52話 4月17日 聖と魔
僕がこの鎧を着てから、数カ月が経過している。
黒を基調としたこの"呪いの鎧"。人間の骨格のようなフレームに複雑な金属部品が取り付けられ、それら全てをつなぐ分厚い布地が肌を漏れなく覆っている。
顔面はお面のような防具が守っていて、それ以外の頭部は兜が覆っているからこちらも隙がない。この面には十字架を傾けたような隙間が入っていて、今はそこから青空が見える。
それと、この鎧には尻尾のような部品がある。尾てい骨の辺りから伸びるこの尻尾は、長い腕の骨のような形状をしていて、人間と同じように5本の指がある。結構長いが、右の太腿や身体にゆくる巻きついているから邪魔には感じない。
時々動くが、手足のように動かすというよりは、僕の意志を汲み取って勝手に動作する感じだ。
そんな仰々しい全身甲冑を着ていても、僕の体格にピッタリのサイズなのでそう大柄には見えていないと思う。
……何故、どこぞの悪魔が造ったこの珍妙な装備に、今さら思いを馳せているのか。
「おい。これ動くんだろ?やって見せなよ」
それは自分と同程度に珍妙な装備の女性が、鎧の尻尾を弄んでいるからだ。
胸元のゆるい白色の肩出しブラウス。黒いコルセットはしなやかな身体の起伏を強調している。モスグリーンのショートパンツを履いていて、四肢には真鍮色の鎧を装着している。衣類と鎧の隙間から見える白い素肌が、妙に目に付いた。
腰には、繊細な造形の柄を持つレイピアを佩いている。
聖騎士のイザベルさんだ。
街の女性たちはほぼ足首まで隠れるロングスカートを着ているから、彼女の格好は群衆の中でも一際浮いて見える。
そんなランウェイにいるんだか戦場にいるんだか分からないユニークな服装が似合ってしまう、その美貌も目立っている理由だろう。
「何とか言えよヘイト。無視すんな」
ネコ科の大型猛獣を思わせる大きな瞳が、真っ直ぐこちらに焦点を合わせている。流れるような金髪のショートへア、マシュマロのように白い、美術品のように整った欧風の顔立ち。
「ブエノス……ディアス」
悪魔の住みついた宿、からそれほど離れていない通りの入り口で待ち合わせ、と連絡が来たので突っ立っていると、こちらにぐんぐんと近づいてくるイザベルさんと目が合った。そして鎧の尻尾を掴んで言い放ったのが、最初のセリフである。
彼女が来るとは聞いていなかった。いきなり現れて、挨拶も脈絡も無く、尻尾を動かせ、と言われたら僕じゃなくても脳がショートすると思う。
「寝てんのかと思った」
「ああ、いえ。ええと、何でこんなところに?」
目のやり場に困りながら、何とか質問を捻り出す。
「アイシャの代わりに来てやったんだよ。この辺りとあいつは相性が悪い」
「はあ」
理解できない返答を聞いて気の抜けた返事をする。今日は一緒に行動するということだろうか。
同室になってしまったメサさんから逃げるようにしてここまで来たが、ここでも美人に絡まれるとは思わなかった。
むさ苦しい木こり達が懐かしい。
しばらく待っていると、馬車が近づいてきて男性がふたり降りてきた。その姿を見てイザベルさんが首を傾げる。
「チコ。ヒルが来るんじゃなかったの?」
「イザベルこそ、何故ここに?アイシャが来ると聞いていたが……」
現れたのは、身長170cmほどのラテン系の男性と、衛兵と同じように胸当てを着け、頭全体をヘルムで覆っている人物だった。
「――ヘイト様、お初にお目にかかります。私はチコ、自警団の者です。最近は専ら、ドッペルの関与が確実な死体を調べています。
ヒル――代表は所用ができてしまい、本日は私が案内を務めさせて頂くことになりました」
「あ、そうなんですね。は、初めまして。ヘイトです。よろしくお願いします」
チコと名乗った30代半ばくらいの男性は、僕より少し高い背を丁寧に屈めて挨拶をしてくれる。自警団員に共通して言えることだが、無駄の無い身体に革鎧という格好だ。
喋り方といい佇まいといい、実直で真面目そうな印象を受ける。
「こいつは?」と、イザベルさんがもうひとりの男性を指差して質問を飛ばすと、チコさんは「ああ。後でお話しします」と返した。
もうひとりの衛兵のような男性は無言だ。ボス氏?だろうか。彼はこんな格好しないし、やはり別の人物だろうか。
チコさんから鼠色のローブを受け取り、フードを被るように言われた。ここではあまり顔を見られない方が良いらしい。全員お揃いの格好になり、これまでと違う4人で通りを進み出す。道は細く、どこか暗い雰囲気を漂わせていた。
「あの、行き先とか聞いてないんですけど」
「ええ、経緯を含めて、歩きながらお話させて頂きます。今回の件、代表は"バラバラ死体"と呼んでおりました」
チコさんは淀みなく話し出す。
「先月の始めのことです。街の使われていない井戸から左足の脹脛と足首が見つかりました。埋め戻しの工事をしようと放置されていた桶を引き上げたところ、中に入っていたと。
それから路上暮らしの子供や浮浪者に金を握らせて街中を探させると、ゴミ捨て場や肥溜め、豚小屋などから次々と別の部位が出てきたのです」
「き、気味悪いですね」
「はい。現在見つかっていないのは、頭部、右腕、右足となります。
検死の結果ですが、遺体は40代くらいの男性。肌の色は白、体毛は金、身長は180cm程度と推定、鋸のようなもので切断されたようです。衣類や装飾品の類は何も見つかりませんでした。発見当時、白骨化はほとんどしていなかったので、死亡したのは最近だと思われます。
何分損傷が激しいもので、分かったことはこれだけです」
「ええ……」
現実に起きている話とは思えない。聞いているだけでげんなりしてしまう。そこまで聞いたイザベルさんが口を開いた。
「で、身元と殺った奴は?」
「それを確かめに、イグナシオ商会に向かっている。彼らが何か知っているはずだと、ヒルが言っていた」
「そいつら何?」
「50名ほどが所属している中規模の商会だ。運送と商隊の護衛を中心に請け負っている。表向きは」
「裏向きは?」
イザベルさんの放った遠慮無しの質問に、それまで饒舌だったチコさんの口が閉じた。ちらと僕の方を見て、言い淀むような、言葉を選ぶような表情を浮かべている。
「そうですね……こんなことを使徒様にお話するのはお恥ずかしいことですが、確かな情報筋によると、彼らは黒い森を利用した遺体の処理をやっているそうなのです」
やっぱりアイシャを連れて来なくて良かった、とイザベルさんは遠くを見て呟く。
「黒い森を使うって……」
チコさんの眉間に皺が寄った。申し訳なさそうにしている彼を見て、イザベルさんがあっけからんと言い放つ。
「金持ちがこしらえた都合の悪い死体を黒い森まで運んで、魔物に喰わして証拠隠滅するんだよ。それで報酬を貰う罪深い連中なのさ」
「それは――」
黒い森には食欲旺盛な猟犬が蔓延っている。そんなところに死体を置いておけば、魔物の腹に収まるのにそう時間はかからないはずだ。何者であっても、闇に葬られてしまう。
危険地帯には間違いないから捜査の手も及びづらい。確かに、見つかってほしくないものを隠すにはこれ以上ない場所だ。
「――合法なんですか?」
「いや、違法も違法だ。密輸出に死体遺棄。見つかりゃ重罪さ。
――でもなあチコ。奴らにそんなルートがあるなら、わざわざ街に捨てることはないんじゃない?」
「それが、領主は街にドッペルが入ったと分かった今年の始め時点で、門での荷物検査を強化し、賄賂を受け取っていた門番の摘発を実行した」
「なるほどね。死体を街の外まで捨てに行けなくなったのか。商売上がったりだ」
「ああ。代表は『遺体の処理を依頼されたが、検問が強化され、やむなく街に捨てた』か、
若しくは『イグナシオ商会の誰かがドッペルで、仲間と共に遺体を解体して捨てた』と考えているようだ」
「バラバラにされた経緯とドッペルの関与を調べる、か」
通りの雰囲気はより一層暗くなっている。そこに居る者たちは、皆同じようなローブを着ていて表情が窺えない。だが、こちらを見ているような、監視されているような気がした。
「代表には『吐かせてこい』と言われている」
「情報?それともゲロ?」
「場合によっては、どちらも」
「そう、腕が鳴るね」
チコさんの表情は険しくなっていて、イザベルさんは薄ら笑いを浮かべながらレイピアを触っている。衛兵の男性は淀みなく足を動かしている。
話を聞くに、向かっている相手は犯罪組織のようだ。何をしてくるか分からない。そう思い、自然と気が引き締まる。
「さ、商会の事務所までもうすぐです」
痛んだ木造建築の扉を潜る。
「こんにちは。お客様、ご依頼ですか?」
丸椅子の並んでいないバーのような間取りだ。
正面にあるカウンターの男性が話しかけてくる。大きな体格に質の良い服を着込み、長めの黒髪を七三のように分けている。整えられた口髭のある顔に笑みを作っている。
一見きちんとした接客しているように見えるが、笑っているのは口元だけ。眼は僕たち4人を値踏みするようにしっかりと据えられている。
入り口、カウンターのそば、部屋の隅にひとりずつ俯いた男がいる。自信も根拠もない推測だが、この3人は用心棒だと思う。
チコさんは被ったフードを外し、なんらかの紋章を取り出して相手に見せてから質問を始めた。
「国会の者だ、殺人の件を調べている」
「それはそれは、ご苦労様でございます」
「そちらの景気はどうだ?」
「うまくいっております。これも大規模侵攻で戦われた皆様のおかげです」
「それは良かった。イグナシオはいるか?少し話を聞きたいのだが」
「あいにく、外出しておりまして」
「何時ごろ戻る?」
部屋の隅にいた男が自然な動きで奥の扉から引っ込む。裏にも何人か控えているのだろう。僕たちの来訪を伝えに行ったのか。
「仕事で街を出ておりまして、しばらくは戻らないかと。伝言等あれば、私から伝えておきますが」
「ふむ。不在か、残念だ。どうにも最近は物騒な話が多いのでな、無事に帰ってくると良いが」
「ええ、本当に」
「そうだな。では、貴様に聞こう。ここ数カ月で禁制品の輸送依頼はなかったか?」
「ございませんでした。無論、そういった依頼がありましても、決してお引き受け致しませんが」
「本当か?可能であれば、最近運んだ物品の帳簿を見せてもらいたい」
「ご冗談を」
空気がピリつく。
男の笑みは小さくなり、声色が低くなっている。店の外から物音が聞こえている。包囲されているのか。
「潔白であるならば見せられるはずだ。何か後ろめたいことでもあるのか?」
「顧客情報です。信用問題になりますのでお見せできません。どうしても、と言うのであれば、上の者に確認を取りますので、今日のところはお引き取りを」
「イグナシオは不在なのだろう?誠実な対応とは思えんな――これは領主であるセフェリノ様の命でもある。今後、商売がやりづらくなるぞ」
「お引き取りを」
男の表情からは笑みが消え失せている。
店内に残るふたりがゆっくりと動き出す。外の物音が少しづつ大きくなっている。
これ以上は喧嘩になるかもしれない。
緊張を感じつつ、腰のホルスターに下げた斧の重さに集中する。
「――なあ」
「はい?」
不意に、今まで無言だったイザベルさんが口を開いた。緊張感の欠片もない口調に、カウンターの男も怪訝な表情を浮かべる。
「私は教会から来たんだが、最近、聖騎士が訪ねてこなかった?」
「教会の……?いえ、記憶にございません」
「そう、邪魔したね」
話題と雰囲気の転換についていけず、男は少し呆気に取られている。その内に、イザベルさんは身を翻してさっさと店から出てしまった。
扉の外には建物に沿って数名の男が控えていた。それが見えないかのようにイザベルさんは来た道を戻っていく。
僕たち3人もその後に続いた。
それから、特に荒事に巻き込まれることなく、無事に通りの入り口まで戻ってこられたのだった。
かなり長い時間歩いて通りから離れ、適当な酒場に入って一息つく。今は昼過ぎのようで店内にはほとんど客がいない。緊張から解放されたからか、どっと疲れが出てきた。
「襲ってくるかと思いましたあ」
「そうですね。強引過ぎたかも知れません。
――イザベル、助かったよ」
チコさんはビールを注文しつつそう言った。本当に、あの時イザベルさんが喋らなかったらどうなっていたか。
「はい。イザベルさんの質問で雰囲気が変わりましたね。相手の気が抜けたというか」
「ええ。それに、イザベルが聖職者だと明かしたので手を出しづらくなったのでしょう」
「は、はあ」
確かにイザベルさんは教会に所属する聖職者であり、聖騎士のひとりだと聞いているが、それがどう影響したのだろう。僕が呆けているとチコさんが補足してくれる。
「聖職者へ危害を加えると重い罪に問われます。ですからイザベルが身分を明かすことは彼らへの牽制になりました。
もし襲うことにしたなら、それこそ痕跡も残さず死体を片付けなくてはならなくなります」
「はは。相手が思ったより手慣れてたからねえ。面倒くさくなっちまった」
ワインの入ったコップをぐいっと傾けるイザベルさんは、楽しそうにそう言う。
「確かにな。長年に渡り犯罪行為を働いていただけのことはある。尾行も撒いたと思うが……」
「あんたも小狡いね、チコ。
殺人の件とか、禁制品とか、物騒な話とか、ぼやっとしたことばっか言って。あれで"魔物"とか"バラバラ死体"とか口を滑らせるの待ってたんでしょ?」
「ああ。何かしら証言を引き出せればと思ったが。あの男、馬鹿ではないな」
チコさんはカマをかけつつ話していたようだ。イグナシオ商会は引っ掛からなかったようだが。
僕が周りを気にしていた間にそんな攻防があったとは。恐れ入る。
「うーん。ホントにあいつら関係あんの?」
「ああ、間違いねえ」
イザベルさんが天井を見上げながら言った言葉に返答したのは、チコさんではなかった。僕でもない。
ずっと一緒にいた衛兵の男だ。ここまで黙って付いて来るだけだったが、やっと発したその声は聞き覚えがある。
「あれ?ボスさんじゃないですか」
重そうなヘルムを外すと、見知った髭面が現れた。ずっと知らないひとだと思っていて、何なら護衛で付き添っていたのかと思っていたら――盗賊のボス氏が向かいに座っている。
「あのカウンターの男、髭と髪型こそ変えてるが、あいつがイグナシオ本人だよ。外出なんかしてねえ、ずっと目の前で嘘吐いてやがった」
そうつまらなそうに言って、ボス氏はビールの入ったコップを傾けた。
「ヘイト様、黙っていて申し訳ございません。確かな情報筋というのは、この蜂盗賊団の男です」
「あ、そうだったんですね。あと、謝ってもらわなくても大丈夫です」
チコさんは祈るように頭を下げて謝罪しているが、それに関しては何の感慨も無い。もう僕だけ何も知らない状況には慣れてしまったような気がする。
それよりも――
「イグナシオ商会のこと、何か知ってるんですか?」
「イグナシオとは何度か一緒に仕事した。
黒い森の近くまであいつらが運んで、その後を俺たちが引き継いで森に入る。あそこは危険だからな。
血抜きとか解体方法が、バラバラにされた死体と連中の持ってきた死体で全く同じだ。あいつらの仕事だよ」
「そういうものですか……」
街の各場所で見つかった"バラバラ死体"にイグナシオ商会が関わっているのは間違いない。あとはこれがドッペル絡みがどうかを確認しないといけないが、彼らのガードは固そうだ。
「さて、次はどう攻める?」
チコさんの問いに、イザベルさんがニンマリと笑いながら答えた。
「じゃあ、こんなのはどうだ?」