18,狼の群れ
「おい……!」
「っち……、まずいぞ」
馬車を蹴り飛ばしていた盗賊から、そんな声が漏れる。
不意に馬車の外の空気が変わった。
ガンガンと響いていた、馬車を蹴る音が止まる。
怒声がやみ、シン、っと急に静かになる。
――なに……?
そろ、と耳をふさいでいたファウリが手を解くと
ウォォ――――――――ォゥ……
これは、遠吠え?
そう思った、次の瞬間だった。
「うわあぁぁぁあぁッ!!」
「ひッ…来るな!! 来るなあぁぁッ!!」
「ぎゃぁぁぁッ!!」
次々に上がる悲鳴。
獰猛な獣の唸り声。
怯えたような馬の嘶き。
「どういうことだ……?」
驚いたようなハーツの声。扉のすぐ向こうから聞こえてくる。
――良かった、無事だった。
「だ、旦那、こいつぁいったい……」
御者の声も聞こえてくる。ファウリはほっと安堵の息をついた。
「引け!! 引け――ッ!!」
「畜生!! 覚えていやがれ!!」
獣の唸りに混じり、無骨な男の怒声が被る。
馬の嘶きと蹄の音が遠ざかっていく。獣の声も、聞こえなくなった。
どうなったの?
終わったの?
助かったの?
声も出せずに扉を凝視していると、コンコンコン、と馬車の扉がノックされた。
「ファウリ様。俺です」
「は、ハーツさん……っ!」
腰が抜けたらしく、そのままじたばたと扉に縋り付き、閂を取り払った。
ギィ、と馬車の扉が開く。
あちらこちらに血を滲ませたハーツが、心配そうにこちらを見つめていた。
「大丈夫ですか? ファウリさ――」
「ハーツさぁぁんッ!!」
無事な姿を見たら、一気に感情が爆発した。
瞳の奥が熱くなり、ぶわっと涙があふれだす。
そのまま夢中でハーツに飛びついた。
「ハーツさん、ハーツさん、ハーツさん、良かった無事だった!! 怪我は!?」
「俺は大丈夫です。ファウリ様こそ、お怪我は? 怖かったでしょう」
飛びついてわんわん泣くファウリをしっかりと受け止めて、ハーツは優しくあやすように背を撫でた。
「ハーツさん、盗賊は……?」
「それが……」
ぐずぐずと泣きながら顔を上げたファウリに、ハーツは少し困惑気味に後ろを振り返った。
ファウリもハーツの背越しに向こう側を覗き込む。
――そこには、狼の群れが居た。
十数頭にも及ぶ狼の群れは、ひと際大きな灰色の毛並みを持つ狼を先頭に、馬車から一定の距離を保ち、静かにじっとこちらを見つめている。ふさり、と先頭の大きな狼の尾が揺れた。
「――……」
ファウリは震える足を叱咤して、半ば縋り付くようにハーツにしがみ付いてから、自分の足で立ち上がった。
ファウリが何をしようとしているのか、察したのだろう。
ハーツがファウリの背に手を添えて、馬車から下ろしてくれる。
ファウリはそっとハーツから手を解き、ゆっくり狼に近づいて行った。
ハーツも御者も、止める素振りは見せない。静かにファウリを見守っている。
かなり大きな狼だった。片耳は噛みちぎられたように、先が短くなっている。
狼の口元は血濡れているし、少し開いた口元からは、鋭い牙が覗いている。
透き通ったブルーグレイの瞳は、冷たく見えるのに、恐ろしさを感じない。
獰猛といわれる狼の群れを前に、ファウリの心は凪いでいた。
ファウリは、狼から一歩分、距離を開けてそっと地面に膝をつく。
「――助けて下さったんですか?」
狼は、返事の代わりのように、ふさりと尻尾を揺らした。
そっとファウリが手を差し出すと、狼はふんふんと鼻を鳴らし、差し出された手の匂いを嗅いで、その手にふわふわの頬をこすり付けた。
数頭、後ろにいた狼が、真似るように近づいてきて、クォン、と甘えた声で鳴き、ぷりぷりと尻尾を振って、ファウリに頭を寄せてくる。ころりとひっくり返り、腹を見せている狼もいる。
まるで大きな甘えん坊の犬のようだ。
ファウリはじゃれつくように近づいてきた狼の頭を、一頭一頭撫でては、ありがとうとお礼を言った。
自分を構えというように、ぐぃっと頭を寄せてきた群れのリーダーらしい狼の首に抱きつく。
ふわりと森の匂いがした。
「有難うございます。お陰で助かりました。ハーツさんも御者さんも無事です。狼さんたちのお陰です」
ファウリがふかふかの毛に顔を埋め、小さな声で礼を言うと、狼は、ペロリとファウリの頬を舐め、くるりと群れへ視線を向けた。
ウォォォォ――――ゥ
リーダーの遠吠えに応じるように、群れの狼が高く澄んだ声で遠吠えをする。
狼と、目が合う。もう行くよ。そう言っている気がした。
ファウリが狼から手を解くと、狼は片足を少し上げ名残惜しむようにファウリを見つめてから、ふぁさりと尻尾を揺らし、風のように茂みを飛び越え、森の奥へと駆けていく。
狼の群れも、次々と遠吠えを上げ、リーダーの狼に続き、森の奥へと消えていった。
「旦那、こいつぁ……」
「今日見たことは誰にもいうなよ。あの方はもう、聖女じゃない。国王陛下がお決めになったことだからな」
「へぃ」
ハーツの推測は、確信に変わった。
これが聖女でなく、なんだというのだ。
傷を癒すことが出来なくても、荒れ地に緑を蘇らせることが出来なくても。
あの方は、間違いなく聖女だ。
ファウリは、狼が見えなくなっても、じっとその場に座り込んで、狼の消えた森を見つめていた。
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うん、駄目でしたっ><;
後ちょっとは後ちょっとなんですが…っ。
もうちょっとだけ、お付き合い下さい;
今日はもう一本、夜の8時くらい、投稿予定です!