57話 秘匿する殻
"顔の焼かれた女"はふたりいる。
遺体は4人ではなく、5人になっていた。
ドッペルの姿は、5人目の女になっている。
僕たちは、ドッペルまで辿り着けなかった。
「で、これからどうするんだ?」
口火を切ったのはアントニオさんだ。教会の食堂に椅子を持ってきただけの会議室に声が反響して、消えていく。返答できる者はいなかった。
ガラス窓には夜闇しか映っていない。
神罰教会への襲撃と、事後処理が終わった頃には夜明け前になっていた。縛り上げた構成員を衛兵に引き渡し、それ以外の皆で街の教会に集まっている。大人数であるから食堂へ通され、即席の会議室をこしらえて席に着くまでずっと、雰囲気は最悪だ。
ここ数日は突貫で襲撃の段取りを進めていた。僕は大したことをしていないが、教授やヒルさんは楽ではなかったはずだ。その作戦が失敗した。
すでにヘルトルディス=ドッペルが廃教会を拠点にしていない場合など、空振りの可能性は考えていた。それでも、これで終われるかも知れないという淡い期待は抱いてしまう。
そんな期待は期待でしかなかったのだ。
身が入っていた分だけ、抜けたあとの虚無感は大きい。
どうしても考えてしまう。次もダメだったらどうしよう、と。
皆そうだ。肉体的な疲労ももちろんあるが、精神の方が参っている。
僕も口がここまで重く感じたことは無い。とても喋る気にはなれない。
「新たに見つかった女性の遺体について詳しいことが分かるのは、検視官が調べてからだ。連行した神罰教会の連中は国会の方で尋問する。どっちも時間がかかるが、その間にできることはあるだろ?」
アントニオさんの口調は叱るようでも不満をぶつけるようでもない。静かに諭すようだ。すでに彼は気持ちを切り替えている。いや、この状況では切り替えるべきだからそうしているのだろう。頭を抱えていても、ドッペルが野放しである事実は変わらない。
「こうしていても仕方がない、か。ヘルトルディスとして神罰教会と関わっていたのは事実だ。あの廃教会を調べれば何か分かるかも知れん」
「6人目が出てこないといいけどな」
教授が話し出し、ヒルさんが疲れた声で反応した。
「悪い……」とヒルさんは雰囲気が悪化したのを察したのかすぐに謝罪する。決して冗談などではなく、充分に可能性の有る話だから、追及する者はいない。
メサさんがおずおずと発言する。
「教会で保管している聖遺物のなかに、魔物を探知する物とかは――申し訳ありません。あったら使っていますよね」
「確かに。あいつが生きていればな」
「どいつだ?」
ヒルさんが答え、アントニオさんが被せて聞く。
「ネグロン家の剣に長身で、水晶みたいな物を持ってるヤツがいただろ。森に潜んでる"抱擁"を見つけてたし、あいつは近くの魔物を索敵していたんじゃないのか?」
「そういや居たな。あぁ、聖遺物だけでも回収できてれば」
思い出せる。あの男は大規模侵攻の時、魔物の大軍が姿を現す前に警戒を発していた。しかし、その後から姿を見ていない。戦いに参加したアルマ・デ・ネグロンは大勢が帰って来なかったと聞いている。あの水晶は森の中か。
1分ほど部屋を静寂が包む。それを厭うように教授が質問を発した。
「そう言えば、アントニオ。行方不明になっている娼婦はどうなってる?廃教会で見つかった遺体は、白い肌に金髪だったが」
アントニオさんは首を横に振る。
「ペトロナはまだだが、ニルダは見つけた。ふたりともその特徴には当てはまらない。報告が遅れて悪いな」
「どこにいたんだ?」
「教会の個室だよ。今月の始めに、大怪我で倒れているところを見つかって運ばれて来たみたいだ――会いに行ったが、まだ話を聞ける状態じゃない」
「うむ、なるほど。入院していて縁者と連絡が取れなかったのか。それで行方不明扱いされていたんだな」
アントニオさんは首肯した。
連続殺人が起きているこの街で行方不明者が出た。
どうしたってそこを繋げて考えてしまうが、関係は無かったのか……
その後もぽつりぽつりとした会話が起きるが、その内容は現状を確認するのに留まるものだ。核心に触れるような発言は出てこない。
ガラス窓から見えていた漆黒は深い青に変わっている。
じきに夜明けだ。
そんな中、ドアがノックされる。
「入っていいぞ」と教授がドア越しに投げかける。ゆっくりと開くドアに視線が吸い寄せられた。
「あの……」
「エルザちゃん?どうかした?」
頼りないろうそくが灯る手燭を持ち遠慮がちな声を出す、白い修道服に身を包んだ修道女が立っていた。アントニオさんの案内人であるエルザさんだ。白い顔は青ざめ、長い金髪はほつれている。
「皆様、失礼いたします。帰って来たと聞いたもので、あぁ――」
いつも余裕のある表情をしている彼女だが、様子がおかしい。目にはクマができ、唇からは色が失せている。嫌な予感が、背筋に怖気が奔った。
エルザさんは言葉を探している。その時間が、妙に長い。
そして、おもむろに口を開く――
「アイシャが、どこにもいません」