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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
4月 ティリヤ犯罪史
61/189

58話 4月23日 ドーン・ウォーカー

 


「アイシャさんが……行方不明?」

 思わず口に出した言葉を自分で聞いてしまい、動揺(どうよう)する。


 まさか、


 ――へーくんの大事なひとを殺す――

 熱の無い声が(よみがえ)り、頭に響いて、思考が止まった。




「アイシャの姿を最後に見たのは?」

 教授の声がどこかから聞こえる。


「2日ほど前です。いなくなる直前シスターと話していて、『ナイフを借りて行く』と言っていたそうです。思い詰めたような、決心したような表情だったと」


「出かけているだけではないのか」


「無断で何日も外泊するような子じゃありません。それに――話せる?」


 エルザさんは言いながら横を向く。廊下に誰かいるのか。

 すると、ローブを着、フードを被った女性がふらつきながら姿を現した。(うつむ)いていて、怯えているように口角は下がっている。


「ニルダ?」

 アントニオさんの声が響いた。


 エルザさんに支えられながら部屋へと入って来る。

 その様子を見かねた自警団のひとりが、自分の座っていた椅子を運んで座らせた。


「ごめんなさい……」

 アントニオさんの探していた、行方の分からなくなっていた女性。ニルダさんは腰を下ろすなりそう言う。


 何に対しての謝罪なのか。

 何故(なぜ)このひとが出て来るのか。


 謝ったきり顔を(おお)い、肩を震わせるニルダさんを見かねてエルザさんが話し出す。

「アイシャがいなくなったのは、この方が懺悔室(ざんげしつ)に入ったあとです。話を聞いたのがアイシャだったのでは、と」


「なんで……」

 震える声が出た。全員が僕の方へ目線を動かす。


「なんで、ニルダさんの話を聞いたら、アイシャさんがいなくなってしまうんですか?」


 どう繋がるのか分からない。誰も何も言ってくれない。

 いてもたってもいられなくなって立ち上がる。すぐに鋭い声で教授に呼び止められた。


「ヘイト、何処(どこ)へ行くつもりだ」

「アイシャさんを探しに行きます」


「だから、何処へ、だ。心当たりがあるのか」

「でも……!」


 アイシャさんが何処へ行ったのか、全く見当がついていない。闇雲に広い街を探したところで見つからないのは、きっとこれまでと一緒だ。

 だが、身体が動きたがっている。何かしていないと不安に押し潰されそうだ。


「ニルダが手がかりだ」

 教授の言うことは分かる。荒ぶる感情をなんとか押しとどめ、椅子に座り込み、頭を抱える。



 アントニオさんがニルダさんへと質問する。

「ニルダ。頼む。懺悔室で話した内容を教えてくれないか?言いづらいだろうけど、重要なことだ」


「――はい」

 憔悴(しょうすい)した女性は、涙を(こら)えるように話し始めた。



「2週間ほど前、ペトロナがいなくなる前日に、私の家で一緒にお酒を飲んでいました。お祝いだったのです。詳しくは教えてくれなかったけど、払いの良い仕事ができたって。


 夜通し飲んで、おしゃべりして、いつの間にか眠ってしまいました。起きるとペトロナはいなくて、上着や荷物が無かったので、先に帰ったのだろうと、その時は気にしなかったのですが。


 それ以来、ペトロナとは会えていません」


 皆、黙って話に耳を傾けている。


「すぐにまた会えると思っていました。でもいつまで経っても音沙汰(おとさた)なくて、こんな時期だから不安になってしまい、探し始めました。だけど誰に聞いても分からなくて。


 丁度その頃から、脅されるようになりました」


「脅し?」

 ヒルさんが()く。


「はい。最初はちょっとしたことだったんです。部屋に石が投げ込まれたり――悪戯(いたずら)かと思ったんですが、ある時男がぶつかってきて、気づくと刃の折られたナイフを握らされていました。もし、あれが普通のナイフだったらと思うと」


何時(いつ)でも殺せる、ってメッセージか」


「ただごとじゃないって、きっとペトロナの身に何かあったんだと確信して、怖かったけど、続けていたんです」

 そう言いながら、被っているフードを(めく)る。褐色の肌、赤茶色の髪。その顔からは陰鬱(いんうつ)さと、幾つもの殴られた跡が見えた。


「襲われた」


 ニルダさんはゆっくりと頷く。

「路地に連れ込まれて、口を(ふさ)がれて、わけが分からないうちに殴られました。何度も。通りがかった衛兵の方が助けてくれたようですが。男は去り際に『もう探すな。誰にも言うな。次は殺す』と言って――」


 声が尻すぼみに消えていく。

 沈黙が場を支配する。ただ待っているだけの時間が苦痛に感じた。


「気が付くと、教会のベッドにいました。ペトロナは魔物に殺されてしまったと思い、怖くて、いてもたってもいられなくなって、懺悔室へ行きました。シスターに長い時間、全部話して、『私はどうすればいいのでしょうか』と訊いたのです」

 ニルダさんの発言に引っかかり、顔を上げる。教授の唇が"魔物"と動くのが目に入った。


「話を聞いたのはアイシャで間違いないんだな?」


 ヒルさんの問いにエルザさんが代わりに答える。

「ニルダ?懺悔室の相手と話した最後に、『主の御名により、我が信仰を、迷える者の(しるべ)に』と言われたんですよね?


 ――"回心の秘跡(ひせき)"の際にその聖句を(そら)んじるのは、アイシャだけです」


 ごめんなさい、とニルダさんは小さく言って口を(つぐ)んだ。教授が話をまとめる。

「そうか。話してくれて感謝する。その後、アイシャはナイフを借りて教会を出た。そして今何処に居るかが分からない」





 長い沈黙のあと、ヒルさんが口を開く。

「アイシャは、今の話で影像(ドッペル)の潜伏場所が分かったのか?で、何故か誰にも何も言わず、ひとりで仕留めに行った」


「懺悔室で教会側が聞いた話は他言無用です。何も言えなかったのでしょう。だからと言って対処する義務は無いのですが、きっとアイシャは行ってしまった」


 そう言うエルザさんは、今にも倒れてしまいそうだ。事情を知っているひとを必死に探したのだろう。アイシャさんの行動も想像できる。彼女は恐れ知らずというか、向こう見ずなところがあった。


 ――へーくんの大事なひとを殺す――

 熱の無い声が甦り、頭に響いて、精神ががどよめく。


 大人しくしていられない。焦りと苛々(イライラ)と、何より恐怖が混じって、気がおかしくなりそうだ。


 ドッペルを追い始めてからずっとこうだ。"何処に"が抜けている。

 ニルダさんの話した内容のどこで、アイシャさんは勘づいたのだろうか。


 ニルダさんが知らなくて、アイシャさんが知っていること。

 アイシャさんが知っていて、皆が知らないこと。

 皆が知っていて、僕が知らないこと。



 ふと、ヒルさんの姿が目に入った。

 『本能に従って保身と捕食をする獣に近い。そんな獣を狩る時に重要なのは、まず獲物の習性を知り、存在した痕跡(こんせき)を見つけることだ』と、彼から馬車で聞いたことを思い出す。


 目をぐっと(つむ)って、自分が焦っていることを自覚する。


 落ち着け。

 落ち着いて考えろ。

 アイシャさんが何処に向かったのか。

 ここで折れたら、本当に終わり。そんな気がする。



「……アントニオさん」


「何だ?」


「ドッペルは、街の中にいるんですよね」


「ああ。侵攻作戦に行ってるローマンとフベルトからは、村で変な殺人が起きたって話は聞いてない。それにお前の前に出て来たんだろ?」


「はい」


 前提として、ドッペルはまだ生きていて街の中にいる。ヤツは僕の前に姿を現し、脅迫という手段で捜査を止めるよう迫ってきた。人間に脅迫が効くことを知っている。



「チコさん。背骨が食べられた遺体が出なくなったのは、何時ぐらいからでしたか?」


「ええと。3月の13日を過ぎてからです。ヘルトルディスから5人目の女に成り代わった時期と一致します」


 ある時期から特徴的(とくちょうてき)な遺体が出なくなっている。それを僕たちは協力者がいると考えた。誰かがドッペルの殺した遺体を隠していると。実際に神罰教会は5人目の遺体を隠していた。人間に協力させることも知っている。




「ヒルさん。ドッペルも狗みたいに人間を食糧にしてるんですかね。それか、人間を殺さないといられないんでしょうか」


「人間を殺すのはドッペルの習性だろ。これまで背骨が破損した遺体は2,3週間に一度くらいで定期的に上がってた。リスクの低い食物なんざ他にもある」


 3月13日から5週間ほど経っている。ドッペルは2,3人の人間を殺していると考えられるが、遺体は出てきていない。一体誰が殺されているのか。


 アイシャさんの笑顔が頭をよぎった。支配的な不安を振り払って、考える。

 ドッペルに脅されて、協力させられている人間がいても、おかしくはない。




ネグロン家の剣(アルマ・デ・ネグロン)の水晶を持った男は、本当に撤退戦の時に死んだんですかね。索敵できたなら、生き残れた可能性もあるんじゃないですか?」


「あの……」

 メサさんがおずおずと声を出す。


「私、見たかもしれません。長身で水晶を持った男ですよね。あの夜、慌てて森の方から帰ってくるふたりの男とすれ違いました。もうひとりは高価そうな鎧を着ていたような。緊急事態で忙しかったので、確実ではないのですが」


 先月の大規模侵攻で、戦闘に参加したアルマ・デ・ネグロンの生き残りはふたりだと聞いた。メサさんが見たことが本当だとして、仮に生きて帰ってこられたのなら、今その男は何処に居るのだろう。そして一緒に帰ってきた鎧の男は誰なのだろう。




「教授。ドッペルはどうやって人間の記憶を知るのでしょう。そこに制限はないんでしょうか」


「分からん。だが、遠方にいる人間の記憶を完璧に知れるものではない。"行方不明になっていた親族"でも"しばらく連絡の無かった知人"を装って、どこへなりと潜り込み、不審に思われる前に別の場所へ行けばいい。


 人を殺したあと身元不明にするなんて面倒なことをするのは、それが身内を騙せるくらいに完璧な変身をするための条件だからだ」


 ドッペルが5人目を殺したとき、被害者と抱擁(ハグ)をしていた。親しい誰かの姿になっていたのだ。そう難しくない条件で、ある程度の記憶は知ることができる。


「僕の妹に化けたドッペルの変身は、完璧じゃありませんでした。でも、ある程度の変身自体はできた。記憶を知るための最低条件は、会ったことがある、とか?」


「断定はできんが、あり()る」


 ドッペルは、僕が捜査していることと、この世界にいない鳩叶(やすの)の姿を知っていた。

 仮に記憶を知る条件が、面識のあることだとすると、僕はドッペルと会っていることになる。


 ドッペルが今の姿になったのはおそらく1カ月前で、僕が捜査に加わったのは4月に入ってから。そして脅迫されたのが4月の(なか)ば。





 白い肌。金髪。


 こんなこと考えたくはないが。


「チコさん、もう一点。イグナシオ商会で戦ったとき、イザベルさんは秘跡を使っていましたか?」

「ええ。堅体、いや前身でしたか?とにかく秘跡を使って構成員をひとり無力化していました」


「ありがとうございます。エルザさん、すみません。何か秘跡を使ってもらえませんか?」

「は、はい。我が信仰を、命を照らす(ともしび)に」


 エルザさんの掌にピンポン玉くらいの白い光ができ、明け方の部屋を照らした。

 ドッペルは、魔法も秘跡も使えない。



 白い肌で、金髪。


 たら、

 れば、

 もしも、

 例えば、


 ここまで全部仮説だ。

 他の可能性を全て否定できていない。


 だが。



「ニルダさん。何でさっき、ペトロナさんが魔物に殺されたって言ったんですか?」


 ペトロナさんがいなくなって、捜索を始めたら脅迫されるようになり、襲われた。これだけだとニルダさんの件と、ドッペルとの関係性は断定できない。人間に誘拐されたとも考えられるが、先程彼女は、魔物、とそう言った。


「え、えっと。魔物のところに行くって、会ってた時に話してたから。でも、すごく酔ってて」


 色々なことが重なって、はっきりとした記憶ではないのだろう。

 ニルダさんは下を向いて頭に両手を乗せ、正確に思い出そうと苦心している。


「懺悔室でも、同じ質問をされませんでしたか?」


「いえ、確か。でも、私も何を話したのかよく覚えてなくて、動揺していたから」


「……ペトロナさんからは、黒い森(ボステ・ネグロ)に行くって聞こえたんじゃないですか?」


「え?えっと、そう。だから私、黒い森?魔物が相手なの?って訊いたの。


 あれ?私、なんであんな質問したんだろう、そんな馬鹿なこと、あるわけないのに。そしたらあの子、笑って、違うって」




「――――ネグロン?」

 ニルダさんの目が見開かれた。








「おい!待て!!――ヘイト!!」


 気付けば会議室を出て、走り出している。


 夜明け前の空は群青色に染まっている。




 ――私はこの度、使徒様の案内人を務めさせて頂くことになりました、アイシャ・アリと申します。よろしくお願い致します――

 頭の無い御者が。




 ソル・ネグロン。


 ネグロン邸。


 きっとそこにアイシャさんは居る。


 まだ間に合うかもしれない。


 まだ、


 まだ、




 ――ちょっとおふたりともやめてください!私はヘイト様を笑ってなんかいません!――

 半身の腐敗した男が。




 どれくらい走っていたのか分からない。


 見覚えのある門の前に辿り着く。


 無理矢理よじ登り、広い庭に降りて、真っすぐ玄関へと向かう。


「何者だ!止まれ!!」


 黒い感情はとめどなく。


 掴みかかって来るふたりの護衛を力任せに突き飛ばし、


 木の両扉にかかっている(じょう)を斧で叩き壊して、


 隙間を掴んでこじ開ける。


 バキバキと軋み壊れる音が聞こえる。




 ――ヘイト様は他の場所を手伝ってもらえますか?――

 解体された聖騎士が。




 広く豪華なエントランスへと身体を()じ込む。


 集まって来た使用人たちが、怯えた表情でこちらを見ている。


 アイシャさん何処へやった、と言おうとしたのだ、


 だが、


 




 ――あ、これはですね。アーモンドなんですよ。きれいですよね――

 顔の焼かれた女が。


 ――ヘイト様。どのような結末があなたを迎えようと、私はあなたの味方です――

 表情を失った妹が。

 重なる。




「ああアアぁぁァァッ!!」


 自分の口から出てきたのは、咆哮(ほうこう)だけだった。



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