沢の呪縛音
これは私が大学生3年の夏休み、北アルプスエリアのある山に登ったときに体験した不思議なお話です。
高校のときから山が好きだった私は、夏になるとたいてい一人で簡易テントと寝袋をかついで、比較的、登りやすい山に出かけていました。
その山へは二日間の日程で計画していました。登りに6時間かかる山でしたので、一日目に登頂し、山頂付近のキャンプ場で一泊、二日目に下山する予定でした。
一日目の登りは順調でした。夜には満天の星空を見ましたし、二日目の早朝、澄んだ空気の中で入れたコーヒーは格別の美味しさでした。私はとても満足した心持で山頂を後にしました。
登山口付近の駐車場に車を止めていたので、同じ場所に戻らなければなりませんが、登りとまったく同じルートを通るのも面白くありません。私は、地図上に細い線で描かれたマイナールートの方を通ることにした。これが悲劇のはじまりでした。
2時間ほど歩くとマイナールートへの分岐点へ来ました。稜線上を歩くメジャールートからやや下る方向となります。マイナールートというだけあって、道幅が狭く、人の歩いた痕跡も見当たりませんでした。道にはみ出してきた草をかき分けながら進みました。私は少し後悔していましたが、一定間隔で、ピンクのリボンが木の枝に結ばれていたので、それを頼りに進めば問題ないと思っていました。
マイナールートを30分ほど歩いた頃でしょうか、ピンクのリボンをしばらく見ていないことに気付きました。すでに深い森の中、周りを見ても方向をつかめません。もともと曖昧だった登山道も消えていて、引き返そうにも自分が来た道がわかりませんでした。
私は焦りました。そのせいか、山を下る方向へ進んでしまうという過ちも犯しました。遭難した山で下る方向へ進むのはタブーなのです。
私は滑落しました。幸い、怪我を免れましたが、すでに簡単に戻れないところまで落ちてしまったことを悟りました。さらに悪いことに、霧が立ち込め、さらに見通しが悪くなりました。不安で気が狂いそうになる中、私は必至で助かる方法を考えました。
そのときでした。一定間隔で聞こえるウグイスの声に混ざって、人工的な音を私の耳がとらえました。私は耳をすましました。おそらく、ラジオの音です。微かですが、確かに聞こえます。
私の心に安堵感が広がりました。私は直感に従って、ラジオの音の方へ向かって、草をかき分けながら歩きました。ラジオの音は次第に大きくなりました。視界を塞いでいた草木も疎らになっていきます。先の方に開けた場所があるようです。
そこはキャンプ場でした。
相変わらず濃い霧に包まれて全容はわかりませんでしたが、色とりどりのテントが間隔をあけて、霧の中に浮かび上がっていました。
目の前の黄色いテントの前に紺色の登山帽をかぶった老人が座っていました。そのわきに置いてあるラジオが、音の発生源でした。
私は老人に話しかけました。
「すみません、道に迷ってしまって・・・ここはどこでしょうか?」
下を向いて本を読んでいた老人は、顔を上げずに答えました。
「○○村キャンプ場じゃよ。」
地名を聞いて安心した私は空腹を感じました。腰を下ろして持参していた板チョコを食べました。ちょうど食べ終わったときでした。霧に包まれたテントの方から女の子が近づいてきました。小学生ぐらいのおかっぱ頭の女の子でした。
「ねぇ、お兄ちゃん、向こうで遊ぼうよ。」
女の子はそう言うと、今自分が来たテントの方向を指さしました。急に話しかけられて、私は少し驚きましたが、断る理由もありませんので、立ち上がりました。そのときです。
「余計なことをするでない!」
老人が怒鳴りました。私に向けた言葉なのか、女の子に向けた言葉なのか、わかりませんでしたが、女の子は不満そうな顔をすると、霧の中へ走り去ってしまいました。
老人は私に言いました。
「麓までは遠い。日が沈む前にたどり着けんじゃろう。今晩はここで過ごすといい。」
暗いのは霧のせいかと思っていましたが、時計を見ればもう午後4時を回っていました。私は、老人のテントの隣に自分のテントを張り、中に入って横になりました。
水の流れる音が聞こえました。きっと近くに沢があるのでしょう。
老人のラジオの音も聞こえました。改めて聞いてみますと、女性のアナウンサーがニュースを伝えているようでした。
「・・・昨晩上陸した台風のピークが過ぎ去り、本日の長野県内は青空に包まれました。夏休み最後の日曜日ということもあって、各地のレジャー施設に多くの家族づれが訪れ、賑わいを見せているようです。なお、地盤が緩んでいる地域がありますので、河川や山間部にお出かけになる際は十分にご注意ください・・・」
何のことでしょうか? 私は少し気になりましたが、心身ともに疲れていたせいか、すぐに眠ってしまいました。
翌朝、目を覚まし、私はテントの外に出ました。太陽はすでに上っており、霧はすっかり晴れているようでした。私は目を疑いました。
目の前に湖が広がっていました。大きさから言えば、池と呼んだほうが近いかもしれません。水は濁っていて中央部はそれなりの深さがありそうでした。私はその池の畔にたった一人でテントを張って寝ていたのです。静寂の中、ときどき知らない鳥の声が響きました。ラジオの音も沢の水の音も聞こえません。
私は池から延びる遊歩道を見つけました。そこを進むと車道に出ましたので、道に沿って下りて行きました。昼近くに麓の村までたどり着き、地元の人に道を尋ねながら、登山道近くの駐車場まで戻ることができました。
道を尋ねた一人にある民宿の女将さんがいました。小柄な中年女性でした。私が○○村キャンプ場から来たことを伝えますと、女将さんは怪訝な顔で私を見ました。お茶でも飲んでいかないかと、私は応接間に案内されました。
「○○村キャンプ場? 何かの間違いじゃないの。あれは15年ぐらい前かしら。沢沿いにその名前のキャンプ場があったんだけどね、台風の後の鉄砲水と土石流で流されちゃったの。そこにいた数十人がみんな飲み込まれちゃってね。その中には幼い子供も含まれていたんだって。痛ましい事故だったわね。
今、そのキャンプ場のあった場所は池になっているはずよ。流されてきた土砂が溜まって池ができたのね。その池もしばらくは釣り人なんかで賑わってたんだけどね、人が溺れる事故が続いて、みんな近寄らなくなっちゃったの。」
おかみさんは床の間に飾られた写真を見つめていた。紺色の帽子をかぶった老人が映っていた。
「実はね、私の父がそのキャンプ場の管理人だったの。私も何度かキャンプ場に連れて行ってもらったけど、よくラジオを聴きながら本を読んでいたのを覚えてるわ。父はその水害のときたまたま村に買い出しに行っていて、助かったんだけどね、どうしてあのとき、キャンプ場を閉鎖しなかったのかって、責任を感じてずいぶん苦しんでた。その3年後に池の畔で首を吊っちゃったの。」
私は思いついたことがあって尋ねました。
「そのあと、人が池で溺れる事故はなくなったのですか?」
「え? そうね、そうかもね。もっとも、気味悪くてあそこに近寄る人も少なくなっていたけどね。」
私は応接間を出るときに床の間の写真をもう一度見ました。そして軽く頭を下げました。
その不思議な体験から7年たちますが、私は相変わらず、山歩きを続けています。