90話 7月14日 薄暗い日
「俺の親父は、友人を虚仮にした教師を殴って高校を中退した。その後料理人になり自分の店を持つようになったが、上手くいっていたとは言えない。常連客はツケを払わないし、何で潰れないのか分からないような、寂れた店の店主だ」
「はい」
「そんな男だが、俺にとっては最高の親父だ。飲んだくれのお袋の代わりに3度のメシを食わせてくれて、高校に入れてくれたのはオヤジだった。ガサツだが愛に溢れていて、俺もいつかあんなコックになって、親父を助けるんだと、昔はそう思っていた」
「はい」
「だが、高校で軍に入らないかと声を掛けられて、それで気付いたら人殺しの手伝いだ。何でこんなことになったんだ。クソがよ。しかも異世界に召喚されて、人殺しの道具を出すのが才能なんてな。コックはどこいったんだコックは。何で俺には親父のように他人を助けられる才能を持ってないんだ」
「ミックさんって疲れると愚痴止まらなくなるタイプですか?」
昨日の話し合いから一夜明け、また夜になった。アントニオさん、ミックさん、僕の3人がテーブルに着いている。
ミックさんの手から皮膚を突き破って黒い枝葉が生える。枝葉たちは繭を作るように円筒形へまとまり始め、あっという間に缶スプレーのような物ができあがった。彼は"8番の武器庫"によって作り出した物品を机の隅に置く。
「ほら、手が止まってるぞ。どんどん出してくれよ。他人を助けるために」
そうアントニオさんが半笑いではやしたてると、ミックさんは地雷をひとつ取って、
「ヘイト、こいつをトーニォの枕に仕掛けてこい。いい夢見せてやろう」
「冗談が出るくらいならまだ出せるな。地雷」
「冗談だと思ってるのか……ハッピーな奴だ」
「アントニオさんちょっと黙っていただけます?」
机の上に山と積まれた地雷と、白を通り越して青くなった顔を見比べる。彼はほとんど1日中、作戦で使う武器を出してくれていた。元軍人だから我慢強いのはそうなのだろうが、それにしたって"才能"の使い過ぎだ。如何にも体調が悪そうだが大丈夫だろうか。
「ミックさん、木こりから仕事頼まれてるって」
「まあこんな調子じゃダメだな。ミックよお、明日は休んだらどうだ?」
「やれるさ……やれる……俺なら……あの時と比べれば……」
虚ろな目をしながら地雷をいじくっていて、限界感が漂っている。事情を知らない者が見たら救急車を呼ぶだろう。今の彼を黒い森に近付けてはいけない。
「もしよければ僕が行きましょうか?」
「その方が良いな――ほら、もう寝ろ、ミック」
「まだ大丈夫だ……俺は……」
「さっきのは冗談だって、変なこと言って悪かったよ」
言いながらアントニオさんはミックさんに肩を貸すと、部屋へと連れて行く。
残された僕は、山積みになった人殺しの道具を指さし数えて、これだけあればどれだけのひとが救えるだろうかと思いながら朝を待った。
少し天気が悪い。日の出前の空は曇っていて、雨がぱらついている。
ここから黒い森は目と鼻の先だ。粗野だがしっかりした造りの小屋が立ち並び、物見櫓や武器の掛けられた台の設置されている、柵に囲われた軍の野営地――ではなく木こり達の作業場。
案内してくれる木こりは僕を見て怪訝な表情を浮かべていた。おそらく初対面だからだろう。若い、僕より少し年下だろうか。松明の灯りをたよりに一番大きな建物へと入る。
「親方、客です」
「後にしてもらえ。朝礼中だ」
「それが……使徒だと言っていて、変な鎧を着てます」
「それを先に言え――ああ、ヘイト、待たせてすまない。来てくれたのか」
「ミックさんの代わりで……外で待ってますか?」
「いや、いいんだ。入ってくれ」
部屋は広く、暗い。奥の方は影が差していて顔ぶれこそ見えないが、息遣いからすると大人数が集まっている。
何となくだが、嫌な雰囲気だ。いつもは戦闘前で空気が張り詰めているのに、今日は緩いと言うか、鬱々としている。
親方の話す内容からも、「勝手な行動は慎め」「落ち着いて行動しろ」「命令に従え」などといった言葉が拾えた。
朝礼が終わって、各々が作業場に散らばって準備を続けている。東の空には太陽の光が漏れていた。いつもなら森に入り始めている時間なのだが。
荷車を引く木こりに話しかけられる。
「使徒様、ごきげんよう。一緒に戦えるなんて光栄ね」
「あ、どうも」
「あなたでしょ?先月の侵攻作戦で撤退しないで森に残った使徒って」
「そうです。広まってますか」
「そう、不死身って嘘じゃないんだ。羨ましい」
「あまりおすすめしませんが」
字面だけ見るとステキなことを言われているが、作業の片手間に半笑いで言われているのだから、察しの悪い者でも分かる。これは皮肉で、軽んじられているのだ。それが分かってて普通に返答をする僕も僕だが。
親方が割って入った。
「おい!黙って作業しろ!」
「元気のない子供ですねえ」
14歳くらいの大福のような顔をした木こり見習いは、舌打ちをひとつ残して作業に戻った。
あの子だけではない。皆、横目でこちらを見ている。仕方がないか。
高級そうな装備を身に付けた奴が突然現れ、使徒として親分に特別扱いを受けている。加えて何だかアホそうだ。これは間違いなく不快だろう。
親方は短い黒髪の生えた後頭部を掻きながら、苦労の刻まれた彫りの深い顔をしかめて「すまんなあ」と言う。
「いえいえ。それより何だか久しぶりですね。いつの間に親方に?」
「あの時ヘイトが助けてくれたおかげだ。とは言っても、前の親方が大怪我して繰り上がったってだけだがな。正直、荷が重いよ」
そう言って彼は自嘲気味に笑った。
僕よりずっと大柄で、鉄の足鎧、それ以外を革鎧で固め。使い込まれた赤い頭巾のある上着を着ている。この世界に来て最初の侵攻作戦で一緒になった木こりだ。見ないうちに昇進している。嬉しくなさそうだが。
「何と言うか。お悩みの原因は彼ら、ですか」
働いている数十人の若者たちを見ながらそう聞くと、親方は唸った。肯定しているように見えるが明言はしない。
「最近、北から来た孤児とか傭兵崩れの連中だ。それが悪いって訳じゃない。俺も同じようなモンだったし」
「この街のひとじゃないんですね」
「ああ、北はどうにも情勢が不安定って噂だ。喰いっぱぐれて、この街なら仕事があるって聞いて流れ着いたんだろう。
それで、同じ時期に入った仲間が魔物に殺されるのを見て、ここらで木こりをやるってのがどんなことを意味するか知っちまった」
「なるほど――」
目を瞑って思い出せばすぐに聞こえてくる、生きて帰れなかった木こり達の断末魔が。余所者の彼らが知ったのは、いずれ自分もそうなるということ。
「木こり以外の仕事は?」
「農家やるにも土地が無えし、娼婦や修道院は最後の手段だ。国会は、どうかな、身元がはっきりしてねえとな。馴染みの職人に弟子として取ってもらうって手も無くはないが、あれだけの人数はとても」
無理か。
来るもの拒まず、の木こりくらいしか、雇ってくれるところが無い。
「喰っていくためにはちゃんと働いてもらわにゃ困るんだが、折れかけてる」
この世界の農民は1着の服が財産で、1振りの斧に命を懸けている。精一杯生きていると言うより、生きるので精一杯という表現が正確だ。
行政のセーフティネットなどは現代社会と比べるべくもなく、身寄りがなく働き口もなければすぐに飢える。
飢饉や災害、疫病や魔物などは命の数で相殺するしかない、シンプルな世界。
そこで生きる、神が助けてくれないことを知った若者たち。
「持って半年ってところか」
親方が悲しそうな顔で言い、反射的に背筋が凍る。
「ミック様は軍にいたと聞いた。ちゃんと戦えば生き残れるってことを、あいつらにビシッと教えてくれればと思ったんだ」
「そういうことですか」
何となく、思うところがある。
「盾、貸してもらえますか?」
盾なんか一度も持ったことない僕がそう言うと、親方はキツネにつままれたような表情を浮かべた。
黒い森へ入って50メートルほどか。少し走れば出られるくらいの距離だが、狗と徒競走しても勝てる訳がないから、何の慰めにもならない。
静かだが、後方で最初の1本を切り倒したら、その音で奴らが駆けてくる。
右手に錆びついた盾を持って、戦陣の一番前に並ぶ。右側の熟練は平然としているが、左側と後方にいる見習いは過度の緊張感からかすでに息が荒い。
「材木ッ!!」
ミシミシ、バキバキと木が倒される音が響き渡った。
一列になって盾を構える。見習いの彼は腰が引けていたので、迷ったが、背中をぽんぽんと叩き、目を合わせて何度かゆっくり頷いて、一緒に腰を落とした。
茂みの先から足音。正面より左。数は6かな。
「11時!6!」
左足を1歩進めるのと同時に狗が飛び出し、楯から身体に衝撃が突き抜ける。狗の速力を落とし、これを何とか耐えて――!
「行きます!せェ、のッ!!」
「うラあァっ!」
最前列に並んだ全員で息を合わせほとんど体当たりのシールドバッシュを放つ。堪らず転がった狗の脚に盾を叩きつけて折り、すかさず左の狗を殴る。他の狗もベテランによって体勢を崩されている。
「後方は止めを!」
立ち上がりかけた狗に蹴りを入れながら前に進み、後ろに控えた木こり達に殺すのを任せ、次の襲撃に備える。
盾が下がっている見習いに「すぐ次が来ます」と声を掛けると、彼はこちらを見て今度は力強く頷いた。
このくらいの数だったらひとりで暴れて殺してもいいが、多分それじゃ意味がない。今回は使徒がいたから誰も死ななかった。じゃあ明日は、1週間後は、使徒がいなかったらむざむざ死ぬだけなのか。
それでは駄目だ。今日は使徒ではなく、木こりとして戦う。
「12時!4!」
木こり達と突進を受け止め、やれる限り脚と殺傷能力を殺して、後ろに任せる。木の根に引っかかった木こりと狗の間に盾を身体ごと捻じ込み、ナイフを抜いて腹を裂く。
特別なことなどなくても良いと、自分たちの力だけでも魔物に打ち勝てると知ってもらう。
「前に出過ぎないで隊列を維持してください。息が上がる前に後ろと交替して」
敵と、味方を見て、手が足りないところへ行って同じことを繰り返す。
真横から飛び出して来た1匹を盾で受け止め、斧を抜いて太い頸に食い込ませる。倒れた頭を踏みつけ、死ぬまで同じところに刃を叩きつける。
もう誰も死んで欲しくない。
「今日は珍しく上品に戦ってたなあ、ヘイト」
「やめてください。盾が難しかっただけですよ。ベテランは上手に使ってて凄いです」
夕方だ。
辺りが暗くなる前に片付けまでを済ませないといけないから、遅くまでは戦わない。
撤退が無事に済み、死者や重傷者が出ず、久しぶりに昼過ぎまで仕事ができたと言う親方の微笑は柔らかい。
「ははっ。相変わらず謙虚だな――今日の伐採で若い衆も少し思うところがあったみたいだ。見てみろ。自分から、しかもあんな丁寧に斧を研いでいるのは始めてだ」
「良かった。うぅん、これからもちょくちょく来られるといいんですけど……」
「ん?何かあったのか?」
「あ」
そう言えば、相手の悩みを聞いて僕の悩みを話していなかった。
身振り手振りを交え、一生懸命だらだらと事情を話す。
「それで、できれば協力して欲しいんです。難しいですよね?」
「そうだなあ」
親方は眉間に皺を寄せ、片づけをしている木こり達の方に視線を投げて――
ニヤリと何かを思いついたように笑った。
「ヘイト。あの時、必ず恩は返すと言ったよな」
「え?あ、はい」
そうだったっけか。
「人手を用意しよう。任せてくれ」