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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
7月 新たなる季節
99/189

96話 8月2日 光の鎧

 



「ああ、ええと」

 召喚された使徒が挨拶(あいさつ)をするとあって、街で一番の酒場である金の鹿(シエルヴォ・ドラド)には大勢が集まっている。作戦に参加した者だけではなく、騒ぎを聞きつけた街の住民もたくさん。


「ハンスだ。よろしく。ベルリンという街から」

 ちらほらと拍手が起きた。

 召喚されたときに着ていたのであろうスーツが、細身にバッチリ似合(にあ)っている男性だ。欧風の爬虫類(はちゅうるい)系の顔立ちに、理知的な瞳が印象的である。


 いいぞー、と反応が薄く、挨拶をした彼はバツの悪い笑顔を浮かべている。

 彼は先月の終わりくらい、僕がうだうだとしている間に召喚されていたハンスさん。僕は初対面だが、すでに知っているひとは多いようで、あらためて感動はなさそうだ。



 そして。

「ダリアナ・ライネスだ。スペインのトレドってところに住んでいた。

 皆、助けてくれてありがとう!明日は全力でお返しするから、楽しみにしててよ!」


「ウオオオォォォォ!」

「イエエエェェェェイ!!」

 荒くれる夏の熱波のような歓迎(かんげい)が起こった。


 まあ仕方がない。

 身体のラインが分かる白と青の裾の長い(マキシ)ワンピース。それが包んでいる長身には無駄がないのに、女性らしさははっきりと主張している。胸元とか(そで)とかに荒々しさが出ていて、とても華がある。


 こういう女性にこの街の男共は弱い。

 自分たちが死に物狂いで助けた使徒がパワフルな美女とあって、酒場の盛り上がりは(すご)い。女性陣も黄色い声援を送っているし、彼女はもう住民の心を(つか)んでいるようだ。


 隣に立つハンスさんの居心地(いごこち)が悪そう。もう引っ込みたそうにしている。



 そして祝勝会が始まった。激しくコップをぶつけ合う皆を横目で見ながら、ほっと一息をつく。

 あれから数日後、根絶作戦は終了した。


 元々戦力的には十分だった。それに加え、ダリアさんを救出できたことでさらに士気が高まり、その勢いのまま新たに発生した黒い森(ボステ・ネグロ)を、この世から消し去った。


 同時期にやっていた侵攻作戦も無事に終わったと聞く。ベテランの木こりはほとんど残っていたし、それに根絶(エラディカシオン)に出遅れた領主(セフェリノさん)直轄(ちょっかつ)の騎士団を派兵したらしい。


 加えて、以前から商会の顔役をやっていた男性が、王都から戻ってきてくれたことで指揮系統(しきけいとう)が整備されたことも成功要因のひとつである。


 余談だが、今回の報酬(ほうしゅう)で僕の借金がなくなり、胸を()でおろしていたのは秘密だ。



 酒を呑み、飯を喰らい、無事を祝いながら夜は()けていく。

 さて、明日は召喚祭だ。





 今更ではあるが、この街にあるのは闘技場ではなく闘牛場(アレーナ)と呼ばれている。


「き、緊張します……狗と牛だとどっちが強いですか?」


「数次第(しだい)、というのが定評ですね。ただ、1対1であれば牛の方が強いと言われています」


 十字架に向かい、一心に祈るダリアさんの背中を見ながらメサさんと話す。

 闘牛場のバックヤードには、小ぢんまりとした教会のような場所がある。戦う前に祈りを捧げるための礼拝堂だ。


「うまくできるか……闘牛も1回見ておけば……ここはてっきり魔物と戦う場所だと」


闘牛(コリーダ)もとても人気で、チケットを取るのが大変なんですよ?とはいえ、魔物と戦う方が観客の受けが良いのは確かです」


「満席……お客さんいっぱいなんですね。あぁ……不安だあ」


 月に一度、この街では、召喚された使徒を歓迎する大きなお祭りが(もよお)される。その"召喚祭"で、僕も何度か魔物と戦った。普段から狗を殺すのはやっているから、戦闘行為(こうい)には気後れしなかったのだが。


 本日の興行(こうぎょう)は、主役がダリアさんなのもあって、闘牛(コリーダ)である。


「良ゥしッ!!」


 大きな気合を発したのはダリアさんだ。彼女は晴れやかな表情で歩いてきて、呪いの鎧の胸当てを小突(こづ)く。

「安心しな。アンタならやれるよ。それに今日の闘牛士(トレーロ)は私だ」


 薄暗い部屋でも分かるくらいに、ダリアさんの笑顔は力に満ちている。

「晴れ舞台だ」





 頭が馬の男性。下半身が蜘蛛の女性。髪が蛇の女性。2本足で立つ山羊(ヤギ)

 礼服(スーツ)を着こなした異形の者の影が、振り上げられた指揮棒(タクト)の動きに合わせて、手に手に(たずさ)えた楽器を構える。


 ハンスさんは彼らを数秒見つめると、漆黒(しっこく)のタクトを振り始める。

 太陽に熱された円形の闘牛場に、軽快なリズムの、しかし堂々たる音楽が響き始めた。


 理想の音楽を奏でるレガロ、"29番(アムドゥシアス)の音楽隊"に彩られながら、熱い砂を踏みしめる。


「おいおいハンスの奴、ワーグナーかよ。入場はパソドブレが聴きたいもんだ」

 リズムに合わせて歩いてしまいそうだな、と思っていると、町娘のような恰好(かっこう)で隣を歩くダリアさんの文句が聞こえた。


「聞いたことがあるような……2頭の……トンビ?」

「双頭の鷲の旗の下に、だよ」

(くわ)しいんですね」

「大したことないよ、音楽が好きってだけ」


 黄色い甲冑を着た騎士が先頭を歩き、僕たちは彼の後ろを進んでいる。円形の観客席に沿うように歩き、熱烈な拍手で迎えてくれる街の人々に姿を見せて、入場行進は終わった。





 扉が開くと、真っ黒い巨体が飛び出した。前を向いた2本の立派な(ツノ)を左右に振りながら、牡牛(おうし)は誰もいない闘牛場を走り回っている。


 その足取りからは、筋繊維の1本1本まで生気が(みなぎ)っているのが感じられるようだ。魔物よりも化け物っぽい。


「いいねえ。デカい。700(キロ)超えてるかも」

「今日はやめときましょうか」

「大丈夫だって。不死身なんだろ?」

「だからってね……」



 それぞれ旗を手にした3人の騎士が入場する。

 騎馬が牡牛の(そば)(かす)めると、誘われた牡牛は興奮して馬へ突進する。騎士たちは慣れた様子で手綱(たづな)を操って突進を(かわ)し続けていた。


 3人が代わる代わる牛を誘い、退(しりぞ)けると、その(たび)に観客はわっ、と盛り上がる。


「やっぱり騎馬闘牛か。これはこれで面白い」

「普通の闘牛とは違うんですか?」

「ああ。助手(バンデリジェーロ)が徒歩で牛を走らせるのが私たちのやり方。こんなピンクの布でね」


 ダリアさんは才能(レガロ)を発現させた。

 黒い枝葉が手から暗幕のように広がり、まとまると、表がピンク裏地が黄色のケープが現れる。


「闘牛ってさ、昔は公開軍事訓練とか、屠畜場(とちくじょう)見世物(みせモン)とか、あとは地域の祭りだったりした。その時代は形式ばってなくてさ、色々と決まりごとができたのは、ここ200年くらいらしいよ」

「へえ」

「今、私が見てるのは、もっと根源的な闘牛(コリーダ)なのかもね。興味深い」


 ダリアさんは喋っている間、一度も僕を見なかった。眼差(まなざ)しは牡牛を(とら)え続けていて、こちらにまで集中力が伝わってくる。





「あ、この曲も聞いたことある」

「ウィリアム・テルか、悪くない」


 ファンファーレに合わせて3人の騎士が退場すると、入れ替わりに槍を持ち黄色い甲冑を着る騎士が現れた。馬も黄色い鎖帷子(くさりかたびら)を装備し、前の3騎士より装飾的だ。

 騎士は馬をこちらへ向かわせてきて目の前で(ヘルム)を脱ぐ。


「使徒様!ご機嫌よう!」


「あれ?確か……ポーさん?」

 以前、フベルトさんの送還祭で戦った、軽い雰囲気を(まと)った騎士だ。


「そうです!今度はカッコイイとこ見せますよ!」


 ポーさんは脱いだ兜をダリアさんへと渡した。彼女は笑顔を浮かべて、

スエルテ(幸運を)!」

 と声をかける。


 そして黄色い騎士は闘牛場の中央へと向かい、

(ティリヤ)の者と共に!この牛を!ダリア様へ捧げん!」 

 ポーさんの声を合図にするように、会場が一体となってヴォルテージを上げた。


「さ。いよいよ槍士(ピカドール)の出番だ」



 馬が駆けた。

 カーブしながら牡牛へと向かい、その姿を牡牛は見ている。やがて二者の距離が詰まり、ポーさんは槍先で牡牛の皮膚を引っかいた。


 当然のように牡牛はポーさんを敵と見定めて猛然(もうぜん)と走り始め、ひとりの騎士と1頭の牡牛が危なげな並走を始める。


「あの騎士、うまく牛を走らせてる。やるねえ」

「槍で引っかいたのは挑発(ちょうはつ)ですか」


 途中で牡牛が立ち止まる。馬はそのまま走って向きを変え、牡牛へと駆けて――


 重なる一瞬、ポーさんの鋭い一突きが叩きこまれた。


 蛇口を(ひね)ったように血が流れる。


「おお」

 牡牛は驚いた様子を見せながらも反撃に(ツノ)を突き上げ、それをポーさんは避ける。

 出血量には驚いたが牛の動きに(かげ)りは見えない。


 数合、騎士と牡牛の目を離せぬ戦いが繰り広げられ、ポーさんは拍手に送られながら退場した。

 むぅ。僕の出番だ。




 (もり)を2本、持たされる。

「どうした?早く行きなさいよ。観客が待ってる」


 何度かダリアさんの方へ振り向いたが、しっしっ、と手を振られてしまった。重い足取りで会場へと入ると、曲目が変わった。

 この曲は、そう。天国と地獄だ。


 黒い牡牛へと、近付くほどに分かってしまう。

 槍による傷を肩甲骨の辺りに負っているが、その(たくまし)しさに(おとろ)えは見えず、それどころか強い敵意に(あぶ)られて力強さが増しているようだ。


 こちらを向き、(ひづめ)で地面を踏み鳴らしている。こいつに銛の2本を3回、計6本を刺さねばならない。


 魔物ではなく動物を傷つけられるだろうか、という道徳的な心配は消し飛んだ。

 相対(あいたい)しているのは死だ、やらねばやられる。



 足の止まった相手を見ながら近付き、間合いに入った。そんな時にふと思い出す。何か昔。牛にぐちゃぐちゃにされたような気がす――

 一瞬、牡牛が動いたと思ったら、視界が明後日(あさって)を向いている。

 牡牛に()ねられたのだ。


 ああ、死んだな。これは、と。

 バランスを崩した感覚を知覚する時には地面に転がっていて、700㎏超の巨体が追い打ちをかけてきた。


 全身を滅多打ちにされる重い衝撃から逃れようと、何とか立ち上がるが結果は変わらず、軽快な笛と金管の音に合わせてボコボコに投げられる。


「ぐああぁぁあ」

 今日の僕は玉入れの玉役、もしくはお手玉のお手玉役だ。

 運動会、嫌いだったなあ。




「全然ダメでした」

 結局1本も銛を刺すことはできなかった。やれたけどやらなかったではない。まったく不可能だった。

 ダリアさんは呪いの鎧に傷がないことを確認すると、軽口を叩き始める。


「いいや最高だったよ。人生で一番笑ったかもしれない」

「……」

「観客も途中から大爆笑だったし」


 "29番(アムドゥシアス)の音楽隊"が新たな曲を演奏し始めたのが聞こえる。


「お、エスパーニャ・カーニだ。やっと故郷の音楽が聴ける」

 ダリアさんの持つケープ――ムレータ――に黒い枝葉が森のように広がり、次いで血液が満たすように赤く染まっていく。お膳立(ぜんだ)ては終わり。これからは闘牛士(トレーロ)の出番だ。


「さ、助手(バンデリジェーロ)さん。私から目、離すんじゃないよ」




 ダリアさんは裾の長い(マキシ)ワンピースと真っ赤なムレータをはためかせて、闘牛場(アレーナ)の中央へ真っすぐ進む。


 闘いに赴くような、闘牛場の砂の上にいるような恰好(かっこう)ではないが、堂々とした歩み。その姿で観客の視線を集めると、彼女は街の人々へと(うやうや)しく一礼して、


 変身する。


 全身の皮膚を突き破って黒い枝葉が生え、ダリアさんの身体を包む。


 純白のYシャツ、赤いネクタイ、青地に金色の装飾が施されたヘソの上まで包むズボン、ズボンと同色のベストと上着、足元や関節を守る防具(プロテクター)と、頭を覆う(モンテーラ)


 意志が宿ったかのような赤い布(ムレータ)が振るわれると、その(かげ)から(きら)びやかな闘牛士が現れた。


 あれがダリアナ・ライネスが神から贈られた一揃(ひとそろ)いの才能(レガロ)


 "(ヴェスティド)(・デ・)(ルーセス)"。


 ダリアさんは兜を脱いで顔を(さら)すと、肩越しにそれを放り投げる。観客全員へ牛を捧げるという意味を持った所作。

 観客の息を吞む音が聞こえた。





 牡牛が突進するが、ふわ、と風を(はら)んだムレータを突くだけだ。

 ダリアさんは胸を張る独特な立ち姿で牛に立ち向かう。誘い、牡牛が攻撃する直前にムレータを振って(かわ)す。


 躱す、という表現は誤りかもしれない。空を切り続ける2本の角を見ていると、まるで彼女が牡牛を操っているようだ。実際に、彼女の足はほとんど動いていない。


 赤い華が開き、牡牛の角がそれを散らして、観客の掛け声が響き渡る。4回、5回と連続で牡牛をいなすと、どんどん観客との一体感も高まってくる。


 あの牡牛はちょっと前まで僕をちり紙のように蹴散らしていた。半野生の動物と人間の間には歴然とした肉体(フィジカル)の差がある。普通は1対1で相手をするなどありえない。


 そんな不可能を、ダリアさんは布1枚で可能にしている。



 いきり立った牡牛が猛然と突っ込み、それを(さば)いてダリアさんは距離を取った。牡牛に背を向けて観客席へと両手を広げる。


 牡牛は左右を見たあとダリアさんのガラ空きの背中を見付け、頭を低くして突撃する。会場中があっ、と息を飲み――


 また空振りした。間一髪のタイミング。だが余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と。


 緊張感が走り、安心で弛緩(しかん)して、思わず力ない拍手してしまう。危なかった、と思わせる動きだ。

 まるで会場中さえもダリアさんに操られているかのような数十分間だった。





 牡牛の足は止まり始めている。

 頭の位置が下がり、流れる血は黒い身体をさらに黒く見せ、息が上がっている。牡牛はダリアさんから離れる動きを見せ始め、やがて壁際(かべぎわ)に追い詰められた。


 闘牛において(とど)めのことを、真実の瞬間(エストカダ)と呼ぶのだという。

 ダリアさんはムレータの(かげ)から、今まで使っていなかったエストックを、その切っ先を牡牛へと向ける。


 引き伸ばされた糸のような緊張感、そしてエストックが(ひらめ)く。

 頭の少し後ろ、たった数センチの頸椎(けいつい)の隙間に滑り込んだ刃は、牡牛の延髄(えんずい)を断ち切った。

 数秒ふらつき、牡牛はどさりと倒れる。


 音楽が戻ってくる。

 そこでやっと、自分が固唾(かたず)を飲んで見守っていたことを知った。


 衝撃が胸に残っている。魔物ではない、人類の敵ではない動物の死を()の当たりにしたことが。か弱い人間が、布と剣で強靭な牛を殺したということが。

 しん、と胸を打たれたような小さな衝撃を感じている。

 見事で、残酷で、美しい瞬間だった。


 死亡した牡牛は、砂煙を上げながら3頭の馬に引きずられて退場する。たった一突きで仕留(しと)めたダリアさんに、観客は()しみない拍手を送っている。



 その日、計6回の闘牛が行われ、ダリアさんは3回出場した。

 そして、一度も、光の鎧に砂がつくことはなかった。


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