51話 4月16日 蠱惑的な困り顔
"蛇竜"の魔法使いであるカジョを捕縛して、1日が経った。
衛兵と自警団は、無力化したカジョをどこかへ連行した。応急処置をしたあと、尋問にかけて雇い主などの情報を吐かせるようだ。ある自警団員の話では、"カジョ"というのも偽名だろう、と。
ヒルさんの表情が忘れられない。いつでも飄々と難事に対応する、彼のあんな様子を見たのは初めてだったから。
まるで、気軽に触れたら手を食い千切られるような、そんな気迫を漲らせていた。
関係各所への報告や事後処理をするというので、今日は1日、久しぶりの休みとなった。
何でもない休日を過ごし、日が暮れる前に村の酒場に来て、どんな結末になったかを話している。
集まっている面子は、この前と同じ。
僕。
教授。
アントニオさん。
メサさん。ここ数日、彼女はこの宿に泊まっているようだ。
「ヒルの判断は正しい」
メサさんはきっぱりと言う。
「大魔法は自分の命を贄として悪魔へと捧げ、通常の魔法とは桁違いの力を行使します。その者の魂は神の御許へは行けず、永遠に悪魔のものとなる。
蛇竜であれば、"巨大な竜に似た獣"を召喚します。ヘイト様だけは無事で済むでしょうが、他の方々には大きな被害が出ていたでしょう」
「ヒルさんは皆を守ってくれたんですね……」
大魔法か――その言葉を聞くと、目の焦点が合っていない巨大な女を思い出す。
前に、フェルナンドさんを庇って大魔法を受けたことがある。死にこそしなかったが、しばらく満足に動くことができなくなった。あれが生身の人に当たったところなど想像したくない。
「まあ、結果はどうであれ犯人はドッペルではないな」
教授はお酒の入ったコップをテーブルに置きながら、口を開いた。
「そうなんですか?」
「ドッペルは魔法と秘跡を使うことはできない。使徒の才能は言わずもがな、だ。
カジョが魔法を使ってエレーネを殺したのならば、それはドッペルでないという証明になる。
――前に言わなかったか?」
教授は"25番の書"を発現させ、そのタブレット端末のようなレガロをプラプラと振り始めた。
ドッペルは人間の特殊な能力までは真似できない。で、あれば。ある程度除外できる人たちがいるのか。
教会の聖職者、魔法使い。そして使徒たち。
アイシャさんはカジョに治癒の秘跡を使っていたし、ヒルさんは"狼狂"の魔法使いだ。それを思い出してホッとする。
「ここにいるみなさんもドッペルじゃないんですね」
「目の前でそれらの力を使った者は、その時はドッペルでは無い、というのが正確だな。次に会った時は入れ替わられている、というのも考えられる」
教授に倣ってアントニオさんは黒いナイフを、メサさんは鉄柵を出した。このふたりも、一緒にテーブルに着いているこの時間は、ドッペルではない。
「なるほど……あ、僕はどうなりますかね?やっぱりレガロを使っていないから、ドッペルの可能性は拭えませんか?」
「一番あり得ませんね。ドッペルが殺せないと意味ありません」
「そっか……」
僕の疑問に対してメサさんが異を唱えた。
まず僕を殺すか行方不明にしないと、飲み食いせず、鎧を脱がず、死なない珍人物が、この領地にふたり出てきてしまう。
「お前を埋めたり沈めたりすればいいんだが、労力がかかりすぎるな。ヒルがお前を連れて歩く理由は、魔物である可能性が最も低いからだろう。それにドッペルがこの街に入ったのは、お前が召喚される直前だしな」
「僕は始めから容疑者として考えられてなかったんですねえ」
「ま、何だかんだで2つ目は一件落着かあ」
頬杖を着いてリラックスしているアントニオさんがそう言う。殺人自体にドッペルは関わっていなかった。
「皆さんはどんな感じです?」
使徒はそれぞれ調査を進めていると聞いている。改めて詳しく聞いてみたかった。
「フベルトとローマンは村々を回って、変わったことがないか聞いてる。特筆することは無いってさ。
俺は街の北西、壁の近くにある歓楽街の方で調査だ」
「本当に調査か?トーニォ」
「もちろんだ」
教授が訝しんだ様子で聞くと、アントニオさんは力強く断言した。
「娼家街の方ですね。確かに情報は集まりそう」
「あーそう言う」
メサさんの相槌で、やっと会話のニュアンスを理解できる。
アントニオさんの言う歓楽街、とは大きな括りだったようだ。つまり娼館が多い地域なのだ。まあ大きな街だし、そういった場所があるのは当然かもしれない。
教授は、遊んでないだろうな?と聞いたのだ。
「ヘイト、興味あるか?連れて行こうか?」
「話、続けてください」
人とまともに話せないのにそんなところは行けない。僕にとってはチンピラも娼婦の方々も、絡まれるのが怖いという点では変わりがない。泣き出す自信がある。
「そうか?まあいいや。
――色々と分かることは多いぞ。誰の景気が良いとか、誰がどんな悩みを抱えてるとか、誰と誰の仲が悪いとか。街の人間関係が良く分かる。金持ちは特に。
それとは別に、つい最近娼館で働いている女の子がふたり、行方が分からないそうだ。名前はニルダとペトロナ。そのふたりは仲が良かったみたいで、よく一緒にいたって話を聞いてる。
今はそのふたりの足跡を追ってる。無事だと良いんだが……」
「街の人間ですか?」
「ああ」
「流れ者なら出入りも激しいでしょうが、街に定住している者がいなくなった……ドッペルが潜んでいるこの時期に……気になる話ですね」
質問を飛ばしたメサさんは顎に指を当てて考え込んでいる。
タイミングを見ながら、いつもより酔っていない教授が報告を始めた。
「儂は、"顔を焼かれた女"の件を調べている。ヒルとヘイトが調べている4人の遺体のうちひとりだ。後でヒルたちに情報を渡す手筈になっている。
発見されたのは今年の始め頃。場所はティリヤ大学の近くで、発見者は学生だった。
――良い機会だ。メサ、"神罰教会"と言う名に聞き覚えは無いか?」
「知っています。ちなみにどこでその名を?」
メサさんは表情を引き締める。
「遺体のポケットに黒く塗られた十字架のネックレスが入っていたことを学生に話したら、神罰教会のシンボルだと教えてくれた」
「なるほど――」
彼女はしばらく考え込んで、口を開いた。
「神罰教会というのは、『黒い森は人に対する神の罰であり、これを侵すべきではない』と主張する団体です。何時、何処で発祥した宗教なのか判明しておらず、その教義も、実態も、よく分かっていません。
神罰教会は信仰に則って行動し、目的のためなら手段を選びません。例えそれがどんな悪行でも。
12年前、王都で起こったクーデターに関わった組織のひとつだと言われています」
「カルト宗教ってことか」
「はい。そのクーデターで神罰教会に所属する者の多くは死に、事実上の解体になったと聞いていましたが……その女は生き残り?なのでしょうか……」
テーブルの皿と杯が空になるまで情報を交換して、夕飯はお開きとなった。
聞いたことを思い出しながら、自分の部屋に向かって軋む階段を登り、廊下を歩いて、狭い部屋に入る。
すると――
知らない男性が僕のベッドで横になり、苦しそうに唸りながら、
「……誰だ?」
と言った。
「ヒッ!」
反射的に扉を閉めて階段を駆け降りる。幸いにも皆まだ残っている。
「お、男の人が!ぼ、僕の部屋に!!泥棒かも!」
「そりゃ大変だ!」
アントニオさんが先導し、どたどたと部屋へと向かい、扉を開ける。
「……何の騒ぎだ?」
「なんだミックか。すまん、ゆっくり休んでくれ」
ああ、と掠れた声が帰ってくる。
扉を静かに閉めたアントニオさんは、眉毛をへの字に曲げた顔をこちらに向ける。
「ミックじゃないか」
「ミックて誰ですか!?」
ゆっくりとした足取りで、下の階に戻ってもう一度テーブルを囲った。
教授は何事もなかったかのように、あの男性のことを教えてくれた。
「そういや話していなかったな。あいつはマイケル・アーリマン。
今月始めに召喚された使徒だ。アメリカ海兵隊に所属していた元軍人。レガロは"8番の武器庫"。様々な銃器を発現させることができるようだ。便利だなあ」
「は、はあ」
「昨日お前がカジョを捕縛しに行った時、案内人と共にあいつがこの酒場に来てな。
話しているうちに酔って、試しにレガロを使わせて、褒めちぎったら調子に乗って、スティンガーミサイルを出したらぶっ倒れて――
あの部屋に寝かしつけた」
スティンガーミサイルって何だろう。
何だか気の抜ける話だ。
あのマイケルさんはレガロの使い過ぎで衰弱してしまって、僕の部屋に運び込まれたのだろう。アントニオさんも復帰するまでに1週間くらい寝込んでいた。
「そうだったんですね――でも、僕は今夜どこにいたらいいんでしょう?」
病人を追い出すわけにはいかないし、一緒の部屋にいるわけにもいかない。ベッドもひとつしかないし。
「あ、じゃあ丁度良いですね」
メサさんが思い出したように言った。
「何の話ですか?」
「私のお願いです」
「あ……」
そういえば、殺害方法の情報を提供してもらう代わりに、お願いを叶える約束をしたんだった。
何を、何を言われるのだ。何故このタイミングで"丁度良い"のか。
緊張で身体が硬直する。
メサさんは笑顔を浮かべ、さらっと言い放つ。
「私とルームシェアしてください」
「は…………」
「機密文書を漁っていたのが領主にバレて、半年間の懲戒休職処分となってしまいました――まあ、それ以外にも色々とやらかしているのですが。
とにかく、給金も貰えず、魔女なので下手な場所に滞在もできないのです。どうか、ヘイト様の庇護下に置かせていただけませんか?」
「いいだろう」
「良いわけないでしょ!」
「何でだヘイト。メサちゃんのような美人と同じ部屋で暮らしていれば、お前もその鎧を脱ぐ気になるかも知れないだろ!」
「ふざけないで下さい!」
目の前の方々は何を言っているのか分かっているのか。いくら僕が鎧を着っぱなしとは言え、女性と同室などあり得ない。
そんなことになれば緊張で心臓が停止する。
「この間の暴動に参加したのも処分になった原因のひとつだ。責任の一端は我々にもある」
「給料が出ないから、生活も供物もままならないんだぞ。何とも思わないのか?」
「職場復帰するまでお部屋を間借りさせてもらって、金銭面のサポートをしていただくだけでいいのです。その代わりに身の回りのことはお任せ下さい」
「お、お金無い」
「問題ありません!ローマン様に事情を話したところ3カ月分のお金を借りられましたし、幸運にもツインの部屋が空いていましたので、ヘイト様の荷物も移動してあります」
完璧に暗記した台本を諳んじるかのように、メサさんは淀みなく逃げ道を塞いできた。
ここ数日、この酒場にメサさんが泊まっていたのは、このための準備だったのではないか?教授とアントニオさんの反応を見ると、彼らは完全にグルだし――
嵌められた。
確信犯で計画的な犯行だ。
何故メサさんはノリノリなのか。
「……他のお願いになりませんか?」
「メサちゃんは他に泊まるとこないんだぞ」
「だからと言って、年若い男女が……」
「お前はその鎧を脱がんのだから、間違いなど起きんだろ」
「いや、だから……」
「約束、守っていただけないのですか?」
「……」
メサさんは落ち込んだような表情を浮かべ、上目遣いになり、断られたらどうしよう、と濡れたような瞳で訴えてきたのだった。
静かな夜だ。
部屋の隅で体育座りになり、両手で顔を覆っている。
僕はどうしてこうも押しに弱いのだろう。
気がつくと、寝間着のメサさんが、隣のベッドで静かな寝息を立てていた。