50話 4月15日 蛇の道は蛇
「鼻にピアスを着けた男が犯人ですね」
「……まじですか?」
いつもの村での夕飯時。
同じテーブルに着いている、灰色の瞳を細めて形の整った唇ではにかむ女性は、迷いなくそう言った。
夕焼けのような赤いロングヘア。雪のように白い頬はアルコールで赤らんでいる。
素面の時に会えば少しだけそばかすが浮いているのが見えるだろう。
装飾の少ない、鎖骨が大きく見える黒色のドレスを着こなしている。
領主の補佐官にして、"鉄柵"の魔法を使う魔女。
才色兼備のメサさんだ。
彼女がその結論に至った経緯とは――
悪魔の住む宿。
僕たちは、そう呼ばれるようになってしまった宿屋で起きた事件を調べている。関わっている人物と因果関係を詳らかにして、ドッペルが関与しているか判断するためだ。
捜査は――
難航していた!
「もういやだあ」
昨日、机に突っ伏して虚空に向かい愚痴を吐いていたヒルさんの姿が目に焼き付いている。
6日ほど街を駆けずり回ってやっと、事件のあった日に泊まっていた客の足跡を掴むことができた。
カジョとヘルトルディスは幾つかの目撃情報。
コローとペラジー、レオカディオは居場所が分かったので話を聞き始めた。
ここまで頑張って、ほとほと疲れ果てて、やっとこれだけ。
客の素性、その日の夜は何をしていたか、被害者との関係、調べることは沢山あるのに、解決の糸口は何も見つかっていない。
ヒルさんなんかは、
「関係者に口を割らせるのと、頭を割って脳みそがあるか確かめるの、どっちが早いと思う?」
と疲れた顔で聞いてきた。
ドッペルはその頭蓋の中に脳が無いというが、そりゃあんまりな方法だと思う。
捜査は進まないが時間は進むので、他の使徒たちに知恵を借りようと、いつもの農村に戻ってきていたのだ。
テーブルに着いているのは4人。
アントニオさん。
教授。
僕。
そして何らかの用事でこの酒場を訪ねて来たメサさんだ。
残念ながら、ローマンさん、フベルトさんとは同席できなかった。彼らは領地の農村を中心に、ドッペルの噂を集めているようだ。ドッペルが街から出て、農村で殺しを始めたら彼らの耳に情報が入るだろう。
アントニオさんは歓楽街で聞き込みをしていて、教授はティリヤの大学で情報を集めているようだ。
ヒルさんがスイカ割りよろしく人間に棍棒を振り下ろし始める前に、有用な情報を集めたい。藁にも縋る思いで、僕も事件の経緯を話した。
不明瞭で覚束ない僕の説明を聞き終わったあと、メサさんは目を伏せ、考え込む素振りを見せながら口を開く。
「分かったかも」
「え、ほんとですか!今の話だけで!?」
「はい……教えてほしいですか?」
メサさんの瞳がこちらを真っ直ぐに捉える。その視線はどこか楽しんでいるような、試すような、そんな気配を纏っている。言葉を選ばなければいけない、返答を誤ればまずい、と直感する。
「ぜ、是非」
「お願いをひとつ、叶えると約束してください。今、内容を聞かずに」
「いいだろう」
「ちょっとアントニオさん勝手に返事しないでください」
アントニオさんはキリッとした表情をしている。
「何でだヘイト、解決したいんじゃないのか?」
「そりゃそうですけど……」
そんな簡単には首を縦に振れない。
交換条件が不穏すぎる。何をお願いされるのだろう。
以前メサさんには、死んでくれ、と言われたことがある。
「真実を知るということは、時に代償を伴うものだぞヘイト」
「教授はそれっぽいこと言わないでください」
今日一番頼りにしていた教授は、もうデロデロに酔いながら言っている。
悩んでいると――
マチェーテの方が割りやすいかなあ、と言いながら虚な目で刃を研いでいたヒルさんの姿を思い出した。
「わ、分かりました。あまりお金のかからないお願いなら……」
僕の返答に満足したメサさんは、にっこりと笑う。
そして、重要参考人を言ってのけたのだ。
「おそらくそのカジョという男は、"蛇竜"の魔法使いです。私の同業者ですね」
「魔法使い?じゃあ、エネーアさんは魔法で殺されたってことですか?」
「はい、この件は魔法犯罪と呼ばれるものです。普通の犯罪のような証拠が残らないので立証が難しい。
例えば、私が離れたところから鉄柵で誰かを刺し殺したとして、私が魔女だということが知られていなければ、捕まらないでしょうね」
そう言ったメサさんは周囲をちょっと確認したあと、小声で、
「"鉄柵"の悪魔よ、契約を履行する」
と呟く。
彼女が食器を取るような動きをすると、その手元には串のように細い魔法の杭があった。自然な動きで揚げたオリーブを刺して口へと運ぶ。
次の瞬間、メサさんの手から鉄柵は消え失せている。
あの鉄柵が、壁や天井からも生えるところを見た。犯罪に使おうと思えばいくらでも応用は利くだろう。
「蛇竜の魔法は、悪魔の眷属たる毒蛇を出現させて操ることができます。その毒牙にかかった不運な人間は数分で死に至り、あっという間に腐敗する。そして、その遺体は非常に臭うのです。
扉の下部にある隙間から魔法の毒蛇を忍び込ませ、ベッドの脚を伝わせて、寝ていたエレーネに噛みつかせたのでしょう」
「魔法使い自身は部屋へ入っていないから、金庫の中身はそのまま。ベッドの脚にあったロープみたいな跡は、蛇が這った跡か」
アントニオさんがメサさんの話を補強した。
コナン・ドイルもこの世界に来ていたのかもなあ、と教授が焦点の定まっていない眼で呟いている。
「なるほどお。方法は魔法だとして、カジョだと思う理由は何なんですか?」
「魔法は悪魔の力を借りるもの。その代わりに術者は代償を差し出します。鉄柵なら毎月小麦を一袋。
蛇竜なら、蛇を出す分の小動物に加え、生涯悪臭に悩まされる呪いをその身に受けます」
「悪臭」
「ええ。酷いみたいですよ?四六時中臭いというのは。
私の知り合いにも蛇竜の魔法使いがいますが、別の悪魔にしておけばよかったと、会う度にこぼしています。
それで、その悪臭を和らげる唯一の方法が、銀のピアスを鼻に付けることなのです。こう、飼育されている牛みたいに」
メサさんは人差し指と親指で輪っかをつくり、鼻の穴を摘むようなジェスチャーをした。
「はあ、納得です。さすが詳しいですねえ」
「魔女の会合に出ていると嫌でも魔法の話になりますから。自然と詳しくなります。
――あ、今のは内緒です」
メサさんからは普段よりも友好的な雰囲気を感じる。お酒の力だろうか。
「――ああ、でも」
「でも?」
「その魔法使いは素人かも知れません。最近契約して、試しに使ってみた、ってところですかね」
「そりゃまたなんでそう思うんですか?」
「蛇竜の魔法は暗殺者が好んで使います。私の知り合いも暗殺者ですが、彼女がやると絶対にバレません。
それに比べてカジョは痕跡を残しすぎですね。鼻のピアスも見られているし、同じ階に泊まっている客を手にかけるなんて酷い手際です」
必死で調べていた事件が、同業者から見ると杜撰だなんてちょっとショックを受けてしまう。情報は読み解く者によって、見えるものが全然違うのだなと痛感した。
「あ、ありがとうございます!明日、ヒルさんに言ってきます!」
貴重な情報を聞かせてもらった。カジョの捜索に人員を集中すれば、それだけ早く見つかるだろう。
「私からもシンイー様に話しておきます。
ですが、ヘイト様。見つけてからが本番です。相手は魔法使い。神の敵対者たる悪魔と契約した者。捕縛されまいと必死に抵抗してくるでしょう。
あなたの、その鎧が役に立つかと」
「そうですね。
――あ、それで、お願いって……」
「私の推論が外れるかも知れませんし、魔法使いの仕業に見せかけたのかも知れません。この件が終わってからにしましょう。
一件落着を、心から願っております。ヘイト様」
メサさんは素敵な笑顔でそう言った。
本当に、一体何をお願いされるのか、それが不安だ。
ノックスが頭を抱えそうな話だあ、と酔い潰れて机に突っ伏し、寝言を言っている教授を部屋まで運んで、お開きになった。
そこから4日。
ヒルさんに犯人は魔法使いだと言うと、驚き、納得していた。
体調の戻った林欣怡さんに協力してもらい、彼女の才能である鳳凰に空から探してもらったところ、あっという間にカジョの潜伏している場所が分かった。
自警団員の張り込みと尾行によって。ヤツの情報を集め――
夕方だ。衛兵と自警団員と僕たち、十数名で一軒の宿を包囲している。
事件のあった宿とは別の建物の2階だ。この扉の向こうにいることは分かっている。扉をこじ開け、部屋へと踏み込んで、逃げられる前に捕縛する。
怪我人が出た時のためにアイシャさんが衛兵の後ろで待機。
盗賊のボス氏は木のラウンドシールドを持っている。
傍にいるヒルさんが扉を蹴り開たら、
僕が先頭で部屋へと踏み込む。
大役だ。
蛇竜の魔法は術者の左腕を媒介するから、まず左腕を抑える。
メサさんのアドバイスを頭の中で何度も反芻する。
ヒルさんはマチェーテを抜き、僕の目を見る。
準備いいか?とその目が言っている。
ひとつ、深く頷く。
そして――
ガンッ!と、
ヒルさんが扉を蹴破ってすぐに横へと避けた。
倒れたドアを踏み超えて部屋へと入る。ベッドから立ちあがったローブの男と目が合った。鼻に銀のピアスをしている。カジョだ。
驚きの表情を浮かべる魔法使いに向けて歩みを進める。
「ッ!"蛇竜"の悪魔よ!契約を履行する!!」
カジョが叫びながら左腕を突き出す。袖から黒い蛇が現れ、僕に向かって躍りかかった。
疾い。避けられない。
蛇は僕の首に喰らいつく――が、何も感じない。
魔法に構わず距離を詰め、突き出た相手の左腕を脇に抱え込み、ロックして肘を極める。
「蛇竜の悪魔よ、契約を履行する!クソッ!!何故効かん!!」
続けざまに蛇が現れ鎧の至るところに牙を立てるが、僕の身体は何ともない。
目の前の男は人殺しに慣れているのか、躊躇いを見せずに攻撃してきた。人を腐敗させる魔法を。
先頭が他の誰かだったら、エレーネさんのようになっていたかも知れない。メサさんの言う通りこの鎧が役に立った。
カジョは暴れ、何とか振り解こうとする。離すまいとロックしている右腕に力を込めて、左腕で相手の胸倉を掴んだ。
カジョは魔法を諦めてナイフを抜き、滅多矢鱈に突いてくるが鎧が全部防いでくれる。
今まで戦ってきた魔物と比べて非力だ。魔法さえ効かなければ問題ない。
「ヘイトぶん殴れ!それか腕折れ!」
「え、いや、その……」
ヒルさんの声が耳に届くが、躊躇ってしまう。
しまった。相手の左腕で頭が一杯で、捕まえた後のことを考えていなかった。
そういえば、ラグナルさんを除けば人を殴ったことなどない。
相手は人殺しだと言うのに、痛めつけるのに抵抗を感じている。
片腕を固めている状態から繋げられるプロレス技は――とまごまごしていると、
いつの間にか部屋へと入っていた盗賊のボス氏が、ラウンドシールドを相手の頭に向けて力一杯振り抜いた。
鈍い音、鈍い悲鳴。
カジョは倒れ込み、頭を抱えて激しく悶えた。
徐々に呼吸が落ち着き、呻き声に変わってきたカジョに、ヒルさんはマチェーテの切っ先を向け、
「国会の者だ。ちょっと話を聞かせてもらおう」
と言う。
「話すことなど……無い」
「お前は暗殺者として誰かを狙ってた。エネーアはその練習だったんだろ?」
「……」
「言え。誰に雇われた?」
それを聞くと、倒れた魔法使いは瞳に狂気を湛え、にいっと笑った。
仰向けになり、左腕を天井へと向けて伸ばす。
「蛇竜の悪魔よ!我が命を以って――」
カジョはそこまでしか言えなかった。床に左腕が転がっている。
ヒルさんが弾かれたように動き、二の腕あたりからマチェーテで切断したのだ。
僕がそう気付いたのは、カジョの絶叫が部屋に満ちてからだった。
異常な声を聞いて部屋へと駆け込んできたアイシャさんは、すぐに止血を始め、治癒の秘跡を使い始めた。困惑した表情でヒルさんへ向けて口を開く。
「ヒル、どうしてこんなことを!?」
「――大魔法だ。こいつ、悪魔に自分の命を捧げようとしやがった」
独り言のように呟くヒルさんの眼は、興奮した猛獣のような、異様な光を帯びている。
人が変わったかのような威圧感に、腕を失って叫び続ける男以外、誰も口を開けなかった。