流れ星は売ると高い。
「光。美月おばさんとこに、お使いできる?」
「えーっ」
リビングでゲームをしていた光は、顔を顰めてテレビ画面から視線をお母さんに移しました。お母さんは、厳しい顔で続けます。
「『えーっ』じゃありません! 美月おばさんちはすぐ近くでしょ。なんならお泊まりしたっていいのよ。美月おばさんはいい人なんだから」
「そ、それは嫌だっ。僕、行くから!」
光は慌てて叫び、お母さんの手から紙袋をひったくりました。何やら甘い匂いがします。
「ねえ、何が入ってるの?」
「え? ああ、クッキーよ。作りすぎちゃって、だからお裾分け」
光は、(ちぇっ)と思いました。光のお母さんの作るクッキーは、絶品です。それだけに光は、そのクッキーを独り占めしたいと考えていました。たとえ大切な妹相手でも、です。しかし光は、クッキーだけでなく、あらゆるお菓子も、おもちゃも、妹の星羅に分け与えようとは思いませんでした。彼はまだ、小学一年生なのです。まだ幼稚園の星羅にあげるものは、何もないと考えていました。
「わかったよ。じゃあお母さん。帰ったら僕も、食べていい?」
光が甘えた声で訊くと、お母さんは大きく頷きました。
「ええ、もちろんよ。じゃあさっさと行ってきなさいな」
「はーい」
光は急いで玄関に向かうと、手早く扉を開けて、叫びます。
「行ってきまーすっ」
「はい、行ってらっしゃい」
お母さんの言葉を背に、光は走り出します。外では、まだ夏だからか、蝉がミンミンうるさく鳴いていました。(もう夏休みは終わったのに)と、光は口をひん曲げました。空では、大きな丸い太陽が、山の向こうに沈んでいきます。それはとても色鮮やかな茜色をしていました。光は、太陽に背中を見せて、走ります。おばさんの家は、反対側の小さな丘の上にあるのでした。
「はあっ、はあっ」
辿り着くと、光はハアハア荒々しく肩で息をして、インターフォンを押しました。すぐさま、『はーい』という明るい声が聞こえてきました。
「おっ、おばさん。クッキー、届けに来ました……」
光が途切れ途切れに言うと、おばさんらしき声は、ただ一言『まあっ』というと、ドタドタと音を立て、シーンとなりました。目の前のドアが開きます。出てきたのは、黒髪を長く伸ばし、ラベンダー色のワンピースを着た、若々しい光のおばさんでした。少し青っぽく見える瞳は、キラキラ輝いています。
「わざわざありがとうね! さあさ、上がって上がって。いやー、甥が来るなんて思ってなかったから、ちょっと散らかってるんだけど。許してね」
そう言って、光にウインクをします。その勢いに、光は仕方なくお邪魔することにしました。
「光くんのお母さんは、クッキーを焼くのがとても上手よね!」
手を洗った光に席に座るのをすすめながら、おばさんがニコニコ言います。光は、恐る恐る頷きました。
「はい、まあ」
「この紙袋からもいい匂いがするわ。どう、光くん? ちょっと食べていかない?」
光は、一瞬断ろうとしました。クッキーなら家で食べれるし、何よりゲームの続きがしたいです。次は待ちに待った隠しダンジョン、そこでレア武器を見つけたい。そう思うけれど、光はなぜか、大きく頷いてしまいました。おばさんは、嬉しそうに顔をほころばせます。
「まあ! それはよかった」
その喜びように、光は後に引けなくなりました。どこか後ろめたいです。
おばさんは、踊るようにお茶の用意をしました。気づいた時にはもう、テーブルの上には二つのティーカップが乗っていて、芳しい香りが広がります。
「え、おばさん、早いですね。魔法使い?」
「ええ? 魔法使い?」
おばさんは顔を顰めました。光は(まずい)と頭をかきます。これは、触れてはいけない話題だったのかもしれません。しかしおばさんは、甲高い声で笑い始めました。
「あははっ。ははっ、ふふ。……ふぅー。光くん、観察眼すごいのねぇ。そうよ、おばさん、魔法使いなの」
そして、悪戯っぽい笑顔で言います。光は一瞬「えっ」と顔を輝かせかけ、すぐに口を閉じました。おばさんは変人だという話を、親戚の人たちにさんざん聞かされていたのです。これも、おばさんの嘘かもしれません。
「う、嘘だあ。だって魔法使いは、物語だけの人物だもん」
「みんなはそういうけどねえ。うーん。どうやったら信じてくれる?」
「魔法を見せて」
光は即答しました。おばさんの周りからは、何やら『オーラ』を感じます。光の黒い目は、キラキラと輝いていきました。
「魔法を見せてくれたら僕、信じる」
「あら、そう? うーん……そうね。魔法を見せてあげましょうか」
光は笑顔で歓声を上げました。はしゃぐ光を、おばさんがにこやかに宥めます。
「魔法を見せるのはいいけれど、それは今夜ね」
「なんで?」
「あのね、おばさんの魔法はね、夜限定なの。それも、流星群の夜のね」
「今日はその、リューセーグンなの?」
光は首を傾げました。
「そう、流星群なの」
「どんな魔法なの?」
「そうねぇ、知りたい?」
「うん」
おばさんは、ニヤリと笑みを浮かべて奥に引っ込むと、虫取り網とホウキを持ってきて、前に掲げました。
「おばさんの魔法は、流れ星をとることなのよ!」
光の目は、まん丸に見開きました。
☆ ☆ ☆
「ねえ、流れ星、僕も一緒に取っていい?」
光は、甘えた声で聞きました。
今いるのは、おばさんの家の屋上。空はすっかり暗くなり、星が瞬きます。光のお母さんには、「今日は美月おばさんのお家に泊まっていく」と連絡していました。
「ダメよ。流れ星をとるには、許可状が必要なの。ホウキだって免許がいるし」
「えー、でも、僕もとりたい〜」
光は泣きじゃくります。おばさんは、「じゃあ、そうね」と、しかめつらしい顔で腕を組みました。
「ホウキはおばさんの後ろに乗ってね。流れ星は……では、おばさんの助手ということで。そういうことにしておきましょう。今夜限りの助手よ」
「やった!」
光の顔は、きらんと輝きました。しめたとばかりに右手を握り締め、歓声を上げます。
「じゃあ、網ちょうだいよ」
「え?」
「流れ星をとるには、網が必要なんでしょう? 僕、今年はカブトムシを二匹も捕まえたんだ。だから、虫取り網を使うの、得意なの」
光は本当に得意げな顔で胸を張りましたが、おばさんは首を横に振って、厳しい顔をします。
「それはダメ。流れ星は元気がいいのよ。とても危険なの。だから、お手伝いしてくれるなら、流れ星を見つけてね。おばさん、最近目が悪くなっちゃって……流れ星は一瞬だから、捕まえる時間も少ないの。早く見つけるかの戦いなのよ」
おばさんから「お願い」と両手を合わせられ、光はニンマリ笑って頷きました。大人の人に、自分に欠点があるからそこをお願いと言われると、いい気がしてきます。
「わかった。見つけるのは僕に任せて。何かコツとかあるの?」
おばさんは夜空を見上げて、答えます。
「そうねぇ……見るんじゃなくて、感じ取るの。慣れれば、流れ星がいつ流れるかがわかるようになってくるわ」
「…………」
きょとんと首を傾げる光に、おばさんは苦笑しました。少し難しかったかもしれません。
「ごめんなさいね。じゃあ、お空をじっと見てて。そうしたら、星が流れてくる。流れ星を見つけると、なんでもいいから叫んでね。おばさん、文字通り飛んで行くから。この、ホウキでね」
立派な毛を持つホウキを片手に、ニヤリと笑います。光も、ニヤリと笑い返しました。
「楽しそう。流れ星、まだ?」
「そろそろね。では、ホウキに乗りましょうか」
ホウキにまたがり、おばさんはベランダの手すりに足をかけます。おばさんは、ホウキの尻尾の部分を、光に向けました。
「さあ、早くお乗り」
「うん」
光は笑顔で頷いて、慣れない手つきで後ろに乗りました。思ったよりも乗り心地は良く、この状態なら、どこまでも飛んでゆけそうです。と、そこに、紐のようなものがにゅっと生え、光の体にまとわりつきました。うわっと叫ぶ光に、「シートベルトの代わりよ」とおばさんが笑います。これも魔法なのです。
「準備はいいかしら?」
「う、うん。いいよ」
正直、魔法はもうすでに見れていましたが、光はホウキに乗ってみたいという思いがありました。それに、流れ星を捕まえるなんて、なんだか面白そうです。
「流れ星を見つけたら、言えばいいんだね?」
「そうよ。ほら、始まったわ」
おばさんの言葉を合図に、ほんのり紫がかった夜空に、きらりきらり流れ星が降ってきました。その数はとても多く、おばさんは流れた先に向かって手すりを蹴ってホウキを走らせます。
それはとても楽しいものでした。ホウキは少し揺れて、そこは気に入りませんでしたが、空高く舞い上がって、星空を近くで見られるのは、最高です。
流れ星を見つけると、すぐに「あそこ!」と指をさして叫びました。
「あっちね。よぉし」
おばさんはその言葉に従って、動きます。流れ星の中にある『キラキラ』をさっと虫取り網でとると、大きな袋に入れました。まるで魔法のポケットのようで、どんどん入れても、全く重そうに見えず、膨らむ様子はありませんでした。
「あ、あっち!」
「よっ」
「次はこっち!」
「ほっ」
スイスイ取っていくおばさんの横顔は、紛れもなく魔女のものでした。光はそれが見れて、大満足でした。それにいくらか、流れ星を見つけるのが早くなった気がします。今では、いつどこで流れるのか、肌で感じられるほどになっていました。
「あ、おばさん。次こっちに流れるよ!」
「オーケイ」
光の言葉に、おばさんはニヤリと笑います。それから流れ星を取り続けること二時間。二人は家に戻り、リビングに寝転がっていました。とてもじゃないですが、寝室まで行ってベッドに横たわるという行為ができるほど、力はあまり残っていませんでした。
「ふう。疲れたわねー」
「……うん」
おばさんの言葉に、光は頷きます。二人とも、額に汗をかいていました。
「ねえ、とった流れ星は、どうするの?」
ある程度息も落ち着き、光がそう尋ねると、おばさんはニヤリと魔女の笑みを浮かべました。
「売るの」
「ええっ、売るの!?」
「売っちゃうの〜。流れ星って、売ると高いのよ。流れ星を取って、売るのがおばさんの仕事。だから、あっちこっちを転々しているのよ。流れ星がよく取れる場所は、慣れれば感じ取れるからね。ほら、最後の方の光くんみたいに」
「……売っちゃうのかあ」
光は寂しそうに言います。おばさんは、ふふっと女性らしい笑顔を見せました。
「売っちゃうけど、一つだけ光くんにあげる。今日手伝ってくれたお礼ね」
「えっ!?」
光の顔は輝いていきます。おばさんはまたにこりと笑みを浮かべると、光の手に、何かビー玉のようなものを握らせました。
「わあ」
それは濃い紫色で、何か白いものが中央に向かって渦巻いています。その中央には、キラキラと輝く星のビーズが封じ込まれていました。
これは、僕のだ。星羅にはやらない。
光はビー玉をぎゅっと握りしめ、おばさんを見て言いました。
「ありがとう。これが、流れ星?」
「ええ、そうよ。それはね、持っていると願い事が叶う確率が上がるの。お守りがわりに持つ人もいるわ」
「ふーん」
それなら尚更、星羅になんかやれないな。そう思った光におばさんはにっこり笑うと、その頭を撫でました。光の目はみるみるうちに虚ろになり、表情は抜け落ちていきます。
「今夜は手伝ってくれてありがとう。だけど、この記憶を持ったまま生きるのはダメなの。ごめんね」
光の意識はどんどん遠ざかり、記憶も失われていきました。
「あと、もう少し妹に優しくしなきゃダメよ?」
おばさんが、呆れたように囁きました。
☆ ☆ ☆
「ん……あれ? 僕、どうしてこんなところにいるんだろ」
光はいつの間にか、自分の家の前で寝転んでいました。むくっと起き上がり、首を傾げます。その手には、キラキラ美しく輝く、ビー玉がありました。
「なんだ、これ? 綺麗だなあ」
光はしばらくそれを見つめて、やがてにっこり笑いました。その頭には、妹の星羅の笑顔が思い浮かんでいました。
「星羅にあげよう。星羅はこういうの、大好きだし」
そして、家のインターフォンを押しました。すぐにお母さんが出てきて、言います。
「光、おかえり。おばさんが、急に仕事に行かなくちゃいけないなんて、大変だったわね。寒いでしょう? ほら」
優しい笑顔です。その顔は、光のビー玉を見て、不思議そうな表情になりました。
「あら、それは何?」
「ふふふ。星羅にあげるの」
夜空にきらり。星が流れました。
……それからというもの。
何も覚えていない光は、夜、流れ星を見つけるのが、ちょっとだけ上手になりましたとさ。
《おしまい》
この作品は、冬の童話祭という企画に参加しているものです。ほのぼの系が書きたいな〜と思った作者は、非常に努力しました。「はぁ? ほのぼの系じゃねーし!」「めっちゃほのぼのしてましたよ!」などなど、どんな感想でもドーンとこいです。なので、感想、ブックマーク、評価お願いいたします。