93話 レギオン・ヴェンギャンサ
程なくして、ふたりの部下を連れたマリアーノ氏が合流した。彼らを楯にするようにメサさんも付いてきている。アイシャさんに闇討ちされないよう警戒しているようだ。
軽く挨拶を交わし、腰を下ろしたマリアーノ氏と共に、今の状況と対策を話し合う。
集まってきた者たちの人数は申し分ない、だが、統率が取れておらず戦力は低い。敵を集団で攻撃する蜂の群れであって欲しいが、これでは蚊の群れだ。
問題はお金と協力。
マリアーノ氏は強面を歪めて考え込むと、
「協力については、そうですね、ささやかなもので良いので共通点をつくってみてはいかがでしょうか」
「例えば?」
チコさんの問いに、マリアーノ氏はくすんだ色をした木製のネックレスをテーブルに置いた。
「ウチの店員は皆これを持っています。雇う際に互いの指を針で刺し、血で名前の頭文字をこのネックレスに書きます。仲間へ絶対の忠誠を捧げ、決して裏切りを行なわぬよう誓わせるためです」
マフィアみたいだ。
まあ、やっていることは学校やスポーツ選手の制服と同じ、自分が組織の一員であることを分かりやすく示すことで、連帯感を持たせようとしているのだろう。
「良い考えかもね」
「ええ、ですが、即席とはいえ人数分の用意ができますか?」
ローマンさんが相槌を打ち、チコさんが現実的な意見を述べる。なかなか話が前に進まない。それにタイムリミットが迫っているから、皆の表情は固くなるばかりだ。
「辛気臭いな。何を話してるんだ?」
突然の声に振り向くと、赤い頭巾を被った大柄な男性が立っている。見れば木こりの親方だ。伐採から戻り、片付けを済ませてきたのだろう。スープに沈めたバゲットとビールの入った巨大なコップをテーブルに置いて、空いた席に座る。
「あ、親方。ひと集めてくれたんですね」
「もちろん。ほぼ新米になってしまったのは申し訳ないがな」
数日前、一緒に作業した木こりの新人さんをほとんど連れてきてくれたようだ。村にきてからちらほらと顔を見知った熟練者も見かけた。親方は疲れた様子だが、いつもより酷い、という風には見えない。
「ああ、皆さん。えっと……どうですか?」
負傷者が出たかどうかを聞きたかったのだが、もしものことがあるかもと思うと、つい濁してしまう。
そういった質問には慣れているのだろう。親方はコップを傾け、一息にビールを半分ほど空けると、
「大丈夫だ。ミック様が指揮を、レオン様とアントニオ様、それにシンイー様が護衛と警戒をしてくださっている。撤退はローマン様が支援してくださるし、いつもよりずっと安全だよ。それを見越して新米共を連れてきたんだがな。奴ら、小便漏らしながらもよく頑張っている」
そう言ってニカッと笑う。良かった、皆無事なのだろう。
「で、皆様は何の話をしていたんで?」
「えっとですね――」
親方は数日前に村へ入り、黒い森の伐採作業にあたっていた。当然というか、僕より事情に詳しいし、話の飲み込みも早い。それなのに、彼は頭の上あたりにクエスチョンマークが浮かんでいるような表情をしてマリアーノ氏の方を向いた。
「今更そんな話を……マリアーノ、お前は何しにきたんだ?」
「それは当然!主とヘイト様の尖兵として憎き魔物どもを撃滅し」
「そうじゃない。俺がわざわざヘイトに紹介した理由を考えろ。お前の生業だよ」
「――――はっ!」
「お前な……」
「ん?」
マリアーノ氏は重要なことに気が付いたように素っ頓狂な声を上げた。彼の生業、仕事は高利貸し……ではなく、借金取り、でもなかった。
彼はマリアーノ材木店の店長だ。
「ああ、皆様方、すまない。金の心配はなくなった。というより、始めから無かった」
「ええと、それはつまり」
「金なら幾らでも生えてる」
木こりの親方は、森を指差してそう言った。
木こりが木を採る。
それを商人が買い取る。
木こりは木材を売って得た収入から護衛代を僕たちへ支払う。
そして各々が滞在費を村へ払う。村人たちに製材を任せてもいいかもしれない。
人間同士の戦争と違って、魔物と戦えば黒い森の木が手に入り、それらは建材や燃料の原料として売買することができる。これまでやってきたことと変わらない。
ローマンさんがマリアーノ氏の方へ向き、
「君の負担が大きくはないか?」
「あの量の木材を我々だけで捌ききれるかといえば……買取価格もそれなりに高く設定しませんと……いえ、命を賭ける皆様の前で弱音は吐けませんな。ご心配なく。
明日の明朝に、傭兵たちへ説明と契約を行ないます」
マリアーノ氏が首を縦に振ってくれたことで、お金の心配はなくなった。もちろん伐採が上手く行けばで、皮算用でしかないが。とりあえずは作戦開始に漕ぎついた。
これで大丈夫。
本当に、
大丈夫なのだろうか。
ざわざわと胸騒ぎがする。
「――なんだろ?」
気付けば陽は落ち、雨雲が月を隠し、空は真っ暗になっている。村中に篝火が焚かれているから、ひとの顔が見えるくらいには明るいが。視界には影が差している。
夕飯時のキャンプ地だ。もう雑音しか入ってこないが、去来した疑惑が落ち着かせてくれない。闇の方から何か聞こえたような、後を引くような高い音が、例えば、動物の断末魔のような。
確かあの方向は、その先には、発生した黒い森。
「"最適化"」
ぬかるんだ地面を歩く音や、話し声に塗れた空気がクリアになる。
眼が慣れ、夜闇に浮かぶ建物やひとの輪郭がはっきりしてくる。その内の人影のひとつに視線が吸い寄せられた。
黒いローブを纏った姿。ゆらゆらと誰とも関わらずふらつきながら歩いていて、斧のようなものを引きずっている。
その足元は――
「クソがッ!」
座っていた椅子を弾きながら走る。
"幽鬼"、足のない魔物。
なんでこんな、ひとのいるところに。
「敵襲だ!警報を鳴らせ!」
駆け出して間を置かず、鉄を叩く耳障りな金属音が村に響く。村中がどよめき、レイスは近くに座っている傭兵へ向かって斧を振り上げ、
「伏せてッ!」
傭兵に刃が叩きつけられた。
戦場での経験が生きたのか、それが彼を救った。傭兵は僕の声で咄嗟に頭を抱えうずくまっていた。レイスが振るった斧の切っ先は背中に食い込んでいる。革鎧の上から。
無防備な背中へともう一撃をとレイスは斧を振り上げ――
刃の前に身を躍らせ、攻撃から傭兵を庇った。
殺す。
左フックを見舞い、体勢を崩したレイスの口に右親指を突っ込み、下顎を掴む。
強引に引き寄せ、左指を両目に突き刺して、そのまま逆方向に力を籠めた。ミシミシバキバキと頭蓋が割れる音が両手に響き、潰れた眼球を撒き散らしながらレイスの頭が引き裂かれる。
下顎を失った口からだらんと舌を垂らしたレイスは地に倒れ込み、すぐに跡形もなく霧散した。
「大丈夫ですかっ!?」
傭兵は蹲り、呻き声をあげている。青くなった顔に冷や汗をかき、苦悶の表情を浮かべていた。背中の傷は大きくはないが、血が滲んでいる。
――幽鬼に付けられた傷は、化膿して酷く痛むのです。すぐに戦えなくなります――
「誰か、聖職者を呼んでください!」
「ヘイト様、私が。
――貴方と貴方。彼を抑えていてください。我が信仰を、清浄なる流れに」
騒ぎを聞きつけたのか、駆けてきたアイシャさんが周りへと指示を出し、"解毒"の秘跡を使い始める。
「狗が村に!」
「数は!?」
「5匹はいた!もっと入られたかもしれない!」
「住人は扉を閉めろ!絶対に開けるな!」
やはりか。村にいたのはレイスだけではない。黒い森はまだ遠いと聞いていたのに。想定より早く広がっているのか。
「アイシャさん。すみません。行きます」
「はい。ここは任せて。ご武運を」
村には戦えない者もたくさんいるから、混乱は酷い。これだから魔物は嫌だ。数匹で容易く平穏を壊してしまう。
歯ぎしりをして、騒ぎが大きな方向へ走った。
村に入り込んだ狗の数は、7匹だった。
「見張りは?」
やっと騒ぎが収まり、数名の代表者で集まっている。事後処理の手配を少ししたあと、木こりの親方がそう聞いた。
「……レイスがいたんです」
「そうか」
それだけで親方は察した。普通、レイスは攻撃の瞬間までその姿を見ることができない。
見張りに立っていたのは、契約をする前に見張りをやってくれていた数少ない傭兵だった。先程、彼が身に付けていた武器や防具を仲間内で分け合っているのを見かけた。先に逝った戦友を忘れないためだと聞いた。とてもじゃないが見ていられなくて、目を逸らしてしまった。
「他に被害は?」
ローマンさんが答える。
「村に入り込んだ狗はすぐに討伐された。だけど、聖騎士隊の隊長が大怪我を負ったよ。襲われそうになっていた村長を庇ってね」
「怪我の具合は?」
「命は助かりそうだ。イザベルが付き添ってるよ」
長い沈黙をチコさんが破る。
「今日はもう遅い。夜警は自警団に任せて、皆様はお休みください。明日も忙しくなりますから」
彼らが見張りを買って出てくれて、その場は解散となった。
ひとりでじっとしていると気が狂いそうになる夜だから、松明を持って見回りをしている。僕はどうせ眠れないから丁度いい。
村は酷い雰囲気だった。村人のほとんどは、魔物を初めて見たのかもしれない。村人たちは恐がっていたし、聖騎士たちは隊長が怪我をして悲しそうだった。傭兵たちはもっとひどく、この場に居続けることに猜疑心を抱いている。
僕と言えば、始めからこうして見張りをしていればよかったと後悔している。
もう一度、魔物の襲撃があれば、それで終わってしまうんじゃないかと、そう思ってしまう。やっぱり、いくらお金があっても、バラバラではダメだ。
でも、どうしたらいい。どうすれば皆が同じ方向を向いてくれる。
考え事をしながら夜の村を歩いていると、遠くに赤い鎧を着た男が視界の端に映り、ビクッとする。
よく見れば、僕と同じように夜警をしている聖騎士だった。松明の灯りに照らされて、返り血に濡れた鎧がそう見えただけだ。
――彼は、
彼ならどうするだろうか。
彼が仲間から信頼されていたのは。
彼らが強い絆で結ばれていたのは何故なのだろう。
――そんなだから、世の中に不満を持ってる奴等が多かったのは当然なのかな――
それはきっと、同じ気持ちを抱いていたから。
バラバラになった赤い鎧。
仲間と分け合った道具。
血に濡れた修道服。
揺れる赤い宝石。
仲間への忠誠。
共通点。
連帯感。
赤く。
変身。
「!」
「夜通し見張りしていたのかい?」
「あ、ローマンさん。あ、朝か」
ローマンさんに声をかけられて、朝になっていたことに気付いた。遠くに少しだけ顔を出した太陽が見える。今日はいい天気になりそうだ。
「何か思い付いた?」
「ちょっと、本当に思い付きで、いや、でもなあ」
「話してみてくれるかい?」
「そんな上手く行くかな……」
「このままタイムリミットを迎えるよりは良いよ。きっと」
「そうですね……皆、集まっているんですか」
「これからね。マリアーノが話すみたいだ」
「説明ですよね。僕も、ちょっと皆と話せたら」
思い付いたことをローマンさんへ話すと、彼は微笑んで言う。
「分かった。すぐに準備しようか」
マリアーノ氏は大勢の前で事務的な口調で話している。
昨夜の襲撃で被害を受けたことについて見舞いの言葉を、しかし黒い森は確実に範囲を広げており、このままでは村が危ないという内容を話す。
村人や木こりの新米の不安、傭兵たちの諦観、聖騎士たちの忸怩たる思いを汲もうとは、あえてしていない。
一介の商人である自分が演技がかって演説のようにしても、感情を逆撫でするだけだと分かっているのだろう。淡々と話している。
マリアーノ氏は最後に、伐採を進めれば魔物とお金の心配がなくなることを言って、即席でつくった壇上から降りた。
「ヘイト様。それではお願いいたします。動機はどうあれ、皆、貴方様の姿を見て集まった者たちです」
「はい」
大きく軋む階段を上がって皆の前に立つ。半数は力なく目を伏せていて、もう半分は眉根を寄せてこちらを見ている。
恐がっている場合ではないが、視線を集めていると思うと反射的に目を瞑ってしまった。
とにかく、何か言わないと。
瞼がつくる暗闇を彼の面影が横切った。
「僕の友達は、魔に連なるものに殺されました」
考える前に言葉が出てしまった。
僕は彼が悪魔に殺されたと思っているが、それは暴論だろうか。
「決して善人ではありませんでしたが」
何だったら、彼こそが魔に連なる者だったのだから。だが、善悪などがピンとこない僕にとって、間違いなく友達と呼べる数少ないひとだった。
「彼には生きていて欲しかった」
魔に関わりさえしなければ、彼はもっと幸せな結末を迎えていたかもしれない。僕と会うことはなかっただろうが、その方がよかったのかもとも、思っている。
「目の前で逝ってしまった彼と、話したかったことがたくさんあります」
ワインを飲む皆を見たり、くだらない話をしていると、ふと、来るはずのない未来を夢想する。
ああ、ダメだ。こんなんじゃ。僕は自分の話ばかりしている。
「皆さんは、魔物が憎いですか?」
恐る恐る目を開けると、目を伏せていた者が顔を上げ、全員がこちらを見ていた。だが、不思議ともう恐くない。
「僕は憎いです」
数人の瞳の奥に、暗く燃えるものが見えたような気がしたから。
「この世界に魔物さえいなければ、こんなことにはならなかった」
もしもの話をしても仕方がないのは分かっている。だが、そう思わずにはいられない。僕だけだろうか。皆も同じだと良いな。
「敵は強いからしょうがない、どうにもならないと諦めている……」
僕以外の皆は世界と上手に折り合っていて、僕だけがひとり怒っているだなんて。馬鹿みたいだから。
「復讐を」
囁くように言った言葉は、漣になって広がっていく。ある者は拳を握り、ある者は歯を噛み締め、ある者は目が据わっている。
「したくはないですか?」
メサさんはおもむろに壇上へあがり、深紅のマントを僕の背中へとかけた。贈り物ってこれか、と注意がそれてしまい、次の言葉を出すのが遅れてしまう。
僕が黙ってしまったしばしの時間。自警団の皆は赤色の防具を身に付け始めた。それが合図になったかのように、木こりの親方は赤い頭巾を被り、新米たちもそれに倣う。
イザベルさんは胸元の赤い宝石に祈りを捧げ、聖騎士たちは返り血の着いた鎧に手を当てる。
赤いフード。赤いスカーフ。赤いシャツ。赤いストール。
皆は持ち合わせていた赤色の装身具を身に付けていき、聖職者と商人たちは何も持っていない者へ、治療で使った、血で汚れた包帯を配る。
15分くらいで、彼の甲冑と同じ色が、日の光に照らされてよく見えるようになった。
「僕は、ヤツらの全てを奪い去る。だから、一緒に」
雰囲気は一変している。
昨日まで烏合の衆だった者たちが、まるでひとつの軍隊のように見える。
仲間を喪い、目元を泣き腫らしている傭兵と視線が合う。
「根絶やしにしてやりましょう」
痛いくらいに握りしめた拳を、顔の横に持ってくる。
「がんばろう」
拳を上げる。
空気が震えた。