22,いつか、必ず
『楽しんではいけませんか?』
澄んだ声で、小柄だが圧倒的な存在感を醸し出す聖女――否、元聖女がそう言った時、ハーツは『面倒そうな娘だ』と思っていた。屁理屈をこね、ああいえばこういう。
落ち着いた声で、口元に笑みを浮かべ、有無を言わせない口調は、気位の高い、貴族の令嬢のようだった。
平民でありながら、王家に匹敵する権力を持つ少女。
世間知らずで、世の中の厳しさを知らない少女。
夢見る乙女は結構だが、罪人として送られる以上、贅沢はできない。
すぐに現実を知り、騒ぎ出すだろう。そう、思っていた。
同時に、哀れにも思った。
ずっと神殿の奥に秘匿されていたという。
自分の努力でどうにかできることを怠ったのならともかく、本人の意思を無視して起こってしまうことを責められても、どうすることもできない。
理不尽だというのも、ご尤もだと思った。
だからといって、一介の騎士に過ぎないハーツにはどうすることもできないことなのだが。
迎えに行った神官が、部屋にいないと慌てるのを見て、『姑息な女』なのだと思った。
土壇場で逃走をはかる罪人は少なくない。どうせすぐに見つかるのにと、侮蔑の念を抱いた。
だというのに。
迎えの馬車の前に現れた彼女は、水を貰って来たのだと、拍子抜けすることを口にした。
王宮での凛とした佇まいが嘘のように、平民の服に身を包み、質素な鞄をぶら下げて、ただニコニコと無垢な笑みを浮かべていて、あまりにも罪人らしくない、素朴な村娘のようだった。
馬車にのれば、道行く人を見ては目を輝かせ、物売りの子供を見ては『可愛い』と蕩けるような笑みを浮かべる。
ハーツの知る罪人と、ファウリはあまりにもかけ離れていた。
関わるまいと思っていたのに、あまりにも無邪気に喜ぶから、そっけない態度を取りづらくなった。
無礼だと怒るどころか、質素な食事に目を輝かせ、率先して泥だらけになって薪を集め、擦り傷ができようが、手にマメができようが、誇らしげに笑う。
無邪気で純粋で頑固で危なっかしくて、つい、放っておけなくなってしまった。
絆されてしまった。
騎士としてあるまじきことだと分かっている。
だが。
一緒に過ごす時間が、楽しいと思うようになったのは、いつからだろう。
惹かれている、そう気づいたのはいつからだろう。
離れたくない、そう思うほどに、大きな存在になってしまった。
たった、六日。
ほんの数日、旅をしただけだ。
護送の任は、初めてじゃない。なのに。
このまま、隣国に渡ってしまおうか。
そんな考えさえ浮かぶ自分を抑え込み、ハーツははしゃぐファウリを見つめていた。
***
ずっと、一人だった。
広く豪華な聖女宮。
でも、心の中はいつだって空っぽだった。
女神様を責めたこともある。何故、水晶を光らせたのですか。
助けを求められても、何もできないのに。
傷を治すことも、雨を降らせることも、魔物を消すことも、作物を実らせることも、何もできない出来損ない。女神の水晶さえ光らなければ、平凡な平民として生きられたはずなのにと。
最初はできない自分を責めた。やがて、諦めた。
どんなに祈っても、どんなに願っても、どんなに泣いても、できないものはできないのだと、嫌でも気づかされた。
リュクシェ=ペレに思い入れなどない。
神殿にも、聖女宮にも、思い入れはない。
思い入れられるほど、感情も動かなかった。
ただ、書庫に並ぶ本だけが、ファウリの秘密の友達だった。物語の主人公に話しかけ、笑ったり泣いたりすることで、ファウリは自分を失わずにいられた。
だから、ティアナグ=ノールに行くことは、楽しみでしかなかったのだ。
やっと出られる、自由になれる。それだけに夢を馳せて。
でも、神殿の護衛騎士も、食堂の料理人も、掃除婦の少女も、ファウリが知らなかっただけで、暖かくて、優しい人達だった。
初めて他人対して、『好意』という感情を抱いた。
そして、ハーツと旅をして――。
大きな思い入れが、出来てしまった。
離れたくない。別れたくない。このままずっと、一緒にいたい。
二人でずっと、野暮らしが出来たら、どんなにか幸せだろう。
だけど、それはできないことだから。
馬鹿なファウリにも、そのくらいは、わかる。
ハーツは貴族だ。王宮に仕える騎士だ。忠誠は国王陛下に捧げている。
ファウリの我儘で、ハーツや、ハーツの家族に迷惑なんてかけられない。
かけられるわけがない。それでも、願わずにはいられない。
お願い、まだ、着かないで。
あと少し。もう少し、一緒に居させて――。
けれど。馬車は、無常にガタゴトと進む。
荒れた道が舗装された石畳になり、街道に長い列ができはじめ、国境を示す大きな城壁が目前に迫り、そうして。
馬の嘶き一つ、馬車がゆっくりと、止まる。
馬車の扉が開けられて、御者が目じりを下げた。
「到着しやしたよ。お嬢さん」
***
入国の手続きを終え、ずっと、お揃いのように身に着けていた、魔道具が外される。
カチリと小さな音と共に、腕からするりと外された魔道具が、『終わりの時』を告げていた。
「おじさん。ハーツさん。お世話になりました」
ファウリは笑って頭を下げた。
――泣くな。笑え。
夢にまで見た野暮らしの第一歩なのだ。
ここからは、一人で生きていく。
あれほど憧れたことじゃないか。
「へぃ、お嬢さんもお達者で」
御者は帽子を取って頭を下げると、ヒョコヒョコと馬車へ戻っていった。
「ハーツさん、色々、有難うございました。とっても楽しい旅、でした。火のつけ方も、私もう一人でできます。ナイフだって、使えます。お魚の餌も……苦手ですが、頑張ります。まだまだ、出来損ないの、私……だけど、ちゃんと、……ちゃんとっ、ひと……一人で――」
「ファウリ様」
ふわり、と大きな手が、ファウリの頭を撫でた。
それから、親指でファウリの頬を拭う。
ぱたぱたとファウリの瞳から溢れた雫が、地面に零れ落ちていく。
なんで。どうして、笑えないの――
「俺も、楽しかったです」
覗き込んだハーツの目にも、涙が浮かんでいた。
「……ひ、ぐ……」
「あなたと過ごした日々、とても楽しかった」
「ん、っく、……ハーツ、さ……」
こらえきれずに、ぽすんとハーツの胸に額を預ける。
ハーツもそっと抱きしめてくれた。
「――大丈夫。あなたなら、なれますよ」
「ハーツ、さん、私……私――」
離れたくない。そう言いそうになったファウリの言葉を、ハーツが遮る。
「大丈夫。きっとなれます。ティアナグ=ノールの『野暮らし聖女』に」
「ぅ、っふ……、ぅぇぇ……ん……」
ボロボロと泣きじゃくるファウリに、あやすように、諭すように、ハーツは優しく語りかけた。何度も何度も、頭を優しく撫でながら。
「――いつか、必ず会いに行きます。だから、それまでお元気で――」
***
国境を隔てる大きな門を境に、ハーツが馬車の御者台へと駆け上がり、馬車の上から顔を覗かせる。
ティアナグ=ノールの騎士へと引き渡されたファウリは、左右を騎士に挟まれながら、大きく手を振った。まだ頬は涙のあとが消えないけれど、精一杯の笑顔で。
ハーツも大きく手を振る。ガタンと馬車が揺れ、走り出した。
「またね――、ファウリさ――ん!」
お道化るように叫ぶハーツに、ファウリも叫び返す。
「約束、ですからね――! 待っています、ハーツさ――ん!! また、ね――、ハーツさぁぁんっ!」
馬車が森の向こうに見えなくなるまで、ファウリはずっと手を振って見送っていた。
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っは~~、何とか到着!
ちょっと長くなってしまいました;
やっとこ舞台はティアナグ=ノールに移ります。
ちょっと体調不良の為、次は早ければ今日の夜、ダウンしてたら、復帰まで少々お待ちください;




