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ヘイト・アーマー ~Hate Armor~  作者: 山田擦過傷
4月 ティリヤ犯罪史
51/189

48話 最初の殺し

 

「出していいぞ。あ、資料あるか?」


 ヒルさんは御者に向かって声を張った。御者は(かたわら)(かばん)からバサバサの紙束を取り出してぞんざいに手渡し、手綱(たずな)を動かす。


 ヒルさんはグラシアス、と軽く言って受け取った紙に目を通し始める。

 怪我した右腕を固めているから、少しやりづらそうだ。


 馬車がまた、ゆっくりと進み出した。

 軽装の革鎧を身につけているのを見ると、御者をやっている彼も自警団(ビヒランテ)のメンバーのようだ。



「今年の始め、白昼堂々(はくちゅうどうどう)、街のド真ん中である大広場で起きた騒ぎだ。祭りで使うために生きた魔物を輸送していた馬車が襲われ、パニックになった馬が暴走して市場に突っ込んだ。破損した檻から魔物が放たれ、数名を負傷させた。魔物は偶然居合わせた使徒が討伐した」


「それって――」

 僕がこの世界に召喚された日に起きた事件だ。間違い無い。


 あの一件が無ければ、僕が呪いの鎧を着ることもなかっただろうし、それ以降(いこう)魔物と戦うこともなかっただろう。ずっと気になってはいたのだが……


「アイシャが負傷して、討伐したのはヘイトだったらしいな」


「はい」と、アイシャさんと僕の返事が重なる。

 盗賊のボス氏は退屈なのか、こちらに興味を示さず外を見ている。



「この件で妙な点は大きく3つ。


 ひとつ。ローブを全身に(まと)い、フードを目深(まぶか)(かぶ)った人影を見た、って目撃情報はうんざりするほど出たのに犯人は捕まってない。


 ふたつ。被害者の傷跡(きずあと)から、鋭利な刃物――おそらく剣により一太刀(ひとたち)で首を落とされている。そして、身体は大広場で見つかったが、肝心の首は見つからなかった。これが身元不明の原因だな。


 みっつ。あの日あの大広場には、商会の顔役であるシリノと、ネグロン家の剣(アルマ・デ・ネグロン)のリーダーであるテルセロがいた」


 うーん、という悩ましげな声が3人分重なる。

 ヒルさんの説明を聞くに、被害者と加害者のどちらも何処(どこ)の誰だか判明していないようだ。

 それに3つ目がどうこの話と繋がってくるのかは分からない。連中がいたから何だというのだろう。



「ヒル様は、そのお話のどこに引っかかってらっしゃるのですか?」

「ヒルでいいよ。あとそんなに(かしこ)まらなくてもいい」

 アイシャさんが質問するとヒルさんはさらりと返す。こんなコミュニケーション能力が欲しいものである。


「そうだな――まず犯人だが。ローブの人影は走行する馬車の上、御者のすぐ後ろに立っていたらしい。そして御者の首を()ねて、その後まんまと逃げおおせた。


 ――俺はこの事件の犯人を、ドッペルだとは考えていない」



「その根拠(こんきょ)は?」

 とアイシャさんが聞く。

 一太刀で首を落とす、か。僕にはヒルさんの言おうとしていることが分かる気がした。


 がらがらと、馬車は車輪が地面の凹凸を拾うたびに揺れている。自然と(まぶた)を閉じ、右の拳を左の掌で覆った。


「ドッペルの戦闘能力は高くないらしい。武器を持った大人の男がひとりいれば制圧できるくらいだ。そんな曲芸じみたマネできないんじゃねえかな」


 そう。人の首を落とすのは難しい。まず(なまくら)じゃ話にならない。それに、怪力でもなければ頸椎(けいつい)の隙間を狙わないと一太刀とはいかないし、武器の扱いも精通していなければ思い通りの場所にも当てられない。


 それを揺れる馬車の上でだ。僕には絶対に無理だろう。

 技術的にも、倫理的にも。



 ――ヘイト様、お願いします――

 閉じた瞼が作る暗闇の中で、声が響いた。



「ヘイト様。ヘイト様?大丈夫ですか?」


「え?ああ、大丈夫です」

 アイシャさんの心配したような声で戻ってくる。




「それに昼間っていうのもな。目立ってるし、人に化ける能力のうまみもない」


「ドッペルにとって得意で成功率の高い状況は、他にいくらでもあるということですね?」

 アイシャさんが簡潔にまとめると、そうだ、とヒルさんは頷いた。



「だが、そうなるとドッペルの他にも腕の立つ怪しげな人殺しがいることになる。


 ――そんな凄腕、この街にどれくらいいるかねえ。おいデブ。盗賊でそんなヤツ知ってるか?」


「知らねえな」

 ヒルさんが世間話(せけんばなし)でもするように隣に座るボス氏に話かけるが、反応は薄い。知っていても教えるもんか、とでも言いたげだ。




「まあいいや。次に被害者だが、事件があった時期に掲示板に貼り出された"人探し"と、代筆屋が受けた仕事をリスト化した」


 ヒルさんは2枚の紙を抜き出して僕とアイシャさんに手渡した。「探しています」から始まる文章が、ずらりと数十名分並んでいる。


「その中で『名前はエルナン。成人男性の行商人、中肉中背。街に戻って来たばかり。ガラスのネックレスを身に付けている。連絡先はリュオン通り、タマラまで』っていうのがあるよな。それが被害者だと思う」


「確かにあります。リュオン通りは街の南、外壁近くですね。この方だと思った理由は?」


「アイシャは文字読めるんだな。大したもんだ。


 ――理由だが、身体的特徴と服装については検死結果からだ。


 運んでいた魔物だが、祭りで使うのに中継基地と闘牛場(かん)で取引がある。だが、この仕事を()()うのは街の商人だ。他所の領地から来た商人は魔物なんざ運ぼうとしない、気味悪いからな。


 で、その日魔物(商品)を引き渡した依頼主は、顔と名前がうろ憶えだった。頻繁(ひんぱん)に顔を合わせる人間じゃない、とのことだ。


 元々この街の人間だったが、しばらく街を離れていて、戻ってきたばかりだと思う。


 あと、ぶっ壊れた馬車を処分される前に調べに行かせてたんだが、部品にガラス片が埋まってたそうだ」



「な、なるほど」

 アイシャさんが呆気(あっけ)に取られている。何処に、どんな情報を集めに行くのか、集めた情報をどう精査するのか、手際(てぎわ)の良さに驚いてしまう。


「で、街に来たばかりとか、個人事業主の商人が好んで住むのが、リュオン通り。


 ここです」

 ヒルさんが言い終わると同時に馬車が止まった。



「……僕たち()ります?」

 いつの間にか被害者男性らしきひとが住んでいた場所に到着してしまった。手伝うと言った僕は座って話を聞いていただけだ。


 アイシャさんは驚きか呆れか、遠くを見るような眼で「へー」と「えー」の間の音を出している。


「要る要る。必要だって。今回の場合、お前たちと俺との違いは単純に情報量だ。知らないことの方が多かっただろ?」


「いやあ、まあ、そうですけれども……」

 例えば同じ情報を持っていたとしても、同じ結論に辿(たど)()けるかどうか自信が無い。



「まだ知っていることあります?」

「いや。ここからはお前たちと大差ないよ」


 馬車から降りて、建物が迫ってくるような細い通りを()()う人に、(かた)(ぱし)から声をかける。

 数名に話しかけると、40代くらいの恰幅(かっぷく)の良いご婦人が知っていた。


「あらヒル。お元気そうね。タマラなら知ってるいるけど、この間引っ越したわよ?」


「引っ越した?何処に?」

 知っているのはここまで、というのは本当だったようだ。渋面(じゅうめん)を浮かべ、後頭部を()きながら話を聞き始める。



 ご婦人の話によると、数カ月前タマラさんは、息子夫婦とその子供と共にこの通りへ引っ越して来たようだ。


 が、ある日息子さんが行方不明になってしまった。何とか探し出そうとしたものの、インターネットはおろか写真すら無いこの世界で、人などそうそう見つからなかった。やがてショックで体調を壊してしまったらしい。


 (かせ)(がしら)だった息子さんがいなくなったことで、収入もか細くなり、元々住んでいた村へと戻ってしまった。村の場所はこの街から出てそう遠くはない。




 ご婦人は雪崩(なだれ)のように他人(タマラさん)の個人情報を教えてくれたあと、

「あ、買い物に行かなきゃ、それではごきげんよう」と言い残し颯爽(さっそう)と去っていった。残されたのは、渋い顔をする3人と、巻き上げられた砂埃(すなぼこり)


「まあ、しょうがないか……」

 とヒルさんがため息混じりに呟く。

 一応住んでいた家の場所に行ってみたが、確かに空き家になっていた。



 足取り重く馬車へと戻る。ボス氏はあまり時間がかからなかったのと僕たちの表情で、収穫(しゅうかく)が無かったと気付いたのだろう。意地の悪い表情を浮かべ鼻で笑った。



「あー、ま、気を取り直そう。みっつ目についてだけどな、犯人の目的だ」

 ヒルさんは少し考える素振(そぶり)りを見せたあと、おもむろに口を開いた。


 犯人がドッペルでは無かったとしても、この事件には理解できない点が多い。何故あの日だったのか、何故あの方法だったのか、何故頭が見つからなかったのか。


 ――何故、あの御者は殺されたのか。


「あの大広場にはシリノとテルセロが居た。もしかしたら犯人の本命はそっちだったのかも知れない」

 馬車を襲って、騒ぎを起こす。その場に商会の重要人物であるシリノがいたなら、それは……


「商会の要人に対する襲撃だった、と?」

 僕が自信なく発言すると、ヒルさんは首肯した。


「馬車は派手な陽動でしかなくて、混乱に乗じてそのふたりに何らかの危害を加えようとした。と考えることもできる。


 首が無くなってる理由とか、不確定要素は残るけどな……」


「なるほど」

 ヒルさんの様子は先程とは違って自信なさげだ。




「今日はこのくらいにしよう。明日、ヘイトとアイシャはテルセロの屋敷に向かってくれ。メルチョルが会う約束をしてくれているはずだ。


 俺はデブと引っ越したタマラの方へ行ってみる」


「い、行くのはいいですけど。メルチョルさんって、誰でしたっけ?」


領主(セフェリノ)の息がかかった貴族だ。悪いヤツじゃない。テルセロとシリノは今回の件と関係ないって知れれば良いさ。その後合流しよう」


 ヒルさんはそう言うと、御者に大広場へ向かうよう指示を出す。太陽は出ているが今日はこれで終わりにするようだ。





 教会に着くと、馬車から降りてヒルさんたちと別れる。


 村に戻るか悩みながら、神父であるバースィルさんに挨拶すると、教会に泊まることを提案してくれたのでご好意に甘えることにした。


 日が暮れるまで時間があったので、お礼代わりに薪割りを手伝った。すると患者として療養していたディマス騎士団の何名かが顔を出しに来てくれた。 


 先月の戦闘を何とか生き残ったアレホさんと、怪我で参加できなかったセナイダさん。ふたりの元気そうな顔を見れたのは嬉しかった。


 ディマス騎士団はしばらく街で静養し、準備を整えたあと自分たちの領地へと戻る。

 入院中、螺良(つぶら)杏里(あんり)さんとセナイダさんは意気投合したらしく、螺良さんと彼女の案内人である修道士(ブラザー)は、騎士団の旅について行く事にしたようだ。


 ディマス伯爵は豪華なお屋敷を借りているらしく、そちらで静養しているらしい。街から離れる前に顔を見せた方が良いだろうか?



 戦場の最前線にいるような忙しさは、()りを(ひそ)めてきたようだ。エルザさんやドミニクさん、聖職者の皆さん、色々な人と、日が暮れてからも話した。


 これほど退屈しなかった夜も久しぶりだと、ベッドに座り、星を見ながら思った。






 次の日。


 教会に馬車が迎えにきて、アイシャさんと乗り込む。男性が座っていて、丁寧に挨拶した。


「おはようございます。ヘイト様、アイシャ。メルチョルと申します。以後、お見知り置きを」


 メルチョルさんは、白い肌にブラウンの髪と立派な髭、栄養を充分()っていそうな大福顔。白を基調とした高価(たか)そうな服に、赤いマントを羽織(はお)っている。


 キリッとした表情をしていて礼儀正しい方だが、人当たりが良い。


「あ、おはようございます」

「男爵様。ごきげんよう」

 


「申し訳ありません。今回のテルセロ・ネグロン邸への訪問ですが、尋問ではなく、建前上は私個人の挨拶が目的となっています。強制力はありませんのでその点はご容赦(ようしゃ)を――」


 馬車で移動する間に、メルチョルさんから事情と注意点を説明される。


 テルセロは、近々まとまった量の黒炭を王への献上品として輸送しようとしているらしい。メルチョルさんの荘園(しょうえん)で生産される黒炭は上質らしく、鉄を打つのに最適だという。その取引をするという話だ。


 テルセロは騎士であるが爵位(しゃくい)は無い。メルチョルさんは男爵なので、有り体に言えばメルチョルさんの方が偉い。だが――


 テルセロの父であるカリスト・ネグロン侯爵は、王の側近とも呼ばれていた重要人物らしい。変に高圧的にはなれないのだという。



 過去形なのは、そのカリスト侯爵がここ数年病床(びょうしょう)にあるためだ。噂ではもうそれほど長くなく、次にネグロン家と侯爵位を継ぐのは、頭の切れる長男だと(もく)されていた。


 しかし、ここで問題が発生する。

 その長男が戦争に行った。安全な後方部隊で兵を出したという実績だけ作る予定だったのだが、行軍中に川で(おぼ)れてあっさり死んでしまったのだ。



 今にも天に()されそうな侯爵閣下。


 親より先に天に召された優秀な長男。


 強大な権力を継ぐ者は誰か、

 ネグロンに関わりを持つ2〜4男、長女次女――


 親戚と諸侯(しょこう)を巻き込む壮絶な骨肉の争いが勃発(ぼっぱつ)したのだ。


 王都で……



 というわけで、3男であるテルセロ・ネグロンも人脈づくり、実績づくりに奔走(ほんそう)しているらしいのだ。

 先月の大規模侵攻で(こう)を焦っていたのも、そういった事情があったのだろう。

 巻き込まれる方はたまったものではないが。


「私から聞いたことは内緒です。しー、ですぞ」

 とメルチョルさんは尖らせた唇に立てた人差し指を当てる。表情は至って真面目だ。

 アイシャさんも上品に真似して、しーっ、とやっている。



 情報交換と雑談を続けながら馬車に揺られていると、大きなお屋敷に到着した。


 鉄柵が敷地を囲っている。柵の隙間から、整えられた植え込みと芝生が見えた。

 隣近所にも同じような邸宅が並んでいる。ここは街の有力者が住む高級住宅街のようだ。



 到着から間を置かず、身なりの良い年配の使用人に案内されて、豪華な客間に通される。最初に目に入ったのは、装飾の少ない美しい甲冑。大規模侵攻作戦でテルセロが装備していた聖遺物(レリキィア)だ。



「ごきげんよう、テルセロ殿。先の戦いは厳しかったと聞いている。無事で何よりだ。

 こちらは使徒であるヘイト様。そして教会のシスター・アイシャだ」


「メルチョル様、良くいらした。おふたりも歓迎する。あの時生きて帰れたのは幸運だったと感じている。主のご加護があったのだろう」


 発言の割に歓迎されている雰囲気を感じない。早く帰れとでも言いたそうな表情をしている。


 僕とアイシャさんも適当に挨拶して、木製の椅子に腰かける。部屋の調度はどれも値が張る物に見える。この椅子もだ。鎧のままというのが気後れしてしまうほどである。

 跡などがつかなければいいが……



 テルセロは中肉中背の身体に、メルチョルさんに負けず劣らず高価そうな服を着ている。年齢は30代前半くらいだろうか、金髪を真ん中分けにしている。


 隙の無い、硬質な表情を浮かべているが、肌は白いというか少し蒼ざめているように見える。跡目争いの疲れだろうか。



 あの撤退戦に参加したネグロン家の剣(アルマ・デ・ネグロン)で、無事だったのはふたりだと聞いている。そのうちのひとりがテルセロ。


 僕たちが罠に嵌められたときさっさと逃げ帰ったようだ。仲間の部隊さえも置いてきぼりにして。


 テルセロに対し、あまりいい感情は持てない。




 長い挨拶と身の上話を続けていると、部屋の扉を全身を使うようにして開けて、小さな男の子が入ってきた。


 続けて若い女性が「ティロ、お父様はお仕事中よ。お部屋に戻りましょう?」と言いながら入ってくる。


 扉の隙間から見える廊下には、女性の使用人が困惑した表情で立っていた。



 男の子は女性の声を無視してテルセロの方へと駆けてくる。テルセロは表情を変えず、小さなため息を吐いた。


「ああ、申し訳ない。長女のソルと次男のティロだ。

 ふたりとも、メルチョル様とシスターアイシャ、そして使徒であるヘイト様がいらしている。挨拶なさい」


「皆様、お話し中失礼いたしました。ソルと申します。さ、ティロも挨拶して……」


 僕と同い歳くらいの小柄な女性が自己紹介する。テルセロと同じ白い肌。カールした長い金髪。桃色のドレスを着こなし、スカートを摘まんで挨拶をする所作には気品を感じた。


「こんにちは」

 ソルさんに促されて、少年が控えめに声を出す。6、7歳だろうか。こちらも白い肌でサラサラの金髪だ。青色の瞳はアイシャさんをじっと見ている。


「メルチョル様。長男のエンリケは外出中だ。いずれ挨拶へと向かわせよう」

 とテルセロが言うと、ソルさんは、ん?という表情を浮かべた。



「こ、こんにちは。ヘイトです。一応使徒です」


「ごきげんよう、ソル様。ご無沙汰しております――ティロ、元気だった?」


「知り合いなのか?」


「お父様、お忘れ?アイシャはティロの治療をしてくれたシスターよ?」


「ああ……シスター・アイシャ……そうだったか。その節はどうも、助かった。本当に」


「?」


 話の流れからすると、アイシャさんはテルセロ家の人々と面識があるようだ。メルチョルさんと僕の様子を見て、アイシャさんは説明してくれる。


「ティロが体調を崩して、教会に来たことがあるのです。その時、私が看病をしました。あれは、そう……」


「昨年末、ティリヤに到着してすぐだ。王都からの道中は寒さが厳しかったが、急いでしまった。長旅の疲れが出たのだろう。ティロには無理をさせた。


 ティロの治療をして頂いたあと、シスター・アイシャが大広場で怪我をされたと聞いて心配していたのだが、お元気そうで良かった」


 テルセロの表情筋が緩む。




「ええ。これも我らが主のおかげです。


 ――そういえば、あの時テルセロ様も大広場にいらしたと聞きました。民衆は混乱していましたし、お怪我はありませんでしたか?」

「ああ。そうらしいですな。シリノ氏もご一緒だったと」


 アイシャさんとメルチョルさんは、雰囲気と話の流れを利用してさらりと質問する。

 う、うまいな……


「ああ。酷い騒ぎだった。驚きはしたが、すぐにシリノ氏を連れて領主館へと避難したのだ」


「その時の用事はお済みか?何かあれば協力するが」


「シリノ氏には街の案内と、身の回り物を頼んでいた。すでに商談はまとまったので問題は無い」


「それは良かった」

 メルチョルさんはその言葉が本心であるかのように表情を緩めた。いや、本当に親身になっているのかもしれない。



 アイシャさんは表情を引き締めて口を開く。

「実はこの街には魔物が潜んでおります。それを討伐するため、街の平穏のため、ヘイト様を始めとする使徒の皆様に、我々は御力を借りております。


 テルセロ様、そのような魔物の話は聞きませんか?」


 アイシャさんの放った直球の質問に、テルセロは答えた。


「魔物の件は布告を見て知っている。恐ろしいことだ……


 私が知っていることはない。だが、使徒様が身を(てい)して我々のために戦って下さっているのなら、私も主の(しもべ)のひとりとして、協力は惜しまない」






 お屋敷から出ると、門のそばでヒルさんが待っていた。馬車の中で、お互い知ったことを報告し合う。


 死んだ御者はタマラさんの息子で間違いないようだ。長らく街を離れて行商人をやっていたらしい。お金が貯まったので、街でお店を開こうと帰郷した矢先の出来事だった。



 頭の無い御者――エルナンさん――はいなくなる少し前、気になることを話していたという。


「自分とそっくりな人間を見た」

 と母であるタマラさんにこぼしていた。ひどく(おび)えていたそうだ。


「ドッペルが人間を殺す前に化ける話は聞いたことが無い。けど与太話(よたばなし)として無視するには出来過ぎてるし、軽率な気がする。


 今後は似顔絵の作成と、エルナンの嫁さんには街に来たときに、似た人間を見るか注意してもらうことにしたよ。つらいだろうがな……」


 ヒルさんは声のトーンを落として話す。

 こちらがテルセロ邸で会話したことについては、


「変わったことはなかったのか、連中がいたのは偶々(たまたま)なのかな」

 と考え込んでいた。



「犯人はドッペルではなさそうだし、被害者の身元は分かった。でも、いまいち腑に落ちないよなあ」


「そうですね……」

 犯人は別にいることになるし、その目的も犯行動機も不明のまま。ドッペルの関連も不明。

 気持ちの悪い結果になった。


「この件は、一旦自警団(ウチ)の連中に調べさせる。


 情報が集まるまで時間がかかるし、俺たちは次に行こうか」


「次、ですか……」


「ああ、噂じゃ"悪魔の住み着いた宿"だそうだ」


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