47話 ~影像~
特殊個体。
黒い森の影像。
エスペシャルの中でも異質な魔物。
あらゆる姿へ変身することができる。
その能力を使って人間に化け、街や村などの共同体に紛れ込み殺人を繰り返す。
変身前の姿を見た者はいないとされている。
正体を見破ることは困難であり、現在確認できている人間との相違点として、頭蓋骨の中に脳が無いこと、秘跡や魔法が使えないことが挙げられる。
出現報告はごく稀である。
「噂は聞いてると思うが、数か月前からこの領地全体で犯罪が多くなってる。
殺人、堕胎、傷害、暴行、脅迫、監禁、誘拐、強姦、侮辱、窃盗、強盗、恐喝。
大抵はすぐに因果関係が分かるんだが、幾つかは解決できていない」
4人が向かい合って座る馬車の中、ヒルさんは淡々とした口調で話している。彼の隣に座るボス氏は憮然とした態度で、隣のアイシャさんは真剣な表情で頷いていた。
犯罪か……
その単語を聞くとどうしても僕がこの世界に来てすぐに遭遇した、あの出来事を思い出してしまう。
大広場の露店に突っ込む馬車。頭の無い御者。こちらを見つめる呪いの鎧。
「その中でも、ある連続殺人に領主は頭を抱えてる。被害者同士の繋がりは薄く、凶器は身の回りにあるような農具やナイフ。どの被害者も抵抗した跡がほとんど無くて、遺体は背骨のあたりが酷く損壊している。ほぼ間違いなくドッペルの仕業だ」
「街がそんなことになっていたなんて…… あまり、実感はありませんでした」
若干の悔悛を含んだ言葉が出る。
首を横に向け、幌の隙間からゆっくりと流れる街の景観を見遣る。明るい陽光に照らされた路上は、活気があふれているように見え、その生活が魔物に脅かされているようには見えなかった。
「この街は人が多いし商売も盛んだ。酷え目に遭うのは全体の一部。その他大勢は関係無く過ごせる。気が付かなくても無理は無い。
だが、このままじゃ死体が増える一方だ。放ってはおけない」
僕の隣にはアイシャさんが座っている。この街の教会で暮らすアイシャさんが。
増えていく被害者の中に、自分の知っているひとが、いつか入るかも知れない。
「何か、そう……目星のようなものはあるのですか?今、ドッペルについて分かっていることなどは?」
アイシャさんが質問を飛ばすと、ヒルさんは淀みなく答える。
「うん。どうやら、ドッペルは人間の記憶を"知る"ことができるらしい。その能力があるからこそ、ヤツは完璧に人へと化けることができる」
「態度や話し方、思い出まで真似できるのですね」
「ああ。そしてヤツは自分にとって都合の良い人間を殺すと、そっくりそのまま入れ替わる。その人間が暮らしている環境を利用して次の獲物を探すんだ」
「愛する隣人が魔物かも知れない。恐ろしいことです」
アイシャさんは祈るように手を組んで、少しだけ俯いた。
「……そのドッペルの性質を考えると、この街で暮らす全員が怪しい。こうして話をしてる俺がドッペルかも知れない」
ヒルさんの言葉に全員が黙ってしまい、馬車の車輪と蹄の音だけが聞こえた。目の前で話す彼が、今、僕たちを騙しているかも知れない。それはこの馬車に乗る4人全員に言えることだ。
自信を持ってドッペルじゃないと言える人間は、自分だけ。自分だけはそうでないと言えるが、それを他人に信じてもらえない場合もある。
その考えに至った時、強い不安に襲われて沈黙を破ってしまった。
「この4人だけでやるんですか?」
街の安全を脅かす魔物を狩るというのは賛成だ。しかし、現実な問題として可能なのか、とても困難なことに思える。僕に、そんな難しいことができるのだろうか。
ヒルさんは首を横に振った。
「随分前から領主は街の衛兵と役人を総動員しているし、夜間外出禁止令を出して、昼間でも3人以上で行動するように布告した。俺たち自警団も各地で情報を集めてる。それに使徒たちにも協力をお願いして、独自に動いてもらうことになった」
彼が話し終わるかどうかのところで馬車が止まった。ヒルさんに促されて降車する。長いこと揺られていた気もするが、まだまだ日は高い。
目に入ったのは街の外壁だ。
街を囲っている石の壁には、アーチ状の門と小ぶりな守衛所が造られている。荷物を持って手続きを待つ人の列と、その周りにいる数名の衛兵が見えた。衛兵のひとりもこちらに気が付いたようだ。
「ヒル、首尾は?」
「残念ながら良い報告は無い。そっちは?」
「門を通る農村の連中に各村の様子を聞いているが、それらしい殺しの話は聞かない。他の門に詰めてる衛兵も同じだ」
「村には戻ってない――」
「多分な。まあ、入ってくれ、ドミンゴを見た奴にも来てもらった――どうぞ、使徒様もこちらへ、狭い所ですが」
案内されて簡素な守衛所へと入る。6畳ほどの広さがある長方形の部屋だ。壁には武器やら備品やらが並べてあって、奥にもうひとつ扉が見える。
部屋の中央には木製の長テーブルと椅子が置かれていて、ひとりの衛兵が座っていた。衛兵に向かい合って僕たち3人も席に着く。盗賊のボス氏は馬車に置いてきた。
軽く自己紹介をしてヒルさんが質問を始める。
「調子どうだ?」
「ええ……」
「もう何度も聞かれたと思うが、ドミンゴについて聞きたい。良いか?」
「大丈夫です」
ヒルさんが話しかけると、彼はぽつぽつと言葉を返す。こちらを見る衛兵の全身からは悲壮感が漂っている。
「ドミンゴは街から南東にある村で暮らしてました。私の親戚にあたります。
数か月前の侵攻作戦で黒い森に入った時、部隊からはぐれてしまってそれきりだと、人伝に聞いていました。しばらく顔を合わせていなかったので、残念に思っていたんです。
それから数週間して、突然村に帰ってきたと聞きました」
「黒い森からひとりで帰ってこられた、か」
「はい。奇跡だと。主のご加護があったのだろうと、安心しました。思い返してみれば、それからです。領地の南東で妙な殺しの噂を聞き始めたのは……」
「殺ったヤツが分からなくて、その地域はかなり疑心暗鬼になってたようだな」
「私もそう聞いてます。ドミンゴを最後に見たのは、私が門の警備で立ってた時です。久しく顔を見ていなかったので、無事を喜んで少し話をしました。そのあと規則通り荷物を確認し、税を取って通行証を発行し、街へ通しました」
「何時頃の話だ?」
「4カ月前の中頃です。門を開けてすぐ、早朝でした」
「昨年末か、気になったことは?」
「手続きも態度も問題ありませんでした……でも」
それまで冷静に答えていた彼の態度が崩れてくる。視線は落ち、泳いで、表情は険しくなっている。ヒルさんは相手の口が開かれるのをじっと待っている。
「でも……普通でした」
「普通?」
「はい。私は、あいつが黒い森ではぐれたことも知ってる。あいつの村で何人か死んだことも。その中に、あいつの兄弟がいたことも聞いてた。なのに『大丈夫か?』って聞いたら、『問題ないよ、ありがとう』って。そんなはずねえのに……」
「そうか」
「申し訳ありません。あそこで止めてれば――」
「相手は神敵だ。そう簡単にはいかないさ。お前を恨んでるヤツはいないよ」
「……そう、でしょうか」
絞り出すように言葉を吐く衛兵は、下を向いて両手で頭を抱えている。傷の痛みを堪えているような、そんな風に見えた。
それから何点か質問して、僕たちは守衛所を後にすることにした。話が終わって席を立つときに衛兵に話しかけられる。それまでとは対照的な、思い切ったような大きな声だ。
「ヒル、アイシャ、ヘイト様。頼む。あの化け物を殺してくれ」
「任せろ」
とヒルさんは短く、きっぱりと言った。
「南東の村の周辺で起きた殺しは、ドミンゴが黒い森から帰ってきたあたりで始まった。そして、あの衛兵が見た4カ月前くらいに止まったと聞いてる。ドミンゴの姿を見たのはそれが最後だと言っていたし、街の外で殺しが再開したってわけでもなさそうだ。
街で他の人間に入れ替わって、まだいるな」
馬車に戻るなりヒルさんは口を開く。今の状況を僕たちに言い聞かせているのだろう。以前から情報を集めていたと言っていたし、ヒルさん自身はすでに先程の話を知っていたのかも知れない。
「これから、具体的に、どうドッペルを探していくんですか?」
現状、ドッペルのいる場所は街に限定された。だがこの広い街から、1匹の魔物を特定するのは困難に思える。ヒルさんには方針が決まっているのだろうか。
「そうだな――ドッペルの今の見た目がどうであれ、相手は魔物だ。本能に従って保身と捕食をする獣に近い。そんな獣を狩る時に重要なのは、まず獲物の習性を知り、存在した痕跡を見つけることだ」
「習性と痕跡……」
「そう。ドッペルが人間を殺した時、そいつに入れ替わる時だけ、身元が分からないように、死体の隠蔽を図ったり損壊する行動を取ることが判明してる。死体が出てきたのにそいつが街を歩いてたら、すぐにバレちまうだろ?」
「確かに」
あれ、あいつ、この間死ななかったっけ?なんてことは、そうそう無い。
「で、だ。街の遺体安置所で働いてる検視官に頼んで、ここ数ヶ月に出た妙な遺体の検死結果をまとめて貰った。理由はまちまちだが、4人、身元が不明の遺体が出ているそうだ」
「……その4人が、もしくは何人かが、ドッペルに襲われて入れ替わった?」
「そうだ。もし、その中で今も生きているヤツがいたら?」
「そのひとが……ドッペル」
隣に座るアイシャさんがハッとしたように言う。
死体があるはずの人間を見た。それが幻覚や見間違いでないとしたら化け物だろう。
「俺たちはこれからその4人が死んだ理由と、どこの何奴なのかをハッキリさせる。関係ないのを省いて、そいつらの周辺を洗えば、ヤツの影を踏めるかも知れない」
入れ替わる時、遺体に一手間加えるのが習性で、遺体そのものが痕跡か。
4人を殺めた犯人の中に、ドッペルがいる。ともすれば4つの殺人事件を解決しなくてはいけないから、時間はかかってしまうだろう。だが、広い街を闇雲に探すよりは幾分かマシに思える。急がば回れということか。
「……やめるか?」
「え、何でですか?」
僕が自分の両膝を眺めながら考え込んでいると、そんな言葉をかけられたので首を起こした。ヒルさんはこちらを覗き込むように見ている。急に何を言うのだろう。
「1日2日じゃ終わらないし、キツいものを見るかも知れない。それでも続けるか?」
そういえば、僕は自分の口から"やる"と言っていない気がする。自分でも不思議だがすっかり参加するつもりでいた。
きっと、皆が躍起になって魔物を探している中で、僕だけぼうっとしていたくないのだろう。余計な罪悪感を感じたくないのだ。こんな保身的な考えは不謹慎だと思うが。
いつものように消極的な、どうしようもなく後ろ向きなやる気が湧いている。
「えっと、その、途中でダメになるかも知れないですけど……力になれる範囲で、協力したいです……」
ははは、とヒルさんは笑う。そして、
「お前らしいな。でもありがたいよ。
良し。じゃあ早速行動開始といこう。最初は"御者の首無し死体"だ」