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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
4月 ティリヤ犯罪史
62/189

59話 勢威の消えゆく鬼子

 


 ペトロナさんは「ネグロン」と言ったのだ。

 それをニルダさんは良く聞き取れなかった。聞き間違いだ。そしてペトロナさんは消息を絶つ。

 ニルダさんは後から、友人が黒い森(ボステ・ネグロ)に行ったと勘違いをした。


 アイシャさんは懺悔室(ざんげしつ)で話を聞いて、そこに気が付いた。


 キャラメル色の肌、(つや)のある黒髪を探す。


 薄暗いエントランスには朝日が()()み始めている。

 引き()った声を出す腰が引けている女中。

 この女じゃない。


 水差しの乗った盆を放り投げて部屋に引っ込む給仕。

 あの女でもなかった。


 曲がった階段の踊り場からこちらを見下ろす令嬢。

 白い肌。カールした長い金髪。表情の消えた顔。

 憎悪で燃えるような瞳。

 ――居る。


「"影像(ドッペル)"ッ!」




 目が合っていたのは数秒。

 ソル=ドッペルは(まばたき)きで目線を切ると廊下の先へと歩を進める。こちらから離れようとする姿を見て、反射的に追おうと階段に向かう。

 が、勢い付いた自分の身体は前に進むことなく転倒した。足に固い棒が絡まった感覚がしたときには紅いカーペットに手を着いている。


 素早く身体を反転させて仰向けになると、軽装鎧を着たふたりの男が刃を向けていた。さっき突き飛ばした護衛が追いつき、槍で足払いを掛けられたのだ。


「大人しくしろ」

 敵意の()もった眼でこちらを見ている。

 この護衛共を倒さなければ何もできない。誰も追えない。

 邪魔だ。



 立ち上がろうとすると間髪入れず突きが飛んでくる。太腿(ふともも)と肩に()が当たるが構うことはない。正確な狙いの刃は呪いの鎧を貫くことなく滑っていった。右側の護衛に接近する。


 攻撃が()れて重心の移動した相手。その右足に向かってゴルフクラブのように斧を振るう。刃先が防具に当たると相手の身体が宙へ浮き床に転がる。


 もうひとりが後ろから槍の(つか)を首に掛けてきた。もがいて振りほどこうにも身体が密着している。


 ならばと、柄を掴み前転するように、思い切りしゃがみ込んで身体を前に丸める。首がぎゅっと締まる感覚のあと、背負い投げのようになった相手の背中が床に叩きつけられた。


 よろよろと立ち上がる一人目の護衛に苛立(いらだ)ちが募る。

 こいつらを相手にしている暇は無い。


 槍の殴打を避けず、相手の襟元(えりもと)を掴んで肉薄し、

「寝てろ!」

 全力で頭突き(ヘッドバッド)を叩きこむ。

 (ノルマンヘルム)がひしゃげ、鼻当て(ネーザル)が顔に食い込んだ護衛は倒れて激しく(うめ)いた。


 立ち上がろうとするもうひとりの襟元を掴んで床に押し付ける。敵意と恐怖がない()ぜになった顔を視た。

「答えろ。修道女(シスター)が来たはずだ。何処(どこ)に居る」




「ここで何をしている」

 玄関の方向から硬質な声が聞こえ、そちらへ首を動かす。

 その男は装飾の少ない美しい甲冑を着て、こちらへ歩いてくる。白い肌は苦労からか青ざめ、(ヘルム)を付けていない(ひたい)には金髪が張り付いている。


 この屋敷の主であるテルセロ・ネグロンだ。侵攻作戦からの帰りか、甲冑のところどころに返り血が付着している。


 前に見たときより(ほお)がこけていて、クマができた眼でこちらを見据(みす)えている。ゆっくりと、だが慣れた所作で腰のロングソードを引き抜いた。


 相手はやる気だ。都合が良い、こいつに聞く。


 護衛から手を離し、斧を拾って間合いを詰め――



 足の甲冑に向けて斧を振る――

 紙一重で軌道を避けたテルセロが鋭く踏み込み、

「!」

 鋼の刃が呪いの鎧を袈裟懸(けさが)けに舐めた。


 衝撃に(ひる)んでしまう。

 反応できなかった。

 (くる)(まぎ)れの一振りを避けられ、腹部への横凪(よこなぎ)を貰ってしまう。


 武器に向かって斧を振るうが、手首のスナップを利かせて巧みに(ひるがえ)った剣には当たらない。

 俊敏(しゅんびん)に攻撃体勢を整えたテルセロの重い上段を鎖骨に受けた。


 鎧と剣が耳障(みみざわ)りな金属音を立てる。

 衝撃の波が全身に反響している。


 強い。テルセロの方が技量が上だ。 

 テルセロは呪いの鎧に斬撃が効かないと見るや、すぐに打撃へと切り替えてきた。


 追撃の上段斬りに対し、斧の柄で防ごうとする。

 降ってきた剣の一撃は、木でできた斧の柄を簡単に真っ二つにした。


 負けるものか。

 折れて剣山のようになった柄の断面を、太腿の甲冑の隙間に叩きつける。


 浅く刺さり、テルセロの表情が苦痛で歪んだ。

 隙を逃さず一歩踏み出し、(エルボ)を屈んだテルセロの(あご)へ打ち込む。

「がアっ……」と声が漏れ、白い顔が歪み、大きくふらつく。


 追撃して無力化する。そう思った時、

 自分の延髄(えんずい)に棒が叩きつけられた。

 予想外の一撃に体勢が崩れる。


 投げた護衛のひとりが立ち上がり、こちらへ槍を向けている。


 2対1だ。

 テルセロと護衛のふたりがかりで、ロングソードと槍の石突(いしづき)滅多矢鱈(めったやたら)に叩かれ上下左右が分からなくなる。


 負けられない。負けたくない。

 力が抜けそうになる身体に活を入れ、槍の柄を掴み(ふところ)に引っ張り込みつつ、引き寄せられる護衛の顔面に裏拳を叩きこんだ。何かが潰れる感触が拳から伝わる。モロに入った。


 前屈みになった護衛の身体をテルセロに向けて突き飛ばす。寄ってきた護衛を避けようとテルセロの重心が上がった。 


 今だ。

 テルセロの股座(またぐら)に頭をこじ入れるようにタックルを仕掛け、相手の(ひざ)を外側から両腕でロックし、力を振り絞って背中を反らせる。

 大の大人を肩車のように持ち上げて――

「ぅおらぁ!!」

 テルセロの身体という金槌(ハンマー)を床に振り下ろすように背中から叩きつけた。


「グあっ、ハっ……」

 テルセロの口から肺の空気が抜ける音が聞こえ、相手の全身から力が抜ける。



 衝撃の残響が、エントランスに響いていた。



 テルセロの両耳を掴んで立ち上がらせ、前腕(ぜんわん)で首を圧迫して壁に押し付ける。眼前の顔は息を切らして苦渋の表情を浮かべている。


「……シスターが来たはずだ。何処にいる」


 疲労の刻まれ、青ざめた顔が、諦めたように笑った。

 知らない、でもなく、此処(ここ)にはいない、でもない。

 その表情が、理性の糸に障り、途切れた。


 黒い手甲に覆われた拳を顔面に叩きこむ。

 されるがままに倒れた男の金髪を掴んで引き上げる。ぶちぶちと音が伝わる。色の失せた唇は切れて紅い血が垂れている。影のかかる眼は力なく、床を向いている。

「アイシャさんは何処だ!!」


 広いエントランスに自分の絶叫が反響した。




「――ヘイト様?」

 聞き覚えのあるしゃがれた声が聞こえた。

 咄嗟(とっさ)に手を離し、振り向く。


 年配の使用人に支えられて、黒いワンピースを着たシスターがこちらを見ていた。しん、と脳が痺れる。身体が勝手に歩き出す。


 よたよたとした足取りで近付くと、怯えた表情の使用人がシスターから手を離し、数歩後ろへ退()がる。

 彼女は心配したような表情で、ゆっくりと近付いてきた。


 少し、痩せただろうか。

 少し、やつれただろうか。


 見慣れた顔が近くなるほどに、これが幻覚では無いようにと祈る。


 自分で思っているより疲れているようだ。

 シスターがすぐ目の前まで来たところで、かくっと膝の力が抜けた。彼女は僕を支えようと黒い鎧を両腕で抱き留めるが、重量に負けてふたりでへたり込む。


「あ、その。お怪我(けが)はありませんか?――わ、我が信仰を、この者を癒す力に」


「……良かった」


 自然と声が震え、右腕が彼女の細い背中に回った。

 彼女は知らないが、僕に秘跡(ひせき)は効かないそうだ。

 だが、今だけはその効果を確かに感じる。

 ただただ、安堵(あんど)に包まれている。


「申し訳ございません。私――」


「良いんです。もう。


 それより怪我は無いですか?――アイシャさん」


 アイシャさんから身体を離し、目を合わせて問いかけると、

「はい。大丈夫です」

 と彼女はいつものように笑顔でそう答えた。


 ここ数日身も心も張りつめていたからか、それを見た途端(とたん)に力が抜けてしまった。頭に(もや)がかかったようにぼうっとする。安心感が意識を(さら)おうとしている。

 身体を起こしているのも億劫(おっくう)だ。



 玄関の方から足音がしている。苦労してそちらを見ると、教授とヒルさんが自警団員をふたり引き連れて入って来るのが見えた。


「ヘイト!


 ――アイシャ?無事だったか!」


「お騒がせ致しました。私、何とか話だけでもと」


「良いさ。無事だったんだから――テルセロは?」


 声が出なかったので、ヒルさんの質問にゆっくりと腕を上げて指差(ゆびさ)す。

 テルセロは床に座り込み、壁にもたれかかって地面を見ていた。 

 教授が近づいていく。


「テルセロ・ネグロン。お前の娘であるソル・ネグロンに容疑が掛かっている。知っていることを話してもらう」


 テルセロは嘲笑(ちょうしょう)と無言で返す。

 それは教授を(あざけ)っているのでなく、自分の運命を呪うように見えた。


「代表!」

 とエントランスに大声が響く。

 チコさんが焦っている様子で近付いてきた。


「どうした」


「馬車が一台、この屋敷から門の方へ向かったと報告がありました」


「追ってるか?」


「無論です!」



 その会話を聞いたテルセロは目を見開いた。

「――ティロは?」


 様子の一変したテルセロはおもむろに立ち上がり、階段の手摺(てすり)に体重を預けながら上の階へと向かう。逃げるような様子ではない。ヒルさんと教授に身体を支えられながら、その後を追う。


 僕がこの屋敷に入った時、ソル=ドッペルが向かった方向。廊下にテルセロが立ち止まり狼狽(うろた)えている。陶器の破片のような物が散らばっていて、その中央に女中が倒れていた。

 確か、前に来た時ティロとソルに付き添っていた女性だ。


 アイシャさんが女中の(そば)に屈み、「気絶しています」とだけ言って治癒の秘跡を使い始める。


「誰かいないか!?馬を用意しろ!!」

 テルセロは理性を失ったかのように叫び出した。



 ソル=ドッペルが僕の襲撃を知り、ネグロン家の次男であるティロを連れて逃げたのだ。おそらく、チコさんが報告した馬車にはそのふたりが乗っている。

 何故ティロ・ネグロンを連れて行ったのか。

 人質、なのか。



 テルセロにはこれまで見なかった感情が現れている。息子が魔物に捕まっている状況だ、無理もない。

 妙な話だが、その気持ちが分かる気がした。僕もあんな顔をしていたのだろうか。


 テルセロは僕たちのことを意識していない。ふらつきながら外へと急ぐ悲壮(ひそう)の憑いた背中を見送る。

「行かせてしまって良いんですか?」


 ヒルさんが答えた。

「構わねえさ。もうテルセロは逃げられない。それにドッペルの方は他の連中が追ってる。


 馬車を用意してある。俺たちも向かうが、ヘイト、行けるか?」


「行きます」

 ヒルさんと教授に支えられてやっと立っているような状況だ。もう戦うことはできない。ドッペルを仕留めるのは他のひとに任せるしかないだろう。

 しかし、休憩してはいられない。結末が近いのなら見届けなくてはならない。そう思った。






 屋敷の外に出ると、すでに日は高く登っている。


 アイシャさんと教授、それにヒルさんと馬車に乗って移動する。先を急がせているからか車体が揺れて乗り心地は悪い。


 やがて口を開けた街の門が近付いてくる。今月の始めに訪れた場所だ。

 ドッペルは堂々と街を出るつもりなのか。


 停車し、手を借りながら降りる。

 建物の少ない、(ひら)けている門の前は騒然(そうぜん)としていた。衛兵や自警団員たちが半包囲する中心に、足止めを食らっている豪華な馬車が見える。


「勝手な行動は(つつし)め!手を出すなよ!」

 とチコさんの大声が聞こえた。


「通してくれ」と言いながら教授とヒルさんが進むと、武器を構えた者たちが警戒を解かないまま道を開ける。



 刃の先では、石材で出来た地面にうずくまる御者と、ふたつの人影が見えた。

 女の身体の前に少年が立っている。一見して親し気な姉弟(きょうだい)のようだが、女は手に持ったナイフを少年の首に押し付けている。


 ソル=ドッペルと、ティロ・ネグロン。


 あのふたりを中心に数メートルの空間が空いている。不用意に近付いた時、ドッペルがナイフを引く光景が想像できる。それはきっと想像では済まない。



 ソル=ドッペルは辺りを余裕そうに見まわすと、

「通して頂ける?」

 と言った。


 誰も動けない。

 ドッペルは続ける。

「私が逃げきれたら、弟を放すわ」

 おおよそ人を殺すような声色には聞こえない。

 内容に反してどこか優し気に聞こえるのが(おぞ)ましい。


 ティロは小刻みに震えて泣いている。


 どうする。

 僕が使える物と言えば、斧と鎧の尻尾くらい。これはとても届かないし、どう考えてもナイフを動かす方が速い。

 思考を巡らすが、彼を無事に救出してソル=ドッペルを殺す方法が浮かばない。



 ソル=ドッペルはティロを連れたまま、ゆっくりと門の方へ歩き始めた。

 このままみすみす逃がすのか。奴がティロを無事に放す保証など無いのに。 



「ティロ!!」

 叫び声と共に馬で駆けて来たのは、テルセロ・ネグロンだった。馬の勢いに、包囲の一部が崩れて道を通す。


 包囲の中に入ったテルセロは下馬すると、

「人質が欲しいなら私でいいだろう。ティロを離せ」

 と呼びかけながら、ぐんぐんと近づいていく。


 鮮血が迸る結末を想像し、背筋に緊張が走る。



 ソル=ドッペルはティロの首に当たっていたナイフを、牽制(けんせい)するようにテルセロへ向けた。


 ナイフから数十センチのところで、テルセロの足が止まる。


「お父様なんて()らない。この子は私の物」


 そう言う。





 その瞬間、


 ドッペルのナイフが、手首ごと()くなった。




 銃声が開けた空間に響き渡る。




 ソル=ドッペルは体勢を崩し、ティロが地面に倒れる。テルセロはティロに(おお)(かぶ)さり、ヒルさんが弾かれたようにドッペルの方へ駆ける。


 誰かが狙撃でドッペルの腕を弾き飛ばし、状況が一気に動き出す。


 ドッペルの姿が黒く崩れ、人の面影を残したまま背中から翼が生える。ティロを諦めるその一瞬、悔しそうな表情を浮かべたように見えた。


 羽ばたき、


 数メートルほど空へ舞い上がって、


 空中で奇妙に身を(よじ)った。


 また銃声が響く。



 空へ逃げようとしたドッペルは、絹を裂くような悲鳴を上げて、ぐしゃ、っと墜落した。


 広場は騒然としている。




 ゆっくりと喧騒(けんそう)()んでいき、

 ゆっくりと包囲網が狭まっていく。


 皆すぐに察したのだろう。もうこの魔物に、抵抗する力が残っていないことを。


 街に生きる者たちの敵、その終わりが近いことを。


 変身能力か、墜落(ついらく)の衝撃か。

 その姿はまとまりなく崩れている。


 片腕と片翼をもがれた、人間と鳥の入り混じった異形が、紅い血溜まりのなかで仰向(あおむ)けになり、浅い呼吸をしながら青空を見ている。



 テルセロはティロを抱っこしながら、ドッペルに近付き口を開いた。


「死ぬ前に教えろ!ソルは何処に居る!?」


 テルセロは、ソル・ネグロンの遺体が――娘がもう死んでいることを知らなかったのか。


 ドッペルはテルセロの方に首を動かすと、崩れた娘の顔で笑みをつくり、答えた。


美味(おい)しかったわ」



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