67話 5月12日 罪を呑む強欲
『場所は――地区教会だ』
あの時、村長は立ち上がると、今にも崩れ落ちそうな石像の右手から恭しく石の短剣を引き抜いた。
『なるほど、穂先だけか』
ヒルが得心したように言う。
長さ30㎝ほどの短剣には柄がない。聖遺物の槍は全体ではなく、穂――つまり刃の部分だけなのだ。村に伝わる秘宝が槍だと聞いて、目立たない場所に2,3mの長物を隠していると思っていたが、それでは見付からない。
『ああ。ザラ様はこの秘宝と、村で作った柄を合わせて魔物と戦われたようだ。槍を持った彼女の前にして、立っていられた者はいないと伝わっている』
まともな人間なら教会は荒らさない。不届き者はもっと隠し場所らしいところを探し、朽ちた石像には目もくれないのだろう。そもそもこの村に聖遺物があることを知っている者は少ない。
大胆だが、良い隠し場所なのかも知れない。
『ザラ様が送還される際、村に危機が迫ったときにこの槍を手放しなさい、と仰っていたようだ。今がその時なのかもしれないな……』
『安心しろ。全部終わったらちゃんと返すさ』
村長は、懐かしさとも諦めともつかない複雑な表情を浮かべて、ゆっくりと頷いた。
村は盗賊に襲われ、住民こそ助かったが聖遺物を奪われた。そういう設定だ。ヒルは地区教会へ行き、秘宝の槍を拵えて戻ってくる。
僕の役目は露払いと時間稼ぎ。
表面の石をはがした"薙ぎ倒す槍"は黄金に輝いており、形状はシンプルな両刃の素槍。
あの穂は触れた物質よりも強く、硬く、鋭く、その性質を変化させると聞いた。
絶対に砕けず、貫けぬ物の無い刃。
扱う者次第で、薙ぎ倒す槍は防御のできない槍となる。
ヒルの姿が夜に溶けた。闇の中、黄金の穂だけが流星のような軌跡を描きレングに向かって飛来する。
辺りに金属音が響いた。
ヒルは夜闇に紛れ、直後に鋭い踏み込みから一撃を放った。レングはかろうじてギータの牙で防いだが、象牙色の刃が欠けている。
レングは苦し紛れに薙ぎ払うが、流れる炎の中にヒルはいない。すでに距離を取っている。
「振るたびに火傷を負う斧、ギータの牙。痛いだろ?武器を捨てれば命だけは助けてやる」
「武器捨てんのはてめえの方だ。薙ぎ倒す槍は俺たちが頂く」
「……」
「命もついでに頂くぜ――」
レングは吼え、武器を振る速度が上がった。
尾を引く炎が軌跡を描く。爆炎に照らされてヒルの錆びついた兜が映った。
当たったら生身の人間など溶断されてしまう連撃を、ヒルは的確に躱し続ける。だが、纏った襤褸々々のローブに火が移っていた。
ギータの牙が高く振りかぶられ、真っ向から振り降ろされる。ヒルはそれをターンして避けると、マントのように翻った燃えるローブが目元に当たった。
予想外の目くらましにレングの顔は顰められ、視界を奪う。
蜘蛛のように姿勢を低くしたヒルは、黄金の穂を地面スレスレから掬い上げるように突き出す。レングは咄嗟に顔を背けた。黄金が頬を掠める。
斧が跳ね上げられ、ヒルは後ろに退がる。再度金属音が響き、ふたりの間に距離ができた。
ギータの牙が、また少し欠けている。
ヒルは火の点いたローブを剝ぎ捨てる。
「へえ、今のを避けるかい。やるね」
「ハア、ギラギラと目立ちすぎんだよ。ハ……嫌でも見える」
レングの息は上がり、肩は激しく上下している。
「つらそうだな。降参するか?」
「ほざけッ!」
「……そうかい」
レングは柄を両手で握って肩に担ぎ、半身に構える。
ヒルの身体が左右に振れたかと思うと、跳躍するように猛烈な速度で肉薄した。
この一合で決まる。そう思った。
レングは接近するヒルに燃える斧を振り降ろさず、刃のギリギリを持ち、長い柄、その頑丈な石突を突き出した。
ビリヤードのキューのように繰り出された石突が、兜に当たって火花が散った。ヒルは完全に体勢を崩し、レングの足元に両手を着いてしまう。
薙ぎ倒す槍は相手の方を向いていない。
レングは突き出した柄を持ち直し、平伏するヒルに向かってギータの牙を振り上げた。象牙色の刃に炎が灯る。
避けられない――
やられる――
「ッ!」
レングの重心が後ろにズレた。
まるで足を後ろから掬われたように。
飛び起きたヒルの左手には薙ぎ倒す槍が、そして右手にはレングの右足に巻き付いたままだった鎖が握られている。
最初に巻き付け、焼き斬られた鎖分銅だ。それを立ち上がりざまに引っ張ったのだ。
ギータの牙は高く、燃える刃先は前ではなく後ろへ向かっている。
ヒルは仰向けに倒れゆく巨体を見据え、重心を落とす。
そして、黄金の穂が、胸郭の中央に吸い込まれた。
――聞こえる音は、パチパチと何かが燃える音だけだ。
ヒルは脱ぎ捨てたローブを拾い、ロンゴミニアドに付いた血を拭う。
そして沈黙した身体の傍らに片膝を着くと、力を失った瞼に指を沿わせた。
「レングは……死んだんですか?」
「はい。心臓を一突き。苦しまなかったでしょう」
「生け捕りは、難しかったのでしょうか……」
「……申し訳ございません。我々は弱く、殺されれば死ぬのです。刃を向けられたのなら、立ち向かわなくてはなりません」
「チコさんも同じ状況になったら同じことをしますか?」
「殺します。私の命は主より賜ったもの、そして仲間たちのものです。それを守るために死力を尽くさないのは、裏切りですから」
チコさんは断言する。
事後処理をヒルに任せ、自力で歩けない僕はブルーノさんの操る馬車に回収されて夜道を移動していた。幌付きの荷台のなかで溶けた鎧をチコさんに剥がしてもらっている。
手を動かしながら紡がれる言葉からは混じり気を感じない。噓偽りも含みも建前もなく、彼の真意だからだ。
荒涼としたものを感じながらされるがままになっていると、身動きが取れるようになる頃にはいつもの宿に到着していた。自動的に出た礼と共に彼らと別れ、足音を殺して自分の部屋へ向かう。
同室のメサさんはとっくに寝ているだろう。そっとドアを開けてベッドと壁の隙間に座り込むと、静かな寝息が聞こえる。
自分の命を守らないのは、親しい者に対する裏切り。そんな言葉、僕だったら本心から口にできるのだろうか。
得体の知れない不安感に浸りながら、朝を待った。
曇り空から注がれる灰色の日光が部屋を満たしている。
ふあ、とメサさんがひとつあくびをした。
それを見たヒルは苦笑して口を開く。
「いや、朝早くから失礼した。そういやヘイトと同じ部屋に住んでんだな」
「お気になさらず。領主の補佐をしていたときは日が昇る前に起きていましたから、今の方がゆっくりしています。ヘイト様に感謝ですね。あ、トマトペースト取って頂けますか?」
「どうぞ」
メサさんに小鉢を渡す。
彼女は朝が得意ではない。ヒルのノックで起こされ、急いで最低限の支度を整えた。だからいつもより投げやりな雰囲気を纏い、部屋まで運んだ朝食を美味しくなさそうにつまんでいる。
日が昇ってから、夜通し事後処理をしていたヒルが僕の部屋を訪ねてきた。動けなくなった僕の様子を見にきてくれたようだ。
「シリノの目的が見えてきましたね」
メサさんはトマトペーストとオリーブオイルを焼いたパンに塗りながら話し始める。
「彼が狙っているのはこの領地に散らばる聖遺物。それらを集めて王族や有力貴族に献上し、取り入ることで王都で返り咲くことを狙っているのでしょう。その方法ならネグロン家にこだわる必要はありません」
指でちぎったパンを口に放り込み、考えに耽りながらゆっくりと咀嚼して、
「自警団は邪魔でしかないでしょうね。村々と固い信頼関係を築けていますし、武装組織としても強力です」
「だから俺たちの手綱を握るか、潰しておきたいのか」
ヒルは相槌を打ち、メサさんが頷く。
「シリノには聖遺物を取引するノウハウと人脈がある。この領地は金の鉱脈に見えているでしょう。
――村での強盗被害が増えているようです。私は、勘治様とラロ様が暇つぶしに駆除していた盗賊がまた湧いてきたのかと思っていたのですが、シリノが関わっていると見た方が良さそうですね」
傭兵を酒場で殴り、拉致してもシリノは止まらなかった。多分、レングが死んだところでそれは変わらない。今回のようなことはまた起こる。
「メサさん」
「何でしょう?」
「どのくらいの聖遺物があれば、シリノは王都へ向かうんでしょう……」
メサさんは眉根を寄せて目線を下げて、回答を探し始める。
シリノの目標が王都に帰ることで、そのための手段として聖遺物を集めているのなら、欲しい物をくれてやって、さっさとこの街から消えてくれた方が良いのかもと、そう考えたのだが、
「申し訳ありません。あればあるだけ、としか答えられませんわ。王都に巣食う強欲な貴族たちを味方につけるのです。これで充分、ということはないでしょう」
「そう、ですか」
シリノが狙っているのは大量の聖遺物。それこそ、追い詰められた自分の状況を一変させるような。
「魔女さんよ。この領地に埋蔵金があるのは分かったが、実際のところ、ちまちま村を漁って集めるのか?現実的じゃなさそうだが」
「私もヒルと同じ考えです。シリノの手足となる人員は少なく、領地は広い。時間が掛かりすぎますね……」
「難しいよなあ。一生遊んで暮らせる聖なる一品がどっさりある場所でもあれば別だが」
ヒルの口調はおどけるようだ。それに対するメサさんは至極真面目な表情で、僕とヒルの顔を見比べながら言うか言うまいか悩んでいる。
そして、
「ありますよ。聖遺物がたくさんあるところ」
「……何処に?」
太陽が雲に隠れたのか、部屋がさっと暗くなる――
「街の教会、その宝物庫です」