている場所は、村の周辺だ。
五分程度で村に戻れる距離。
獣の気配は時々感じるが、殺気のようなものは感じない。
――殺気自体、感じ取れるかは微妙なのだが。
この日もファウリは果実を摘みながら、少しずつ、森の奥へと入っていった。
昨日よりも、更に深く、足を進める。
森は相変わらず、小鳥が囀り、小さな花が風に揺れ、木漏れ日がキラキラと綺麗だ。
時折美しい色の蝶がヒラヒラと舞っている。
危険な感じは、全くない。
まだ、大丈夫。もう少し、大丈夫。
自分に言い訳をしながら進む。
ファウリはまだ、瘴気を知らない。
近くに行けば分かるだろうか。
瘴気を感じたら、すぐに戻ろう。
そんなことを、考えていた時だった。
ふと視線の先を何かが過る。
獣のようだった。
長い尾を棚引かせた、影のような獣。
盗賊から守ってくれた、あの狼に似ていたような気がする。
じっと視線を凝らしていると、また木々の間を横切った。
それはまるで、ファウリを誘っているかのようだ。
ファウリはごく、と喉を鳴らすと、ゆっくりと影の横切った方へ歩を進めた。
するとまた少し先で影が動く。
ファウリは誘われるままに、影の後を追いかけた。
***
影を追いかけていくと、森の木の幹が黒ずんでいることに気が付いた。
上を見上げれば、木々の葉も、青々とした緑から、灰色がかった黒い葉に変わっている。
夢中で影を追っていて気づかなかった。
少し薄暗くなってきたと思ったが、黒く変色した森のせいのようだ。
――これは……瘴気?
匂いも特に変化はなく、息苦しいだの、体調が悪くなるだのもない。
ファウリが無能だから、分からないだけなのか。それとも鈍いからなのか。
これ以上、先に進むのは危険では。今ならまだ、戻れる。
ファウリが思わず足を止めると、離れた木々の間から、フっと現れては消えていた影が、ゆっくりと姿を見せた。
影をそのまま形にしたような獣だった。
狼に似ているが、その姿は禍々しい。
狼よりも二回り程大きな体。大きく瘤のように盛り上がった背、ばさばさとした体毛は波打つように揺れ、足は大きく鋭い爪が見てとれる。
真っ白い目に、開いた口の中は血のように赤く鋭い牙が長く伸びている。
魔物。
初めて見るが、その異形は、獣のそれとは大分違う。
きっとこれが魔物なのだろう。
だが、じっとこちらを見ている姿から、恐ろしさは感じなかった。
ファウリが足を進めると、魔物はまた踵を返し、ファウリがついてきていることを確認するかのように振り返る。
ファウリは意を決して、魔物の後をまた追い始めた。
***
視線を感じる。
あちらからも、こちらからも。
時折聞こえる、低い唸るような声。
くぐもったような荒い息遣い。
遠巻きに眺めるだけで、襲って来る気配はない。離れていく様子もない。
あたりの木々は段々と枝から葉が消え、ぐねぐねと曲がりくねり、やがて不気味に捻じれて、立ち枯れていく。
足元からは草が消え、荒れた地面がむき出しになった。
以前は川だったのだろう。
真っ黒な岩棚の上を、濁って淀んだヘドロのような水が、ドロリと流れていた。
『森の奥にある川で良く遊んだものさ』
老婆の言葉が脳裏をよぎる。
ここが、その美しかった森なのだろうか。
まるで、森が死んでしまったかのよう。
小鳥の囀りも、もう聞こえない。
どこまで行くのだろう――
恐怖。不安。後悔。
胸の奥がぎゅっとなる。
数メートル先を歩いていた魔物の姿が、突然ふっと消えた。
「ッ!?」
ファウリは焦って魔物の消えた方へと走った。
いきなりこんなところで放置されるのは怖すぎる。
どこ? どこへいったの? おいて行かないで――
魔物が消えたあたりを駆け抜けた時だった。
パチン、とシャボン玉が割れたような、目が覚めたような感覚にファウリは息を呑んだ。
次の瞬間、ファウリの目の前には、色鮮やかな、目の覚めるような美しい森が広がっていた。
ご閲覧・ブクマ・いいね、評価、有難うございます!
お気づきかと思いますが、やっとこタイトルの『黒の森』の登場です。
ふぅ。やっとここにたどり着いた……。
次は明日。お昼までには更新したいところ!
頑張りますー!




