89話 7月12日 非日常のなかの日常
8日前に遡る。
もう夕方だ。あの、空色と淡い桃色のグラデーションに彩られた空は、何色と表現すればいいのだろうか。街からの辻馬車から降り、高低差の少ない田舎の風景を見ながら帰路につく。
木造りの家が幾つか建っている村に入って、根城にしている酒場へと向かう。踏み固められた土の道を、畑仕事から帰って来た村人たちや、一晩の宿を求める行商人が行き交っていた。
「やあ、使徒様。ごきげんよう」
「街の様子は変わりなかったかい?」
「やっぱりヘイトはその甲冑を着てないとねえ」
「ヘイト様、またその趣味の悪い鎧を着たんで?」
「ちょ、ちょっと色々ありまして……」
すれ違う度に顔見知りのひとたちが笑顔で挨拶してくれる。最近めっきり暑くなったから、皆カリカリに日焼けしていた。
この中世欧州のような世界において宗教は支配的。だからただの日本人高校生である僕なんかでも、神が遣わした使徒であるというだけで敬ってくれる。敬意を感じさせない砕けた話し方はご愛嬌だ。
酒場の扉を開けると酷い喧騒に迎えられた。思わず笑ってしまうくらいの賑わいだ。満員の店内が見え、奥の方のカウンターでせっせと料理を拵えている女将さんがいる。席は50人ぶんくらいしかないのに、明らかにそれ以上の人数が入っているから大変だろう。
四方八方から声を掛けてくる酔っ払いを搔き分け、いつもの机へと向かう。荒削りで長方形の木製テーブル。決まった席に見知った顔ぶれが座っている。
そのうちのひとりが僕を見付けた。
「何でまた着てる?」
腰を降ろすやいなや怒られる。
「あぁ、その。大変です。アントニオさん」
「それは呪われた鎧を着て、俺たちと一緒に夕飯を食べられないことより大変なことか?」
いつものにやけ顔を引っ込め、健康的に日焼けした西欧系の顔を歪めて「不快です」とアントニオさんは訴えてくる。
「いやそんなことはないんですけど……黒い森が発生したらしくて」
「何だと?今まで何処で何してたんだ?メサちゃん放っておいて」
「いやあ、教会で……あ、街のですよ?それでアイシャさんが困ってるって。何も言わずに何日も空けたのは謝ります……」
言い訳をしているようで上手く言葉が出てこない。ほどよくお酒が入った彼をいなした方が良いのか、起きている問題を話した方が良いのか、どうしたものか。助けを求め、アントニオさんとはまた違った欧風系の絶世のイケメンに目線を送る。
「黒い森の発生か……早めに対処しないとまずいことになるね。発見は何時?」
怜悧な光を宿した灰色の瞳がこちらを捉え、柔らかく表情をつくったローマンさんが尋ねてくれた。
「えっと、3日前だそうです」
「場所と規模は聞いてるかい?」
「規模はまだ聞いていなくて……でも、場所は聖域の近くです」
ああ……と呆れと苦笑が混じった声が机の上で揃う。
「ちなみに、どこか対応している組織は?」
「聖騎士隊が行ってるんですけど、改善はしてないみたいです。教会と国会と商会で話がまとまらないみたいで……とどめに使徒の召喚が近いです」
「悪条件が重なってるなあ」
僕の説明が一向に要領を得なかったからか、ローマンさんはちょこちょこ質問することで情報を補完してくれる。黒い森が発生してしまったことに関しては僕が悪いわけではないのに、怒られているように感じて恐縮してしまう。
「経緯は分かった。ヘイトがまたその鎧を着たのは、戦うって意思表明かい?」
「まあ、そんなとこです」
うぅん、と皆が悩むタイミングで、武骨な白い顔を顰め、短いモヒカンを撫でながらマイケルさんが口を開いた。
「話の腰を折って悪いが、黒い森の"発生"とはどういうことだ?街の南にある森とは別物なのか?」
そう言えば前回の発生は5カ月前、その時はまだミックさんは召喚されていなかった。知らないのも当然か。
「ミック様は今回が初めてでしたね。通常であれば、黒い森は地続きにその範囲を広げますが、まれに関連の無い地域に黒い森が現れることがあります。始めのうちは小規模ですが性質は同じですので、放っておくと範囲が広がります。いずれ黒い森に飛び地ができてしまうことになりますね」
質問に答えたのはメサさんだ。以前も同じように説明を受けたが、あの時よりも親しみの感じる口調になっている。
「街は挟み撃ちにされるわけか。面白くないな。まれって言うのはどの程度だ?」
「前回が5カ月ほど前、その前は4年前です」
「ふむ。原因は?」
メサさんは瞼を瞑って整った顔を左右に振った。それに合わせて長い夕焼け色の髪もさらさらと揺れている。
原因不明か……と呟きながらミックさんは無精ひげの生えた顎に手を当てた。
今いるのはアントニオさん、ローマンさん、ミックさん、メサさん、そして僕の5人。前と比べて人数こそそう変わらないものの、一抹の寂しさを覚える。
ちらっと空いた椅子が見えた。立ち飲みも相席もいるのにぽっかりと空いた席。半年前に僕が召喚された時は埋まっていた席。彼らもいてくれれば心強かっただろうに。
「マイケル・アーリマン大尉、現状を理解したか?」
「中尉だ。それも元な」
アントニオさんはからかうように言うと、抗議するような声でミックさんは答えた。
「はあ。化け物を生み爆発的に範囲を広げる冗談みたいな森が、別の場所に現れた。規模が小さいうちにさっさと根絶やしにしたいが、権力者はボーダーラインを見極めて手をこまねいてる。しかも――ヘイト、やるからには何か策を考えてるのか?」
「あ、僕ですか?えっと、まず僕が突っ込みます」
「しかも今のところ無計画だ」
「ヘイトが何も考えていないことまで見抜くとは素晴らしい洞察力だミック中尉。貴様には勲章をやろう」
アントニオさんは真面目くさった表情で輪切りにした腸詰をミックさんのシャツに貼り付けた。酔っ払いにうんざりしたようなミックさんはそれを摘まんで口に運び、「アントニオは俺に恨みでもあるのか」と呟いている。
「ま、まあそれで、皆さんには協力をお願いできないかと。無理にとは言いませんが」
正直、動いてくれるかは確信が持てない。黒い森を伐採しに行くということは、すなわち森が生み出す魔物と戦うということ。それは不死身で怪我ひとつしない僕とは違い、どれだけ準備をしても危険がまとわりつくことを意味する。
危ないからやめとくと断られても仕方がない、そう思うとどうしても言葉が尻すぼみになる。
「分かった、私も一緒に戦う。まずは人を集めないとね。弓兵隊に近々動けるか聞いてみる」
「では、私もシンイー様のところと、あと使えそうな傭兵を集めてきます」
「本当ですか!?ローマンさん、メサさん、ありがとうございます」
「じゃあ俺は木こり衆と自警団にでも話してくるかな」
「木こり衆の方は俺が行こう。別の仕事も頼まれてる」
「アントニオさんとミックさんもありがとうございます!」
最悪の場合はひとりだけで戦うつもりだったが、5人になった。人手不足には変わりがないが、何故か何とかなるような気がしてくる。
「ヘイト様、作戦決行は何時にするつもりかお考えですか?」
「無計画です。1週間後とか?」
メサさんの問いに無思慮さを披露すると、彼女に苦笑させてしまった。
「1週間後は現実的なラインかもしれませんね。その間にも森は広がりますし。ですが時間がありません。提案なのですが、効率的に募兵するためにも広告塔を擁立してはいかがですか?」
「部隊の顔、みたいなことですか」
「ええ。そうです」
広告塔……イドロ……アイドル……偶像、を擁立。
つまり人気のある者を派手に盛り立てて、短い時間で人手をがさっと集めようと、ついでに錦の御旗を振り回して戦意高揚もしてしまおうと、そう言った提案だろうか。
「アイシャさんとか、彼女から話を聞きましたし」
「アイシャちゃんは可愛いし街の人気者だが、あくまで一介の修道女だ。ジャンヌ・ダルクみたいに扱うのは荷が重いんじゃないか」
「トーニォの言う通りだ。今後の人生を左右してしまうかもしれない。使徒が良いだろう。俺みたいに知名度が低くない奴だ」
アイシャさんはダメ、ミックさんでもダメ、そしてこの世界の住人であるメサさんもダメ。
「ローマンさん、引き受けてくれませんか?」
「遠慮しとくよ」
ローマンさんはお酢を飲んだかのような渋面を作った。凄く嫌そうだ。それを見たミックさんが詰める。
「ローマンなら不足は無いだろう。何故断る?実力があるんだからもっと前に出るべきだ」
「私は後方でいいんだ。これ以上目立ちたくない」
「ローマンは名声を他人になすりつけるところがあるな」
「真の使徒だ、英雄だと、街を歩きづらくなるんだよ。人に囲まれてしまって。私に好意的なぶん、あからさまに嫌がるのも申し訳ない」
深呼吸のような溜息を吐き出しながら、ローマンさんはテーブルを見つめる。メサさんが気の毒そうに相槌を打った。
「ローマン様のお顔は婦女子にとって毒ですからねえ」
「うぅん。夜は扉も窓も鍵をかけておかないと危ないんだ。この季節はつらい」
「え」
「まあ」
「凄いな」
「お前……俺は夜に女性が訪ねて来たことなんて一度もないぞ」
ローマンさんの発言に皆唖然としている。憂いを含んでも魅力的な彼は、マリネにされたオリーヴを食べるわけでもなくフォークでつついている。
目立ちたくないのに姿形が良過ぎて願いが叶わないこともあるのか。人それぞれだなあ。
『勘治も人気あるよね。人妻に』
『こっちに話振るんじゃねえ。クソフベルト』
『はっは。儂もあやかりたいものだ』
「――イト。ヘイト?どうしたぼーっとして」
「あ、大丈夫です」
何だか、使徒同士仲間同士で意味のない会話をしていると、無性に懐かしくなってくる。一足先に還った皆は、元気でやっているだろうか。
「私よりもヘイトの方が良いと思う。この街には潜在的に恩を返したいと思っている人、多いんじゃないかな」
「え、いや。僕には無理ですよ。務まりません。アントニオさんの方が良いと思います」
ローマンさんがなすりつけにかかる、相手はよりにもよって僕。緊急回避にしたって人選ミスだ。自分に人気などあるはずもない。アントニオさんへバトンを回す。
「魅力的な話だが、俺は裏方が動きやすい。だからローマンに賛成だ。ミックは?」
「ヘイトがこっちに向かって指を指しているポスターを作ろう。デカく"君が必要だ"って書いてあるヤツだ」
「私ももちろん賛成ですわ。4対1で可決ですね。民主主義というやつです」
「この世界封建制でしたよね?」
おかしい、気が付いた時には広告塔に就任しかけていた。提案をしたメサさんの眼が笑っている。意図は不明だが、また嵌められたのだ。まあ、言い出しっぺのようなものだし、仕方がないのかもしれない。
「じゃあヘイト、音頭とれ」
言いながらアントニオさんは僕の前にコップを差し出し、自分のを持って掲げた。皆もそれに倣う。
諦め、コップを持ってフラフラしながら立ち上がると、店中が僕を見た。やりにくいな。
「で、では皆さん。1週間後に向け、よろしくお願いします。
がんばろー、おー」
「おー」
僕の気の抜けた音頭は、酔っ払いたちの気の抜けた声で返された。
……大丈夫だろうか。