70話 アポカリプシィス
自警団の拠点を出て、月明かりに照らされる林の中をふたりで歩いている。
ヒルはいつもと変わらぬ様子で、魔剣を杖にして歩く僕の歩幅に合わせてくれている。
ゲーテか、彼は木の幹を見て、表面を撫でながらそう呟く。
そして、
「『我が獣が地に満ち、我が黒い森が星を覆い尽くすとき、偽りの神を罰し、この我こそが真なる神として世を統べる。
"神伐"は為る』」
こちらを振り向き、優し気な、疲れたような笑みを浮かべて、
「俺の雇い主、だった奴――"神伐"の悪魔はそう言っていた」
「神伐の……悪魔」
意味が分からない。
彼の話が難しいのか、さっき切っ先を向けられた動揺が残っているのか。
良く見知った自警団員もあの場にいたが、その姿形は消えて赤い鎧の集団に囲まれていた。ひしひしと感じた敵意は、味方に向けるようなものじゃなかった。
「すまん、こんなこと突然話されても分からないよな。でもこれからのことを考えるなら、そこから知っておいてもらわないと。聞いてくれるか?」
「……分かった」
ヒルはこちらを見て頷く。
「黒い森は魔物を生み出す森林地帯。土地を侵す呪い。黒い森がある限り、この世界に平和は訪れない」
黒い森を採らんとする人々を、魔物が喰らっていく。そうして抵抗力のなくなった街を、黒い森が呑み込んでいく。
そしてまた、範囲を広げた森が魔物を吐き出す。
「神伐の悪魔は大魔法を使い、自らを芯樹にして周囲に自分の黒い森を発生させた。そして獣を創り出し、大陸ごとに4人の騎士と契約して、最終的にはこの惑星全体を黒い森で覆い尽くすつもりだ」
細菌が繁殖し、世界に膿が広がっていく。
「それが成功したとき、神伐の悪魔は今の神を殺し、次の神として君臨できる」
「神に、なる?」
話が飛び過ぎている。実感が湧かない。
そんなことのために、木こり達や皆は死んだのか。
「馬鹿げてるだろ?神伐の悪魔はなんで自分が神じゃないのかって激怒していた。イカれてんだよ。だけど、その狂気は本物で、神も手をこまねいていられなかった。
それで、神は対抗策として別の世界から人を借り、力を与えてこの世界へ送り込むようにした」
それは、分かる。多分――
「使徒」
ああ、とヒルは相槌を打つ。
「戦える使徒には街と人を守って欲しいし、智慧のある使徒には文明の発展を手助けして欲しい。そうして、いずれは、自分の愛するこの世界が黒い森に打ち勝てるようになって欲しい」
神が使徒に力を持たせて遣わせる以上、神意は人に在る。神が我々の味方であると人間側が一丸になることで、敵愾心という種を蒔く。
魔物と戦うという意識を全員に持たせ、同じ方向を向かせるために。
強大な敵と、戦うために。
「これは儀式なんだよ。神と神伐の悪魔がこの世界の支配権を争う儀式」
互いに出せる手札を全て使い、どちらかが滅ぶまで続ける――
ルール無用、時間無制限、一本勝負――
人と、魔の。
「それが、黒い森……」
僕は、何のためにこの世界へきたのか。何を期待されてきたのか。
「使徒は、僕は、魔物と戦い、その4人の騎士と戦うために」
「それは神の勝手だ。使徒自身の人生には何の関係もない。それに――」
ヒルはハッキリと言う。
前にも聞いたが、やはり違うのか。この世界に協力するかどうかは使徒の自由だと。
「魔物は兎も角、四騎士はどいつもこいつも最悪だ。神伐の悪魔と契約したとき、老化と病気を奪われて強力なレガロを与えられている。戦いは避けた方が良い」
「強力なレガロって」
頭をよぎったのは大規模侵攻作戦のとき、黒い森で魔物を操っていた白鎧。
あの男が仮面を着けたとき、男の身体を一瞬包んだ黒い枝葉は、使徒がレガロを発現する際に出てくるものとそっくりだった。
「黒い森で会った白い鎧を憶えてるか?あいつは白い馬で、神伐から付けられた名はドラクル。
レガロは"均衡の鎧"。生物の持つ力を奪って、分け与えたり自分のものにできる。この力は土地を痩せさせ困窮を広げる。
神罰教会の預言者は黒い馬、名はクソブス。じゃなかったスクブス。"ローレルの冠"と"ウィリの弓"で敵を洗脳し、手駒にして、神伐の悪魔に勝利をもたらす」
大規模侵攻で僕たちを嵌めた白鎧。
正体不明のカルト宗教、神罰教会。その預言者。
「黒い森の最奥にいる青ざめた馬。神伐の悪魔のお気に入りで、ワイルドハントって呼ばれてた。"神伐の聖典"で魔物を意のままに操り、あまねく生物に死をもたらす。
百年前、ティリヤの南にある"城塞都市"を、魔物を率いて陥落させたのがこいつだ」
魔物に滅ぼされ、黒い森に飲まれた街。
丘の形状に沿って建設された城壁には、木の根が張りこそすれ、背の高い木立は生えていなかった。だからあそこだけ台風の目のように、空を覆う枝葉がなかったのを憶えている。
城塞都市が落ちたことで、黒い森との前線がティリヤまで下がってしまった。
「もうひとりは?」
質問するが、僕はその答えを知っている気がする。
ヒルは視線を下げ、自分の右手を見つめた。
腕の血管が黒く染まっていく。指先の毛細血管まで染まった"それ"は腕の中に生える漆黒の樹木のようだ。
自分の中にあった解答が、正しかったことを知り、無性に悲しくなる。
腕の中に充満した"それ"は皮膚を突き破り、天に向かって伸びていく。数十cmも伸びた後、枝葉を纏めた"それ"は形を為し――
何度か瞬きをするような短時間で、彼の手に無機質な赤い仮面が握られていた。
「俺が赤い馬だったとき、神伐の悪魔から与えられた才能。"代行者の仮面"だ」
彼はその仮面をゆっくりと着ける。そうすると一瞬で姿が変わった。
「赤い鎧……」
西洋甲冑の意匠を汲んでいるが、造形は美しささえ感じるほどで、とてもこの世界の技術で造れるような物のレベルではない。
「誰かの隣人だろうがでかいライオンだろうが、設定したどんな姿にも変身できる。しかも、切り離すことで他の人間も使える優れ物」
自嘲を含みながら話す、その声質は別人のものだ。だが、軽い調子の喋り方は聞き慣れたもの。
「影像みたいだろ?アレはこのレガロをモデルにして、青ざめた馬がデザインした魔物だから当然なんだが」
黒い森の影像。
特殊個体の中でも異質な魔物。
あらゆる姿へ変身することができる。
その能力を使って人間に化け、街や村などの共同体に紛れ込み殺人を繰り返す。
変身前の姿を見た者はいないとされている。
「なんで神罰の悪魔の仲間になったの?」
歩みを止めて質問すると、彼は数歩進んでからこちらに振り返る。
呪いの鎧と赤い鎧が向かい合った。
「あぁ、昔、ある人から頼みごとをされた。俺にしか頼れないって。ある連中を殺してくれと」
それまで饒舌だった彼は言葉に詰まっている。昔のことで記憶が色褪せているのか。話したくないのか。
「断ったら、その人も彼の家族も危険だった。引き受けたよ。
だけど、俺はあと一歩のところで禍根を絶てなくてね。もう時間切れってときに、奴が誘いをかけてきたんだ。
『力をくれてやる。偽りの神を、裏切る力だ』――神伐の悪魔はそう言い、俺は誘いに乗った」
それが、彼が世界の敵になった経緯。まだどうしても飲み込めない。
ヒルが世界の味方だと言うのなら信じられるのに。
「信じてもらえなくてもいい。こんなこと他の連中に話しても頭の心配されるだけだろうしな。でも、少なくともここまで話せば、神伐の悪魔はヘイトに手出しできない」
「どういう……」
「俺が四騎士を降りたことで、ひとつ椅子が空いた。神伐の悪魔は赤い馬の後釜を探してるはずだ。でも、ヘイトには俺がネタばらしをしちまったから、騙して契約するみたいな真似はできなくなる。
――もしかしたら、ラグナルあたりは次の赤い馬になっていたかもしれない」
それは、使徒でさえも世界の敵になってしまう可能性があるということか。
だとすれば、
「もしかして」
と口から勝手に言葉が出て、目の前の赤い鎧を見る。
彼も。
返答はなく、彼は目を伏せた。
力が抜けてしゃがみ込み、右手で重い頭を支える。
一体、どこからどこまでが本当で、嘘だったのか。
彼は、木の幹を背もたれにして座り込んだ。僕から言葉が帰ってこないのを見て、次に自分が作った組織のことを、
墓ひとつのことを話し始める。