44話 鞘無
いつもの農村だ。
暖かな陽光、鳥のさえずり、周りの木は明るい色の花をつけている。
僕たち使徒と村の皆でとある畑に集まり、広い芝生にテーブルと椅子を並べて宴会をやっていた。
「こっちの世界でも桜が咲くんですね」
周りの木々は、まるで今日にしようと決めたかのように、一斉にピンク色の花を咲かせていた。
近くで見ると、白っぽい花弁は先が少し割れていて、中央は濃い赤色。どこか懐かしさや親しみを覚える花冠が、沢山枝についている。
「あ、これはですね。アーモンドなんですよ。きれいですよね」
「へえ、アーモンド。花を見るのは初めてです」
隣にいるアイシャさんが教えてくれた。ここはアーモンド畑のようだ。周りには同じ木がまばらに植えてある。
まじまじと花を見てみるが、植物についてそんなに詳しくないから、桜の花との見分けがつかない。
「夏の終わりには収穫できますよ。楽しみです」
「そうですねえ」
「……」
「……皆のところに戻りますか」
アイシャさんとの会話が続かないので、皆が飲み食いをしているテーブルへと向かう。
今日は農村で、春の目覚めを喜ぶお祭りをやっている。お祭りと言っても街でやるような大きいものではなく、地域に根差した小さな催しだ。
その光景は、日本で言うお花見にそっくり。
もちろん、勘治先生の送別会を兼ねている。今日は遅くまで、満開に咲いたアーモンドを見ながら、飲んで食べて踊って歌って、先生のいた1年間を振り返るのだろう。
いつもの仏頂面でお酒に口を付けている先生の周りには、エルザさんと村の皆で人垣ができていて、笑い声が聞こえてくる。お酌でもしようかと思ったが、近付けなさそうだ。
僕は飲むのも食べるのも踊るのも歌うのもできない。使う薪はすぐに割ってしまった。暇なので、ぼうっと花を見ていたのだ。
「ずいぶん熱心に花見てたな、好きなのか?」
空いている席にアイシャさんと並んで座ると、アントニオさんが話しかけてきた。ここ数日はベッドの上でうんうん唸っていた彼だが、かなり顔色が良くなっている。まだお酒は控えているようだが。
「え、ああ、まあ。桜と似ていたので。学校の近くに植えてあって、春になると咲いてたんです」
「サクラとアーモンドは親戚みたいなもんだからな。良く似ている。どちらも春の目覚めを告げる花だ。
――『わたしは、わたしの言葉を成し遂げるのを見張っている』」
普段よりお酒を呑んでいる教授は、普段よりずっと饒舌だ。コップを片手に、花を咲かせる木々の方を見ながらそう独り言ちる。何かの一文を諳んじているようだ。
「なんです?それ」
「神がエレミヤという男に、幻でアーモンドの枝を見せて『何が見えるか』と聞いたんだ。エレミヤはそのまま、『アーモンドの枝が見えます』と答えた。
それを聞いて神が言ったのが、その言葉だ」
「なんだか、会話できていないような……」
見えた物をまんま答えたら、『成し遂げろよ、見てるからな』と神様に言われてしまった。
神様と会話をしたエレミヤさんの頭の中には、クエスチョンマークが浮かんだのではなかろうか。
"エレミヤ書"だったっけ?と聞くローマンさんに、そうだ、と教授は返した。そして、
「ヘブライ語の発音では、『アーモンド』は"シャケード"、
『目覚め・見張る』は"ショケド"が近い。
神はエレミヤに『アーモンドが見えます』と答えさせたわけだな。で、『よく言った。見守ってるから頑張れよ』とエレミヤの背中を押した」
「なんというか、神様も洒落を言うんですね」
誘導尋問みたいだ。
「はは。言葉遊びで預言者として送り出されたエレミヤはどんな気持ちだったのだろうな。自分はまだ若く、無理だと、始めは断ったそうだが――」
そう言いながら教授はコップに口を付ける。
ローマンさんが呟く。
「使徒も、エレミヤと似たようなものかもね。私たちが預言者だなんて、言うつもりはないけれど」
「力を与えられて、壮大な冒険の始まり、って?」
フベルトさんがそう返した。彼の目線の先では、村の子供たちが"神馬の子"の長い尻尾と戯れている。
「確かになあ。
――――勘治がこの世界に召喚されるとき、あの神に、『サヤは自分で探せ』と言われたそうだ」
「それ、勘治から聞いたの?」
教授が先生の個人的なことを話し始めてしまったので、恐る恐るといった感じでフベルトさんが質問する。
「ああ。奴を泥酔させたときにな。そのあと、誰にも言うなと脅されたっけな。凄い顔だったぞ」
「それ、私たちに言ってしまって良いのか?」
「どうせ最後だ、構うまい」
ローマンさんが心配したように聞くと、事もなげに教授は返した。いつになく楽しそうだ。
そんな僕たちの雑談を、アイシャさんは至極まじめな表情で聞いている。せっかくの宴席なのに、こんな話はつまらなかっただろうか。僕の視線に気が付いたアイシャさんは口を開く。
「貴重なお話ありがとうございます!忘れる前に記録を録っておかないと……エルザ!何か筆記用具は持ってませんか!?」
「はは、アイシャ。ただの世間話だ。聞き流しておきなさい」
でも、とアイシャさんはオロオロし始めている。使徒が神のことを語っていたのだ。真面目で敬虔なシスターであるアイシャさんにとっては、価値を感じる話なのかもしれない。
まあ、これからずっとアイシャさんと話すとき、メモを片手に持っていられたら馬鹿なことを言えなくなってしまう。戯言を聖典に残されでもしたら大変だ。聞き流してもらおう。
ふと人垣の方を見ると、いつもより眉間の皺が薄い勘治先生の顔が見えた。
あっという間のようで、長い時間を過ごし、村人に見送られながら明け方に村を離れた。皆を乗せた大きな馬車を、神馬の子が引いている。
馬車に揺られながら、思い出話に花を咲かせる。皆ちょっとだけ眠そうだが、眠る者はいない。
"聖域"に着いた頃には、太陽がすっかり顔を出している。
今日もいい天気だ。
いつもの使徒たちと、エルザさん、アイシャさん。そして石でできた椅子のそばに勘治先生が立っている。
「泣くなよ、みっともねぇ」
「だってさ……」
アントニオさんは涙を拭っている。先生が彼の肩に、手を乗せているのが印象的だった。
「俺、勘治のこと苦手だったよ……」
「ふっ、俺もだ」
ローマンさんは笑顔を浮かべているが、やはりちょっと涙ぐんでいた。ふたりは固い握手を交わしている。
「ローマン……良い弓だった」
「勘治の剣も凄かったよ。会えて良かった」
フベルトさんと教授は穏やかな笑みを浮かべている。
「フベルト、世話になった」
「ほんと、大変だった。反省して?」
「悪かったよ」
先生は、口調や表情はいつもと違わないのに、やっぱりいつもとちょっと違う。
「鞘は見つかったか?」
「くたばれ、クソ爺」
「ふっ、元気でな」
教授が鷹揚な笑みで気安く言葉をかけると、先生は呆れたように返していた。
それぞれが、思い思いの会話をしている。
僕は、この面の下で、どんな表情をしているのだろうか。先生には見えないのに、そんなことを考える。
「ヘイト」
「は、はい」
僕が最後か。
ラロさんの時もそうだったが、どうでもいい奴を最後に回す伝統でもあるのか。
僕は何を言われるのだろう。
「馬鹿」
――――――何を、この人は。
しんみりしていたのに、そんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。何度も聞いた罵倒だが、機嫌が悪くなる。
あの大広場で気まずくなった、あの時と何も変わってない。僕が別れを告げられなかったのは、認められていなかったからだと思う。他の皆のように強くは無いから、それはしょうがない。
だが、せめて、お世話になったのだ。お礼くらい気持ちよく言わせてくれてもいいではないか。
感傷的になっていたのが、本当に馬鹿みたいじゃないか。
「まただんまりか?」
僕が面食らっているのを見て、つまんなそうに、そう言い捨てる。
――ああ、そうか。
不思議と僕は安心した。いや、再認識したのだろう。
僕はアントニオさんと同じように、ずっとこのひとのことが苦手だったのだ。
身長も大きいし、言葉遣いもがさつだし、顔も怖い。
そしてわざわざ別れなど告げない。
お世話になっているのに、悪い態度を表に出すなど、いけないことだとそう思っていた。僕自身が良い子ちゃんでいたかったのだ。
――もう、言ってやれ、構うものか。
元の世界で、同じ日本に帰っても、また会えるとは限らない。
どうせ、
どうせ――
これで最後なのだから。
「ばか」
勘治先生は、無表情で鼻を鳴らした。
「それでいい。
言いたいことあるなら言え」
先生は思い出したように聖職者の方へ向き、
「エルザ、アイシャ。こいつらを頼むぞ」
と言った。
「勿論です」
「は、はい!」
ふたりは明瞭に返答をする。
先生は小さく頷きながら、石でできた大きな椅子にどっしりと腰を下ろし、ぶっきらぼうに、
「じゃあな」
と言う。
仏頂面に変わりはない。
瞬きをひとつすると、先生の姿は消えている。
この世界で1年間暮らした津山勘治先生は、元の世界へと還った。
もっと感動的なものを想像していたが、あっさりとしたものだ。
最後の最後まで、彼らしい。
「ヘイト、フベルト。カンちゃんのこと、連れて帰ってきてくれてありがとな」
アントニオさんが感謝の言葉を口にした。先生が"聖なる泉"まで戻って来ていなかったら、こうして罵倒し合うことも無かった。
感じていたモヤモヤは晴れている。こんな別れ方しかできなかったが、結局なるべくしてこうなったのだ。先生は無口だし、僕は人と話すことが苦手だ。
先生と僕の別れの形は、これが最良だったのだろう。
白い石材でできた椅子には、1本の枝が残っている。ピンク色の花をつけている枝。桜に似た花だ。
そっと拾い上げ、鎧が覆った手に取ると、鎧の黒と花弁のコントラストが良く映えた。
せめて萎れてしまうまでは、宿の女将さんに頼んで飾って貰おう、と思う。
――お前は連中の、鎧になってやればいい――
いつか聞いた先生の言葉を思い出す。
「『わたしは、わたしの言葉を成し遂げるのを見張っている』――か」