80話 主に祝く、魔に呪く
「悔悛の鎧……の能力」
髑髏の言った名を復唱する。
半ば偶然この鎧に出会ってから約半年。その間食事も睡眠も取らず、負傷もしない。それによってあまねく生物に来るべき死も、さっぱり訪れる気配がない。
生き物にあるまじきこの生き方は、やはりこの鎧の所為か。
「自分で判断しろ」
髑髏は両手を打ち付けた。
一拍。
乾いた破裂音に瞬きをひとつすると、風景が一変する。
夕焼けが照らす通学路から、曇り空がガラス窓に映る建物のなかへ。
何が起こったのか分からず、落ち着きなく左右を見る。
広い室内には幾つもの本棚が整然と並んでいて、そのどれにも本がいっぱいに詰まっている。ここは憶えがある。中学校の近くにあった県立図書館だ。人気がないから、設置された机と椅子はただのオブジェと化している。
いや、一席だけ埋まっている。サイズの合っていない大きなブレザーを着る少年の後ろ姿が見える。
見てはいけないものが視界に入ったかのように目を背けた。
髑髏は本棚から一冊引き抜く。題名は……『魔に呪く』だろうか。
「悪魔が自らの魔法を織り込んで創り出した装備には、表と裏の力がある。武器であれば、"体温の上昇"や"体内に蠟が溜まる"などだ」
クエレブレの逆鱗、エレンスゲの棘。
使用者に人知を超えた力をもたらす代わりに、というか同時に、デメリットをもたらす。
「防具であれば――」
「脱げない」
そうだ、と髑髏はページを捲りながら頷き、
「人間の勝手で身に着けた防具を、人間の勝手で外すことは許さん、とそう考える悪魔は多い。力を貸してやったのだから代償を払え、無様に踊って見せろ、と観劇をしているのだ」
悪魔を軽んじるような口調で、自称偉大な悪魔氏は言葉を続ける。
「そのペニテント・アーマーも例に漏れず、神の秘跡を執り行う聖職者の祈りを受けるか、使用者が朽ちることでしか脱げることはない」
「だから儀式は失敗したって――」
「脱げる脱げないは重要ではない。肝心なのは鎧に込められた魔法だ」
本棚から『始皇帝』と題された本を手に取った骸骨は、マイペースに話を進める。
「とある偉大な悪魔が創り出したその鎧は、あらゆる魔法干渉、秘跡干渉、そして物理干渉から使用者を守り、大部分を無力化する。さらに、使用者の生存を持続するのに最低限の生存保障を行う」
言葉の意味はイメージしづらいが、経験から分かる。
これまで散々な目にあってきた。巨大な剣に叩き潰される。炎に巻かれる。身近で爆発が起きる。屋上から落下する。
そのどれもが、命を奪うに至っていない。
「いいや。お前は理解していない。その鎧がもたらすもの、それはとどのつまり"不死"だ」
「は……」
思考が止まる。
「質の良い装甲は生半可な攻撃を跳ね返し、それ以上の干渉は薄くする。窒息や毒などの要因からも生存を保障する」
それは――
「ペニテント・アーマーを着用した人間は死ななくなるのだ」
「ちょっと。ちょっと待って。それ、ひとによっては、喉から手が出るほど欲しいんじゃ」
昔から不老不死は人間が見る夢だ。
物語や伝記でも重要な要素になっている。
無二の友人を喪ったメソポタミアのギルガメッシュ王や、中国を統一した秦の始皇帝も、不老不死を探求した。
死という究極の破局から逃れられない人間が、どれだけ求めても得られないもの。
それがこの悪趣味な鎧を着るだけで手に入る。
「如何にも。これは良い鎧だ。作り手が優秀なのだから当然。しかしこれを着た人間は3日と経たず『脱ぎたい』だのと泣き喚いた」
「なんで……」
言っている間に思い至る。
能力云々は置いておくとして、この鎧は飲み食いや排泄をする構造をしていない。人が飲食をしないで生きていられる時間は、最短で三日程度だったか。
こいつの言う"最低限の生存保障"はどこまでを言っている。飢えも乾きも感じないのは、それはこの鎧が持つ能力の範疇ではないのか。
「不死を得られると喜び勇んで鎧を着た者たちは、徐々に衰弱し動けなくなった」
「栄養失調と脱水にはなるんですね?不良品じゃないですか」
悪魔は呆れた声で続ける。
「不死を与えてやっているのだから、そのくらい我慢してもらわなければな。人間は愚かだ」
「そんなの……」
碌なモノではない。保証されているのは最低限の生存だけ。飢えて乾き、糞尿を垂れ流しながらピクリとも動けない。望んでそんな生き方をする者などいない。
永遠に意識を持ったまま生き埋めになるのとさして変わらない。これは呪いの詰まった棺桶だ。
「そんな危なっかしいもの着てたのか……」
全ての呪物は悪魔が作ったものであるという。そんなものが良心的であるはずがなかったのだ。
不死を求める者が手に入れたものは、後悔だった。
「……いや、待って。僕は動けますよ」
「それが奴がお前に与えた能力だ。当初の思惑からは外れた結果だろうがな」
いい気味だ、と髑髏は呟く。
僕に能力を与えた奴。それは多分――。
背の低い少年が横切る。身体が硬直する。
少年は僕と髑髏に目もくれず本棚へ近寄り、並んでいる背表紙たちを順に睨みつけてから、『主に祈く』と題されている本を持って行った。
「擦れたガキだな」
「ええ、本当に」
感覚がブレる。
可愛げのない少年は席に戻ると、ページを捲り始める。
確か、中学生には内容が難しくて殆ど理解できなかったのだ。それでも、あの時は何かを探して本を読むくらいしかできることがなかった。
少年の学業における成績は、まあ悪くはなかった。
授業をちゃんと聞いていればペーパーテストはできる、などとは到底言えない。この図書館で勉強ばかりしていたからだと思う。
将来なりたい職業があるとか、勉強が好きだったわけではない。
相変わらずお金はなかったし、年齢的にアルバイトはできない。友達もできなかった。勉強してくると言い訳をして図書館に逃避をまたし始めたので、ひたすら暇つぶしをしていただけだ。
それなりの点数をとりあえず取っておけば、教師や両親が迷惑顔をすることはない。空気のようになり、手のかからない子供を演じていれば都合が良かろうと、そう思っていた。
それでも、興味の対象が脇道に逸れまくって、『伝記まんが ダーウィン』や『エテ公でも分かる 天国と地獄』だとかの本をパラパラしていた時は流石に成績が落ち、点数を見た親が、どうしたんだろう?という表情を浮かべたので、そこからは若干の軌道修正をした。
楽しくはないが、そこまで苦しくもない時間。
漫然とした3年間だった。
「お前の才能、"最適化"は、肉体を維持したまま内部構造や機能を最適な状態へと作り替える。
お前の身体に張り巡らされたレガロは、栄養摂取などの必要がない肉体に作り替えた。お前の身体は今、通常の人間が行う代謝とは全く異なる生命維持をしているのだろうな」
髑髏はいとも簡単にネタをばらす。生きるために身体を最適化させるレガロだと。それを聞いて何だか無性にやるせなくなる。
「大きな干渉を受けた際に気を失っていたのは、レガロが破壊された反動だ。"最適化"はお前が夢のなかでうじうじしている間、レガロの再起動と肉体の修復を行なっていた」
レガロは使ってこなかったのではなく、ずっと使っていた。呪いの鎧――ペニテント・アーマーを着たあの時から。最初はそれこそ、レガロが肉体の作り替えを始めたために気絶したのかもしれない。
僕を生かすために。
「このレガロ単体では筋力や瞬発力が跳ね上がることはない。大怪我を負えば死ぬ。また、優れた武器を発現させるわけでもない。せいぜいが不毛の土地でも生存できたり、軽作業が延々とできるくらいの能力だ。
高出力ではあるが、使い道は無いな」
使い道の無い、役立たずの才能。
勘治先生のように美しい日本刀でも、
教授のように智慧を授ける書でも、
フベルトさんのように一騎当千の騎馬でも、
ローマンさんのように必殺の弓でも、
アントニオさんのように敵を欺く銃とナイフでも、
彼のような仮面でもない。
ただ生きるための能力。
「しかしだ」
髑髏はこちらを見る。
「悔悛の鎧にとっては最適だった」
脱げようが脱げまいが結果は変わらない。
この鎧が持つ、構造的に飲み食いができないというデメリットを、レガロが採算をとる。
高品質の鎧は攻撃を退け、通ってしまった衝撃をレガロが修復する。
レガロが死を防ぐことはないが、鎧はそれを許さない。
差し引き残ったのは、
不死の身体。
「僕がこれまで死ななかったのは、この鎧の能力で、普通に活動できていたのは、レガロのおかげ?」
「如何にも。そうして、食わず、死なず、疲れを知らずに戦い続ける佐々木竝人という使徒が生まれた。滑稽だな」
髑髏はそこまで言って別の方向に視線を向ける。つられるように僕もそちらを見た。
ラフな格好の男性がひとり、ブレザーを着る少年に近付いていく。大柄で禿頭、肌の色はコクタンのような濃色だ。
「興味あるのか?」
明らかに日本人ではない屈強な男性が少年に声を掛けた。
少年と僕の身体が同時にビクッ、と震えた。
感覚がおかしくなる。
少年と僕の区別が曖昧になっている。座っているのが僕で、鎧を着ているのが少年だったか。
誰かに話しかけられるとは思っていなかったから。
「えっと……あ……の」
動揺に拍車をかけたのは、プロレスラーみたいな外国人男性に不意打ちされただけが理由ではない。丁度その時開いていたページが原因である。
イタリアの詩人であるダンテ・アリギエーリの書いた『神曲』の地獄篇、第七圏である"暴力者の地獄"に、暴力を振るった不届き者は落とされる、と図解しているページだ。
第一の環。隣人の身体や財産に対して暴力を振るった者は、煮えたぎる血の河に漬けられる。
第二の環。自殺者の森。自ら命を絶った者が、奇怪な樹木と化しハーピーに葉を啄ばまれる。
第三の環。神と自然と技術に対する暴力。神および自然の業を蔑んだ者、男色者に、火の雨が降りかかる。
ひとは神に似せて神が造った生き物だ。命は神から賜ったものだ。だから命を、ただの被造物である人間如きが奪ってはならない。
そんな感じの、どうあがいても宗教がらみのページだった。
どう見ても日本の方ではないし、恐い大人に勧誘されたと思ったのだ。コミュニケーションに不安を感じる者には、とても難易度の高い状況。唾を飲んでも口が乾いていた。
驚かせてすまない、と言って男性は向かいの席に座った。
うそ、すわるの、と思っていた。
「緊張させてしまったな。安心してくれ、俺は地獄に落ちるようなことしないよ。神に誓って」
「あの……ごめんなさい……間に合ってます」
「ふっ……」
勧誘とかじゃあないと、理知的な口調で笑みを浮かべて言う。それで緊張が解けるわけもないが、日本語が流暢なのもあって、ふたりはボツボツと会話を始めた。
「奴は困っていたよ」
髑髏が話し始めて、感覚が鎧のなかに戻ってくる。髑髏は全身をしどろもどろにする少年と、鷹揚な態度の男性を眺めている。
「お前に何の才能も無かったからだ。有力なレガロを与えたかったが、それが芽吹くような土壌がなかった」
何の才能も無い、そう言われて悲しいような、それを受け入れているような気分になる。今更それを言われても仕方がない。ひとより秀でたものがないのは僕が一番分かっている。
「稀で特別な血統でもなく、生まれた家は凡俗で、輝きを放つ才能を持つわけでもなく、恵まれた脳や肉体を持ってもいない」
しかし、改めてそうズタボロに言われると荒んだ気持ちになる。
「人間が長い時間を捧げることで手に入れる優れた思考や技術も、10代のクソガキであるお前には当然備わっていなかった。
お前には何も無かったのだ。
お前は取るに足らない奴だったのだ」
神を困らせるほどの無能だ。
「結局、生物が基本的に持っている進化と生存の能力を応用して、与えるしかなかった」
それで"最適化"か、誰にでも与えられる能力をもらった。ありがたみがない。
「よく馴染んだ、と奴は言っていた」
少年と話している男性が、ちらっとこちらを、戒めるような眼で見た気がした。
ドクン、と一拍、心臓が鼓動を打つ。
いや、気のせいだ。ここは夢の世界なのだから。
「お前は極めて消極的な生き方をしてきた。自分には何もできないと、何も変えることはできぬと信じ込み、何かを破壊しないよう、自分がその原因にならないように、黙り続けることで現状の維持を図った。
異世界に召喚されても、その鎧を着てからも、環境や身体の変化に不安を抱かなかった」
髑髏は続ける。
見透かされている所為か、徐々に動悸が早まっている。
「普通の人間であれば気が狂うような状況でも、お前は大した不安を感じていなかった。
皮肉なものだな。ちっぽけな不安に満ちた人生が、不安に耐える人間を生んだ」
動悸が早まっていく、冷や汗が噴き出る。視界がブレる。酷い頭痛がする。
「そう、お前は耐えられたはずだ」
それ以上は、聞きたくない。
「何故、諦めた?」
少年と僕の境目が消える。
「神の子は、人類の罪を代わりに清算するために、自分から磔になったんですよね」
「よく勉強しているな」
「……それって、自殺とは違うんですか?」
「自ら処刑場に赴き、結果として自らを死に至らしめた。崇高な目的があったとしても、それは自殺だと?」
「は……はい」
「どうだろうな。そもそも神の子は自らの復活を予言していた節がある。生き返ると知っていれば死ねるか……いや、君が聞きたいのはそういうことじゃないのだろ?」
小さく頷く。
神の子は弟子を救うとか、人類の罪を清算するとかで磔になった。彼の弟子たちには、信仰のために殉じた者がいる。
しかし、ただの自殺は罪なのだそうだ。他の宗教でも、何やかんやと自殺を禁じているものは多い。
命は神から賜ったものだから、殺人は当然罪だし、殺める対象が自分自身でも、殺人は殺人。
あれは良くてこれはダメ。
何かのために死のうが、生きててつらいから死のうが、僕には同じことに思える。
自殺は自殺ではないのか。
「中世のイギリスとかは、自殺者は心臓に杭を打たれたり、四ツ辻に捨てられたり、埋められたりって、永遠に彷徨うようにって……」
恐いこと言うな……と男性はしかめっ面を浮かべる。
恐いですよね……と僕は言う。
自殺をする人間など、埋められる前から四ツ辻のど真ん中に座り込んでいるか、さ迷い歩いているようなものだと思う。
不安な迷子だから、放っておいても勝手に死ぬ。
今更そこに埋められようが何も変わらない。
何かするなら、清潔なベッドでも置いてあげればいいのに、と。
「見せしめになんかして……自殺は罪にしておかないと、皆が困るんですかね?」
「そういった側面もあるだろう。自殺が1件あると、少なくとも6人の人間が深刻な影響を受ける、という。それに関しては今も昔も変わらないだろうし――
昔であれば尚更、罪にでもしないと社会が成り立たない。死んだら神の元へ行くからといって、次々さっさと向かわれても困る」
「迷惑なんだ……やっぱり、皆の」
どうすればいいのだろう。何か理由があればいいのだろうか。皆が、あれじゃしょうがないね、と納得してくれるような理由が。
じゃあ、たとえば、
「死の運命に抗おうとしないのは、罪ですか」
サングラスを外し、こちらを見る。
笑顔は消えたが、その瞳はとても真摯で――
「俺は罪だと思う。だが、後悔をする人間には機会が与えられて欲しいとも思った。
お前はどう思う?竝人」