72話 5月23日 雪冤宣誓
「被告、証言台へ」
ひとりの男が、闘牛場に設置された証言台へと歩いていく。
手錠をかけられていても、その足取りは堂々としていて気後れや恐れを感じさせない。
彼を迎え入れる乾いた闘牛場には、責めるような陽射しが注がれている。
いつもなら闘牛や召喚祭、送還祭で街の人々を湧かせる会場。ここは街の熱狂の中心のはずだ。だが、そんな場所には今、強い困惑と動揺が渦巻いていた。
裁判長であるこの街の領主、セフェリノさんは組んだ手の向こうから鋭い視線を向けている。原告側に座る教会の神父、バースィルさんは眉根を寄せて悲痛な表情を浮かべている。
そして、判決発見人のシリノからは時折笑みがこぼれている。
元々捕縛されていた自警団員と、自ら出頭したブルーノさんたちが縄を打たれて並べられている。街と村を守ってくれているはずの自警団、その全員が裁きを受けようとしていた。
証言台で立ち止まる彼を見て、観客席を埋め尽くす領民は息を飲む。
嘘だと言ってくれ、ヒル。
そんな声が届いてきそうだ。
ヒルを睨むセフェリノさんは冷徹な声を出す。
「これより、自警団の裁判を開廷する」
「被告はイェンマと共謀し教会の宝物庫を狙いました。悪意のある、計画的な組織犯罪だったと言うことです。結果、数十名の怪我人を出し、主より賜った多数の聖遺物を強奪した。
歴史に類を見ない邪悪な犯罪です。
これは主と領地への反逆であり――最高刑が妥当と思われます」
朗々と、台本を読み上げるように話しているのはシリノだ。
僕はその光景を、ただ見ている。
裁判の姿は元の世界とかなり違うだろう。弁護士がいなければ、検察もいない。流れも相当に異なっている。
数人参加している使徒は傍聴席で座っている。
使徒が裁判自体に関わろうとすると、控えめに、やんわりと、困り笑いを浮かべられて、断られる。
主は絶対だから、その遣いが発言してしまえばそれを無視することはできない。黒いものも白になってしまうから、それはしょうがない。
この場はこの世界の住人だけのものだ。
裁判は粛々と続く――
「被告、発見人の主張を認めるか」
「否認する」
セフェリノさんが無機質な声で質問し、ヒルははっきりと否定する。自ら残りの仲間を連れて出頭したのは冤罪を認めるためではないし、無策で姿を現したわけでもない。
ヒルに聞いた作戦通りにことが進めば、今日ここで僕の出番はないはず。
あの時、あの林でヒルは僕の条件を飲んだ。僕はシリノ一派を破滅させる共犯者となり、事務所に戻って自警団の皆と一発逆転の計画を聞いた。
この裁判は始まりに過ぎない。
ここで終わるわけにはいかない。ヒルはこの裁判で3枚の"切り札"を切るつもりだ。
1枚目、"処刑された盗賊団"。
先月の終わりに蜂盗賊団が処刑となったらしい。ドッペルの件に協力したボス氏、ヘラルドだけは減刑を貰って国外追放となった。司法取引と言うやつだ。
手下は全員強盗殺人など諸々の罪状を受けて刑が執行された。その方法は、この街で最もありふれたやり方。黒い森へ丸腰での追放だ。
猟犬が蔓延る森に放り出されて、生きているはずがない。今頃は魔物に襲われて間違いなく死んでいる。
普通なら。
真面目な表情に少しだけ困惑が混じっている衛兵が、証言台に立つ。
「匿名で告発がありました。自警団の拠点に盗品があると。何人か連れて半信半疑で向かうと、チコに快く迎え入れられました。聖遺物が見つかったとき、驚きましたが……一番驚いていたのはチコです」
席からチコさんの表情は窺えない。ただその佇まいから、怒っているような、悔いているような、そんな感情が伝わってきた。
教会のシスターであるエルザさんが毅然として証言する。
「ヒル様には教会の警備をしていただいておりましたし、当日には暴動の鎮圧にご助力いただきました。彼がいなければ死者が出ていたでしょう」
「被告は教会の警備状況が手に取るように分かっていたということですな」
キッ、とエルザさんがシリノを睨む。
「お言葉ですが、やり方が杜撰すぎますわ。ヒル様であれば、もっと都合の良いやり方はいくらでもできます」
「静粛に」
セフェリノさんが苛つきを滲ませた声で場を鎮める。
"比類なき槍"のリーダー、アーヴァインが証言台に立つ。
「12年前のことです。王都で政変があったあの日、自警団で活動している男を王都で目撃しました。その男が当時所属していた組織が、クーデターの主犯です」
「それは今回の裁判に関係があるか」
「はい、動機です。王都を離れたその組織は自警団と名を変え、この街で活動している。聖遺物を集め、次はティリヤをも陥れるつもりです。王都でやったように」
巌のような顔のアーヴァインは、燃えるような眼でヒルを見る。
証人たちが証拠を述べていく。劣勢、だろうか。
元の世界であれば、録画、録音、指紋などが有力な証拠になるだろうが、この中世欧州のような世界においてそんな科学的なものは望めない。現行犯以外は闇の中に消えてしまう。
真実を知っているのは本人しかおらず、疑われた時点で、冤罪を完璧に雪ぐことは夢のようなもの。
それに、シリノ側の供述にはきちんと真実が含まれている。過去に自警団が犯罪組織だったというのは嘘ではない。
だからこそ、切り札が必要だ。
2枚目、"代行者の仮面"。
ヒルの才能である。どんな姿にも変身でき、他人に渡せば設定した姿に変身させられる仮面。それはまるで影像のように、一瞬で赤い鎧姿にもなれる。
この能力を使ってヒルは"墓ひとつ"を組織した。
「被告、何か意見は?」
「自警団は無実だ。雪冤宣誓を」
ヒルが言ったのは、12名の仲間に人格保証をしてもらい、被告は正直者であると誓う行為。
この裁判が神の奇跡に依り、神父が執り行う神判であれば、その権利が認められるらしいが、今回はその前段階。所謂、第一審だ。
ルールにはない宣誓。それをヒルは敢えてやっている。
「これは神判ではない。そのうえ、使徒様方や自警団は人格の保証人になり得ない。誰が自警団の善性を保証する?」
それなら無実を証明する証人を連れてこい、とセフェリノさんは言っている。
「セフェリノ様、発見人に質問する権利を」
許可する、と頷くセフェリノさんを確認してから、ヒルは原告の方を見た。
「シリノさんよ。自警団はイェンマと共謀して、教会の宝物庫を襲ったってことだよな?」
「左様です。そのイェンマも貴方方が匿っているのではないですか?」
ヒルは鼻で笑って質問を続ける。
「自警団はかつて王都で暗躍した犯罪組織で、12年前に起きたクーデターの主犯?神罰教会と間違えているんじゃないか?特徴は?」
「間違いありません。黒いローブに黒い十字架を身に着けた神罰教会と、赤い鎧の集団が主犯格です」
「その連中は、赤い鎧の集団だったのか?」
「……はい、仰る通り」
シリノは、ヒルが一体何を言いたいのか測りかねているようだ。証言を丁寧になぞっていく質問には、意味があるはずだと。
「俺たちはその赤い鎧の集団と同一組織で、教会を襲って聖遺物を奪い、そしてこの街を陥落させようとしているって言いたいんだよな」
「ええ」
そのとき、役人のひとりが声を張り上げながら入場口から現れた。
「ほ、報告します!」
「後になさい」
セフェリノさんに窘められた役人の口が、ですが、と動いて目が泳ぐ、その姿を見て、
「では、証人として証言台へ」
役人はヒルを横目で見ながら証言台に立ち、そして――
「り、林欣怡様からの緊急報告です。怪しげな集団が!赤い鎧の集団が黒い森に潜伏中だとっ!」
「有り得ないッ!」
シリノの表情を驚愕と怒気が染める。
驚いているのはシリノだけではない。ヒルと自警団と僕を除いた全員の顔が固まっている。
当然だ。自警団は漏れなくここにいるのだ。それなのに、原告の主張する犯罪組織の目撃情報が別の場所で出た。前提が変わってきてしまう。
虚偽だと言いたいだろうが、情報源は神の遣いであるシンイーさんだ。そんな不敬は犯せない。そして緊急を知らせる報告自体は、裁判と関係ないはずだった。
どよめきが広がっていく。
自警団は全員がこの場にいる。
では、その赤い鎧の集団は誰なのか。
3枚目の切り札、"聖典の紙片"。
あの時。大規模侵攻作戦、僕たちの目の前に現れた白い馬は魔物の指揮を執り、襲われることはなかった。何故か。神伐の悪魔の味方だから。
半分違う。
神伐の悪魔と契約した四騎士が魔物に襲われないのには理由があるのだ。
青ざめた馬が持つレガロ、"神伐の聖典"はその1項を切り離すことができる。そしてその紙切れを持つ者は魔物への簡単な命令権を得る。
攻撃しろ、退却しろ、待機しろ。
そして、紙片を持っている者は魔物に襲われない。
ヒルは赤い馬として活動している頃に、青ざめた馬から受け取っていた。
「それは貴方方の仲間でしょう!?何を企んでいるッ!!」
シリノを無視してヒルはセフェリノさんと向かい合う。
「セフェリノ様、俺たちの汚名を晴らすチャンスをくれ」
名を呼ばれたセフェリノさんはじろりと睨んでシリノを黙らせ、ヒルに言葉の続きを求める。
「次の黒い森侵攻作戦に参加したい。俺ひとりでいい。その赤い鎧の集団を捕まえるか、倒してくる。街を狙う敵の首、それを以て潔白の証明とさせて欲しい」
『冤罪を晴らすための最良の手段は、真犯人を捕まえてくることだと、昔から相場は決まっている』と、あの事務所でヒルはそう言った。
計画通りだ。
都合よく現れた自警団とは別の伏兵。赤い鎧の集団は何者なのか。
その答えは、"聖典の紙片"を持たされ、"代行者の仮面"で赤い鎧に変身した、ヘラルド率いる"処刑された盗賊団"。
処刑として黒い森に連れられた蜂盗賊団には予め紙片を渡してあった。彼らは黒い森に潜伏し、魔物に襲われないまま待機、このタイミングで仮面を被って変身し、姿を現した。
本当に言うことを聞いてくれるか不安だったが、筋書き通りに動いてくれたのだ。
あの、墓から出てきた冤罪証明人共は。
「戦闘のどさくさに紛れて何をするつもりです?」
「疑うなら、お前さんの傭兵部隊と一緒でいい」
「逃げるつもりですか」
「逃げないさ。もう」
唇を噛むシリノに、ヒルは真剣な表情で視線を返す。
「静粛に。相手が例の犯罪組織だとして、そのような巨大な組織を、たったひとりで倒してくると。それは本気なのですか?死にに行くようなものでは?ヒル」
セフェリノさんの試すかのような言葉を、ヒルはゆっくりと受け止める。
そして闘牛場に集まった全員に聞こえるように話し始めた。
「セフェリノ様。俺は、俺たちは、この街に来てからずっと貢献してきたつもりだ。
衛兵の手が届かない奴らを守り。
聖職者の祈りが届かない奴らを教会に導いて。
木こりの斧が届かない魔物に刃を向けてきた。
命を懸けて、だ」
ヒルは声を張り上げる。
雪冤を――
「自警団は、この街で産まれた連中と一緒に、この街のために働いてきた自負が……誇りがある。
それなのに、冤罪のために死んじまったら……街のために死ねなかったら。主にも祖先にも顔向けできない」
「何が望みか」
そう問いかけるセフェリノさんの声色に感情はない。
「俺は自警団の"代表"として事を為し遂げる。そして街の危機が去ったら、仲間の無罪放免を約束してくれ」
宣誓を――
会場中に聞こえるように。
「我らが大いなる主と!敬愛する使徒と!親愛なる街に誓おう!
自警団は、依然として信頼に足る味方だとッ!!」
ぱらぱらと、
静寂を打ち破るように、まばらな拍手が起こる。それが呼び水になった。
領民の代弁たる拍手の波は、徐々に観客席へ広がり、
万雷の拍手に変身した。
シリノは焦った様子で観客席を見回す。
ここから覆す策を考えているのか。
無理だと思う。
これは民から向けられる信頼の大きさ、その証だ。ヒルは実績を示し、信頼を示し、挽回の手段を示した。
ヒルたちは確かに嘘吐きだ。身の上を偽り、大罪を隠している。それを僕は知っている。
だが、この街に対する貢献は、決して嘘ではない。
この拍手に見合うだけの献身を、自警団はしてきた。
12年間、公権力が見捨てた民の手を取り続けてきたのは誰か。
ヒルは12人の仲間ではなく、街の住民から証明を得た。
雪冤宣誓だ。
判決発見人は怨敵の死を。文字通りすべて捧げることを望んでいる。
それに対して被告は名誉を望んでいる。大きなものを求めているわけではない。
小さなチャンスだ。
そのくらい、何だと言うのだ。
迷うことはない。
割れんばかりの拍手は鳴りやまない。
セフェリノさんは槌を打ち付けた。音ではなくその所作に拍手が収まる。会場に静寂が戻ってくるがその性質は始めと違う。じっと行く先を見守る観客からは動揺が消えている。
「判決を言い渡す」
セフェリノさんが口を開く。
「有罪」
しかし――――――
賽は投げられた。
決戦は今月の、数日後に控えた、
黒い森侵攻作戦。