63話 5月7日 比類なき槍
「ヘイトには、俺の身辺警護を頼みたい。なに、座ってるだけでいいさ」
僕がヒルさんと共にシリノ邸まで来ているのはそういう理由だ。
ヒルさんは優秀な人間だ。
腕が立ち、頭も切れ、行動力も組織力も求心力もある。
そんな彼に護衛が必要なのか、そんな考えはここへ来て吹き飛んだ。
金があるのを見せびらかすような趣味の悪い調度の応接室、こちら側の椅子に座っているのは僕とヒルさんのふたりだけ。
向かい合う相手方の椅子に座っているのは肥満の犬のようなシリノだけ。秘書のようなひとはいないようだ。だが、その周りには武装した男たちが控えている。
ひとり、とても嫌な雰囲気の男がいる。薙刀に似た槍を背中に背負っており、勘治先生やラグナルさんの眼に見た殺気、それに陰湿さを足したような視線がこちらを捉えている。
Noと言えば言葉ではなく刃が飛んでくるような。とても会談や交渉といった雰囲気ではない。
「自警団の経済的な支援と管理人材の派遣をさせて頂こうと思っています」
商会の重要人物であるシリノの要求はこう。
男たちの着る鎧が、部屋の灯りをギラギラと照り返している。どちらかと言えば脅迫だ。もし襲われたりしたら、丸腰の今、この人数差はヒルさんでも覆せないだろう。
「全く必要ない」
対するヒルさんは飄々としたものだ。出された紅茶と焼き菓子には手を触れず、つまらなそうな眼で交渉相手を見ている。
そうでしょうか?とシリノは口元を歪めて返す。笑顔を浮かべているつもりだろうか。
シリノは僕たちの数日という大遅刻を責めず、皮肉のひとつも出さなかった。
気味が悪い。
「この12年間で自警団は非常に大きな組織となりました。人数、装備、練度。最早軍隊規模と言えます。大きな組織の維持には苦心するものです」
「黒い森がある所為でやることは幾らでもある。食うには困らないさ」
「末端まで管理が行き届かなくなっているはずです。自警団はあなたひとりに制御できるのですか?」
「心配無用だ。優秀な人材が多いからな。俺が運営に関わらなくても問題無いようになってる」
ここ数週間で分かったことだが、自警団の目的は貧民の援助と治安維持だ。社会保障が頼りにならない部分を補うNPOに近いと思う。
どこの世界でも言えることだが、この街でも生活に貧するひとは多い。
黒い森で夫を喪った未亡人、親に捨てられた子供、戦争で怪我を負った戦士、称号を失った騎士。
そんな行き場を失くしたひとたちを訓練し、組織化して仕事をこなしていく。その過程で得た報酬や贈り物を組織の運営費に充て、また他のひとたちを仲間にする。
商人との違いは、営利を重視していないところと、ヒルさんがただの組織の代表であって、"代表取締役社長"ではないところだろうか。
「ふむ。しかし――
年々自警団の行動が過激化しているのは間違いありません。意見の食い違いが組織を内側から瓦解させることは往々にしてあることです。もし暴徒化すれば、街の大きな脅威となるでしょう。
自警団は街にとってなくてはならないものとなっています。あなた方に何かあれば皆が困りますし、私としても惜しい。
この提案は街のため、何よりあなた方のためでもあるのです」
シリノの言葉はどこか触りよく聞こえる。
事前にヒルさんから聞いていた話では、シリノは警備会社の設立をしたそうだ。
黒い森への戦力派遣、街の治安維持、貧民を雇うことによる経済への再編成と犯罪率の低下、などを謳っている。
自警団とまるかぶりだ。
そのシリノが自警団に援助をすると言っている。その言葉を、背景と偏見込みで訳すとこうなる。
『自警団の運営権を売り渡せ』。
シリノはスポンサーとしての立場からあれこれと口を出し、派遣した人間で組織を掌握してくると予想できる。
時間をかけて影響を浸透させれば、自警団が培ってきた人脈と信頼を使うことも、それこそ対立を煽って分裂させることもできる。
ちょっとした抵抗など武力で叩き潰してしまえばいいのだ。
「組織の分裂や暴徒化は推論でしかないな。
自警団は慈善団体だ。公平さが損なわれるから、商会、教会、国会、そのどれにも過度な干渉を受けるわけにはいかない」
シリノの提案を飲んではいけない。
どれだけ聞こえが好かろうが、相手は武力をちらつかせながら話している。
「仰ることは尤もですが、理想論では?現実に、パンが無くなり剣が残っていれば、人は何を始めるか分かりません。貧しさは人心を荒廃させますからね」
「アンタは金があるのにさもしいね」
ここに来て始めてヒルさんは微笑を見せた。シリノの顔から表情が消える。
部屋から音が無くなる。時間が長く感じる。
「……今日はこのくらいにしておきましょうか。すぐに返答を頂けるとは思っていません。何かあればすぐに会談の場を設けます」
「それはありがたい。じゃあ、失礼させてもらおう――帰ろう、ヘイト」
言いながらヒルさんは立ち上がる。会談は終わりのようだ。僕も立ち上がり、入って来た扉の方へ身体を向ける。
最後にシリノが挨拶を投げかけてきた。
「それでは、またお会いしましょう。おふたりとも、悪魔に笑われませんよう」
「ああ、お互いにな」
シリノ邸を出て、街中をブルーノさんの操る馬車で移動する。
「最後のどんな意味なんですか?悪魔がどうとかって」
「あれな、ちょっとした不幸があったとき王都では、悪魔に笑われたって例えてたんだよ。今日日誰も使わないがね。
ま、不慮の事故に気を付けろよってとこか」
「"人為的な"不慮の事故ですか」
「そういうことだ」
嫌になる。あれは脅しだったのだ。
手下を使って邪魔をしてくるつもりか。
「シリノは俺から良い返答を得られるとは思ってないな。今日は最後のアレを言いたかったんだろう。
ハハハ、あの部屋で"不慮の事故"が起きなかったのはヘイトのおかげだ」
今日の会談は実質的に宣戦布告だったのだ。もしかしたらヒルさんは襲われ、不幸な事故として処理されていたかもしれない。
そうならなかったのは、ただ黙っていた僕のおかげだと言う。
この異世界に神が遣わした使徒には、強い権力を持たされる。税の類は一切取られないし、衛兵に顔を憶えてもらえれば街の門を出入りするのも自由だ。
そして、安寧をもたらすために召喚された使徒に危害を加えることは言語道断だ。教会に"人権を剝奪"されてもおかしくない。
僕が傍に居れば、シリノはヒルさんに手出しできない。
普通は――
「シリノの護衛、何だか怖い雰囲気でしたね……」
「確かにな、大規模侵攻作戦には居なかった奴らだ。聞くところによると、"比類なき槍"と名乗る傭兵連中だ。
どっかでその名前を聞いたんだが、どこだったっけな……」
「減った"ネグロン家の剣"の代わりですか?」
「どっちも手駒なのは間違いないが、事情が違う。表向きにアルマ・デ・ネグロンのリーダーはテルセロ・ネグロンだった。シリノの立場はあくまで出資者だ」
「でも、テルセロは捕縛された」
テルセロ・ネグロンは魔物を匿っていた罪で、裁判もそこそこに投獄された。
ヒルさんは頷き、揺れる床に目線を向けて言葉を探す。
「シリノの家は使徒の遺した聖遺物を王族と取引することで大きな財を成した。
ヤツはそれを継いだが、12年前のクーデターによって政権は代わって、徐々に立場も商売の具合も悪くなって王都に居られなくなった。見切りが良かったのか、金と人脈はある程度残った」
「今はかろうじて残ったお金を使って商売してるんですね」
「ああ。シリノの最終目的は分かってる。王都へ帰る、だ。
"ネグロン"の名を冠した戦士たちが、使徒の代わりに黒い森を相手どって大戦果をあげている、って実績をテルセロに作らせる。
そうしてテルセロが家を継いだ時、一緒に王都へ行くつもりだったんだろ」
「なるほど。その手はもう使えませんよね」
「そう。シリノはピンチなんだよ」
野望を達成するための手段は潰された。おまけに出資先は犯罪者だ。疑惑の目は向けられるし、そこを国会に突っつかれるとテルセロの道連れになるかもしれない。
今の地位を失えば、もう二度と王都には戻れない。
「アルマ・デ・ネグロンは使えるだろうが、ネグロン家を使うことはできない。次の手は……」
「どう……出るんですか?」
「分からん」
「あ、そうですか」
ヒルさんにはとっくに見当がついているのかと思ったが、そうではないようだ。
「ただ、勝負に出てくるのは間違いない。起死回生の一手を打ってくる。援助云々はその一部に過ぎない。何で俺らを乗っ取りたいのか分からんが――」
使徒に代わって黒い森と戦う正義の傭兵部隊、"ネグロン家の剣"。
街の治安維持を買って出る警備会社、"比類なき槍"。
ヒルさんの口調は変わらない、落ち着いたものだ。
「これから、シリノとの抗争になるな」