66話 襤褸を纏った騎士
濃密な夜が、辺りを包んでいる。
昼間空を覆っていた乱層雲が、地まで落ちてきたようだ。
林の中に見える仄かな灯り。それに誘引される蛾のように歩を進める。
がしゃがしゃという、鎧がぶつかる音を聞いた男たちが、焚火を離れ、松明と得物を手にして取り囲んできた。
「何だ……てめえは……」
警戒と狼狽の籠もった眼でこちらを見上げ、呟いた。
大きく3歩踏み出し――
拳を握る――
殴られた男が鈍い呻き声を発した。男たちは瞬時に戦闘態勢に入り僕の着る鎧に武器を振り降ろす。
1対6だ。
日が暮れたあとに現れた謎の襲撃者を、一方的に仕留められると思っているのだろう。いや、襲撃者という格好良いものではなく、どちらかと言えば不審者だが。
僕は今、呪いの鎧の上から錆びついた甲冑を着、襤褸々々のローブを纏い、両腕にはくたびれた鎖を巻いているのだ。
そんな大柄で怪しげな人物が野営中にのっそり近付いてきて、鉄塊のような腕で殴りつけてきた。たとえこいつらが盗賊でなかったとしても攻撃を浴びせるだろう。
前傾になって攻撃を両腕を上げてガードする。鉄と鉄がぶつかり合う音は止まない。
全く効いていないが、反撃の隙は無くやられっぱなしだ。
だが、問題ない――
ビュンッ、と夜風が唸った。
盗賊のひとりが、ぱたりと倒れた。
赤褐色のぼろを纏い、闇の中をコウモリのように動きながら、鎖分銅で意識を刈り取る錆びついた甲冑。
彼の振るう鎖分銅が生き物のようにうねり、ひとりの鎖骨を砕いた。
後を引く悲鳴が闇に響いた。
敵に動揺が広がる。
反撃開始だ。
鎖をグルグル巻きにした両腕を、ただ振る。
パンチなんて上質なものじゃない。フックなんて上等なものじゃない。
どうせこの重量を制御などできないのだ。
呪いの鎧、錆びついた鎧、くたびれた鎖。
その重さを乗せて、ただ振るう。
派手に暴れる僕に注意を取られた相手を、もうひとりの甲冑が倒していく。
6人いた相手が、あっという間に減っていく。
最後のひとり。
逃げようとする男の足に鎖分銅が巻き付き転倒した。甲冑を着たまま跳躍した彼の踵が、がら空きの背中に叩きこまれる。
「終わった、か――ご苦労さま、ヘイト」
「……何使っても強いんだね。ヒルは」
「どんな武器も、基礎は同じなんだ。今度教えてやるよ」
ヒルはそう言いながら、ロープで気絶した盗賊たちを縛り上げていく。
「さて、ここからが本番だな」
作戦の第一段階は無事完了した。
次は。
数日前に遡る。
僕とヒルのふたりはとある村の地区教会に来ていた。ごくありふれた石造りの小さな教会。強いて特徴を上げるとすれば、右腕に短剣を持つ古い石像があるくらいか。長い年月のせいか、左腕と頭を失っている。
今回の件に関わるのはヒルだけだったのだが、手伝いを頼まれて僕も付いてきたのだ。できるだけ内密に動きたいのだと言う。
木の講壇に司祭は立っていない。居るのは村長の男性だ。白髪交じりの髪、年季の入る日焼けした顔には苦悩が見て取れる。
「村に伝わる秘宝の槍を、守ってもらいたい」
「それがこっそり俺を呼んだ理由か」
村長は目を伏せて頷く。
「始めは、村の蔵が荒らされていた。それから猟をしに林に入った奴が、人の居た痕跡を見つけた。そして、ついこの間、村の人間が誘拐され、殺された」
ヒルは沈黙で返す。
「秘宝が狙われていると思ったのだ。商会に少なくない金を払って護衛を依頼し、派遣されてきたのがあの"比類なき槍"とかいう連中だ」
「解決しなかったんだな」
ああ、と村長はため息交じりに言う。
「滞在中の素行はまあ、最悪ではない。盗賊と比べてだが。
――しかしな。夜な夜な村人の目を盗んで何かを探している」
村の周辺には盗賊が活動した痕、派遣されてきた護衛も何かを探している。
「グルだな」
おそらく、その盗賊と護衛は裏で通じている。結託して村の秘宝とやらを探しているのだ。農民を攻撃する者も、それを守る警備会社も、どちらも敵。酷いマッチポンプだ。
「存在自体を隠してたんだろ?どこから漏れた?」
「すまない。おそらく孫だ。あの子が幼い頃、少しだけ話したことがある。
金を欲していたのだろう。王都へ行きたいと、このまま農民は嫌だと言っていた」
「身内か、世知辛いね。で、その秘宝はどんなもので何処にある?」
村長は唇を噛む。
話すかどうか迷っているのだ。今の状況は口を滑らせた結果だから。
「相談してくれたのは良いんだ。でも、このままじゃ……知っていなきゃ守れるものも守れない」
「6代に渡り守ってきたのだ。村を救った使徒様に頂いたのだ。私の代で失うわけには……」
「手放せば楽だったろうに、今まで頑張ってきたんだな。
この隣に居る方は使徒様だ。誓って裏切らない。一緒に守らせてくれ」
村長は顔を上げ、僕と、それから朽ちた石像を見る。
そして迷いを振り切るように口を開いた。
「秘宝の名は、"薙ぎ倒す槍"。隠してある場所は――」
地区教会を後にし、人目を忍びつつ一度村を離れる。少し遠くの、革鎧のようなものを身につけている人影が、じっとこちらに目を向けている。派遣されてきた護衛の誰かだろう。
内密にする理由が分かった。事情がどうであろうと、すでに護衛を雇っている状態で別の人間を雇っても商会に対し角が立つだろう。それに、商会の重役であるシリノと事を構えると状況が悪化しかねない。
そして、連中と僕たち顔を合わせても良いことは無いのだ。
僕たちが村の周辺にいることを知っている人間は少ない方が良い。だからふたりだけでこっそりと行動する。
「ヒル。秘宝って」
「ま、聖遺物だろうな」
村の北にある洞窟まできて、ごつごつとした地面に座りささやかな焚火を見ている。完全に自然の中だ、人気は無い。
「使徒が元の世界に還るとき、世話になった農民にレガロを贈るのは良くあることだ。本来の使い方をしなくても、飢饉とかで生活に困ったら売り払えってな」
「一生遊んで暮らせるって……」
「ああ。大抵はすぐに教会に納めるか、誰にも知らせず秘匿する。100%強盗に遭うから」
教会や国会に納めれば、税金の免除など様々な恩恵が受けられるそうだ。
農民の家は簡素にできている。鍵が掛かっているお宅には出会ったことがない。高価な物を保管するには難易度が高い。
「この領地には使徒が行き来する聖域がある。人知れず聖遺物が眠っていてもおかしくない。シリノは大規模侵攻で10本以上の武器を失ってるし、補填しようとしてるのかもな」
村長は使徒に対する恩義から贈られた聖遺物を隠し続けてきた。今はそれをシリノに狙われてしまっている。
「どう守ろう?」
「そうだな。じゃあ、構図を変えよう――」
シリノの計画では、村を襲う連中は敵、村を守る連中も敵だ。
このままじゃ村人を皆殺しにして探すも、村を絞り上げて探すも自由。
そこに僕とヒルが正体を隠して盗賊を襲い、こいつらがやろうとしていたことを引き継ぐ。
今、
村を守るのが、敵。
村を襲うのが、味方。
作戦の第二段階決行は、明日の夜。
もちろん。村のひとたちに危害を加えてはならない。
僕たちが倒した盗賊、それに村に派遣されてきた護衛は、適当な寄せ集めのようだ。いざとなればトカゲの尻尾切りで累が及ばないようにしている。
そいつらを比類なき槍のひとりが率いて、指示を出している。そのリーダーだけが要注意人物だ。
連中を倒して仕事と計画を破綻させ、シリノの戦力を削り、奪取した秘宝はほとぼりが冷めるまで預かり、村長の元へと返す。
僕とヒルが勝てば良い話だ。
今夜も酷く暗い。
ろうそくや薪がもったいないから、村の人々は日が暮れれば床に就く。家屋から漏れる灯りがないから、どこから農地でどこから民家なのか判別できない。足元に何があるかすら分からない。
村があるはずの方向にじっと目を向けていると、キラリとオレンジ色の光が見えた。光はゆっくりと弧を描くように動いている。
「よし、合図だ。始めるぞ」
隣から声と鉄を打つような音が聞こえた。
あの光は村長からの合図だ。ヒルは火打石で熾した火を矢に移す。
「気をつけて」
「そっちもな」
短い会話をして、村に向かって歩き出す。
頭上を火矢が走って行った。1本、2本が地面に刺さり、3本目が村長宅敷地にあるボロボロの小屋に撃ち込まれる。置いてある藁束に火が移り、すぐに燃え上がり出した。
誰もいないことは打ち合わせ済みだ。
「火事だああぁぁ!!」
村長が大声を張り上げる。
木造の小屋は煌々とした灯りを発しだし、大きな篝火のようになる。
「早く起きて逃げろ!盗賊共が襲ってきたんだ!北の洞窟まで走れ!松明を忘れるな!」
必死で叫び続ける村長の声に、徐々に村が慌ただしくなる。女性の悲鳴や男性の大声、それに子供の泣く声が聞こえ、松明がちらほらと北に向かって動く。
それが僕から逃げていくように見え、恐がらせてしまって申し訳ない気持ちが湧いてくる。
……兎も角、彼らはこの村で暮らしている。土地勘があるから、あのくらいの灯りがあれば上手く避難できるだろう。
だが、余所者の護衛たちはそうもいかない。
襲ってきているのは仲間だと思っているはずだ。警戒も薄いだろう。夜闇を厭い篝火のように燃え盛るぼろ屋に集まってくる。
夜の檻だ。
がしゃがしゃと、鎧を鳴らし。
がちんがちんと、鎖を巻いた両の拳を打ち付けながら、ゆっくりと近付く。
及び腰で槍を構える男の、見開いた目が、こちらを見付けた。
「おい、ひとりか?こんなの聞いてないぞ」
僕のことを仲間だと思っているのか、震えた声で話しかけてくる。
右腕を引き、がら空きの顎に向かって拳を振り上げる。
言葉にならない呻き声を発して、男が沈む。
まずはひとり。
「おい、本物の賊か?」
「知らねえけどよ!敵だ!ボサっとすんな!」
踏み込んできた男の振るう槍が鎧の隙間に直撃した。
狙いは的確。腕は良いのだろう。だが効かない。
両腕を高く上げ、合わせた拳を丸まった背中に叩きつける。
ふたり目。
相手をまっすぐに見て、両拳を打ち鳴らし、ゆっくりと近付く。
「く、来るなっ!」
男たちは、ゴリラと同じ檻に入れられたかのような表情を浮かべている。
ひとりを除いて。
「邪魔だ、退いてろ」
巨大な斧に、炎が灯った。
他の3人を下がらせ、こちらに近付く禿頭の大男。炎に照らされた顔には不敵な笑みが浮かんでいる。両手で持っているのは、全長が2m近くありそうな象牙色の斧。
木こり達の仕事道具とは違う、戦って敵を倒すための戦斧。
魔斧、"ギータの牙"。それを操るのは比類なき槍のひとり、名はレング。
盗賊と護衛のうち、ただひとりの要注意人物。
「おらァ!!」
大胆に踏み込んだレングが豪快に武器を振る。
速い。反応が遅れた――
爆発音と衝撃。
重い二重の甲冑が宙に浮いた。
すぐに後方の地面に叩きつけられる。
地面に両腕を着き顔を上げると、フルスイングした後のレングがニヤついてこちらを見ている。
溶断された鎧の一部が地面に落ちた。呪いの鎧が表出している。普通の人間なら今の一撃で終わっているだろう。
「何処の誰だか知らねえが。その鎧、溶かして棺桶にしてやるよ」
こいつは強い。
あの範囲相手に殴りでは分が悪い。腕に巻いてある鎖を解き、手甲の着いた手で握る。
ギータの牙がさらに燃え上がる。レングは一歩一歩こちらに近付いてくる。
「ッ!」
間合いに入った巨体に鎖を鞭のように叩きつけた。風を殴る音と共に左肩に当たった鎖が、ニヤけ笑いを消す。
もう一発。
ギータの牙から爆炎が放たれた。
閃光が視界を真っ白に染め、爆圧が身体をグラつかせる。
支えを失った身体が地面に叩きつけられる。目くらましからの足払いか。咄嗟に膝を着き重い身体を起こそうとすると、高く振り上げられた斧が見え身体が緊張で硬直する。
まずい――
頭上で組んだ腕が衝撃に轢かれ、腕と肩の隙間に灼熱の刃先が叩きつけられた。どうにか倒れずに済んだが、鎧に食い込んだ刃から炎が噴出し、押し込まれ、左腕を地面に着く。
鍛冶場の炉に叩きこまれたみたいだ。
レングはギータの牙を跳ね上げた。衝撃に耐えかね、たまらず仰向けに倒れる。
次は止めを刺してくる。危機感が身体を動かそうとするが、右半身が動かないことに気付いた。
鎧が溶解し、関節部が埋められているのだ。
本当にまずいな――
「まだ動けるのか、タフだな。てめえ化け物か?」
勝利を確信したレングは、火傷のできた顔をニヤつかせながらそう言う。
ゆっくりと、巨大な斧が振り上げられる。
僕はその姿を、ただ見ている。
「だが、これで終わりだ。死ね」
その時、
鎖分銅が、敵の太い足首に巻き付いた。
レングの表情が引き締まる。振り向き、ギータの牙で足元を攫って鎖を溶断した。
切れた鎖が夜闇に吸い込まれていく。
安心感で笑い出しそうだ。
「遅かったね」
「ハハハ、そう言うな。村長がしつこくてね」
夜の中から、"薙ぎ倒す槍"を携える、襤褸を纏った騎士が現れた。