46話 4月3日 ハンティング・シティ
「抜くな、殺すぞ」
「流石の速さだね、勘治」
「お前の弓ほどじゃねぇよ」
がっはっは、という笑い声が夕飯時の酒場に響き渡る。
ここ数日、使徒たちと村の皆で流行っている遊びがある。それが寸劇、もしくはものまね大会だ。この遊びには共通点があって、必ず彼が登場する。
今回は僕があの勘治先生役、ローマンさんが本人役で、いつか中継基地で見たやりとりを真似ている。当然というか僕に演技の才能など無く、点数をつけるなら30点もいかないだろう。
しかし、そこはそれ。ここに集まっているひとはほぼ例外なくお酒が入っている。そのうえ、ナメた口を叩けば有無を言わさず木刀の一撃が飛んでくる、鬼の親戚かのような津山勘治先生を笑いものにしているのだ。
ある程度のウケは決まったようなものだろう。
そして奴は先月末にこの異世界から元の世界へと還った。もう怒られることはない。
というわけで、ここ最近は酒のつまみに先生の話で盛り上がるのが定番になっていた。まあ、僕は呪いの鎧が顔まで覆っているので飲み食いできないのだが。
連日村の酒場には、仕事終わりの農民が酒場に集まるから大盛況だ。燭台に灯った沢山のろうそくが、広い店内を淡い光で照らしていて、酔った笑顔を照らしている。
宴もたけなわ、と言ったところか。
テーブルの上にある、幾つかの短くなったろうそくが目に入る。
――勘治先生の送還を知ったのは偶然だった。もしかしたら直前まで知らなかったかもしれない。二度目は無いようにしたい、だからあの後すぐ、思い切って送還の時期を聞いてみたのだ。
皆、快く答えてくれた。
教授が6月初め。
フベルトさんが6月終わり。
ローマンさんが9月終わり。
アントニオさんが10月中頃。
感じたのは、教授の送還まであと2カ月しかないという驚き。それと、こんなにあっさり分かるのなら、もっと早く聞いておけば良かったという小さな後悔。
別れまでに何かすべきことがあるのかは、正直分からない。ただ、有意義に過ごしたいと思う。
6人集まって座るテーブルの中央には、陶器の一輪挿しが置いてあり、ピンク色の花をつけた枝が活けてある。
……6人。そう、このテーブルに着いているのは6人だ。
教授、フベルトさん、ローマンさん、アントニオさん、僕。
そして、
「勘治が見たら驚くだろうねえ」
この街でよく見かけるようなラテン系の顔立ち、緩いウェーブのかかった長めの黒髪。一片の贅肉も無い筋肉質な長身。
僕のものまねを見てニタニタ笑っているヒルさんだ。
いつの間にか居たヒルさんは、長い足を組み、リラックスして椅子に腰かけている。その雰囲気はあたかも常連客のようだが、彼をこの店で見ることは少ない。
何故、自警団の頭目をやっているヒルさんが、僕たちと一緒に夕食を食べているのだろう。いや、別に問題など無いのだが、気だるげな顔に浮かんでいる笑みは見たことがある。
あれは、他人にどう難題を叩きつけようか、考えている人間の表情だ。
あ、怪しい。
「ヘイト、元気そうで何より。良い夜だな」
「あ、ええ。ヒルさんこんばんは。き、今日はどうしたんですか?」
「ああ、たまには皆様と食事をと思ってな。そういうの大事だろ?ついでにちょっとした仕事の協力をお願いしたくてね」
「は、はあ。あの、皆さんはもう知ってる――?
あ、知ってるんですね」
口を動かしながら面々を見渡すと、皆薄ら笑いを浮かべながらこちらを見て黙っている。この反応は、僕以外には既に話を通していて、僕だけが知らされていないのだろう。
サプライズだ。
嫌な予感がする……
「領主からの依頼でさ、ある程度は結果を出さなきゃいけないんだが、ホラ、これだろ――」
ヒルさんはそう言って包帯の巻かれた右腕を見せる。まだ怪我は治っていないようだ。
「で、優秀な人材に手伝ってもらおうと、顔の広い使徒様にお導きを求めに来たんだ」
「ああ、えと……探している人材は、もしかして、優秀で……死ななそうなヤツですか?」
ヒルさんはより一層の笑みを浮かべると、口を開いた。
「もしそんな奴がいるなら、最高だね」
一晩明けて、馬車に揺られながら街を横断する大通りを進んでいる。大規模侵攻は終わったものの、まだ人の多い様子が幌の隙間から見える。
この中世欧州のような異世界で効率的な移動手段と言えば馬だろう。長距離であればそれなりの日数がかかる。
商人たちはこの街で仕入れや買い付けをしてから街を出るし、そうでない貴族や学者も、物資の購入や荷造りがあるから、行事が終わっても、すぐ帰路につくというのは難しい。
まだまだ街は賑わいそうだ。
がたがたと揺れる車内にいるのは、僕と大欠伸をしているヒルさん、それともうひとり。
麻袋を頭から被り、両手を前で縛られた恰幅の良い男性が乗っている。
みすぼらしい服を着ていて、ご面相は麻袋のせいで分からない。一言も発せずただ揺られている護送中の罪人のような姿に面食らって、僕はずっと外を見ていたのだ。
「引き受けてもらって悪いね、ヘイト。何か予定でもあったか?」
「い、いえ、別に、大丈夫です」
ヒルさんが軽い口調で話しかけてくる。
結局その仕事とやらは引き受けてしまった。抵抗しようと口を開くとすぐに反論が来た。僕以外の使徒もその仕事とやらを手伝うらしい。外堀はしっかり埋められて、コンクリートを打たれていたのだ。
自分のミスに気が付いたのはすぐ後で、内容を聞く前に了承させられてしまった。一体何をさせられるのだろう。
「優秀な人間って、自警団の皆さんとか……他に沢山いるでしょう?何も僕じゃなくたって――」
「まあそう言うなって。大規模侵攻の後はトラブルが多くて大変なんだよ。ウチの連中も出払ってて人手不足なんだ。
だが、誰でも良いってワケじゃない。これでもお前のこと頼りにしてるんだぜ?」
「ほんとですかあ?」
「本当だよ。そうだなあ、今回の件は込み入っててね……"狩り"を手伝って欲しい」
「狩り、ですか」
「ああ。詳しくは全員揃ってからにしよう」
ヒルさんはまだ詳しく話してくれなさそうだ。
馬車が停車したのを揺れで感じ取る。目的地に到着したようだ。降車すると何度も見た光景が広がっていた。
大通りから繋がる大広場に面した、要塞とも思える巨大で頑強な石造りの建築物。高い塔の天辺には大きな鐘が見える。正面の扉は開かれていて、町民や聖職者が出入りしている。
ティリヤの教会だ。
何の用だろうかと、呆然と大きな建物を見ていると、笑みを浮かべたヒルさんに手招かれて入り口へと向かう。
「ヒル様、ヘイト様。ごきげんよう」
彼に数歩遅れて礼拝堂へと入ると、ハスキーさの混じった心地よい声で挨拶された。そちらに目を向けると、白い修道服を一分の隙なく着こなす、アラブ系の美しい修道女が立っていた。
「あ、アイシャさん?おはようございます……」
「待たせたな。引き受けてもらって悪い。教会はまだ忙しいだろ?」
「教会は大丈夫です。街の安全を守るためですし、ヘイト様の助けになれるとあれば光栄です」
アイシャさんはそう言って笑顔を向けてくれた。その整った顔立ちは大人びているようにも見えるし、どこか幼さが残っているようにも見える。
彼女は僕と同い年くらいだと思うが、女性に歳を聞く方法など知るわけもないので、未だに分からない。
「街のことを聞くなら酒場のオヤジか聖職者だからな。アイシャが相手ならこの街の連中も口が軽くなる。頼もしいよ」
「はい。聖典に反しない範囲で、何なりとお申し付けください!」
アイシャさんは普段の3割増しで溌溂としている。かなり気合が入っているようだ。
どうやらヒルさんはアイシャさんにも協力を頼んでいたようだ。僕の名前を勝手に使って……
アイシャさんと一緒に馬車へと戻る。彼女は乗り込むときに麻袋の男を見て、「ん?」と訝しんでいた。
全員が腰を下ろすのを確認したヒルさんは、
「よし、揃ったな」
と言って、無造作に麻袋を剥がす。
その顔は――
「なんか、見たことあるような……」
肥えていたであろう大きな顔は頬がたるんでいる。不健康に痩せているのだ。殴られた跡が残る、落ち窪んだ目がこちらを捉えると、口元を意地悪そうに歪めて、
「久しぶりだな、使徒様よ」
と言った。
「アイシャは初めてだよな?こちらは蜂盗賊団のボス氏だ」
「はじめまして……」
「ああ」
呆気にとられているアイシャさんの声と僕の声が重なる。
随分と憔悴した風体だったからすぐには分からなかったが、思い出した。以前ヒルさんと仕事をしたときに、自警団と捕縛した盗賊の頭だ。
「さて、本題だ。今回お前らにはこの街での狩りを手伝ってもらいたい」
「この街で?」
と聞くと、彼はこちらをまっすぐ見て大きく頷く。
ヒルさんは、森に行って鹿を追ったりするのではなく、街中で狩りをすると言う。話が見えない。
害鳥駆除、といったような軽い雰囲気では無い。
「何を」と聞くと、ヒルさんはすうっと息を吸う。
「今までは黒い森で大量の魔物を相手にしてきた。
だが、今回の相手はたった1匹――」
ヒルさんは真剣な表情をつくり、こちらの顔に着いた面、その奥を見た。
「"影像"だ」