64話 5月9日 場外乱闘
斧が入る。
木が倒れる。
轟音が森に響き渡る。
「来るぞ」
ヒルさんの静かな警戒が聞こえた。
ざわめきが大きくなる、それが幾匹もの足音だと理解した時、木こりの構える盾に魔物の身体が激しくぶつかった。
口が縦に割れた大型犬。黒い森の猟犬。その姿を見て脳のスイッチが切り替わる。
突撃を受け止め体勢を崩した木こりをすり抜け、牙を見せる狗に肉薄する。
――殺す。
斧頭を掬い上げて顎を殴りつけ、怯んだ狗の脳天に刃を叩きつける。
1匹。
鎧の尻尾が伸び、肋骨の隙間から肺にナイフを滑り込ませる。
2匹。
左腕の手甲に噛みついた狗を地面に押し付け、斧を手放した右腕で魔剣を抜き放ち、鋭利な刃先を押し付けて頸を掻き斬る。
3匹。
殺せるのはここまで。
斧を左手で拾いながら血みどろになった身体を起こし、遮二無二腕を動かして狗の脚を砕いていく。
敵は続々と襲ってくるから、手傷だけ与えて勢いを殺し、あとは後ろの木こり達に任せる。
皆の危険を少しでも減らせるように、率先して魔物の攻撃に身を晒す。
日々行われている黒い森の伐採に数名の自警団員と共に参加している。
彼らの連携は流石の一言だ。
ブルーノさんは木こり達と盾で勢いを殺し、ヒルさんが山刀で機敏に脚を斬り付け、チコさんが槍で的確に止めを刺している。
決して油断せず、手堅く戦闘を続ける。これが何よりも肝要だ。
森は領地への浸食を続け、魔物はいくら殺しても湧き続ける。いちいち死んでいたらあっという間に絶滅してしまう。
シリノの部下である傭兵連中も慣れてきた様子だ。
魔物と相対した時の動きに、恐れや緊張が薄い。だが、嫌な慣れ方だと思う。
"比類なき槍"の大柄で禿頭の男が火を纏った斧を豪快に振るうと、狗の頭が失くなる。物凄い一撃だ。ただ、"ネグロン家の剣"男に攻撃が当たりそうだった。
「白ブタがッ!ちゃんと狙えねえのか!?」
「ハッ。チビ過ぎてダニかと思ったよ。駆除できなくて残念だ」
目にも止まらぬ素早さで刃を避けたアジア系の傭兵は、ククリを相手へ向けて罵倒し、大柄な方も嫌味を返している。
先程も同じようなやりとりを見た。
中年の男が竿のような棒を振ると、飛散した白い粘着物が数匹の狗を足止めした。ピストルを持った痩身の男が1匹に銃弾を撃ち込むと、周りの狗もろとも倒れる。
それを見た中年は手柄がどうとか文句を言い出し、ピストルは嘲笑で返す。獲物を横取りされたことに怒っていたようだ。
威力の高い炎の斧。
人の身を超えた俊敏さ。
強力な足止めのできる黐竿。
多数を仕留めるピストル。
聖遺物や魔剣で武装している連中は、個々としては強いものの連携は相変わらずだ。手こずっている仲間を見てにやけ顔を浮かべるのもどうかと思う。
近くの傭兵が足をトリモチに取られ転倒した。向こうから狗が走り込んでくる。が、奴らの仲間は掩護しようとしない。
喰い殺される時の断末魔を聞かされるのも不快なので、持ち場を離れ、斧を振るって狗を殺す。
「大丈夫ですか?」
体勢を整えた相手にそう聞くと、
「早く助けろよッ!」と必死な形相で叫ばれた。
礼など無いだろうと思っていたが、怒鳴られるとは思わなかった。
……連中がどうなろうと知ったことではないが、木こり達に危険が及ぶのはやめて欲しい。
次の集団が近づいてきているのが音で分かる。これ以上は構っていられない。ずれた持ち場まで戻り、武器を構えて待機する。
今日も、幸い死者は出なかった。
「前より自警団の人数が少なくないですか?」
伐採が終わり、自警団の3人と中継基地近くの村を歩いている。つい先程日が暮れてしまったから、酒場への道は暗い。月明かりと松明の灯りを頼りに歩きながら、ヒルさんに質問してみた。
「シリノからお達しだ。主力をあいつの部下で固めるってな。今日は木こりの親方から個人的な依頼で、今の状態を見て欲しいってよ」
「なるほど、良く分かりました」
あの仕事場でやる気を保つのは難しいだろう。雰囲気を悪くするくらいなら居ない方が良い。黒い森は死地に間違いは無いし、なおさらだ。
酒場に到着し、扉を開けると、騒々しい店内が水を打ったように静かになった。席を埋める人相の悪い客たちが、こちらに向けて視線を刺してくる。
13人か。黒い森で一緒だった傭兵の面々が先に座っているのだ。自警団の皆は全く気に掛けず、空いている席に向かって腰を降ろす。
注文を取りに来た娘さんと店主の男性に、ヒルさんが目配せしながら話す。
「ビールと、そうだな――アヒージョを人数分。煮えたぎったヤツをフライパンのままで頼むよ」
ふたりは真剣な表情で頷いた。その意味が何となく分かってしまって、中継基地から持ってきた木刀の重さに意識を向ける。
「俺が4人。他はふたり以上な」
口だけ笑い、眼に暗い光を灯したヒルさんがそう言った。
わざとらしく他愛の無い話をしていると、飲み物と料理がテーブルに置かれた。ヒルさんは娘さんの盆に大袈裟な額のチップを乗せる。
すると男がひとり、娘さんのお尻を平手で叩きながら、こちらのテーブルにやって来た。
「さすが自警団の親分様だ。景気が良いみたいだなあ」
「おかげさまでな」
歪んだ笑顔を浮かべ、ぎょろっと眼球を動かして絡んでくる。随分と酔っているのか呂律が怪しい。
「じゃあさあ、奢ってくれよ」
「もちろん。この間もウチの連中が世話になったみたいだしな」
「ああ……可愛がってやったぜ。そういや礼を貰ってない」
「それは失礼した。ちゃんと乞食には恵んでやらんとな」
男の表情が変わる。
「ハハッ。テメエ、何て言った?」
「ん?馬鹿には難しかったか?」
「そうかよ――どっちが馬鹿か、教えてやるッ」
男がキレた。
「はい乾杯」
間髪入れず飛んできたパンチにヒルさんはビールを打ちつける。
「ぎゃぁ!!」
木のコップと男の拳が砕ける。
ゴングは鳴った。
店の中が一斉に動き出す。
ヒルさん、チコさん、ブルーノさんが熱せられたフライパンを握る――
近くの傭兵が立ち上がって別々の方向から殴りかかり――
敵の顔面にオリーブ油が叩きつけられた――
「うああああああぁぁぁぁぁっ!!」
皮膚をフライにされた男たちが地獄に堕とされたような絶叫をあげた。3人は木の床でのたうち回る身体を跨ぎ、フライパンを構えて近くの傭兵に接近する。
ヒルさんは熟練の戦士が得物を振るうようにフライパンで殴り、チコさんはボクサーのような素早さで攻撃をいなしてダメージを与え、ブルーノさんは力任せにスイングして意識を刈り取る。
怒号と絶叫が酒場に反響している。
皆の戦闘技能に全く付いて行けず見ていると、頭頂で轟音が鳴り衝撃が走った。ばらばらと木の破片が降って来る。
「うわ。びっくりした」
振り返ると、椅子の足を持ち呆然とする傭兵と目が合った。酒場の椅子で思い切り殴られたのだ。
確か黐竿を持っていた男だ。とりあえずこいつでいいか。
「ごめんなさい」
棒立ちの相手の股間に優しく蹴りを入れる。
「あァッ」
蹲る男を無視し、店内を見回す。
もうひとりは誰がいいのだろう。
ひとに危害を加えるのはまだ心理的に抵抗があるが、相手は殺るき満々だ。すでに武器を抜いている者もいる。まごついてヒルさんたちが傷つけられたらまずい。
視線が止まった。
ヒルさんの死角から接近する男、シリノ邸で槍を背負っていたあの男だ。慣れた動作で刃先を持ち上げる
「ヒルッ」
咄嗟に叫ぶ。
抜いた木刀を男へ向かって投げた。回転しながら飛ぶ木刀を容易く払った男へ駆け、刃とヒルさんとの間に呪いの鎧を割り込ませる。
穂は僕の肩を弾き、次の振り降ろしが鎧を滑って床に突き刺さった。衝撃が身体に響いている。
荒れた肌の彫刻に似た男の顔が、不可解そうな色を見せた。そして2,3歩後ずさり距離をとる。店内はすでに乱闘状態だ。あの長物は十分に振り回せないだろう。重い一撃だが、耐えられる。
それより斬られた木刀や床が異常だ。断面からヒビが広がっている。あの槍の能力だろうか。
金色のエストックを持った茶髪の女が、男の鍛えられた大柄な身体の裏に隠れた。男の方はそれを待っているように見える。
「ヘイト!何秒か槍を抑えろ!」
「は、はい!」
ヒルさんが弾かれたようにふたりの方へ突っ込み始めた。反射的に答え、近くの椅子を槍に投げつけて走る。
抑える、抑える、どうやって?
鎧の尻尾が動く。
「おわっ!」
自分でも予想外の動きをした尻尾は、男の意表を突いて、太い首と槍を持つ右腕に巻き付く。これで自由に武器は振れない――が、これからどうしよう。
判断が追いつかず、走った勢いのまま頭突きするようにタックルした。身体が縺れ合って床に叩きつけられる。
驚いた女はヒルさんに向かって刺突を放つが、反応が遅れた。切っ先を躱して肉薄したヒルさんは、白い鼻先にフライパンを食らわせて足払いをかける。床に転がった女が頭を押さえて悶えた。
頭に衝撃を受けた。
抑えている男に殴られたのだ。両腕で2,3発目のフックを防ぎ、素早く立ち上がって離れる。10秒は稼げただろう。
店内には半数ほどの傭兵が倒れ、意識がある者も膝を着いている。だが有利とは言えない。
相手は落ち着き始めており、自身の得物を構え始めている。フライパンでは分が悪い。
頃合いではないだろうか。
獣のような呻き声が聞こえた。ブルーノさんが一撃貰ってしまったのだ。
「クソッ、一旦退くぞ!」
ヒルさんが悔しそうな声で叫び、チコさんと僕で椅子を蹴り転がして追手を防ぎ、一斉に店の外に向かう。
店の外には馬車が待機していた。あらかじめ手配していたのだろう。ふたりの自警団員がブルーノさんの乗車を手伝い、全員が乗り込むと御者が馬に鞭を入れる。
そうして、村を後にしたのだった。
ゆっくりと、夜道を馬車が移動している。
「ブルーノ、平気か?……大丈夫そうだな」
ろうそくに照らされた彼の二の腕には食器が突き刺さっている。痛々しく見えるが、ブルーノさんは無表情だ。
「初めて聞いたな、ブルーノの声……」
チコさんがそう言うとブルーノさんは鼻を鳴らした。喋れないだけで、音は出るのだろう。あまり出したくないものなのだろうが、良い撤退の合図になった。
馬車が停まる。
行き先は決まっていたようだ。煌々と光る篝火が、幾つかのテントを照らしている。
野営地だ。
酒場のひとの態度と言い、攻撃の手際と撤退の素早さと言い――
僕には何も知らされていなかったが、今回の喧嘩は予定していたものなのだろう。
「代表、良いんですか?連中野放しにして」
「そう言うな、チコ。店ごと潰すつもりか?」
いや、まあ、そうですが、とチコさんは不満そうに呟いている。3倍くらいの人数差だったのに、殴り足らなそうだ。
「それに、種は撒いた」
「?」
ヒルさんはいつの間にか山刀を抜いている。その刀身が入っていたであろう革の鞘には武器の柄が見えた。
しばらく篝火の傍に座り、皆がスープとパンを食べる姿を見ていると、蹄の音が近づいてくる。
「お、来た来た」
ヒルさんが食器を置いてそう言った。
馬は僕たちの近くで足を止めた。地面に足を着けたローブ姿の人物は、フードを捲りながら口を開く。
「い、言われた通りひとりで来たわ。は、早く返して」
「あなた、確か」
エストックを持っていた女だ。鼻血を出したのか詰め物をしている。
「尾行されてないか?」
「自分の部屋から抜け出してきたの。ば、バレてないはずよ」
「本当に?」
女は鼻声で続ける。
「言うわけないでしょ。聖遺物を奪われたなんてシリノに知られたら――私、殺される」
ヒルさんは鞘から金色の刀身を引き抜いた。エストックだ。なるほど。
女を攻撃した時に聖遺物を奪ったのか。それを取り戻そうと単身追って来たと。事情が分かると少しだけ同情が生まれる。
篝火に照らされた白い顔からは、怯えや焦りや悔しさのようなものが窺えた。
大事な武器を敵に奪われ、返してもらえるようお願いしに来ているのだ。そのうえ真夜中だし、怪しげな男たちと、真っ黒な甲冑がたむろしている。
僕だったら絶対に怖くて話しかけられないだろう。
「聖遺物は返すよ。その代わり、こっちの言うこと聞いてもらおうか」
怯えが色濃くなった女の顔を見て、ヒルさんはニヤリと笑った。
「もう十分でしょ……?いい加減返してよ……」
シーラさんはつらそうだ。
「わ、私が知ってるのは、これで全部よ。嘘じゃない」
「そうかい。ありがとさん」
何せ仲間の情報を全て喋ってしまったのだから。
別に手荒な真似をしたわけではないが、脅しは脅しだ。少し罪悪感を感じてしまう。
今日の伐採を思い出す――
火傷と引き換えにして、炎を灯し破壊力を上げる魔斧、"ギータの牙"。
首に掛けると韋駄天のように動くことができるペンダントの聖遺物、"18番の貴石"。
罵声を浴びせ合っていたふたりの持つ装備。
トリモチにより広範囲の足止めを可能とする黐竿の聖遺物、"パパゲーノ"。
銃弾を撃ち込んだ対象から距離の近い同族を死に至らしめるピストルの聖遺物、"ウェルテル"。
手柄を奪い合っていたふたりの持つ装備。
そして、
体温の上昇と共に破壊の力を得る魔槍、"クエレブレの逆鱗"。
呪物のデメリットを浄化するエストックの聖遺物、"シャナの金糸"。
ヒルさんに刃を向けた男が振るっていた槍だ。あの男、間違いなく強かった。名前はアーヴァイン、グレイヴ・ワンのリーダーだ。
そしてヒルさんが弄んでいるエストックは、目の前で縮こまっているシーラさんの装備。
他にも、あの傭兵連中には渡していけないような危険な装備の話を聞くことができた。これらの情報が有るのと無いのじゃ、対応が全然変わって来る。
「もう帰らないとまずいわ」
「ほらよ」
恨めしそうな眼で睨まれたヒルさんは、シーラさんにシャナの金糸を渡す。柄を手に取ったシーラさんの顔が和らいだ。安心したのだろう。
「じゃあ、これで」
シーラさんは素早く立ち上がり、振り向くと、巨体が立ちはだかっている。ブルーノさんだ。その大きな手はしっかりと馬の口取りをしている。
「あ、ありがと、う?」
その姿を見た顔が引き攣る。
ロープを持ったチコさんがしれっと近付いて、シーラさんの瘦せた身体を縛り上げた。
「連れて行け」
「ちょっと!何で!?離してよ!約束が違う!」
ヒルさんはニッコリと笑って口を開く。
「聖遺物を返すとは言ったが、お前さんを返すとは言ってない」
「くたばれ!」
「ハハハ、まずはひとり。いや、揚げ物にしたやつが3人か?あと何人かな」
ヒルさんたちは始めから彼女を解放する気などなかったのだ。だからと言って証拠隠滅する気もなさそうだが、これはあんまりだ。ちょっと釘を刺しておこう。
「手荒なことはしないであげてくださいね?」
「どうしようかな……」
シーラさんがぎょっとした顔でこちらを見る。
表情がころころ変わる女性だ。
「ヘイト、こうしよう。これからは『ヒル』だ。さっきみたいに。敬語も無し。使徒に敬れると色々とめんどくさいんだよ」
そう来たか。
いい加減、ヒルさんは僕の態度にしびれを切らしたようだ。
だからと言って、能力も歳も上のひとを呼び捨てにするには抵抗を感じる。
目線を動かすと、シーラさんがこちらを悲壮の籠った眼で見ていた。
ええい、ままよ。
「――では、ヒル。手荒な真似はしないように」
「了解」
物凄く据わりが悪い。
が、慣れて行くしかないのだろう。
シーラさんは疲れた表情を浮かべて連行されていった。
"シャナの金糸"を失ったことで、シリノ陣営は味方をサポートする手段をひとつ失った。呪物の扱いには気を遣うようになるだろう。そんな装備がまだあるかもしれないが、弱体化はできたはずだ。
……いつの間にか、僕はヒルの味方をする考え方になっている。
そこに疑問や、違和感は無かった。