知らないという事は……
「おや、久しぶりですね」
ワシは妻の専属薬師を見かけたので声を掛けた。妻が穏やかに眠るように息を引き取り、彼の娘とワシの息子が婚約を解消してからも10年の歳月が経っていた。彼の娘とワシの息子は互いに思い合っていたのだが、彼の娘は子が生せない身体だと言うので、断腸の思いで婚約を解消した。
ワシの家は貴族。跡継ぎ無くても構わない、という訳にはいかなかった。それに息子は彼の娘を嫌ったからワシも気兼ねなく婚約を解消出来た。彼の娘が態と息子に嫌われる振る舞いをしていたのは知っていたが、それには見て見ぬフリをした。彼の娘から口止めされていたし、彼の娘の紹介で息子と付き合うようになった令嬢は、正直なところ、彼の娘との婚約よりも、こちらに利益が有ったので、彼の娘が言っていたから、とそれを免罪符にしていた。
多分、それに多少は罪悪感を覚えていたのだろう。
だから久しぶりに見かけた彼に声を掛けた。
「……ああ、貴方ですか」
専属薬師だった男は、随分と疲れているように見えた。まるで生気のない顔付きと目。薬師なのに……と思っていると、彼がワシをジッと見ている事に気付いた。
「……何か?」
「此処で会ったのも何かのご縁です。頼まれてくれないでしょうか」
だいぶ会っていなかったし、一瞬断ろうか、とも思ったが、亡き妻があれだけ穏やかに息を引き取れたのは目の前の男のお陰。妻は正直なところ、この薬師の薬が無かったら死期を数年に延ばせなかっただろうし、あれだけ穏やかに息を引き取れなかっただろう事は、医者から言われていた。
医者曰く「助からない。ですが、延命の薬を出せる薬師は紹介しましょう」という事で紹介されたのが、この男だった。その腕は確かで痛みで苦しむ妻が彼の薬で楽になっていたのだから。その恩は返したい、とワシは彼に「聞きましょう」と頷いた。
彼に着いて来て欲しい、と促されて着いて行った場所は墓地。何でこんなところ……と思いつつ黙っていると、墓石が2つ並ぶそこで足を止めた。
「私はもうすぐ死にます。その後、此処へ私の骨を埋めて欲しいのです」
「えっ……」
とんでもないお願いで、ワシは了承も拒否も出来ず絶句する。そんなワシに何を思ったのか、彼は淡々と言葉を紡ぐ。
「ああ、葬式費用や葬式そのもの、遺体の火葬などは、ご存知のように国がやってくれますから。墓への埋葬も国がやってくれるのですが、そうするとこの墓とは別で国がまとめて一つにしてしまうので。この辺はさすがにご存知無いでしょうけどね。薬師として、ではなくて、1人の人間として、妻子の隣で永眠したいもので」
「妻子……?」
「ええ。この国の薬師の末路はご存知でしょう? 数年に一度行われる合同慰霊祭にて、我等薬師とその家族は国を挙げて鎮魂される」
そういえば、そんなのが有ったな……程度だ。一応貴族の義務で出席はしているが、正直他人の慰霊としか思っていない。それにしても。
「妻子、と仰ったが、貴方には……その、息子と婚約していた娘さん以外に?」
「ああ……そういえば、話していませんでしたか。ご存知のように、薬師や家族は、その薬の効き目を確かめるために、自らが効能を体験します。同じ病を患い、効き目がある薬がどれだけ効き目が有るのか、などを確認するために。私も私の両親が薬師でしたからね。薬の効き目を確認するために、この身体を差し出して来ました。生き残れたのは偶然でしょうね。どんな病を患うか、試す薬が効くのか、分かりませんから。兄弟は薬が効かず病で命を落とす……というのは、どの薬師も経験済みですよ」
「では、まさか、この、墓石は」
「ええ。妻と……貴方の息子さんと婚約していた娘です。覚悟をしていたとはいえ、娘に先に逝かれると辛いものが有りましたね。貴方の息子さんと婚約を解消してから数年後のことでした。残念ながら、子どもは娘1人だったので。娘亡き後は、私自身で試していましたが、とにかく様々な病にわざと罹り。そして効き目が有るのかどうか分からない薬を摂取するという繰り返しで、この身体もあまり長く保たないんですよ」
ワシは、あの子がもうこの世に居ない事が信じられなかった。
かつて息子が本当に好きだった娘。
ワシも嫌いでは無かった。
ただ、子が産めない身体だと聞いたから。
そしてそれを息子に知られたくないから、わざと息子に嫌われる態度を取っていた子。
息子のために新しい婚約者まで見つけてくれた娘。
その子が、死んだーー?
何故、彼は淡々としている?
娘が亡くなったのに。
それが、薬師、だから? 薬師の運命だから?
ああ、そうだ。慰霊祭ではそのように国王陛下がお言葉を述べられていたではないか。
「国に貢献した薬師とその家族のために」
ーーと。その貢献が、薬の効能を調べるための犠牲だと、何故ワシは知らんかった。気づかんかった……。
笑顔で、息子を元気付けてくれていたあの子は、もうこの世に居ないなんて……
「身体が保たない、とは……」
「いつ死ぬか、ですか? 今日かもしれない、明日かもしれない。分かりません。火葬までは国がしてくれます。骨の埋葬だけ、妻子と共に眠りたいのでお願いします。知人も友人も薬師に関係する人しか居ないので、中々頼める人がいなかったもので、妻子と別々に永眠する事になるか、と思ってました。国も、さすがにあちこちにある墓地の一つ一つを探して妻子の墓を見つけてくれる事は無いのでね。そこまで手間隙掛けてはもらえないので、頼める知人や友人が居れば、骨の埋葬だけを頼む薬師が多いんです。引き受けてもらえますか」
こんな話を聞かされて断れる程、ワシは非道な人間じゃない。
息子の婚約者としては、彼の娘より今の嫁の方が我が家にとって都合良かった、と思ったのも確かだ。
だが、あの子が死んでいる……と知って、それでも今の嫁の方が良かったなどと平然と言えるわけでもない。
「引き受けましょう」
「ありがとうございます」
ワシは少しだけ考えてから、頷いた。彼は安堵したように頭を下げた。
「向こうで娘に土産話が出来ましたよ。あの子は死ぬ間際まで貴方の息子さんの幸せを願っていたのでね。貴方が私の骨を埋めてくれた、と言えば、喜んでくれるでしょう。親として殆ど何もしてあげられなかった事が悔やまれましたが」
「息子を死ぬ間際まで、案じていた、と?」
「ええ。元々、貴方の息子さんとの婚約を断っていたのは、娘がいつ死んでもおかしくなかったからでした。薬師の子ですからね。引き受けたのは。息子さんが娘と共に居て笑顔になれた事と同時に、娘も息子さんと一緒にいて笑えていたからです。娘は、貴方の息子さんのために、自分以外の女性を紹介した事すら、誇りに思ってました。自分では彼を幸せにしてあげられないから、良かった、と」
ワシは……
ワシは、あの子のそんな気持ちすら知らず、息子の嫁がこの目の前に居る薬師の娘じゃなくて、今の嫁である事を喜んでいたのに。
あの子は、息子のために、献身的だった……
ワシはなんて愚かなのだろう。
あの子が子を産めないからって、あの子が嫁じゃなくて良かった、と喜ぶワシは愚かで……非道じゃないだろうか。
だが、もうあの子は居ない。あの子に謝る事も礼を言う事も出来ない。
息子にも話せない。ワシが1人で知らなかった事の罪を抱え続けなくてはならない。だが、それを辛いなんて思う事も許されない。
ワシは……
ワシは、愚か者、だ。
せめて、この目の前に居る薬師の骨を埋葬するくらいは……ワシがあの子に出来る事なのだろう。
「あの子に礼を言って下さるか」
「ええ」
「貴方の骨はきちんと此処に埋葬しましょう」
「ありがとうございます。では国の方に届け出ておきますから、よろしくお願いします」
彼は本当に安堵したように頭を下げて……
そして。
それが生きている彼を見た最後だった。
彼との思わぬ再会から1ヶ月も経たないうちに国から彼の死を聞き、その骨を引き取って、ワシはかの地へ薬師の骨を埋めた。
知らないという事の重さを、ワシはこれから死ぬまで抱えて生きていく。
お読み頂きまして、ありがとうございました。