71話 ディープ・シックス
『レガロは――その使徒が歩んできた人生そのものだからだ、
あとは自分で考えろ。
そして――
仮面の才能に気を付けろ』
「この"代行者の仮面"を使えば、その人間はこれまでの過去を捨てられる。顔も経歴も完全に詐称して、新しい人生を歩めるようになった。
俺は食うや食わずの孤児とか、手足を失った兵士とか、冤罪を着せられた犯罪者とか、立場的に弱い連中に仮面を渡して仕事仲間にしていった。
そんなだから、世の中に不満を持ってる奴等が多かったのは当然なのかな」
静かな夜だ。
聞こえてくるのは、美しい過去を懐かしむような彼の声だけ。
「初めはまだ墓ひとつなんて大仰な名前はなかった。
武力を持つ盗賊だろうが、権力を持つ貴族だろうが、財力を持つ商人だろうが、不公平を強いる連中のバカ面に、平等に拳を叩きこみにいくのが仕事だった。
自分を蔑ろにする世界に、俺はここにいるぞ、って文句を言ってやれる手段だった」
少しだけ目線を上げて、地面に座り込む赤い鎧を見る。
自分を軽んじ虐げてきた者に、我慢することなく怒りを表せる。道徳もクソもないが、それは――
「きっと、羨ましいね」
僕の言葉を聞いた赤い鎧は、きっとその兜の向こうで疲れた笑みを浮かべている。
「どのくらいの時間が経ったのか、徐々に仕事は凝った内容に変わっていった。何て言ったらいいのか……呪いの具現化、いや、具体化だな。その頃には墓ひとつって名乗ってた」
「呪いの具体化、どういうこと?」
「ブードゥー人形みたいなもんさ。どうしても呪ってやりたいって何某さんの話を聞いて、それを叶えてやる。
例えば、誰かに犯罪を犯させたり。
例えば、誰かの理性を失わせたり。
例えば、どこかの国の王様を王座から追いやるために、おあつらえ向きの状況を演出したり」
最後のは、やはりか。
「12年前のクーデター、関わってたんだね……」
お互いの面越しに目が合う。
また嘘だ。
「ああ。依頼主は現王派の貴族だった」
現王は人間との戦いに、前王は魔物との戦いに、それぞれ注力するべきだと思っていた。
前王は間違いなく黒い森の敵だったから、それを神伐の悪魔が邪魔に思い、王の代替えを企んだという話、ではない。
「神伐の悪魔の指示じゃなかった」
「そう。最初はな。
俺たちが作った筋書きじゃあ、汚職や人身売買に手を染めてる前王派の貴族を皆殺しにして、そのほかは懐柔して現王派に寝返らせ、状況が整ったら現王が前王たちを追放して終わりのはずだった。
簡単な仕事のはずだったんだ。
だが途中から黒い馬が王都に入り、この件に関わってきた。神伐の指示だったんだろ」
彼の言葉に溜息が混じり出す。
「信者を使って破壊工作をさせ始めた。シナリオはもう滅茶苦茶になっていって、王都は混沌のどん底に堕ちた。そしてあの日――
あのクレイジーサイコクソブスは何人かの信者に大魔法を使わせて"悪魔の魔獣"を出現させ、王都を襲わせた。そっちの方が面白い、くらいの動機でだ。
グレイヴ・ワンの仲間も大勢喪った」
大魔法は自分の命を贄として悪魔へと捧げ、通常の魔法とは桁違いの力を行使する。
彼の話が本当なら、預言者とやらは戯れに仲間の命を捧げさせて、王都に住むひとたちの命までも奪った。
『こんなはずじゃなかったんだけどな』
「ムカついて黒い馬のところへ行った。あいつは心底楽しそうに笑ってたよ。ぶっ殺そうとしたが、あと一歩足りなかった。
――ヘイトは王都へ行くなよ、まだいるから」
珍しく、口調に強い感情が乗っている。先月、彼が蛇竜の魔法使いの腕を切り落としたことを思い出す。あのとき彼の眼に宿っていた異様な光は、憎しみだったのか。
黒い馬と赤い馬で、仲間の在り方は違ったのだ。
「それで何だか緊張の糸が切れちまった。馬鹿馬鹿しくなってね。王都を離れた。代償を払って神伐の悪魔と交わした契約を打ち切り、この街に来た」
そしてティリヤに流れ着いた彼らは、自警団として魔物や犯罪と戦うことで、街と村々の協力を始めた。
シリノの情報は正確だった。
「当時を知ってる生き残りは、もうさっきの隠れ家にいた奴らと、フェリシアにチコくらいだ。他の捕まってる連中はこの街にきてから仲間になったから、グレイヴ・ワンとは関係ない」
「ティリヤを陥れるっていうのは、嘘なんだね」
赤い鎧の兜が何度か小さく頷いた。
仲間と、その家族が大勢いるこの領地を、陥れるなんてしそうにない。信じているというより、信じたい。
「教会の宝物庫を荒らしたのも、その罪を自警団に被せようとしているのも、シリノの策略だよね」
そうだ、と返答が帰ってくる。あっちもこっちも嘘だらけだ。疲れてしまう。
落ち着いて、同じ理由で自警団を破滅させるようなことをするはずがない。
「ヘイトの言う通り、ファウストはスパイだ。シリノ陣営の情報をこっちに回してくれている。でも、舐めてたわけじゃないが、シリノは想像以上だった。まさかここまで追い詰められるとは」
今、自警団は壊滅しそうになっている。
ある人間の妄執を受けて、地獄に引きずり込まれそうになっている。
「王都にいた頃、グレイヴ・ワンって組織は俺たちにとって家だった。12年前のクーデターがあって、それは完全に終わったんだと、そう思ってたのに、まさか追いついてくるとは――」
僕に話しているというより、それは独白のようで、
「グレイヴ・ワンは、俺たちの拠り所じゃなくて、もう呪いになってたんだなあ」
呪い、呪いか。
その言葉を聞いて、僕は少し目線を上げた。
不意に、胸中に、予感のような、不安のような、共感のような、一抹の疑問が芽生える。
「これからどうするつもり?」
「――俺は神を裏切って、そのうち神伐の悪魔も裏切って、何者でもなくなった。残されたのはグレイヴ・ワンと自警団の仲間だけ。死刑になんてさせない。
あいつらだけは何が何でも守る。俺の全てを賭けてでも」
彼は立ち上がって、こちらへ近づいてくる。
「俺はチコたちを助けて、シリノたちを破滅させる。
"ネグロン家の剣"も"比類なき槍"もまとめてな。もう禍根は残さない。
"墓ひとつ"としての、最後の仕事だ」
おもむろに仮面を外すと、その姿が見慣れたものへと変身する。
「そのために」
顔を上げて、こちらへ手を伸ばす彼を見る。その眼には諦めがこもっている、僕の返答が分かっているように。
「協力してくれないか」
気だるげな表情で、自嘲気味に言う。
「友達だろ?ヘイト」
「……」
この手を取るということは、ひとを破滅させる協力をすること。
明確に、悪になるということ。
分かる。だから、彼は、僕が断ると思っているのだ。
あの台詞、この決意、その表情。
一抹の疑問が、形を持った確信に変わる。
ヒルは死ぬつもりだ。
そんなこと、させるものか、
どうせ正義の味方など柄ではない。
どうせ自分など大した存在ではない。
でも、グレイヴ・ワンが呪いだと言うのなら、その呪いを解こう。
僕は差し出された手をしっかりと握った。
彼の眼が驚きに見開かれる。
「ヘイト、分かってるのか?これからやるのは――」
「ひとつ、条件があります」
友達だと呼ぶのなら、
何でもやろう。
魔道にも堕ちよう。
「約束してください。嘘なんか無しに。すべてが上手く行ったら、僕と一緒にやり直すって。もう一度、神と仲直りする方法を探すって。
ちゃんと生きるって!」
お前、と呟く表情が動揺に染まる。
僕は、
「友達でしょう!?ヒル!!」
憎悪の鎧になると、決めたのだから。