74話 その墓に入る者は ―Ⅱ―
次に犠牲となったのは、一番近くに立っていた傭兵。
仲間の首が飛び、呆然とした一瞬。メフィストは強烈な踏み込みで肉薄し、両手に持った山刀を斬り上げる。
悲鳴のひとつもあげることなく、どさりと傭兵は地に伏した。
そこでやっと。
やっと傭兵は理解したようだ。
自分たちは嵌められたのだと。
それなりの場数を踏んでいるのか、戦闘を察した何人かは全身に力を籠めている。すぐ3人がメフィストへ斬りかかった。
メフィストは木の幹を盾にするように回避すると、赤い鎧の姿が消え失せる。
「何処に行った……?」
と呟きながら、4人の傭兵たちは辺りを機敏に警戒する。
「ダミアンだ!ふたりいるぞっ!」
離れているアーヴァインの怒声が届く。
が、遅かった。
同じ姿の傭兵が、いつの間にかふたりに増えている。それに片方が気付いたのは、もう片方の持つマチェーテが自分の喉に刺し込まれた時だろう。
残りのふたりは襲い掛かってくる仲間に対し反応が遅れる。ダミアンは躊躇いながら繰り出される一振りを難なくいなし、マチェーテを相手の眼窩に突き立てる。
滑らかな動きで投擲された左手のマチェーテが、導かれるように別の傭兵の腔内へと飛び込んでいく。
事切れて倒れる男たちの影から見えてきたのは、赤い鎧。メフィストは"代行者の仮面"で敵に姿を変え、混乱を巻き起こしつつ3人を斃した。あっという間にだ。
傭兵たちは、場数も踏み越えてきたのだろう。魔物を相手にして戦える猛者でもある。
だが、今回は相手が悪すぎた。
右手のマチェーテに付着した血を拭う赤い鎧の周りには、すでに5つの遺体が転がっている。
命が簡単に散ってゆく。
無惨にひとが殺されていく景色を見ても、衝撃を受けたりはしなかった。
それがある程度覚悟をしていたおかげか、神から与えられた力なのかは分からない。
「狼狽えるな!集合して一息に中継基地へ撤退する!!マルコ、ルーは先行して道を拓け!!」
アーヴァインが絶望する雰囲気を払拭するように指揮を執り、ふたりが退路へ駆けだした、だが、
「突撃」
メフィストのハンドサインに合わせて、取り囲んでいる赤い鎧の集団が号令をかける。後方の茂みから7匹ほどの狗が飛び出した。
突然目の前に出てきた魔物に不意を突かれた傭兵は足を止めてしまう。そうなってしまえばもう終わりだった。
1匹を退けたが、2匹目が脚に喰らいつき、命が断末魔に変わるまで数秒。こんな時に備えて、"聖典の紙片"で魔物に攻撃命令を出したのだ。
目撃者の傭兵はひとりも生きて返さない。
悲しくはない、つらくもない。
だた、虚しいと、
そう感じる。
残った狗が傭兵たちに襲い掛かり、たちまち陣形が乱れる。黐竿を持った中年が恐怖に駆られて粘着物を撒き散らし、仲間ごと狗の脚が取られた。その混乱をメフィストが見逃がすはずがない。
メフィストは自分の顔の辺りに触れ、左手の手甲から刃を生やし、傭兵と狗が入り混じった集団に躍り込む。
敵の攻撃を巧みに掻い潜り、右手のマチェーテと左手の手甲剣でパパゲーノを持った傭兵の頭を割り、2,3人を斬り付け――
咆哮を上げたアーヴァインの強烈な一撃が迎え撃った。
破壊の力を纏った"クエレブレの逆鱗"が的確に攻撃を放つ。メフィストはその絶槍を武器でいなしたが、刀身にはヒビが走り砕け散る。
メフィストは後退して槍の追撃を躱すと、横から大鎌が迫った。傭兵のひとりが持っていた聖遺物だ。
パタが砕けた手甲で刃を防ぎ、そのまま前へ踏み込んで強烈なアッパーカットを放つ。顎を砕かれた傭兵から大鎌を奪い、革鎧の隙間に切っ先を刺し込む。
大鎌の聖遺物を構えたメフィストは、黄色の盾を持った傭兵に接近する。放った突きはシールドで逸らされた。
だが、大鎌の刀身は、傭兵の真後ろにある。
クルッ、とメフィストが柄を捻ると、刀身と傭兵の首が一直線上にくる。
メフィストは突いた大鎌を、引く。
またひとつ、首が飛んだ。
死を振りまく赤い馬から眼を離せない。
彼が手加減をしている風にはとても見えない。
周りを囲んでいる赤い鎧の集団はただの盗賊だ。傭兵たちと戦えば確実に負ける。メフィストはたったひとりで全員と戦わなければならない。
死力を尽くして殺している。
それは、処刑されそうな仲間たちを救うためで……
足元から物音がして始めて、自分の手から力が抜けて、斧を手放したことに気付いた。
何かきっかけさえあれば、膝から力が抜けて、目を逸らしてしまいそうだ。
狗を退け、態勢を整えた傭兵たちから、ふたりの傭兵が歩み出た。両手に手斧を持った革鎧と、両手剣を持った甲冑。
それを見てメフィストは背中に装備した棒を取り出した。彼が愛用している、両先端が重くなっている1.8メートルほどの金属パイプに似た武器だ。
先端の重りとしなりによって生じる遠心力を乗せて、狗の頭部を打ち抜けば一撃で沈められるほどの破壊力が出る、と以前教えてもらった。
向かい合う3人の距離が縮まり……今までと違う、達人同士の激しい打ち合いが繰り広げられる。
棍と大鎌を操るメフィストに、ハチェットとツヴァイハンダーが果敢に打ち込んでいく。
甲冑が剣を振るった隙を、革鎧が素早く埋めている。さばききれない攻撃が赤い鎧を掠めて火花が散っている。
押し切れていない。
多分、僕が割って入っても邪魔なだけだ。
赤い鎧が、こちらを視ている。
メフィストが、剣戟の間にこちらを視ている。
眼を逸らすことは、逃げ出すことは、赦されない。
僕は腰のナイフホルダーから、刃を引き抜き、鎧の尻尾に渡す。
メフィストは大振りのあと、大鎌の聖遺物を投擲した。
傭兵に一瞬の隙が生まれる。
同時に尻尾はメフィストへ向かって刃を投げる。
黄金に輝く刃を。
間隙を突いて刃はメフィストの元へ届き、彼はそれと棍を組み合わせる。穂先を得た棒は――
メフィストが武器を振るうと、襲い掛かっていたふたりの聖遺物が砕け散った。
一掃。
力が抜けて倒れる傭兵。それを見つめる赤い鎧の手には一本の槍が握られていた。
「"薙ぎ倒す槍"……」
村長から預かっていた聖遺物。
あの槍は触れた物質よりも強く、硬く、鋭く、その性質を変化させると聞いた。
絶対に砕けず、貫けぬ物の無い刃。
扱う者次第で、薙ぎ倒す槍は防御のできない槍となる。
メフィストは未だ10人を超える傭兵たちを見据え、槍を構えると、敵の集団へ突貫した。金属が打ち鳴らされる音が黒い森に響き渡る。
この惨劇を作り出したのは、その要因のひとりは、間違いなく僕だ。今更目を閉じることも、逃げるわけにもいかない。
やめるわけにはいかない。
だから――
「そろそろ降りてきたらどうですか?」
目線を木の上に動かし、そう言ってやる。
「ハハッ、やっぱりバレてたか」
嘲笑うような声が帰ってくる。何時からかは分からないが、ずっと木の上から男が覗いていた。右半分が老人、もう半分が幼女を象った仮面をつけて。
その姿が消えて、自分の身体に衝撃が走る。斧を拾って反撃するが当然のように当たらない。
「よお、その魔剣。貰いにきたぜ」
男は仮面を外しながらそう言った。あの時、僕を教会の屋根から突き落とした傭兵。イェンマ。
こいつの素早さは危険だ。メフィストに近付けるのも、一部始終を目撃されて中継基地に戻られるのもまずい。
今度こそ、こいつを斃さなければならない。
革鎧の残像に斧を振り降ろしながら違和感を覚える。
様子がおかしい。
こちらを睨む眼光は狂気を孕み、以前よりも危うげに攻撃を避ける。何処かで怪我をしたのか、右手には包帯を巻いている。
イェンマはこちらの足を取りながらタックルしてきた。重心を崩され仰向けに倒される。奴は魔剣の柄に手を伸ばしていた。
引き抜かれそうになった刀身を咄嗟に掴んだ。逆の腕で顔面にパンチを打つが、イェンマは歯を剥き出しにして放そうとしない。
魔剣を奪い合おうと揉み合っているうち、その緑色の刀身が革鎧を斬った。奴の脇腹から血が滴り、2,3歩後ずさる。
俯いた表情は苦痛に歪んでいる、と思ったが、違った。
笑っている。
「もう、面倒臭いなあ」
イェンマはそう呟くと、首を巡らせて他の傭兵を見た。目線の先は、怪我を負い、メフィストから距離を取っているアルベルト。
背筋にヒヤリとしたものが伝う。
イェンマの姿が消え、アルベルトの前に移動する。
まずい――
恐怖に衝き動かされるように駆け出した。
イェンマは"71番の仮面"をアルベルトに――手に"ウェルテル"を持った傭兵の顔に押し付け、
「死んでくれ」
と言った。
「ああ……分かった……」
世界はスローモーションのように、ゆっくりと動いている。
アルベルトは茫然自失といった様子で、ピストルの弾倉に自分の血液を流し込み、銃口をこめかみに突き付ける。
シーラさんから聞いたウェルテルの能力。同族の死ぬ姿を感知した者に衝撃を与える。詳細を知れば知るほど、その影響は大きい。見てしまうのが、一番まずい。
もしそれで人間を撃ったら?
「見るなぁぁ!!」
傭兵たちと切り結んでいるメフィストに向かって、走りながら叫ぶ。
赤い鎧に飛びついてふたりで倒れ込みながら、何とか腕で彼の眼と耳を覆う。見てはいけない。そう思っていながら振り向くと、イェンマの姿は消えていて――
アルベルトは引き金に力を籠めていた。
乾いた破裂音が死を包み込む森に響き渡る。
赤い波のようなものが、見えた気がした。
身体は猛烈に重くなっている。
水の中にいるように、濁流に攫われたように、
ずぶ濡れになったかのように、身体が重くなっている。
うあぁ……、
と呻き声が勝手に出る。
死んではいない。まだ、倒れるわけには……
腕を地面に着き、身体を起こそうとすると、視界の端に足が映った。それがイェンマのものだと理解した瞬間に蹴り転がされる。
されるがまま仰向けになった僕の腰から魔剣を、乞患を引き抜いたイェンマは、恍惚とした表情を浮かべてその刀身を眺める。
やめろ、と言おうとしたが言葉にならず、
イェンマは渾身の力で自らの腹を貫いた。
無造作に引き抜いて。
何度も。
イェンマは膝から崩れ落ち、オーヴァードーズを搔き抱いたまま動かなくなる。
広がりかけた血だまりが、雑草の生えた地面に吸われてゆく。
アルベルトは頭部の半分が失くなっていて、その近くにいた傭兵たちは皆地面に転がっている。赤い鎧の集団のほとんどは膝を着き、倒れ、呻き声をあげている。
この森の中には苦しみだけが広がっている。
自分の感情が、自分でわからない。
凍えているように、奥歯がカタカタと鳴っている。
ここは地獄だ。
そして、
死屍累々のなか、比類なき槍を持ったふたりの男が立ちあがる。