地獄
「ミズハ、そろそろ撤退よ。」
ふと自分の名前を呼ばれ、ミズハは獣の死体から飛び降り、血が滴る刀をしまった。
「なにボーッとしてるの?大丈夫?」
「いや、少し疲れただけです。問題ありません。」
先輩は奇妙そうにミズハを見るが、それ以上は何も言わなかった。
ミズハの住む天王帝国では、日々獣の出現に備え、人々を守るために戦っている。
「今回の作戦でも、死者が出ましたね。」
「仕方ないさ、今回は村が襲われたんだからな。」
死体処理をしている兵士が残念そうに死体を運んでいる。
いくら魔法が使えるからといっても所詮は人間だ、他の種族より劣っているのは仕方ないことだ。
「酷い匂いだな。ミズハ」
「アルファ、無事だったのね。」
「大丈夫なのか?浮かない顔をしているが」
人間と獣、血の匂いが酷すぎるのだ。
いかにも戦場という匂いだ。
「別に、いつも通りよ。」
「お前も相変わらずの性格だな。」
アルファ・フェナザードはミズハの任務のパートナーであり、天王帝国の総隊長を務めているライ隊長の息子でもある。
このまま二人で帰ろうとしていると、背後から声をかけられた。
「そこの二人、少しいいかい?」
声をかけて来たのは、少し年配の男だった。
だが、おかしいことに兵士では無く、国民らしき服装をしていた。
「こんな所に一般市民の方がどうされましたか。ここは立ち入り禁止のはずですが?」
アルファが眉間に皺を寄せて、男に聞き返す。
「今回、襲撃された村の者だ。警報が鳴って避難したんだが、人混みのせいで妻と娘とはぐれちまったんだ。いくら探しても見当たらないんだ。」
「避難した村人の名簿は確認しましたか?」
「それが、何回確認しても名前が無いんだ!二人とも」
名簿に載っていないなら、すでに死んでいる可能性が高いだろう。
「お願いだ、探してくれないか、お願いだ!」
男は必死に頭を下げて二人にお願いする。
だが命令外の行動は違反になる。
この現実を一言で表すなら地獄だろう。
「私が行きましょう。」
「ミズハ!」
名乗りを上げたのはミズハだった。アルファは、まさかという顔でミズハを見るが、すでに意思が決まっている顔をしていた。
「正気か、命令違反だぞ。」
「もう決めたから、いい子のボーイはここに居ていいよ。」
「誰がボーイだ!」
止めるアルファを無視して、ミズハは早速何処かに行こうとする。
「本当に、本当にいいのか!」
男は顔をあげると、希望を取り戻した眼差しをしていた。
「はい。ですが、どうな状態でも、貴方に娘さんと奥さんを受け入れてあげられる覚悟はますか?」
ミズハはまるで試すように残酷なことを言った。
だが、その瞳はまるで男に何かを求めるようだった。
それを聞いた男は怒るかと思ったが、静かに目を瞑って答えた。
「…ああ、ちゃんとお帰りって言うよ。どんな状態でも。」
男は切ない笑顔を作って、涙を浮かべていた。
その言葉を聞いたミズハは、少し驚いたように目を見開き、頷いた。
「分かりました。では探しに行ってきます。」